1.
※第三部は鬱展開注意です。
※終章で、1~4章のその後に少し触れます。
口紅を贈ったのは、嫌がらせだった。
あの子は、わたしがほしくてたまらないものを持っている。それでいて、そのことに気がついていないのだ。
百貨店でのやり取りは見ていた。菫が気分を害していたのを知っていて、わたしはわざとあのルージュを選んだ。
子どものころから、欲しいものはたいてい手に入った。会う人みんなに「かわいいね」と言われて育った。
おばあちゃんもママも、近所のおばさんたちも。
「ちゆりちゃんほど美人な子はなかなかいないよ」
「芸能人になれるんじゃない?」
「それにとっても賢いねえ」
それを聞くと、ママはいつも誇らしげだった。
わたしは自分の顔が気に入っていたし、それをもっと美しく見せるための研究にも余念がなかった。
人並みに楽しんで、人並みに恋をして、いくつかトラブルにも巻き込まれつつもうまく切り抜けて――。
気がつくと専門学校に通う年齢になっていた。
ただ、地元では一番の美人と称されたけれど、外に出てみると綺麗な人は腐るほどいた。ほしいものは手に入りにくくなっていた。
菫と出会ったのはバイト先のベーカリーだ。
真面目で頭がいいけれど、要領の悪い子だなというのが初見の印象だった。
見ていて苛つくのであまり親しくしたいタイプではない。ある少年に出会わなければ、きっと深く関わろうだなんて思わなかっただろう。
それに気がついたのはいつだったか。
身につけていたのはお気に入りのワンピースで、それがぽわんと袖のふくらんだ七分丈だったこと、でもコートなどを羽織っていなかったことから考えると、恐らく秋口、ようやく涼しくなり始めたころだったのだと思う。
前にも見た顔だな。--その違和感がはじまりだった。いつも同じ店の同じ席に座って、こちらを見下ろしている少年。
はじめは、またわたしのストーカーかと思い、身構えた。でも、どうやら違うらしい。
菫がバイトに入っている日の、それも土日にだけ現れることに気がついた。その目はいつも、菫だけを気遣わしげに見つめていた。
一見すると無表情に見えるのだが、彼は菫の一挙一動でころころと表情を変える。菫の笑顔を見て頬が緩み、男性客が菫に話しかけると眉根を寄せた。
たちの悪い客には彼女に近づかないように、裏で手を回していることにも気がついていた。
何より気になったのは、少年の顔だった。長い前髪と野暮ったい服で気づかれないだろうが、あの子は間違いなく美しい顔をしている。
わたしは彼に接触してみることにした。スタイリストを目指す者として自分の手で磨き上げてみたくなって、また、シンプルに面白そうだったのも理由だ。
ストーカー少年だとわかっていたけれど、彼は危ないタイプではなさそうだったというのもある。
何度か付きまとわれたことがあるが、本当に危険な奴というのは、なんの気配も残さない。そして、幸いわたしは強運で、いつだってなんとかなってきた。
それはまるで、不思議な力で守られているように、危機に瀕しても助けがもたらされるのだ。
初めのうち、長海颯太はわたしのことをひどく警戒していた。
驚くべきことに彼はまだ高校生だった。わざわざ隣県から監視のために出てきているのだとわかった。しかも受験を控えた高校三年生である。
正直なところ気持ち悪いと思ったが、好奇心のほうが勝った。
わたしは彼の協力者になることを申し出た。そして、その代わりにわたしの着せかえ人形になることを了承させた。
颯太は逸材だった。
行きつけのサロンで髪を整えさせ、服装を変えただけで、まるでテレビに出てくる俳優のような美貌があらわになったのだ。
自分の見立てが間違っていなかったことが誇らしかった。
わたしたちは、毎週土曜日の夜にカフェで食事をした。
これはわたしが出した条件で、彼は渋ったが、報告会と称して受け入れさせた。
颯太を連れ歩いていると、すれ違う人はみなこちらを振り返る。それが爽快だったからだ。
颯太はこちらでの菫の生活を知りたがった。
報告会と銘打ったこともあり、なるべく菫と親しくして、いろんな情報を仕入れておいた。
わざわざ手土産を持って夜に菫の家に遊びに行ったり、買い物に誘ったりと手間がかかった。
私はそのうち、なんとなく家に帰りたくないときのホテル代わりに菫の家を使うようになった。
情報収集にもなるし、利用出来て良かった。
菫にはあまり友だちがいないらしく、いつ突撃しても歓迎された。
夜食や翌朝の食事まで用意されたのだが、私からすると信じられないようなつまらない料理ばかりだった。
たとえば、糸こんにゃくといんげん、人参、ひき肉を炒め合わせた醤油味の煮物のようなものだとか、豚肉と大根、梅干しのスープだとか。
名前のない料理なんか、料理じゃない。
「名前のない料理なんか作るなよ」
それはパパがいつもママに言っていたことで、だから、わたしの家では、ハンバーグだとか肉じゃが、オムライスといったよく知られた料理以外が出ることはなかった。
こういう手の込んだものをつくれてこそ料理上手だと思うのだが、菫の中では料理に苦手意識などないらしく、むしろ自分では料理が得意だと思っていそうで、もやもやした。
ちなみにわたしは一人暮らしをしているが、自炊はしない。パパが家政婦さんを雇ってくれているから、掃除も料理もぜんぶ任せてあり、自分のためだけに時間を使うことができる。
そういう意味では、菫は哀れなのかもしれない。
やがて、菫の話を聞いてうれしそうにする彼に苛立つことが増えた。
一方、博識な彼と他愛のない話をしていると、いつの間にか自分も楽しくなっていることにも気がついた。




