1.
君の苛烈なところが好きだ。そう言ったのは確かに彼だったのに、夫は私とは真逆の女を愛した。
ある日夫が連れてきたその女は、夫の子どもを宿していた。
だというのに、悪びれることなく、まるで少女のように何の穢れもないようなほほ笑みを浮かべていて、薄気味悪さにぞっとした。
私は女の頬を力いっぱい叩いた。
女は大仰によろけ、大きな瞳を見開き、涙を溜めて叩かれた頬を押さえながら、怯えた顔を私に向ける。
それを見た夫は私を詰り、文字通り家から放り出した。
あまりのことに思考が停止していると、窓から私のバッグとスーツケースが投げ捨てられた。
この街には、私の味方は一人も居ない。
だれかに助けを求めることも、子どもたちを連れてくることも叶わなかった。
寄る辺のない私は、とりあえず新幹線に飛び乗って、妹のところへ向かうことにした。
あの子なら、迷惑そうな顔をしても、 受け入れてくれると知っていたからだ。
ところが、久しぶりに会う妹は、別人になっていた。
すっかり垢抜けただけではなく、ぶれない芯のようなものを手に入れていた。そして妹の恋人が現れ、私を無情に追い払った。
激しい怒りに身を焼き切られそうになる反面、すとんと納得する冷静な自分もいた。
妹に言われた駅前のビジネスホテルに辿り着いたのは、とっぷりと暗くなってからだった。
自分の中のなにかがぷつりと切れてしまい、とろとろと歩いていたし、途中で様子のおかしい女性を見つけて、つい声を掛けてしまっていた。
彼女は無事に帰れただろうか。
この社会情勢だというのに、無情にもホテルは満室で、夜の繁華街を歩き回り、いくつか当たってようやく泊まることができた。
だが、フロントで住所を書くと、あからさまに眉を潜められた。
ホテルの部屋は狭かったけれど、清潔で静かで、非日常感があった。
私は備え付けの冷蔵庫からビールを取り出して一気にあおり、むせた。本当は弱くて甘い酒しか飲めないのだ。
荷物を片づけることもせずに、皺一つないシーツの上にごろりと寝そべる。
――とても静かだった。
昨日までは子どもたちが一日中うるさくて、もっと静かな場所で過ごしたいと思っていたのに、いざそうなってみると涙があふれた。
子供のころから、感情をコントロールするのが苦手だった。気がつくと癇癪を起こしている、そんな厄介な子どもだった。
愛想笑いを演じるのは得意だ。だから、浅い付き合いの人とはうまくやっていける。
けれども本当は口下手で、自分の気持ちをうまく伝えるのが極端に苦手だった。付き合いが深くなればなるほど爆発してしまう。
その怒りの矛先は、たいてい妹に向けられていた。本当は優しくありたかった。
でも、口をついて出るのはあの子を貶す言葉ばかりだった。行き場のない闇を抱えた心があの子に理不尽な八つ当たりをする。あるいは心配すればするほど、焦って嫌なことを言ってしまう。
妹と私は、半分しか血がつながっていない。きっとあの子は知らないだろう。
父は私を連れて再婚し、それから妹が生まれた。ところがあのろくでなしは、義母の元へ血の繋がらない私まで置き去りにして、女と一緒に逃げたのだ。
妹への感情は複雑だ。
自分と違ってひねくれた所のないあの子に嫉妬することもあったし、要領の悪いところにいらついて当たってしまうこともあった。
それでも可愛くて大切で、他人が妹を苛めるのは許せない。あの子に何かする奴には報復を重ねてきた。
育ての母は、実の娘である妹を贔屓したりはしなかった。
実際は、単に子どもに興味がなかっただけなのだが、実父に捨てられた肩身の狭い私にとってはありがたかった。
だが、彼女は父の出奔によって抜け殻のようになってしまい、母親らしいことをしてもらった記憶はない。
元来身体も丈夫ではなかったし、生活力が決定的に欠けていた。
意外にも、その生活力を補っていたのがあの父だったのだ。父が蒸発したあと、私たちは食べることさえままならない日々が続いた。
母は裕福な家の出身だった。
そのため、家賃収入で最低限の生活はできていたのだが、衛生的な環境ではなかった。部屋はいつでもひどく散らかっていた。
食卓の上には雑誌やいつ使ったかわからないような食器といったものが積み上がり、しかもその汚れた食器の中には、ヘアピンやヘアゴムが溜め込まれているのだった。
そして、テーブルの上にはいつも蟻が列をなしていた。奴らは暖かくなる昼頃になるとやってきて、夜には居なくなる。
見つけるたびに、ぷちぷちと指でつぶした。




