強制的なお迎え
あれほどの悪天候だったというのに、聖女マキに妖精封じの首輪を装着した途端、海も空も穏やかになりました。天候まで歪めてしまうとは、とんでもない力ですね。
マキは私しか外せない拘束具によって、あの暴力的な力を振るえなくなりました。マキの体には、契約紋が刻まれているので、島を守る何かは、それに従って、島を守るでしょう。だけど、もう、マキの我儘に力を貸すことはありません。そういう強制的な力をマキは封じられてしまったのです。
マキが我儘に力を振るわなければ、島は楽園です。海は穏やかに、必要なだけの実りを島の住人たちに与えてくれます。マキの我儘による罰もなくなったので、島の住人たちは、心穏やかに過ごしていました。
しかし、それでライルのことを許せるか、というと、それは別の話です。ライルが島を捨てて逃げたばかりに、マキの我儘な力で島の住人たちは大変なこととなったという。島の住人の半分は命を落としたという話を私は聞きました。
「よくある話ですね」
ですが、私はこれっぽっちも心を動かされることはありません。それ、帝国では普通ですから。
同情すらない私の反応に、島の住人たちは、また、私を化け物のように見てきました。実際、そうなので、私は怒ったりしません。あるがままです。
島の料理文化を習得した私は、それを振舞います。
「もう、完璧だな。母さんと同じだ」
とても驚くライル。
「力のある妖精憑きは、こだわりが強いのですよ。もう、完璧に再現できますからね。これで、あなたの胃袋をつかんでみせます」
「もう、色々と掴まれている。俺には、勿体ない人だ」
ライルは、何故か、自己評価が低いようです。ライルは、本当に素晴らしい男性だというのに。
「私、そんなに素晴らしくないですよ」
「君の話は、聞いていて、心動かされる」
「それは、化け物の私が言うからですよ。あれ、力のない弱者が言ったって、誰も心には響きません。何か囀っているな、なんて思って、暴力で終わりです。私は、強者ですから、皆、聞き入れるしかないのですよ」
ライルは勘違いしています。
綺麗ごとを並べ立てているが、それを否定したって、私は強者だから、暴力で相手を屈服出来てしまいます。
「実際、マキも、私の化け物じみた力に屈服させられただけですよ。私は、まだまだですね」
笑うしかない。最後は、化け物の力が解決したのだ。
「崖から突き落されたと聞いた」
とうとう、私の所業を知られてしまいました。私はライルのことが見れません。
あれほど、ライルと夫婦となる、と口では言っているくせに、私は崖から突き落されて死のうとしたのです。
「俺のために、死にそうになるなんて、すまない」
「ら、ライル、その、違います」
ライルったら、自分を責めています。もう、勘違いしていますよ!!
私は顔がひきつるのを自覚します。この勘違い、ライルだけではありませんね。島の住人、全てが、勘違いしていますよ。
私に対して、罪悪感みたいなものを抱いている人までいます。私を突き落した人なんか、私を見ると、逃げて行きましたね。
勘違いさせておけばいいじゃない、なんて、何かが囁きます。もう、妖精ったら、悪いこと言うのだから。可哀想ですよ。皆さん、私に利用されただけなのですから。
だから、私はライルの前で土下座しました。
「ごめんなさい!!」
「謝らなければならないのは、俺のほうだから!!」
「違います、ちょうどいいから、と私は崖から突き落されて、死のうとしました。彼らは、私の自殺に利用されただけです」
「ど、どうして………」
とても、傷ついた顔をするライル。それはそうです。私は生きていたから、ライルは五体満足です。ですが、私が死んでいたら、今頃、ライルは両腕両足を失い、聖女マキの玩具になっていたのです。
「俺と結婚するって」
「その気持ちは本物です!! ですが、私は長く生きてきた分、多くの別れを体験しています。私はいつも、取り残されてばかりです」
私はずっと見送る側だ。私は置いていかれる。
だから、千年に一人誕生する化け物妖精憑きは、気狂いを起こして、凶事を起こすのだ。
