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3.

 家の片づけに時間がかかったのには、理由がある。夜にしかできなかったからだ。



 母はひどい頭痛持ちで、学校から帰ると大抵は苦しげな顔をして寝息を立てていた。


 私は雨が降らない限りは、妹を連れて外に出るようにした。


 そして日が傾いたころに妹と連れ立って買いものへ行き、不慣れながらも食事をつくり、片づけに掃除を済ませ、妹と共に風呂に入る。


 それからさらに片づけて、妹が寝たあとに宿題をはじめるのだが、どうにも疲れて眠ってしまい、忘れて叱られることが多かった。




 時折、近所のおばさんがお菓子をくれることがあった。


 その人は私を贔屓した。妹よりもかわいいと言われると、昏い喜びでいっぱいになった。――ずいぶん経ってから、私が母の子ではないから贔屓されているのだと知って、愕然としたのを今でも覚えている。


 あの人は母をきらっていたのだ。





 学校では愛想笑いをしてなんとか乗り切っていたが、たまに、仲間はずれにされることがあった。


 親に私と遊ばないように言われたからだという。初恋のクラスメートには、不潔だからと振られた。花占いの通りになってしまった。


 何も気づかず、何にも傷つけられない無邪気な妹が憎らしくなって、たまに癇癪を起こしたり、置き去りにした。そして、あとから自己嫌悪に陥った。


 妹は母に告げ口することもなく、ただ黙って耐えていた。




 十二歳になるころには、家のことが一通りできるようになっていた。


 その分、勉強はてんで駄目だったし、家のことがあるから部活にも入らなかった。



 妹は私と違って頭が良い。


 だから、掃除や料理はなるべく私がやるようにしていたが、妹にも多少は教えたので、姉妹で分担して家事をすることで、暮らしもずいぶん快適になった。



 服が臭うと陰口を叩かれることも、空腹で貧血を起こすこともなくなった。


 家の中で蟻やほかの虫を見かけることも減ったし、前よりは少しだけ苛立ちが減ったように思う。



 それでも家庭環境を理由に馬鹿にされることはたまにあったし、妹にちょっかいを出している奴もいた。


 そういうときは苛烈な報復をしてやった。


 私がやったのだとわからないように、品行方正な仮面をかぶって過ごすのも忘れなかった。






 夫に出会ったのは、高校を卒業した少し後だった。彼は私と同じくフリーターで、十歳年上だった。


 出会いは最悪だったはずだ。


 当時、妹を手ひどく振った不細工な男に、彼の働くコンビニの裏手で制裁を加えているところを目撃されたのだ。


 不思議なことに、それを見た上で告白された。


 あのときの感動は忘れられない。素の自分を見ても好きだと思ってくれた人は初めてだったからだ。



 私たちはすぐに付き合いはじめた。ややあって、子どもができて、私たちは結婚した。


 夫の実家がある横浜に住まいを移し、ーー実家といっても、すでに義両親は他界していたーーこれからはずっと幸せでいるはずだった。


 家を出るときに妹が明らかにほっとした顔をしていたのは寂しかったが、自分のしてきたことを思うと仕方ないと思えた。




 心が満たされていても、感情のコントロールがうまくなるわけではなかった。


 私はささいなことで苛つき、夫に当たり散らしたりすることがあった。子どもたちのことも大好きなのに、思うようにいかず声を荒げてしまうことも多々あった。





 そうして、ついには捨てられてしまった。


 今の今まで忘れていたことがある。夫と結婚してしばらく経ったとき、見知らぬ年上の女が訪ねてきたのだ。


 その人は、私が夫を盗ったのだと詰り、泣きながら帰っていった。夫はそういう人間だったのだ。まるで、私の父親と同じじゃないか。






 翌朝、ホテルをチェックアウトして、実家へ向かった。ほかに行く場所はなかった。


 十八歳まで暮らした赤い壁のアパートにたどり着き、緊張しながらインターホンを押す。中から出てきたのは、数年ぶりに会う母だった。


 母は無言で私を抱きしめた。私はその腕の中で身体を強張らせた。母と触れ合った記憶がなかったからだ。



 母の部屋は散らかっていた。


 でも、私が子どものころのようなひどさではなく、なんとか片づけようとしている痕跡が見られた。


 母が台所に立っている。その光景に私は驚く。出てきたのは大きな丼に、山盛りの白飯が入っていて、キムチと卵黄を乗せただけのかんたんな食事だった。


「母さんは、秋桜(あきら)ちゃんと違って料理が上手じゃないから。――こんなものしか出せないけど……」


 そう言って母は弱々しく笑った。そして、至らない母親だったと頭を下げた。




 その夜、私たちはふとんを並べてねむった。一人になりたくなかったのだ。


 ぽつりぽつりと、過去を埋めるように、色々な話をした。


 そういえば、私を迎えた母がなにかを悟っているようだったのを不思議に思っていたのだが、妹から連絡があったのだと後から聞いた。


 私は嬉しくて、胸が苦しくなった。




「親子揃って、男運が悪いね」


 私は母の手を握った。母は強く握り返してくれた。目頭が熱くなり、ぼろぼろと涙がこぼれて、髪や枕を濡らした。


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