第十話『おかえりなさい』と『ただいま』
☆★☆ 文化祭準備 ☆★☆
10月。
中学校の文化祭で冬二は、仮装大会に出場することに決まった。
特に率先してやりたいと思った、という訳では無く、『どうせ何かはやらなければならないんだから』と、仲の良い友人数名とちょっとしたノリで立候補したのだ。
軽いノリで始めた筈が、徐々に熱が入り始め、やがて上位入賞を狙おうというほどまでに熱中した。
シナリオや台本を作っている時は別に問題は無かった。
やがて小道具、そして大道具と、美術工作が始まり、冬二はだんだんと学校からの帰りが遅くなり始めた。
そして、文化祭本番前日、初めて冬二の下校時間が5時半を過ぎてしまった。
☆★☆ おかえりなさい ☆★☆
帰りは遅くなってしまったが、冬二は一応『学童保育』に顔を出してみた。
施設の窓に明かりが差していたから、もしかしたらまだ誰かいるのか?と考えたからだが、冬二のその考えは間違っていた。
まだいたのではない。
待ってくれていたのだ。
冬二の帰りを
冬子ちゃんが。
学童の入り口で、母親と一緒に。
母の雪子が「帰りましょう」と何度促しても、冬子は絶対に首を縦には振らなかったという。
今の時間は既に午後6時を少し超えている。
慌てて入り口に駆け寄った冬二に、冬子も駆け寄った。
泣きながら抱き着き、冬子は冬二に
「おかえりなさい」
冬子はたった一言、それだけを言うと後は言葉を発することも出来ず、ただただ涙を流して冬二に強くしがみ付き、なかなか離れようとはしなかった。
☆★☆ 気楽なお手伝い ☆★☆
冬二は、自分が如何に曖昧な立場にいるのかと言う現状を強く認識した。
冬二は責任者ではないし、職員ですらない。
学童保育に対しては何の責任もない、単なる気楽なお手伝いさんだ。
それでも『単なる』とは言い切れない、言い切りたくないほどには深くかかわって来たと思っている。
俺がここの『先生』なんだという自負がある。
これからもたくさん子供たちと関わりたい。
でも今、俺は冬子ちゃんを泣かせている。
これは自惚れなんかではなく、間違いなく俺のせいで冬子ちゃんは泣いているとこの時冬二は理解した。
ただ、これからだって学校行事はいくらでもあるし、あるいは今日みたいに帰りが遅くなる日も増えるかもしれない。
来年には修学旅行だってある。
冬二は、冬子ちゃんに抱き着かれて、冬子ちゃんを抱きしめて、祖父と雪子に対して申し訳ない気持ちになった。
「冬子ちゃんのお母さん……ごめんなさい。俺責任感を持っていませんでした。じいちゃんゴメン。俺ここの手伝いを気軽に考え過ぎてた。そして冬子ちゃんごめん。今日、帰るの遅くなっちゃった」
☆★☆ 祖父の反省 ☆★☆
野村春巻は満足していた。
と同時に驚いてもいた。
我が孫が、これほどまでに野村冬子と言う学童に懐かれていたのかと。
春巻とて、農家の子供だ。
小さな時は近所に預けられたり姉たちの世話になったりと親の帰りを待ちわびると言うのは当たり前で、そんな時間の経験を長く持っている。
それでも、冬子が親をではなく冬二の事を待ちわびて涙を流しているという、普通とは逆の現象に驚いたのだ。
冬二は凄い奴だ。祖父春巻は素直にそう思う。
だが、まさかここまでとは思っていなかった。
冬二はこれほどまでに冬子に慕われていたのかと。
冬子が冬二を慕う様子、これはまさに幼子が母親に対する慕情に他ならない。
それも尋常な様子ではない。
他に言い換えるべき言葉があるとすれば『恋』くらいしか知らない。
だが『恋』と言うにはまだ冬子では幼すぎるであろう。
だからこそ驚いたし満足に思うのだ。
「冬子ちゃんのお母さん……ごめんなさい。俺責任感を持っていませんでした。じいちゃんゴメン。俺ここの手伝いを気軽に考え過ぎてた。そして冬子ちゃんごめん。今日、帰るの遅くなっちゃった」
冬二のこの言葉を聞いて祖父春巻は少しだけ反省した。
「冬二よ、気軽でいいんだ。お前はまだ中学生なんじゃぞ? そして責任者はワシじゃ。いままでお前がいる時にはいい加減な事しかしとらんかったが、今日の冬子ちゃんを見て目が覚めたわい。これからもお前には『気軽なお手伝い』を頼んだぞ」
目は覚めたが、なるべく現場の仕事は誰かに任せたい。
この性格だけは多分一生変わらない。
☆★☆ ただいま ☆★☆
雪子は嫉妬した。
私には全く甘える事の無い冬子がこれほどまでに慕う『野村冬二』くんに激しく嫉妬した。
でも、冬子の前でしてしまった夫婦喧嘩と、その後二度とは会っていない冬子の父親。
冬子には、私が父親を追い出したように見えたのだろうか……
そう考えれば私なんかよりも目の前にいる冬二くんの方が、優しくて頼もしく見えるのだろう。
「おかえりなさい」
やっと帰って来た冬二くんに駆け寄り抱き着いた冬子の悲喜の表情を見て、私は一層切なくなった。
(おかえりなさい……か)
私は冬子に、そう言われた事が一度でもあっただろうか。
「冬子ちゃんのお母さん……ごめんなさい。俺責任感を持っていませんでした。じいちゃんゴメン。俺ここの手伝いを気軽に考え過ぎてた。そして冬子ちゃんごめん。今日、帰るの遅くなっちゃった」
しゃがんで冬子に目線を合わせ、本気で申し訳なさそうに話す冬二くん。
彼が冬子を抱きしめる姿はとても自然で、本当に頼もしく見える。
「明日、学校の文化祭の本番なんだ。来週の月曜日は早く帰ってきて俺がやる『仮装』を見せてあげるから泣き止んで笑ってくれる?」
え?
冬二くんがそう言っただけで、冬子が泣き止んだ。
そればかりじゃなくて、冬二くんの為に作り笑いをした。
それがだんだん作り笑いには見えなくなってきて……
「冬子ちゃん、笑ってくれてありがと」
「えへへ~」
私には未だ見せる事の無い、心からの笑顔になった。
冬二くんが、両手で冬子の顔を包んで、その親指で冬子の涙を拭いてくれた。
その時の冬子の表情が、私には父親を慕う子供のようにではなく、彼に恋する乙女の表情に見えた。
「それからさ」
「ん?」
冬二くんが少し照れながらも冬子の目を見て
「ただいま。待っててくれてありがと」
こんな甘々な二人を見て私は、今後学童に迎えに来る時間を30分くらい遅くしてあげようと心に決めた。
買い物は私一人でもいい。
普通の学童保育では考えられないような迷惑な事、とは思わないでもないけれど。
冬子の幸せな時間に少しだけでも協力してあげたい。
そのためにも、中学校とか冬二くんのスケジュールなんかを把握する必要があると、雪子はそう考えた。




