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風のアレフ  作者: ハシバミの花
1/13

≪木の魔法使い≫

となりのトトロややかまし村など、田舎の物語がお好きな方々に向けて書きました。


第一話は、アレフと友人たち、そして美しき緑の魔女キリエの物語です。

どうぞごゆっくりお楽しみください。

  神代


  神がその御眼を開かれると、光が生まれた。

  また神がその御眼を閉じられると、闇が生まれた。

  次に神が、御髪を一本抜き取られ、足元に敷かれると、大地が生まれた。

  もう一本、御髪を抜き取り、また片方の足元に敷かれると、そこに海が生まれた。

  そして大地と海を捏ね、己が御姿に似せ、

  指先より血潮を滴らせると、そこに生命が吹き込まれた。

  生命は瞬く間に世界に広がり、あっという間に地上と海を埋め尽くした。

  世界が生まれて五日目。

  神は、世界の最も高いところに腰を落ち着け、

  やれやれとため息を吐かれた。

  これが、最初に生まれた風だった。




≪木の魔法使い≫



 男の子の仕事ってものは、昔っから多いもんさ。

 虫取り、魚釣り、森の探検に秘密の隠れ家づくり、だって世界はこんなにも素敵な物であふれているのに!



 教室の窓から、それも授業中とがめられずに抜け出すにはちょっとしたコツがいる。

 教卓から油断なくこちらをうかがう先生の目と、それ以外の生徒たち、特に先生の手先の生意気な女子たちの眼をそらす事。それさえ出来れば後は、風前月の春風を受け入れている開けっ放しのこの窓から、せーので飛び出せば事足りるのだ。

 実行に必要なものは、全て揃っている。大胆な計画、充分な準備、そして、全てが終わった後に待ちうけるであろう罰を怖がらない勇気。

「白銀山脈からさらさらーって流れた水がー、滝になっておちてー、あっちのオオバル杉の森から流れる大きな川とか村長さん橋の小さな川とかを通ってー、私たちの住んでいます緑風村の下で集合して大きい川になってー、それからぐーっと下って平原各地にざーっと注がれるのね」

 窓から見えるのは件の白銀山脈、頂きをかざる白い冠雪がきらめき、空の青さをひきたてている。それぞれ伝説の霊獣の名がついた五つの峰の中で、ひときわ高く天につき出たのが、かの一角馬山である。

 黒板にひろげた大きな地図を指さす先生の、歌うような声が気持ちよくひびく教室のなかで、アレフはずらっと並んだ生徒の頭の間に首をひっこめ、クランバルとレニに目配せする。二人の目に浮かぶ決意を確かめてから先生のほうに視線をもどすと、

 じろ。

 告げ口屋のシャルと眼がぶつかる。アレフたちのあやしい動きをうかがう目つきだ。自然に眼をそらしたつもりのアレフだがどうだろう、企みがばれちゃいないかい?

「そうだね、ここで川は渓谷に挟まれちゃうんだけど、ライラ、その名前は?」

「涸れ木霊渓谷、です」

「はいよく出来ました。みんなライラに拍手」

 わあーい、のんきな歓声と拍手とくすくす笑い。

 その時だ。

 かつり、かららん。

 教室の入り口の反対がわ、先生がいつも入ってくるドアから、乾いた木が何かを叩く音がした。

「? 何かしら。誰? ウィージェ? それともベネリ?」

 先生がドアの向こう、玄関に消えたかと思うとにわかに三人の男の子が立ちあがる。

「アレフ!」

「いくぞ!」

 ひざにかかえていた石板を投げだし、いっせいに窓にかけよる。

「先生! アレフたちが逃げようとしてます!」

 シャルが声をあげるがもう遅い、男の子たちはすでに窓枠をまたごうとしている。真っ先に戸外に転がり出たアレフについでクランバル。レニもその後を追おうとしたところで、さわぎを耳にした先生の差し棒が振るわれ、ひとりでに窓が残らずぴしゃりと閉じた。

