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凝集トンネル

作者: 京本葉一

 講義中、後ろの席に座っていた私のとなりに、そっと彼女が座った。


 めずらしく遅刻してきたのは、いつもなら、笑顔がまぶしい女性だった。私にも気軽に声をかけるような、親しみやすい人柄で、いつも軽やかに動きまわり、どんなところにも遊びに出かける。そんな彼女が表情を曇らせて、

「つかれた」

 と口にしたのだから、かなりの疲労がたまっているのだろうと思った。いつも彼女を囲っている友人からも、距離をおきたいとおもうくらいに。


「つかれすぎて、重いからさ」


 車の運転をしてもらえないかと、私は彼女に頼まれた。アルコールを飲めない性質もあって、運転代行は何度か経験している。費用は払うといってくれた。時間的にも動機的にも、断る理由はなかった。期待に応えたいとしか考えていなかった。


 私は彼女の軽自動車を運転して、彼女をマンションまでおくりとどけた。音量をおさえたメロディが流され、ひかえめな会話が交わされた車中で、つぎの頼みごとをされた。


「○○トンネル」


 何十年も前に廃線となり、使用されていないトンネル。ダム建設が予定されていた山地にあり、何時間も車を走らせなければたどり着けない。それが彼女の目的地で、パワースポットみたいなものと教えられた。

 ネットで調べた情報によると、秘境と化した廃駅があるらしい。道路の通行が制限されており、トンネルを抜けないかぎり、たどり着くことができない場所だと書かれていた。


 翌日、私は彼女を助手席にのせて、朝から軽自動車を走らせていた。


 シートにもたれかかる彼女は、気だるげな態度をあらわにしていた。いつもの笑顔は影をひそめて、音楽も流れない車中には会話もない。気まずくて、重たい空気が満ちていた。あまりにも体調が悪そうだったので病院に寄ることを提案したものの、「もっとつかれるだけ」と拒否された。


 彼女のいうとおり、通行禁止区域の看板があるところで、トンネルはみえた。


 私たちは車を降りて、雑草地を進み、敷石を踏んだ。

 廃線となった線路をしばらく歩き、光源のない闇穴へと近づいてゆく。

 トンネルの前までくると、彼女はいった。


「やっと着いた」


 トンネルを抜けた先にある、廃駅を目指していたと勘違いしていた私は、彼女が疲れた様子をみせながらも、安堵の笑みを浮かべたことで、ようやく誤りを悟り、手にしていた懐中電灯をちらりと見た。

 目的地はここ?

 トンネルの入り口が、彼女の求めた場所?

 新たな疑問にうながされた私は、さらに数歩を進んで、トンネルの奥へと視線をやった。


 百メートルほどしかないものの、カーブがあるため出口はみえない。いや、数メートル先さえわからない。吸い込まれそうな闇があった。日の光はもちろん、虫の音も、風の音も、匂いさえも消えてゆく。生き物の気配は感じられない。冷たくて、重たい空気に満ちている気がした。


 背後から、ぞくりとする何かがトンネルに流れ込んだ気がして、


「あ~、すっとした」


 振り返ると、彼女が気持ちよさそうに伸びをしていた。顔色もいい。疲れた気配など見当たらない。

「かるくなった」

 と彼女はいった。

「ここにくると、ぜんぶ落ちていくから」

 いつもの笑顔を浮かべながら、どれだけつかれても、剥がれ落ちていくのだといった。


 私はふたたびトンネルの奥へ視線をむけた。


 見通せない闇がある。吸い込まれそうな闇がある。なにが吸い込まれ、集まり、変化しているのだろうか。このトンネルの先には、ほんとうに廃駅があるのだろうか。懐中電灯の頼りない光を射して進めば、そこまでたどり着けるのだろうか。


「行くの?」


 彼女の声がきこえて、私は振り返った。

 トンネルに感じた虚無のような、表情の抜け落ちた彼女が私をみていた。


 もしも私がトンネルへ足を踏み入れたなら、彼女は車にもどり、私を置いて去ってゆくような気がした。ここまでは彼女の軽自動車できた。たとえ私が行方不明となっても、捜索願を出すような縁者はいない。だからこそ彼女は、私を選んだのだろう。そんな気がした。


 私たちは車にもどった。

 今度は私が助手席に座り、彼女が運転席に座った。

 流れ出した音楽のボリュームをあげて、彼女は軽やかに車を走らせた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あるのか分からない駅も、運転代行を頼んできた人も、不気味でとても怖かったです。
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