3.
新田光政は凡庸だった。
これといって特徴のない顔に、垢抜けない格好。格好に関しては僕もまた自分に突き刺さることではあったが――。
学校で見る新田の姿は、どう頑張っても凡庸としか表現できなかった。
新田はとにかく優しい人間に見えた。
周りをよく観察していて、困っている人がいると決して恩着せがましくなく、自然に手を差しのべる。それから、とにかく褒めるのが上手い。人のいいところを探すのに長けているのだろう。
すみれさんは、奴のそういうところが好きなようだった。
彼女のほうから告白したのだと聞いて、僕は頭を殴られたような衝撃に見舞われた。
そして、胸のうちを焼き焦がしてしまいそうな激情に気づき、持て余した。でも、初めのうちは身を引くべきだと何度も自分に言い聞かせた。
僕も騙されていたのだ。新田の優しさに。それが恋人としては不向きなものだということに気がつかずに。
すみれさんの誘いを奴が断っていたその日、たまたま用事があって街に出ると、新田がほかの女子生徒と会っているのを見つけた。
二人は手を絡め、寄り添って何事かを話していた。その場に飛び出したい衝動を押さえるのでやっとだった。
僕がどんなに焦がれても手に入らないその位置に収まりながら、他の女に甘い言葉をささやく新田のことが許せなかった。
僕は、新田とすみれさんが会うときは必ずこっそりとついていくようにした。
そして、いい雰囲気になりそうなときは邪魔を入れた。すみれさんが新田なんかに汚されるだなんて、ゆるせなかった。
その日は買い出し日だったので、夕飯はポトフだった。
養母のポトフは、まず野菜スープを作ることからはじまる。食材を買ってくると、その日のうちに大量の下ごしらえを済ませるのが養母のルールだった。
なるべく皮を剥き、使いやすいサイズに切って、ゆでたり焼いたり、冷凍したりといったことだ。
野菜の下ごしらえをまとめて行うと、たくさんのごみが出る。たとえば人参や玉ねぎの皮、椎茸の軸、ピーマンの種やワタといったものだ。
こうした野菜くずをよく洗い、まとめて鍋に入れて、酒と塩を加えてくったりするまで煮込み、萎びて色の抜けた野菜くずを丁寧に濾す。すると赤みがかった金色の、美しいスープができあがるのだ。
野菜スープを冷ましたあとに、じゃがいも、玉ねぎ、人参、大根を入れてことこと煮込む。
最後にベーコンとウインナーに焼き目をつけて、投入したらできあがり。たっぷりと作っておいて、翌日はシチューかカレーにリメイクされる。
その日の将棋の時間は、盛大に負けた。頭の中がとっ散らかっていて、集中できなかったのだ。
「ーーなにか、悩みがあるのか?」
養父が訊いた。寡黙な彼が、僕に言葉をかけてくることは珍しく、僕は少し驚く。
どう答えたものかと少し考えて、それから首を振る。養父はなにか言いたそうな顔をしていたが、ややあって「そうか」と答えた。
心無しか落ち込んでいるように見えた。
僕は、夕方の出来事を思い出していた。
買い出し日には、いつもだったら買いものを終えた養父母が、学校のそばまで車で迎えに来てくれる。
だが、新田とすみれさんが会う約束をしていたので断った。それは正解だった。
新田は夕日が綺麗に見える場所にすみれさんを連れ出した。
そこは人気のない防波堤で、だが障害物がほとんどなく、開けた場所だった。
見つからないようについていくのには骨が折れた。
ようやく近づいたときには、新田は彼女を後ろから抱きしめようとしていた。僕は慌てて手近にあった木の枝を投げた。
枝は、新田の足元に当たり、そして海へと落ちて行った。そのとき、振り返った新田と目が合ってしまった。
その翌日のことだった。昼休みの鐘が鳴ったとき、教室から僕を呼び出す人間がいた。新田だった。
僕はひゅっと息を飲んだ。新田はクラスメートの前では人当たりのいい笑顔を見せ、僕を人気のない部室棟まで連れ出したかと思うと、いきなり殴りかかってきた。
「おまえ、こそこそ邪魔して何のつもり?」
そこには、学校では見せない剣呑とした表情があった。ああ、これこそが奴の本性なのだと僕は気づいた。
「ーーすみれさんを弄ぶのをやめてください」
僕が言うと、新田は心底不思議そうに首を傾げた。
「弄ぶ? 何のことだ?」
その目に嘘は見えず、僕は困惑する。制服のポケットから写真を取り出した。怪訝な顔をしてそれを受け取った新田は、やはり不思議そうな顔をしている。
「一緒に過ごしてほしいと言われたから、そうしただけだ。そもそも、この子たちは別に彼女じゃないし」
「それなら、どうしてすみれさんと付き合っていることを公にしないんですか。――高校の知り合いが居ない電車に乗るまでは、すみれさんと他人のフリをしてるでしょう。学校では自分に近づかないようにと、そう言い含めている」
「そりゃあ付き合ってるってバレたらいろいろと面倒じゃないか」
「遊べなくなるから?」
僕の言葉に、新田ははっとした表情を見せた。信じられないことだが、無意識にやってきたことだったらしい。
「そうそう、これを……。さっき拾いました。職員室に届ようかと思っているんです」
僕は、新田と女子生徒がホテルに入っていく写真をちらつかせた。新田は顔色を失くす。
これに関しては、さすがにまずいという自覚があったようだ。
「おまえ――!」
新田は明らかに動揺していた。僕の手から写真を奪うと、びりびりと破いてしまった。
それから頬に鈍い痛みが走ったかと思うと、僕はふっ飛ばされていた。壁に肩を強かに打ったらしい。頬はじんじんと熱く、肩は動かすたびに激痛が走った。
「――もしかしたら、他にも落ちているかもしれませんね」
新田はまた拳を上げたが、手を震わせながらそれを下ろした。しばらくして、奴はぽつりとこぼした。
「菫のことは、ちゃんと好きだ」
それは意外なことに本心なのかもしれなかった。新田の顔は苦痛に歪んでいたし、今にも泣き出しそうだった。
僕には決して理解できないが、誰かを愛しながら他の女を抱ける人間もいるのかもしれない。
数日後、すみれさんと新田は別れた。
僕は、そんなものか、と呆れた。僕だったら、たとえ何を言われても彼女を手放したりしないのに。
望んでいたことのはずなのに、――新田と会わないように電車の時間をずらすために夜の街を所在なさげにうろつく彼女を見ていると、胸が締め付けられるような思いだった。
彼女が無事に電車に乗るのを見送ると、僕はジムに通った。新田にやられたのが悔しかったからだ。なにかあってもすみれさんを守れるように、身体を鍛えることにした。