「レニ!」

 クランバルがとり残されたレニをふりかえる。窓を引いたり叩いたりしてみたが、どう言うわけか閉じた窓はどいつもびくともしやしない。なんとかレニを連れだそうとアレフとクランバルがやっきになって窓を開けようとするが、先生が長いスカートをひらめかせ、都会風のちょっとおしゃれな革のブーツを鳴らして教室に戻ったのを見つけると、

「やばい、逃げるぞ!」

 一目散に逃げだす。

「レニは?」

「もう遅い!」

 とり残されたレニが、泣きそうな顔で窓にへばりついている。万事休す。

 すまないレニ、お前のとうとい犠牲を俺たちはずっと忘れない。

 胸の内でレニの不幸を悼み、緑におおわれた斜面を駆けおりるアレフとクランバル。ぐんぐんと小さくなってゆく校舎,その屋根から煙突のようにつきでて葉を広げる丘の上の巨木。スズカケヒノキの若木の根元に家屋を組んで百年も住めばきっとこんな建物が出来上がるに違いない。やがて遠ざかるとそれはやがてまあるく空を切り抜いた緑のシルエットになり,そのうち駆けぬけた尾根の向こうに見えなくなる。鐘が三つ聴こえる。時間は昇陽、正午まであと一刻だ。



 誰も追いかけてくる様子がないのにほっとして、二人はようやく立ち止まって息をついた。

「ここまで、くれば、もう、へいき、だろ」

 息をきらせながらも、アレフの気分は最高だ。だって、今まで五度も脱走をこころみたのに、成功したのは今日をあわせて三回、そのうち一回は、途中で先生に見つかって連れもどされるという、あまりに悲しい結末をむかえていた。

「レニの奴、かわいそうだったな」

 残念そうにクランバルが言う。

「あれじゃどうやっても助けられない。こうなったらあいつの分まで頑張って遊ぶべきだ」

「お前はひどい奴だ」

 勝気に笑うアレフとクランバル。

 二人は顔を見合わせてひとしきり意地悪く笑い、そしてまた歩きだした。どちらの顔にもうかぶ強い興奮は、何も学校をうまくぬけだせただけが理由ではない。

 一角馬山のふもとの奥の滝で、滝つぼのヌシを見つけたのだ。

 魚影からして黒斑鱒にちがいないけれど、あんなにでかいのは初めて見た。山岳師のウィージェが昔釣り上げたっていう、大人の腰まである黒斑よりもだんぜんでっかいにちがいない。だって舟の上からちょっとだけしか見えなかったけどこんなに、アレフが両腕を広げたよりもぜんっぜんでかかった。

 そんなの、釣り上げなきゃだめだ。

 男の子の義務だろ。

 学校が終わるまでなんてまってられない。早くしないと、川むこうのやつらに先に釣られてしまうかもしれない。

 アレフたちがあのヌシを見つけたとき、対岸にカリガルたちがいた。抜け目のないあいつの事だ、あのときに見えたヌシの姿を見のがすはずがない。手をこまねいていたら、必ず先を越されてしまうだろう。

 はやる心に背中をおされて、気づけば二人とも早足だ。大きな川沿いの森に分け入り、野生の鉤ブドウを見つけてはつまみ食いしつつ、一つ目の滝を越えて奥の滝に向かう。目的地に近づくにしたがい早足は駆け足になり、やがてかけっこになる。

 背の高いオオバル杉が広げた枝葉で太陽を遮り、静謐な空気をとどめた木々のあいだを、蔓ハコベをけっとばしながら駆けぬけ、先に奥の滝にたどり着いたのはやはりアレフだ。クランバルだって足は遅くないがアレフにはかなわない。そのうちに視界がひらけて、岩肌の高くから流れおちる一条の滝が見えはじめた。

