1.
ロゼ春にお付き合いいただき、ありがとうございました。次回で完結となります。
この物語は、裏テーマとして「普通の家庭よりも欠陥多めとされる母親、そしてその子どもたち」を入れていました。
母親視点での後日談や番外編をいつか入れられたらいいな、と思っています。
結婚してから十年が過ぎた。
子どもたちもそれぞれ自室で眠るくらいには大きくなったが、すみれさんのことは変わらず、いや、日に日に好きだという気持ちが増えていった。
はじめは長海の養父母が暮らす実家のそばに、離れをリフォームして住んでいた。
娘の居ないふたりは、孫たちだけでなくすみれさんをも実の娘のように甘やかし、彼女はなかなか慣れないながらもその愛情をいっぱいに受け取って過ごしていた。
数年前に二人が立て続けに亡くなったあと、俺たちは地元を遠く離れた山の一角を買い取って、家を建てた。
お隣さんは車で数分かかる距離だし、学校への送迎や買い出しは車無しでは成り立たない不便な土地だ。
でも、俺にとっては理想郷のような場所だった。
中でも気に入っているのは、山に繋がる広大な庭だ。
安全のために庭は高い壁で囲ってあるのだが、りすや小鳥といった、身軽で小さな動物たちはやってくる。
庭の片隅にはポタジェガーデンをつくり、野菜や果物、果樹にハーブといろいろなものを植えている。
積雪の時期以外は、朝早く起きて、二人で植物の世話をすることから一日が始まる。
手分けして庭を回って丁寧に水をやり、花がらを摘み取り、虫や雑草を見つけたら取り除く。
すみれさんは虫に触れないので、そのときは俺の出番だ。いまだに人に甘えることに慣れない彼女が、唯一素直に頼ってくれる瞬間である。
それから、その日の朝食に使うハーブや野菜を収穫する。
今朝はすっかり定番になったガレットにミモザサラダ、昨夜の残りのポトフを添えた。ポトフはカレー粉を少し加えて味を変えている。食後にはフルーツとヨーグルト。
朝からボリュームたっぷりの食事を終えたあとは、身じたくを終えた子どもたちを車に乗せて、学校まで送っていく。それから二人で買い出しをしたり、家でゆっくり過ごしたりする。
俺は学生時代からひそかに執筆業で身を立てていたので、外に行く必要もない。
リビングで仕事をしていると、すみれさんは図書室から持ち出した本を読んだり、刺繍をしたりと近くに居てくれるのがたまらなく嬉しい。
俺は毎日、大事な人と過ごせる、かけがえのない幸せを感じていた。
「まだ隠しているの?」
すみれさんが席を立った隙に、義姉が刺々しい声で言った。
義姉とは少しずつ交流が増えた。この日は冬休み中の子どもたちを連れて僕たちの山小屋に遊びに来ていたのだった。
(山小屋と言うと、義姉は豪邸のくせに小屋なんていうなとぷりぷり怒った)
天の邪鬼で勝ち気な人だけれど、言葉の裏には優しさがあることを今ではすみれさんも知っている。
彼女は今、幼児から高校生まで、四人の子どもを育てている。
数年前に、義兄であった人が亡くなった。その妻となっていた女はどこまでも身勝手で、義姉の子どもたちだけでなく自分の娘まで、義姉のところに置き去りにして消えたのだ。
自分も血の繋がらない親に育てられたのだからと、憎いはずの女の子どもにも真摯に向き合っているその姿勢には感嘆する。
ちなみに、姪がSNSに投稿した義姉の料理が話題になり、今では料理研究家として活躍している。
このキャラクターのままテレビに出演しているので、一部の人には人気で、一方では批判を集めてもいる。
苦笑する俺に、義姉はため息をつく。
「あのね、年長者として言わせてもらいたいのだけれど」
義姉はきっとその目を吊り上げる。
「人間って、みんな少なからず壊れた部分を持っているのだと思う」
「--あなたやすみれさんには、そういう面はなさそうですが」
俺は憮然として言い、ホットチョコレートをひと口飲んだ。市販のひと口サイズのチョコレートと牛乳を小鍋でふつふつと煮たものだ。
外の雪はいつのまにか止んでいたが、子どもたちは飽きずに庭で走り回ったり、雪だるまを作ったりしていた。
「あら、誰にだってあるはずよ。程度に差はあるだろうけどね。
私の場合は、このコントロールの効かない激しい性格がきっとそうだろうし」
俺は、かつて新田光政を殴りつけた義姉を見たことがあり、少し納得した。
口元が緩んでいたのに気がつかれてしまったのか、義姉が俺を睨んだ。
「それでね、相性のいい相手に限るけれど、それを受け止めるだけの余力もたぶん持ち合わせていると思うの。……まあ、ふつうの人間なら、あなたのしていることは受け付けないと思うけれどね。
怖いし気持ちが悪いわ」
俺は痛いところを突かれて胸を押さえる。
義姉はそれから視線を手元に落とし、綺麗にマニキュアを塗った赤い爪をいじった。
「あの子は、母や私のせいでかなり歪んでる。たぶん、愛情にとてつもなく飢えてるの。そこがあの子の壊れてるところ」
「ーーそれでも、もしもこの暮らしが終わってしまったら?
そう思ったら、言い出せないんですよ。それに、もし垢抜けない過去の俺が同じことをしてたら気持ち悪がられるのでは?」
僕はうなだれた。そうだ。何よりも不安なのはそのことだった。
「新田光政を思い出しなさいよ、すみれの初恋はあの不細工よ?」
義姉はつんとして言った。
「お義姉さんは本当に口が悪いな。容姿に関してとやかく言うのは絶対にやめたほうがいいですよ」
俺が苦笑すると、義姉は珍しく、しゅんとした。
「あなたの目を気持ち悪いと言ったことは、--悪いと思ってる」
消えるような小さな声だった。
僕が驚いて目を見開いていると、義姉はいつもの調子に戻って目を吊り上げた。
「とにかく!私はさっさとそのレンズを外すべきだと思うけどね。
どうせあの子は自分に都合のいい部分しか見ないのだから。良くも悪くもね」
近ごろ、すみれさんが浮かない顔をしている。
きっかけは、映画を観に出かけた街中で、たまたま昔のバイト仲間に会ったことだったと思う。
そのあたりは最近、写真映えする場所として話題になった場所なので、その人は旅行に来たのだろう。
二人で少し話したいとすみれさんが言うので、僕は渋々店を出た。それから服装を変えて顔を隠して戻り、少し離れた席について様子をうかがったのだった。
バイト仲間は、千百合の名を出していた。俺は、ついに知られてしまったと焦った。




