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令嬢シリーズ

あなたに期待した私がバカでした

作者: 無色

「あなたに期待した私がバカでした」


 静かで、しかしそ雷鳴のようにその言葉は身体の底まで響き、執事や侍女を含めた部屋にいた全員を黙らせた。


 ヴィオレッタ=グランクロワ。


 高貴な家柄に生まれ、数多の政務をこなしてきた才媛。その瞳に浮かぶのは、怒りでも失望でも、ましてや哀しみでもなく、ただひたすらに冷酷な諦念であった。


「お、おい……ヴィオレッタ、何をそんなに怒っているんだ? 何かの冗談か? そんな顔、やめてくれよ……なあ、はは……」


 夫であり領主であるリオネル=グランクロワ辺境伯は、豪奢な椅子に座りながらひきつった笑いを浮かべた。


 どこまでも愚かで醜悪な男だと、彼女は心底呆れたように息を吐く。


「冗談? あなたの浮気相手を私の侍女に仕立て上げて屋敷に住まわせ、まるで正妻のように扱っていたのが冗談だったと?」


 顔色が変わる。


「ま、待て、それは……」


「気付いていないとでも思ったの? ああ、それとも、お前はおれの影でいればいいと政務会議から私を排除しようとしたことが冗談だったのかしら?  女に政治は無理と吐き捨てたあの日のことが? 貴族の晩餐会で、うちの嫁は声ばっかり大きいと、私を笑いものにしたあの夜が全て冗談でしたか?」


「い、いや……」


「私の目を見て答えなさい」


 リオネルを睨みつけるヴィオレッタの紫の眼差しは、美しくも冷たく、まるで刃のようだった。


 



 そして、ヴィオレッタはゆっくりと首を巡らせた。


 視線の先には、華美なドレスを纏いながら、どこか開き直ったような態度を崩さない若い女が立っている。


 艶やかな黒髪を揺らしながら、勝ち誇ったような微笑を口元に浮かべていた。


「あなたも、覚悟はできているのよね?」


「なんのこと? あたしは……」


 ヴィオレッタは女の言葉を遮るように、手元の一枚の羊皮紙を掲げた。


「これはあなた夫との情交に関する報告書です。こちらは宝石と共にあなたが受け取った領主印付きの支出証明書。領民の税金から衣服や香水、宝飾品を買いつけた証拠。窃盗、収賄、背任幇助、公金横領の共犯として、あなたも王都に連行されるわ」


 女の顔から血の気が引く。


「そ、そんな……あたしは、ただ……!」


「不貞のみで留めておけばこうはならなかった。けれどあなたは立場を利用し、私のドレスや宝石をくすね、侍女たちをこき使った。誰に許されたのかは関係ない。自分で選んだが故の罪よ」


 女はその場に崩れ落ちた。


「いや……いや、こんなはずじゃ……あたしは……っ、だって……この人が!」


 その場の空気は凍りついた。


 ヴィオレッタの隣に立っていた、王都から派遣された監査官が一礼する。


「リオネル=グランクロワ殿、そして側女ローザ=ヴァンクリーフ殿。あなた方には収賄、公文書偽造、幇助罪の容疑がかけられています。国王陛下の信任に背いた罪により、お二人を今より王都に連行いたします」


「バカな……おれは領主だぞ……っ!」


「いいえ。あなたはもう何者でもありません。そう、私の夫ですら」


 その一言を最後に、リオネルとローザは屋敷から引きずり出された。


 



 この三年間、領内では異常気象による洪水被害が二度、飢饉が三度発生した。


 その度、ヴィオレッタは寝る間も惜しんで対策を練り、自らの私財を投げうち、実家への援助を求めるまでして食糧を買い集め民を救った。


 だが夫リオネルは、その間も王都の賭博場に入り浸って博打と酒に溺れ、領地の財産を博打に浪費し続けた。


 予算会議をすっぽかし、視察を仮病と偽る。


 領主の責務についてヴィオレッタが言及すれば、


「女のくせに口答えするな」


 と、怒鳴り手を上げたことも一度や二度ではない。


 だが、もう何もかもが終わった。


 領民はすでに彼を見限っていた。


 それでもヴィオレッタだけは信じようとした。


 親同士が決めた愛の無い婚姻であったにせよ、誇りある貴族として共に領地を盛り上げていってくれるものだと期待した。


 その結果がこの末路。


 信頼と期待を、彼は裏切り、そして自ら手放してしまったのだ。


 本当に得るべきものを。





 その後、リオネルはこれまでの悪行が詳らかになったことで、身分を犯罪奴隷とされ、ローザと共に生涯を鉱山で過酷な労働を強いられることが決定した。


 かつて己の地位と威厳を象徴していた絹の衣は脱がされ、今では薄汚れた囚人服に身を包んでいる。


 一方で婚約解消が成立したヴィオレッタは、正式に代理執政官から新たな領主へと任命され、その手腕と信頼は王国中に知れ渡ることとなった。


 かつて彼女が私財を投じて救った民たちは、口々にその名を称え、進んで新体制への協力を申し出た。


 女性が表立ち政治の舞台に上がるのを非難する声も多々あったもの、ヴィオレッタは自らの結果でそれらを黙らせた。


 やがて彼女の施政は王都にまで波及し、貴族会議では改革派の象徴と目されるほどになるが、それはもう少し先の話。



 


 そして今。


 正式にグランクロワ新領主となったヴィオレッタの元に、一通の報告書が届いた。


 それは辺境の鉱山に送られた囚人の作業報告書であり、その中の一文にはこう記されていた。


 囚人番号514、元辺境伯リオネル=グランクロワ。

 過労による失神を繰り返すも、規定の休憩以外は許可せず。


 囚人番号515、元側女ローザ=ヴァンクリーフ。

 脱走未遂のため、拘束具を追加。糧食減量措置にて対処。


 軽く目を通すも、ヴィオレッタは冷笑するでも胸をすかせるわけでもなく、ただ無言を貫いた。


 そこに湧いたのは一欠片の後悔。


 もしも私が妻として寄り添っていれば、今とは違う未来になっていたのかもしれない……そんな愚かな過程がよぎった。


 窓の外を見やれば、収穫祭の灯りが村の広場を照らし、子どもたちの笑い声が風に乗って聞こえてくる。


 彼女が守り抜いたこその光景だった。


 これからは自分のために生きていける。


 信じた人間に裏切られたあの日の涙も、怒りも、今では自分を鍛えた糧に変わった。


 ヴィオレッタは紫の瞳を夜空に向けた。


 その瞳は過去ではなく、ただ未来だけを見ていた。

 

「私は誰かが期待してくれる人間にならないと」


 小さな呟きを秋風がそっと攫った。

 強い女性、当方超好きです。

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