31話 振袖
「……顔だけでなく、意固地なところまで、姉にそっくりとはな」
どすり、と音を立てて椅子に腰かけると、勇は深く息を吐いた。ひじ掛けに頬杖をつき、小夏を眺めやる。
「五十鈴屋の小娘を、どうしても助けたいのか?」
問われて、小夏は、ぐ、と小さく下唇を噛んだ。
「五十鈴屋の八重さん、というより……。五十鈴屋を……。いえ、五十鈴屋で働くみんなを助けたいのです」
ごくりと唾を飲み込み、勇を見る。
「私がお金を持ち帰らないと、五十鈴屋はあるだけの私財をなげうって、三田さんにお金を支払うでしょう。そうすると、五十鈴屋がもたず、大きく傾くのは目に見えています。そのとき、一番 割を食うのは、きっと、下働きの姐さんたちや、下男さんたちです」
顎を上げ、背に力を込めて小夏は話し続ける。
「仕事がつらいときや、暴力を振るわれて痛かったとき。いつも、守ってくれて、かばってくれて……。助けてくれたのは、そんな人たちでした。だけど、経営が悪くなって、一番に切られるのは、きっと、彼らです。たくわえがある人ばかりではありません。きっと、路頭に迷うことになります」
ちらり、と小夏は伊織を見上げる。
「伊織さんは、私を優しい、と思ってくださっているようですが……。正直、五十鈴屋、というより、五十鈴屋が傾くことによって、姐さんたちに被害が及ぶのが、耐えられないです……。五十鈴屋のおかみさんや、旦那さんに対する、孝のような気持では、ないんです……」
気まずいおもいで伝えたが、それを非難する声も視線も、投げつけられはしなかった。
「従業員を解雇する辛さは、人一倍わかっているつもりだ」
勇は、ぽつり、と呟く。
「ならば、わかった。材木問屋の三田の……。その、八重の婿に直接金を貸そう」
はっきりと言い切る勇に、目をまたたかせてみせると、苦笑される。
「別に条件はもう出さない。だからそんな顔をするな」
ほう、と詰めていた息を吐く。全身から力が揮発するようだ。ぐらり、と上半身が傾ぎ、伊織に慌てて支えられる。
「五十鈴屋を挟むと、またそこで金を抜かれそうだし、自分たちの手柄のように持っていくだろう。それは癪に障る」
ふん、と勇は鼻を鳴らした。
「千寿堂の、わたしの姪である小夏が、用立ててくれ、というので手配した、と言って金を渡す。しっかり、恩を売って、ついでに教えてきてやろう」
頬杖をついたまま、目をすがめる。
「金を借りる、ということは喉元に牙をあてられることと一緒なのだよ、と。いつ、がぶり、とやられても文句は言うな。それが嫌なら、たやすく借りるな、と」
言うなり、「さて」と、上半身を伸ばし、青柳に目をやる。
「あれを、持って来てくれ」
言われた青柳は、心得て部屋を後にした。
「ああ。座って茶を飲んでくれ。勧めなくて悪かったね」
洋卓の上でもはや冷め切った湯呑を一瞥し、つまらなそうに勇は言うが、なんだかもう、力ばかりが抜けて、小夏は手を伸ばす気にもなれない。
「祝言の日は、十一月、三日だったか」
ゆっくりと長椅子に座りなおす伊織に、勇が問う。
「はい。あの……。ぜひ、縹さまも、よろしければご参列ください」
伊織は、ちらりと小夏に視線を走らせるので、「ぜひ」と力強く訴えた。
「五十鈴屋には断られましたから……。私側の親族が、いないんです」
「仲人の葉田様と、ぼくの兄弟子の鳩羽だけでは、どうにも格好がつかず……」
ぺこりと頭を下げる伊織を、しばらく無言で見続けていたが、「まぁ」と、咳ばらいをする。
「その日は、青柳に言って、予定を開けておこう」
途端に、小夏と伊織が声を揃えて「ありがとうございます」と礼を述べる。
「……たいしたもてなしはできませんが、よろしくお願いします」
そう続けた伊織に、勇は一瞥をくれただけだ。
「こちらでございます。旦那様」
部屋を訪れた青柳が手にしていたのは、たとう紙だ。確認するようにうなずくと、小夏に目を向ける。
「もう、祝言の日に着る衣装は手配したのか?」
「あの……。はい。阿弥陀寺さんのゆかりのかたから、お安く貸していただけることになって……」
一応、白無垢の手配はしていた。
「これは、姉の振袖なんだが」
勇が言うと、青柳は「失礼します」と断りを入れ、たとう紙を広げて、中を小夏に見せる。
それは、目にも鮮やかな、赤地に七宝文様が描かれた振袖だった。
裾の方に羽を広げているのは、二羽の鶴だ。柄といい、生地といい、小夏や伊織では到底手が出せる代物ではない。
「母が絶対に売らなかったものだ。多分、これを着せて、嫁に行かせたかったんだろう」
吐息混じりに、勇は言った。
「よかったら、祝言の日に、着てやってくれないか?」
「……あの、いいんですか?」
ためらいがちに尋ねると、勇は深くうなずいた。
「姉もきっと喜ぶだろう」
「七宝文様は、仏教の七つの宝を意味しております」
青柳が、振袖に視線を落としたまま、そっと話した。
「それが、輪のようにつながっておりますことから、『輪』と『和』をかけまして、ひとのご縁の尊さを伝えているのだとか。また、鶴は、生涯を通して伴侶を変えません。たったひとりの伴侶と添い遂げると申します」
目を細め、青柳は小夏を見た。
「貴女様に、本当にふさわしいお着物かと存じます」
きづけば、ぎゅっと伊織が手を握っていた。目が合うと、ひとつ、うなずいてくれる。
「ありがとうございます。使わせていただきます」
小夏を代弁するかたちで、伊織が礼を告げる。
小夏は。
その隣で。
ただただ、涙を流して母からの着物を見ていた。