「俺の勝ちだ!」

「くそお!」

 顔を見合わせ大笑いし、それから隠しておいた釣り道具を藪の中から引っぱりだす。

「――ないぞ、竿も糸も針も」

「よく探せ。黄色い手ぬぐいがくくりつけてあるからすぐに見つかるはずさ」

「だからこれ!」

 クランバルが突きつけてきたのは、釣り具箱にくくりつけてあるはずの手ぬぐいだった。

「これに、くくってあった」

 次に出したのは、大きめの水桶が二つ。

「いつ来ても素敵な場所ね。風の運んでくる木々の匂いは爽やか、崖を流れ落ちる滝は勇壮、なんといっても滝つぼが広くて、水面がまるで凪いだ湖のように森を映して、一葉の絵画の如く。いつまで眺めていても飽きないわ」

 歌うような声に肩をこわばらせ、二人はおそるおそるふりかえった。

 木洩れ日にはためくスカート、栗色の巻き毛を風に流し、にっこりと笑う先生の顔。さっき見た都会風のおしゃれな靴はどうしたわけかはいてない。きれいな左の素足の、滑らかな甲から足首にかけて、精霊文字が美しく描かれている。

「考えたわね、風見鶏の風車に釣り糸を巻きつけて、時間をかけて棒をたおすなんて」

 三人の悪事は、どうやら全てがあらわになっていた。先生の口調は授業中のような幼い子向けのにこやかなものではなく、もっと冷たいけれど楽しげで、それでいて針の先みたいにちくちくと鋭い。

「なんてこった……冗談じゃない! レニのやつ、ここをばらしやがった!」

 聞きかじりの大人くさいしぐさでなげくアレフ。クランバルは早くも観念し、膝を抱えてうなだれている。

「レニはそんなことしないわ。ただ、あなたたちの走ってゆく方角と、昨日やたら釣り道具を手入れしていたのを思い出しただけ」

 ぐうの音も出ないとはこのことだろう。それでも治まらないアレフは、

「見逃してよお願いだよ母さん! 本当にここにいたんだって! こんな、こーんなでっかい奴なんだよ!」

「すごいわ。学校が終わったらぜひ捕まえに来ましょう」

「本当なんだって! ぐずぐずしてたらカリガルたちにだしぬかれちゃうよ!」

「そうよね。じゃあ頑張って早く勉強を終わらせないと」

 アレフの哀願にも、先生はとりあわない。ムダだよなあ、クランバルはぼんやり思う。アレフは先生のたった一人の息子だけど、それで甘やかされているのを見た事がない。先生が一度ダメと言えば、それはもうずっとダメなのだ。

「本当なんだよ……」

 さっさとあきらめたクランバルに対して、アレフはまだ食い下がっているが声のトーンは涙じみて弱々しい。だって空は青く、緑豊かな午後を待つこの森の中で、でっかい黒斑鱒を釣り上げるよりも大切な事なんて、いったいこの世界のどこにあるって言うんだ。

「さあ、帰りましょう」

 諭すふうでもなく先生が言うと、アレフは口を尖らせ、頬を膨らせながらも渋々引きかえす。

「そうだ、二人ともせっかくここまで来たんだから、」

 先生がとても素敵な思いつきがあるかのように振り返り、きっちりと罰を与えた。

「水をくんできて頂戴。その桶一杯に」

「げ」

「滝を落ちてきた水って本当に美味しいのよね。どうしてかしら。井戸のものほど長持ちしないのが残念だけど。その水で、今夜はシチューでも作りましょうか。あまりクランバルに持たせちゃだめよアレフ。だってそのシチューを食べるのはあなたなんだから」

 そして木々の間にするりと綺麗な裸足を滑りこませ、

「地図の説明が終わったら次は算術よ。それまでに帰ってこないと、夕食抜きになるからね」

 声だけを残して、どこかへ消えた。アレフは、とても素直とは言いがたい顔をした。うそだろう! 地図なんて、あっというまに読み終えてしまうに決まってるじゃないか! だが、嘆いてもどうしようもない。先生が夕食抜きと言えば、断じて夕食抜きなのだ。

