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もしもたとえばだったなら

作者: 川原にゃこ

双子を産んだ母は、畜生孕みをした女だと随分舅姑(きゅうこ)に詰られたようだった。

兄である六天(りうてん)は、幼い頃から愚鈍であった。

勉学も、功夫の腕前も、利発さだって、どれもこれも俺以下だった。

忌み子である俺以下だ。

忌み子に劣る嫡男など死んでしまえと何度呪ったか知れない。


小さい頃、詩歌の授業で師父(せんせい)にえらく褒められたことがあった。

表向き、俺が双子の弟であることは秘されていて、俺は六天より一学年下であると学堂(がっこう)へ届けられていたので、自分より年下の奴らと同じ級であったから、絶対に一等にならねばならなかった。

そんな圧強(プレッシャー)の中でも、比較的楽しんで受けていた授業が詩歌だった。

師父は同学たちの前に俺を立たせ、俺の五言絶句がいかに素晴らしいか称え、自分が音読した後に同学たちにも音読させた。

その後は、皆も貴先(くいしぇん)のように詩作に励むよう――そう申し添えた。

俺は家の者から褒められることなんてなかったものだから、心の奥底がじんわりと温かくなるような思いを感じた。

大きく「秀」がつけられた俺の詩歌を持って、逸る心のままに走って帰った。

早く、早く母に見せたい。

俺のせいでいつも辛い思いをしている母に、おまえを産んでよかった、そう思われたい一心であった。


「母上、母上!」


息を切らせて家に飛び込んできた俺を一瞥すると、母はあからさまに厭な顔をして、なに、と不機嫌に言う。

俺は母に紙を差し出すと、母は怪訝な顔をして無言でそれを受け取った。

目線が訝しげに俺の詩をなぞっていた。

それで?と言いたげに俺を見る母に、「詩歌の授業で褒めていただきました。おまえは優秀だって……」そう伝える。

母はもう一度俺の詩を見ると、ぶっきらぼうに紙を突き返しながら、大きくため息をついた。


「そう……。でも貴先、次男であるあなたには無用なものよね?いちいち報告しないで頂戴。(あたし)だって暇じゃあないのよ」

「あ……」


心底うんざりしたような表情で俺を見る。

俺はそれ以上母の顔を見ることが出来なくて俯いていたので、その後の母の表情は知らない。


「はい……すみません」


忌み子である俺が後継ぎになれるだなんて思っていない。

ただ、頭を撫でて「よくやった」と言って欲しかった。



***



俺が十八になった頃、六天と俺の差は歴然であった。

六天は勉学も功夫もまるで才能がなく、いつも俺の陰に隠れるようにおどおどしていた。

近頃は有学識(インテリゲンチア)のごとく眼鏡をかけたりなんぞしているが、視力が悪くなるまで勉学に励んだところで俺の半分にも及ばない能無しだ。

吐き気がする。

たった数刻、俺より早く生まれたというだけで、こんな無能の屑が嫡男だなんて。

つくづく俺は運がないらしい。


既に俺の功夫(カンフー)の腕前で敵う者はこの一帯に存在しなかった。

六天は雑魚であったが、名家の嫡子に対し面と向かって懦夫(よわむし)だなんて言える奴はいなくて、格下の相手を宛がわれてどうにかこうにか「お強いですね」だなんてお世辞を言われていた。

俺が六天の立場なら情けなくて(くび)り死んでいるところだが、六天はどうも自尊心(プライド)なんかもないらしく、平気でへらへら笑っていた。


――六天よ、死んでくれ。


何度も何度も(こいねが)った。

お前がいるばかりに、何も得られなかった弟のたった一つの願いだ。


――今すぐに、どうか死んでくれ。


父は、俺を殆ど気にかけていなかった。

偶にこちらを一瞥したところで、すぐに目を逸らして、俺をいなかった風に扱う。

いつもは俺もそんな父を厭うていたが、今日ばかりは少し違った。


「父上」


父を呼び止めるが、初めはまるで俺の声など聴こえていないかのように父は何も答えず、こちらに一瞥も呉れず、足を止めなかった。

俺は大股で父に近付き、再度「父上」と声をかける。

父はじろりと俺を見て、あの日の母のように心底疎んじる目で俺を見た。


「父上、今日は折り入ってお願いがあります」


俺は長揖(ちょうゆう)して、言葉を続けた。


「私と兄はほんの数刻の差で生まれて来た身。この私にも今一度機会を頂けませんか」


父の言葉を待たず、父の顔も見ず、続ける。


「私は生まれてこの方、ただひたすらに学術と武術の腕を磨いて来ました。誰にも負けません。どうか、兄と功夫の手合わせをさせて頂きたい。そして、兄に勝った暁にはどうか嫡男の権利を頂けませんか」


父は少しばかり思案して、「お前も不遇な男だ。六天との手合わせを許そう」、そう言った。

自分で言い出しておきながら、許されると思っていなかったので俺は耳を疑った。

とうとう、運命を自分で切り拓くことが出来るかもしれない。

俺は拱手(きょうしゅ)をしたまま、また深々と頭を下げて、震える声で「謝天謝地(ありがとうございます)」、と絞り出した。



擂台(勝負の舞台)の上で、俺は“俺自身”と向き合っていた。

おどおどとした六天の目が、眼鏡の向こうで怯えている。

構え、の声と共に、俺は拳を握りしめて腰を落とした。

しかし、いつまで経っても六天が拳を握る様子はない。

俯いてしまった六天に、構え、と再度声がかかる。


「おい腰抜け、さっさと構えろ。まさか不戦勝をくれるつもりか?」


苛立ちを抑え切れず、俺は六天を詰った。

六天の肩が震えている。

六天は肩を震わせながら、両手で眼鏡を外し、そしてそのまま足元に落とした。

かしゃん、という落下音に間髪を入れずに、バシャリと厭な音が響いた。

六天が眼鏡を踏み躙ったのだ。

俺を含め、状況を呑み込めていない周囲をも嘲るかのように、六天は地の底から響くような低い声で唸った。


「つくづく可哀想な男だ、お前は。貴先」


俺は、俺と同じ顔をした兄の、これほどまでに凶悪な笑みを見たことがなかった。




六天という男はとんだ騙子(ペテン師)であった。

あいつは、今まで何年も何年も無能のふりをしていた。

嫡男の自分が、忌み子である俺よりも劣ると思わせておいて、俺に一縷(いちる)の望みを持たせておいて、絶望に叩き落すためだけに、何年も何年も無能のふりをしていたのだ。


「困るんだよ、貴先。お前が俺に真っ当に勝てると思ってもらっちゃあ。俺とお前の立場は絶対に逆転しないということを分かってもらいたかったんだ。なあ、わかるだろう?古来から兄弟の序列なんて争いの種じゃないか。俺はお前に、()()()()()()()()()ということを知ってもらいたかったんだよ。世界でたった一人の、俺と同じ顔をした小弟(おとうと)よ」


完膚なきまでに叩きのめされた俺は、体のあちこちが軋んでいた。

骨もいくつもヒビでも入っているようなあちこちの腫れと痛みに熱が出た。

情けない。

うわべだけで人間の本質を分かった気になっていた。

狡猾なあの男に、何もかも負けた。

父も母も、まるで俺に興味を失ったようだった。


俺には何もない。

初めはただ、頭を撫でて欲しかっただけなのに。


本自同根生

  本同根(もとどうこん)より生ずるに

相煎何太急

  相煎ること何ぞ(はなは)だ急なると

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