4.
数年が過ぎた。私は十代のころに過ごした母のアパートの一室を借りて、相変わらず一人で住んでいる。
子どもたちとは年に数回、こっそり隠れて会っている。
あの人は夫としては最低だったけれど、子どもたちには良い父親であり続けているようだ。
再婚相手の女には嫌がらせを受けることもあるようだが、私の子どもらしく、やられたらやり返していて頼もしかった。
どうしようもなくなったときは逃げておいで、と伝えている。
私は、妹がするはずだった叔父の会社の手伝いをしながら細々と暮らしている。
世話焼きな叔母は私をだれかと結婚させようと必死だ。でも、そんな気持ちにはなれずにいる。一人でも十分に楽しいのだ。
隣の部屋に住む母とは、朝食と夕食を毎日一緒に食べている。
母は年々元気になっていて、このごろは叔父の会社で働き、休日には英会話教室に通ったり、ベランダ菜園を楽しんだりしている。
妹が家族を連れて里帰りをしたのは、ある秋の日だった。
アパートに響く高い舌足らずな声や、小さな手足を見ていると、別れた子どもたちが思い起こされて胸がきゅっと苦しくなった。
「おねえちゃん、散歩に行かない?」
妹が、おずおずと切り出した。私はおや、と思った。きっと私のことは避けるだろうと思っていたからだ。
子どものころよく遊んでいた河原の道へ向かう。
道の両側をコスモスの花の群れが埋め尽くしていて、懐かしさで胸がいっぱいになった。
「――私、おねえちゃんに謝らないといけないことがある」
妹が言った。
「今まで、自分に都合のいいことしか見てこなかった。
でも、夫に言われて気づいたの。私がどうやって育ってきたのか。どうして料理をつくれるのか」
妹の声は震えていた。
「煮物、あるでしょう。
薄く切った大根と油揚げと、えのき茸、それから小松菜が入ってるやつ。夫があれをおいしいって言ってくれて、何ていう名前の料理? って聞かれて。ふと気づいたの。
これって、お姉ちゃんがよく作ってたおかずだって。――お母さんがなにもしてくれなかったあのころ、おねえちゃんだけが必死で頑張ってたんだよね? ご飯を作ってくれたり、掃除をしてくれたり……。どうして忘れていたんだろう」
本当だよ、私は頑張っていたんだよ、と過去の妹を咎める声とともに、共感の気持ちも湧き出してきた。
私は思うのだ。
嫌なことはいつまでもぐずぐずと尾を引く。何もしなくても記憶に強く刻み込まれる。
一方で、小さくて幸せなことやうれしいことは、その陰に隠れてしまって、忘れられていくのだと。まるで初めからなかったかのように。
夫との結婚生活を思い出すと腸が煮えくり返るような気分になるけれど、決して嫌なことばかりだったわけじゃない。
苛烈な性格の私が、不快なことばかりで耐えられたはずがないのだから。
私たちだって、たしかに愛を育んでいた時代があったと思うのだ。それが色褪せて見えにくくなってしまっただけで。
実家で暮らすようになってから、子どものころ、体調の良いときの母が折り鶴のつくりかたを丁寧に教えてくれたことを思い出した。
おやつに白玉を作ってくれたこともあったし、一度だけ水族館に連れて行ってもらったこともある。
私の中の母のイメージは、足の踏み場もない部屋で苦しげに眠っているだらしない女というものだったのに、そうして記憶の母は違った。
年相応のかわいさがあって、優しい目をしている。
私は今、日常のささやかな幸せを忘れたくなくて、柄にもなく日記をつけたり、SNSに写真を載せたりするようになった。
「すみれさん、お義母さんがちょっと来てほしいって」
後ろから甘やかな声がかけられた。
菫はわかったと言い、ぱたぱたとアパートへ向かって駆けていく。義弟はその後ろ姿をとろけるような眼差しで見守っていた。
それにしても、信じられないくらいに美しい男だ。
「妹を支えてくれて、ありがとう」
私は義弟に言った。義弟はただにこにこと笑っている。
そのとき風が義弟の髪の毛をざあっと吹き上げた。彼は眩しそうに目を細めて、額のあたりを触った。ーー既視感があった。
「――あの、前にどこかで会ったことある?」
私がおずおずと尋ねると、義弟は少し悲しそうに笑い、道端のコスモスを一輪摘んで差し出した。
-秋桜の章・完-