「死にたくなるのです。もともと、公国の領地に足を踏み込んだのも、死ぬためです。私は夢で言われたのです。公国に行ったら、溶けて死ぬ、と。だから、公国行きを決めました」
あわよくば、死にたかった。だけど、最強最悪の妖精憑きリリィの忠告は現実にならなかった。溶けて死ぬどころか、今もぴんぴんと元気だ。帝国と王国の聖域に残った穢れを持って行ったというのに、それすらも一瞬で浄化してしまったのだ。
皮肉なものです。本来、私は帝国の恐ろしい穢れを受けて死ぬ運命でした。子すら持たず、結婚もせず、誰からも顧みられることのない存在として消えていく運命だったのです。
実際、死にかけた私を憐れに思う者はほんの僅かだ。血をわけた姉妹エリシーズですら、死にかけた私を見ることすらしなかった。実の父は、私の末路を見ることすらせず、さっさと王国に去って行ったのだ。
なのに、亡き夫ロベルトに救われ、私は、ロベルトよりも、姉妹エリシーズよりもずっと長く生きています。
「若い頃は、生き残ったことを喜びました。結婚して、子を持って、人並の幸福を享受して、満足したのです。もう、十分でした。なのに、私だけ、まだ、生きている。私が生きていることは、ご褒美ではありません。これは、神から与えられた試練です」
「そんな悲しいことを言わないでほしい。君が生きているから、俺はもう一度、人を愛せそうだというのに」
「あなただって、気づいているでしょう。私の愛情は、歪んでいます。あなたの愛情と、私の愛情は別ものです。あなたの愛情は、人の愛情です。ですが、私があなたに向ける愛情は」
「それでいい。あなたは、俺には勿体ない人だ。歪んだ愛情でも、あなたを得られるなら、かまわない」
過去の情熱を思い出させる、熱い視線を受けます。そう、この視線こそ、私が今も欲しいものだ。
「あなたはわかっていませんね。あなたは、本当に素晴らしい人なんですよ」
「どこが?」
「教えません。自覚してしまったら、他の女に盗られてしまいます」
一生涯、ライルの素晴らしさを私は隠し通した。
ライルは確かに、亡きロベルトと瓜二つである。だけど、その心根は別ものだ。ライルはライルなりに、私のような女を惹き付ける素晴らしさを持っている。だから、聖女マキはライルに惹かれたのだ。
私はライルに深く口づけする。
「盗られてしまわないように、今日もしましょう」
体の内も外も、私の物だ、としっかりと匂い付けしないと。
島での平穏は一週間で終了しました。海のほうが騒がしくなってきました。その騒がしさに、島の住人たちも大騒ぎです。
私はライルと一緒に島の砂浜に行ってみれば、大変なこととなっていました。
軍艦が見渡す限りの海を覆いつくしていました。島から船で脱出するための場所は限られています。そこを囲まれたのです。
「あー、私ったら、ボケてしまいましたね。さっさと、島を脱出するべきでした」
軍は、ライルを通して、私の居場所を見つけたのです。
ライルの体には、居場所を教える何かを埋め込まれていた。あれを軍で保護されている時に取り除きたかったのですが、そうすると、妙に警戒されてしまうので、島に転移後に、あの装置を取り除いたのです。ですが、島に到達したことを一瞬ですが、装置を通して、軍に知られたのでしょう。
すぐに移動すれば良かったのですが、私は、どうしてもそれが出来ませんでした。
しばらくすれば、大きな軍艦から、いくつかの船が人を乗せて向かってきました。その中には、なんと、王族ポーがいます。
ポーは、島に到着するなり、船から飛び降りて、真っすぐ、私の元に駆けてきた。
「エリカ様、ご無事ですか!?」
必死な顔をして、ポーは私の手をとり、目で私の無事を確認します。
特に怪我もない私に、ポーは心底、安堵しますが、すぐに、膝をついて、深く頭を下げます。
「申し訳ございませんでした!!」
「ポー、やめてください!!」
こんなたくさんの人の前で謝罪するポーを私は慌てて立たせます。もう、せっかく、私の存在、ちょっと軽い感じになってきたってのに、島の住人たちは、また、私と距離を取り出します。
