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一話

―酷く悪い夢を見ている気がした。


どんな夢だったかは思い出せないが、彩人は自分の胸がざわざわする感覚に襲われる。

そんなうまく言い表せない気持ちを消化しようと彩人がベッドに座り込んでいると、


「彩人ー!いつまで寝てるの!?早く起きないと雫ちゃん来ちゃうわよ」


一階から彩人の母親の声が響いてきた。

時計をみると、8時を指していた。一気に冷や汗が出てきたのがわかった。

彩人は急いで階段を駆け下りると、


「なんでもっと早く起こしてくれないんだよ!」


完全に八つ当たりの捨て台詞を母親に吐きながらリビングの椅子に滑り込むように座った。

雫が登校前に迎えに来てくれることになっているが、迎えにくる時間は8時15分。


―雫は待たせるとすぐ怒るから困ったもんだ、まぁ待たせてる僕が悪いからいつも平謝りだけど。とにかくはやくご飯を食べて着替えないとな。


今日の朝ご飯はブルーベリージャムが塗られたトースト、スクランブルエッグ、カリカリに焼かれたベーコン、コーンスープ。

普段なら問題なく食べきれるいつもの朝ご飯だが、時間がない今日に限っては全部は食べられない。どれを食べるか悩んでいるうちにもタイムリミットは着実に迫っている。

時計をみると長針がすでに10分を指そうとしていた。慌ててトーストを平らげ、着替えるために二階へ向かう。


「母さん、ごちそうさま!」

「ちょっと!全部食べてないじゃない」

「雫を待たせるわけには行かないからごめん!」


バタバタと着替えをしていると、一階から雫が来たことを知らせるチャイムが鳴った。


「雫ちゃん来たわよー!」


彩人は着替えを済ませ、急いで玄関に向かう。途中リビングにおいてあるカバンを強引に掴み、


「母さん行ってきます!」

「気をつけて行ってらっしゃい、雫ちゃんに謝るのよ!」

「分かってるよ」


靴を履きながら、玄関の扉を開ける。


「ごめん、ごめん、ギリギリ間に合った…」


と言いながら履いていた靴から顔を上げ、前を見る。

そこには女の子が立っていた。肘くらいまであるストレートの長い髪、綺麗に切り揃えられた前髪、くりっと丸い目、少し膨らんだ鼻、唇は健康的に赤みを帯びていてプックリしている。


―とてもかわいい。僕の彼女、立花雫。


雫の顔を見た瞬間、彩人はとても悲しい気持ちがこみ上げてきた。なぜそんな感覚になったのかは彩人には分からなかった。でも悲しい気持ちが抑えられない。

いつの間にか涙が出ていた。


自分の顔を見た瞬間に泣かれた雫は、


「えっ…なになに!?何で泣いてるの!?どうしたの?えっ…?えっ…?」


雫はひどく慌てて、彩人に駆け寄った。とっさにスカートに入っていたハンカチを取り出し彩人の顔に当てる。

小言の一つでも言ってやろうと、意気揚々と彩人を待っていた雫にとって完全に想定外の状況だった。


「えっ…?泣いてる…?」


そう言って彩人は自分の頬を触った。確かに頬が濡れている。自分が泣いていたことを始めて理解した。

日常生活で泣くことなんてそうあることではなく、彩人にとってもそれは例外ではなかった。なぜ泣いているのか、彩人は疑問に思い始めたが、恋人の前で泣いていることが非常に恥ずかしくそれどころではなかった。


「えっ!いや、これは目にゴミが入って出てきただけだよ!」

「でも…目にゴミが入っただけで、両目から涙でる?」


雫の疑いのまなざしが容赦なく彩人を襲う。

彩人は続けざまにとっさに嘘を重ねた。


「でるでる!僕はゴミが入ると両目から涙でる人だから!」

「なにそれ…でもさっきのは泣いてるように見えたけどなぁ」

「もうこの話は終わり!早く行かないと遅刻するよ!」

「なによそれ!彩人くんが遅れたせいじゃない。あっ、もうこんな時間!急ごう、ほんとに遅刻しちゃう」


彩人は泣いたときの定番の言い訳を言い、雫を無理矢理納得させた。

雫は突然の涙を気にはしているようだったが、始業の時間が迫っていたこともあり、思考の優先事項が遅刻へとシフトした。

どちらからともなく、2人は小走りで学校へと向かい始めた。学校へ向かっている道中、雫が会話を始めた。彩人が安心したのも束の間、話題はもちろん先程のことだった。


「ねぇほんとに大丈夫なの?どこか悪いとかじゃない?」

「いや、だから目にゴミが入っただけだって!どこも悪くないから心配しないで!」


彩人は先程のことなど雫には一刻も早く忘れてほしかった。

もちろん、彩人自身気にならないわけではなかったが、雫には忘れてほしい、その一心だった。

違う話題を探し、なんとか話題を絞り出し、彩人は話題を切り替えるべく話し始めた。


「そんなことより、ハンカチ汚しちゃってごめんね」

「別にいいよ、たいしたものじゃないし、いつも使ってるやつだから」

「洗って返すよ」

「いいってば」

「でもなぁ…」


彩人の善意を汲み取った雫は、駅前に新しく出来たパンケーキ屋のことを思い出した。同時に友達があそこのパンケーキはすごく美味しくてかわいいと言っていたことも思い出す。

少し値段が高いこともあり、今まで行くことができなかったお店に行くチャンスが来たことを悟り、雫はニヤニヤとしながら、1トーン高い声を作るため軽く咳払いをしてから、


「んーどうしても何かしたいって言うなら、今日の帰りに駅前のパンケーキ奢ってぇ」

「えっ!かわいい!って、それ洗って返すより高く付いてるじゃん」


渾身のあざとさを発揮して雫は彩人に話しかけた。もし、道行く人がその光景を目にしたなら、全員が、あんなアニメでしかみたことがないような話し方はみたことがない、といわれそうな程ぎこちない話し方で。

しかし、彩人はそんな不自然さには気づく様子がない。それどころか、永遠に気づくことはないといった雰囲気すら感じられた。

彩人の目はかなりの雫フィルターがかかっていて、傍目から見たらあざといとか、ぶりっ子と呼ばれる発言を雫がしても必ずと言っていいほどそれに気づかない。

雫もそれを分かっていて、わざと言っている。もちろん、本人はすごく恥ずかしい気持ちなので、まったくあざとさが上達しない。人前でそんなことをするなんて死ぬほど恥ずかしいと思っているからである。しかし、そのような発言をすると彩人は子供のような笑顔を見せ微笑んでくれる。雫はその笑顔がたまらなく好きだった。それに、必ず「えっ、かわいい!」と言ってくれるのも密かに嬉しかった。


「彩人くんが何かしたいって言うから」

「僕はハンカチ洗って返したいって言っただけなんだけど…まぁいいか、雫と少しでも長く一緒にいられるなら」

「ありがとう!楽しみができて、1日頑張れそう!」


作戦が見事に成功した雫は満面の笑みを見せた。そんな雫をみて彩人も自然と笑顔になる。こんな日がずっと続けばいいと彩人は心の底から想う。


―なんとかごまかせたかな。それにしても、なんで涙が急に出て来たんだろう。疲れてるのかな。でも、あのとき悲しい気持ちになったことはなんか気になるな…僕は雫と一緒にいることができて、今がすごく幸せなのに。もしかして幸せすぎて不安になってるのかな。


彩人は自分の身に起こったことに疑問を抱きつつも、見当違いなノロケ思考を頭に巡らせながら学校へと急いだ。








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