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7.

 嫌なことは続くものだ。


 久しぶりに一人でマンションに帰ると、扉の前に女が立っていた。


 その人はサイドの部分がミントグリーンのプリーツスカートになっている、ノースリーブの黒ワンピースを身にまとっていた。


 大きなサングラスを胸元に差し、豹柄の小ぶりな鞄を下げており、傍らには大きなキャリーケースがある。




 姉の秋桜(あきら)だった。姉は、私に気がつくと憮然とした顔で「早く開けなさいよ」と命令した。


 私は不快な気持ちになった。これまでの私だったなら、姉に従ってすぐにドアを開けただろう。でも、そうしなかった。



「どうしてここにいるの? 子どもたちは?」



 私が聞くと、姉は忌々しげに私を一瞥し、そして答えなかった。



「ずっとここで待ってて暑かったし喉も渇いてんのよ。さっさと開けて」



 地を這うような声にびくりとする。



「今は一人じゃないの。だから泊めるのは無理。ここからだと駅前のビジネスホテルが近いから、そっちにして」



 私がそう言うと、姉は眉根を寄せて「あんたに拒否権はない」と言い放った。



「――また不細工な男と付き合ってるの?

 まあ、あんたみたいな顔の女を好きになるなんて、普通の人にはいないだろうけど」



 姉はそう言って嘲笑する。私はなにも言えなかった。


 姉を前にすると、どうしても身体が硬くなってしまう。悔しくて目がうるんできたそのときだった。私は後ろから抱き寄せられていた。



「すみれさん、ただいま」


 長海くんは、そのまま私の頬に口づけをする。


 目の前の姉は、信じられないといった様子で目を見開き、口をぱくぱくとさせていた。



「え、この人お姉さんなんだ。似てなさすぎて全然わからなかったよ」



 長海くんがそう言って、私から離れる。ああ、やはり彼も姉のほうがいいのか。そう思うと胸の中が底冷えするように冷たくなった。



「――すみれさんは、美人なのにね」



 小声でぽつりと落とされたその声に、姉は硬直した。







 子どものころは、姉と一緒に川沿いの小さな公園で遊びながら過ごすことが多かった。公園と言っても遊具があるわけでもなく、遊歩道にベンチがあるだけだった。


 記憶にある限りでは、幼稚園のころからそうだったと思う。


 母は放任主義で、私たちはよく子どもだけで外に出されていた。遊んで来てもいいというよりも、邪魔だから追い出されているという感じだったように思う。



 あの辺りに住んでいる子どもは少なく、姉の友だちはずっと先に住んでいる。


 姉も退屈で仕方がないので私を連れ回していたのだろう。


 たまに癇癪を起こしては私を置き去りにし、その後、勝手に居なくなった妹を探す健気な姉を演じるところまでがセットでの遊戯だった。



 そういえば、近所のおばさんがお菓子をくれることがあった。姉はとびきりの笑顔でお礼を言い、私は恥ずかしくてその陰に隠れていた。


「おねえちゃんのほうはかわいいのにねえ」


 そう言ったのは、そのおばさんではなかったか。






 ある日、姉は、川沿いの土手に咲く濃いピンク色のコスモスを摘んで、花占いをしていた。私が小学校低学年の頃だっただろうか。


 クラスメイトの男子が自分を好きなのかどうか占うのだと言う。姉にも占いだとかおまじないのようなものを信じている、かわいい時代があった。


「好き、きらい、好き、きらい……」


 ところが、花占いの結果は芳しくなかった。


 姉は不機嫌そうな顔をして、また別なコスモスを摘み、同じように花占いをした。何度やってみても結果は同じで、ついに姉は癇癪を起こした。


 コスモスを投げ捨て、黄色のふわふわとした中心部だけが残ったその花を、何度も何度も踏んだ。そして、靴の裏でぐりぐりとすり潰すようにした。


 そのとき、乾いた笑い声がした。


「コスモスの花びらは8枚だ。好きときらいをくり返していくと、必ず“きらい”になる」


 くつくつと笑いながらそう言ったのは、私と同じくらいの男の子だった。その子を見たとき、私はなんとも言えない違和感を覚えた。


 今になって考えると、とてもアンバランスだったからなのだと思う。



 着ているものは綺麗で上質な感じがするのに、ひょろひょろと痩せていて、前髪がとても長く、顔の片側が隠れていたのだ。


 また、見た目はどう考えても私と同じくらいか、もっと下に見えるのに、その話し方や知識はまるでずっと年上のようだった。



「うるさい!」


 姉が怒鳴っても、彼は飄々としている。


 そのとき、強い風が吹き上げてきた。男の子の前髪がびゅうっと風にかき分けられて、両方の目があらわになった。



 私ははっと息を飲む。


 その子の左目は薄い茶色で、右目は濃い茶色と色が違ったのだ。


 しかも、片目は小さな宝石の粒が混ざっているかのように、下部に薄い水色が散っている。



「目の色が……! 気持ち悪い!」



 そう言うと姉は踵を返した。


 男の子は真っ白な顔で佇んでいた。家のほうへと駆け出す姉と、うつむく男の子の間でしばし逡巡し、私は彼のそばに寄った。


 私が近づいて来たのに気がつくと、彼は身を固くした。



「おねえちゃんがごめんなさい。――あの、あなたの目、きれいだと思う。私はとても好き」



 どんなふうに話していいかわからなかったけれど、私は思ったままを伝えた。


 すると男の子はゆっくりと顔を上げて、真意を探るかのようにじっと私を見つめた。それはとても頼りない視線だった。やがて、その美しい瞳にみるみる涙が浮かんだ。


 私たちはそれから会話をすることなく別れた。次に会ったときは友だちになれる。そんな予感があった。





 でも、それきり彼に会うことはなかった。それからしばらくしたある夜、近所の家が燃えた。姉と私は、アパートの窓からその赤々とした火を見ていた。


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