「けど、軍部の奴ら、エリカ様を殺して、その死も隠して、王国と取引しようとしていたんですよ!! あまりのことに、僕もさすがにキレました」
ポーったら、目が狂っています。妖精憑きって、本気で怒らせると、気狂いみたいに手がつけられなくなるのですよね。
ポーを運んできた軍部の皆さんったら、ポーに企みを知られたあげく、酷い目にあったのでしょう。私にすら目を合わせられないで、恐怖で真っ青です。
ポーは私の無事に、ちょっと落ち着いたようです。少しだけ正気に戻ります。ですが、妖精を使って、島の環境を確認して、また、目を狂わせます。
「どうしてまた、こんな、何もない所にいるのですか!? あなたは、王国、帝国の大恩人ですよ!!! 帝国では皇族で、女帝までやっていたあなたは、もっとこう、敬われるべき存在だというのに。そうだ、僕の屋敷で一緒に暮らしましょう。僕の子々孫々、あなたを持て成します」
「いりません!! 私はもともと、こういう生活が好きなんです。女帝時代は本当に最悪でした。権威を見せつけるべきだと、動きにくい服に、美味しいとも感じない見た目だけの食事に、回りくどい話し方に、うんざりです」
「そんなことしません。ただ、あなたに不自由をさせたくないだけです」
「うんと長く生きるんです。不自由もまた、暇つぶしです。もう、ほっといてください。お前は、王国に戻って、しっかりと王族を監視していなさい」
どんなに頑張ったって、ポーは私には口でも実力でも勝てません。悔しそうに顔を真っ赤にするポー。私の前では、ポーは子どもですね。
「でも、丁度良かったです。あの船に乗せてください。この島を出ます」
「やっぱり不自由を」
「勘違いしないでください。ここは、禁則地だから、道具を使えないのですよ」
私がこの島に足止めされた理由は、別にあった。
この島は、妖精の安息地である。ここでは、妖精憑きだって、礼儀知らずなことをすれば、命を落とすことだってある。
本来、この島では人は暮らせない。それをどうにかしていたのは、島の何かとの契約である。聖女マキは、島の何かとの契約の礎となったのである。その恩恵を島の住人たちは受けている。
しかし、それは、島の住人だけである。私は部外者なので、島では礼儀知らずなことをすると、手酷い悪戯をされてしまうのだ。
私は、この島への移動に、道具を使ってしまった。禁則地では、道具を使うことは、妖精を怒らせることなのだ。しかし、行先が禁則地だと知らない私は、導かれるままに道具で移動してしまったのである。
実は、私は島の何かに呼び寄せられ、利用されたのである。わざと道具で移動させ、礼儀知らずを誘発させられたのだ。本当に、酷い話である。
本来であれば、崖から突き落された時、私は死ぬはずだった。死ねなかったのは、島の何かが私を助けたからだ。わざと大きな波を起こして、浅かった水深を深くして、死なない程度の怪我を私に負わせたのだ。
島の何かは、まだ、私を利用しようとしている。私は船を手に入れて、この島から脱出したくても、誰も船を提供してくれないから、出られないでいた。
脱出すれば良かった、とは口では言っていますが、その手段を封じ込められていたので、不可能な話です。島の何かは、どうしても解放されたくて、私を閉じ込め続けました。
それも、科学の力によって、私は解放の手段を手に入れました。
「ライル、行きましょう!!」
「え、今!?」
「そう、今です。今を逃したら、島からは、もう二度と、出られないでしょう。それとも、このまま、島で暮らしますか? あなたが暮らすというのなら、私は我慢します」
イヤというほど、島の何かが私に力を使わせようとしてきますが、私が我慢すればいいだけです。
ライルはほんの少しだけ考えました。ここは、ライルの故郷です。戻って一週間程ですが、ライルなりに、過ごしやすくはなっていたでしょう。
「島の外に出よう。もう、ここには戻らない」
ライルは島の住人たちには目の向けず、私の手を握って歩き出しました。