「急げクランバル!」

 アレフが桶をつかんで滝へと駆け寄る。クランバルは、まだ気落ちしたまま立ち直れていない。

「さあ、これ持って走れ! 俺もすぐ後から追いかけるから!」

 渡された桶を抱え、のろのろと動き出すクランバル。山道を戻り、下の滝でアレフに追いつかれ、

「走れ! でないと俺、今晩食事ぬきにされちまう!」

 急かされ尻をたたかれて、ようやく全力で走り出す。



 森を走り出て丘をいくつももどり、蔓ハコベに足をとられ水桶の重さに振りまわされながら、ほうほうのていで丘の上、大きな木の足元に立つ学校に戻る。

「お帰りなさい。森の空気はどうだったかしら」

 にこやかに迎える先生に応える余裕は、どちらにもなかった。さんざんこぼしながら走ったせいで、桶の半分も水は残っていなかった。真面目な――少なくとも、アレフたちよりは――生徒たちは、大慌てで戻ってきた悪ガキたちを、興味深そうに振りかえっている。彼らが算術につかう色つき石を机に広げはじめたところだと確かめ、アレフは何とか間にあったことに胸をなでおろす。

「おーい」

 へたり込んだまま教室の入り口に頭を突っこんでいた二人が、頭のすぐ上から降ってきた声の方を向くと、

「手桶、持ったまま立っていろって」

 壁に背をくっつけて、レニが世にも情けなそうに立っている。

「罰、だって」

 アレフが教卓を向くとそこに、やはりにこやかにたたずむ先生の姿。ちょっとおしゃれな革のブーツがスカートの下から覗いている。あんな服装で、しかもわざわざ靴を脱いでこの距離をアレフたちよりも早く行って帰ってきた? 走ったとでも? まさか! 先生は特別なのさ。

「冗談、きつい、ぞ」

 アレフが憮然とした顔をくずさない後ろで、レニとクランバルが大きなため息をついた。

 正午をつげる鐘が鳴り、その日の学校が終わるまで、三人は教室の壁ぞいに並んで立たされた。シャルが口の動きだけで「ばあか」とささやき、憶えていろ、この借りは必ず返すとアレフは心の中で毒づいた。



 実行に必要なものは、全て揃っているはずだった。そつのない計画、充分な準備、そして、全てが終わった後に待ち受けるであろう罰を怖がらない勇気。

 問題は、先生が普通の先生ではなかった事だ。

 緑の魔女。

 少々魔術に通じておれば、その名を知らぬ者はいないであろう。

 若くして魔術院八百年の歴史上、不世出の木属性魔道師と謳われた天才女史、その名はキリエ・ネイゼリ。彼女こそ、ここ緑風村唯一の学校、そしてその唯一の先生その人なのである。

 キリエは丘の上に立つ自宅の一部を教室として開放し、村の子らに学問を広めつつ、いたずら盛りの息子と二人でつつましく暮らしている。キリエにかかれば、手を使わずに木製の窓を閉じるのも息も切らせず森を先まわりするのも、口笛を鳴らすようにたやすい。

 村での評判は上々だ。もともと彼女はこの村の人間だし、学校を開いてはいるが金品を求めるでなし、農業技術にも明るく、その上薬剤師としての腕は抜群ときている。

 子連れとはいえいまだ若々しく美しいキリエだ、縁談をもちこむ者も誘う男もいるいるけれど、彼女は息子との二人暮らしを楽しんでいる。

 息子のアレフも、いくつか不満はあるものの、魔法使いの母親とこの環境には、おおむね満足している。



「ばあか」

 シャルが口の動きだけで、立たされ坊主のアレフたちにささやきかける。アレフが憎々しげに唇を鳴らし、先生に

「こぉらアレフ、静かになさい」

と叱られる。教室に笑いがさざめき、クランバルがうなだれ、レニが恥ずかしさのあまり熟れた果実みたいに顔を赤らめる。

 息子のアレフも、母親が村でたった一人の教師であり、魔法使いであるこの現状には、おおむね満足している。

「ばあか」

「……おぼえてろシャル」

 いくつか不満もある、という意味だ。


とりあえず全十二話、アレフとその仲間たちの一年分の物語を予定しています。

毎週日曜日、12時に次のお話をアップロード予定です。

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