私は島の住人たちを振り返って見ます。中には、ライルの親兄弟だっています。ここでは、一生、ライルのことは許されません。憎しみも残ります。その恨みは、ライルの親兄弟に向いているでしょう。
ライルのご両親は、私と目があうと、深く、頭を下げました。これが、ライルのご両親との今生のお別れとなりました。
軍艦に乗れば、王族ポーは憂鬱な顔をします。
「ポー、ここまで足を運ばせてしまって、すみません。今後は、放っておいていいですよ。どうせ、ただの人でも、科学でも、私を殺すことは不可能です」
「は、話しかけ、ないでぇ」
「ポー、大丈夫ですか!? まさか、禁則地で、妖精の悪戯に」
「は、吐く!!」
あー、ポーったら、乗り物がダメなんですね。
妖精憑きは万能なのですが、弱点がないわけではありません。ポーの弱点は、乗り物なのですね。
仕方なく、私はポーの頭を軽く叩いて、ちょっとした魔法をかけてやる。
「これで、乗り物酔いはどうにかなります」
「ほ、本当だ!? エリカ様、ありがとうございます!!」
「乗り物酔いにいい薬が妖精男爵領にあります。妖精が授けたものですから、ポーでも飲めますよ」
「そんなこと、誰も教えてくれなかったよぉ。知っていれば、こんな苦労しなかったのにぃ」
「あなたが乗り物酔いをするなんて、私も知りませんでした。誰かに相談したのですか?」
「僕の従者は知ってるけど」
「悪戯されたのですね」
王族ポーには、妖精の子孫が従者として付いています。
妖精の子孫というと、妖精男爵の一族に仕える使用人一族のことです。妖精の子孫は、本来、妖精男爵の血筋にしか仕えないのです。ところが、妖精の子孫ロバートは、生まれたばかりの王族ポーを主と定めたのです。これは、とても珍しい話です。
妖精の子孫ロバートは、妖精の血が強いのでしょう。ポーの弱点の克服手段があるとわかっていて黙っていたのは、妖精の悪戯ですね。
ポーが怒りに震えているところに、従者であるロバートがやってきました。
「お久しぶりです、エリカ様」
「あら、私にご挨拶してくれるなんて、嬉しいわ」
「あなたは、ロベルト様の奥方ですから」
「ロベルトは死んで随分と経ちましたよ」
「あなたは、死ぬまでロベルト様の奥方です。ロベルト様が全てをかけて手に入れた、妖精姫です」
「こんな年寄になっても、妖精姫なんて呼ばれるなんて、恥ずかしいわ」
妖精の子孫は、誰もかれも、同じことを私に言います。
そんな会話を側で聞いていたライルは、焦ったような表情となります。私と亡き夫の繋がりが、思っていたよりも強く深く感じたのでしょうね。
「ロバート、紹介します。私の新しい夫ライルです」
私はライルの腕をとって、ロバートに紹介しました。
ロバートは、品定めするつもりでライルを見ました。だけど、すぐに驚いて、ライルを凝視します。
「これは、また、なんと、神も悪戯がすぎます」
「順序を守ることの大事さを学びました」
ロバートも一目見て、ライルがただの人とは違う何かを感じ取ったようです。ライルの前に膝をつきました。
「また、この目で見られるとは、これぞ、神の奇跡というべきです」
「な、何が? ちょっと、気持ち悪いんだけど!!」
警戒対象から敬われ、ライルは困って叫んだ。
これまで、ライルは一軍人でした。しかし、妖精の子孫ロバートの態度で、ライルはただの人ではない、と公国側も感じたでしょう。これはまずいこととなりました。
軍艦のどこかから、鋭い視線が向けられます。そちらを見れば、これまた、偉そうな人たちが、高い所から私たちを見下ろしていました。
私はライルの腕にしがみ付くようにしてくっつきます。
「ロバート、立ちなさい。お前の態度は、ライルにとって、不利に働きます」
「わかりました」
ロバートも何かを察して、立ち上がった。もう遅いけど。
妖精の子孫の態度で、ライルがただ、亡くなった夫ロベルトと瓜二つ、というだけでないことを私は知ることとなりました。
ライルには、他に秘密があります。
軍艦の動きは早いです。ライルの故郷である島はあっという間に見えなくなってしまいました。




