ノリロー氏との対談 その1
ノリロー→ノリ 喜利彦→喜利
なるべく聞いた通りに書いていきますが、分かりやすく相槌を入れたり、話の順列を編集しています。悪しからずご了承ください。
また時代的な話題で日本統治下の朝鮮半島や戦争の話などが出てきますが差別を助長するものではありません。歴史的な背景の発言としてそのまま掲載致します。
喜利 ……師匠は昭和十一年の一月一日生まれだそうで。
ノリ うん。ピンピンピン(一一年一月一日)なんだね。それで兄貴たちは、一番上の兄貴が山崎大……と書いてヒロシと読むんだが、これが大正十五年、二番目の鼓直が五年(※一月二十六日)だから、五年間隔で生まれているという事になるかねえ。
喜利 お生まれは三人とも朝鮮ですよね?
ノリ 朝鮮だよ。うん。親父とおふくろが知り合ったのも朝鮮だもの。
喜利 ちなみにご両親は当地で何をなさっておられたのですか。
ノリ 親父は元々刑務官で、後に清水財閥って所の番頭に転向をしたんだな。この清水ってのが、おふくろの方の親戚で、福山市の人だったとかなんとか、そう聞いてるよ。多分おふくろはこの人を頼って朝鮮に来たんじゃないのかな? 元々看護婦かなにかやっていたけど、親父と結婚して、俺が物心付いたときには風呂屋をやっていたよ。
喜利 その風呂屋の名前は?
ノリ ……うーん、忘れたね。流石に。でも、未だに覚えているのは風呂が湧くと客を入れる前に俺に入らせる。それで熱いかぬるいかを判断するんだからとんでもない親だよ(笑)そのせいで俺は今でも風呂が嫌いでね(笑)今でもカミさんとお風呂を巡って喧嘩しちゃ言われるよ、「あんたくらい風呂嫌いな人は珍しい!」(笑)
喜利 (笑) それで、師匠とお兄さんは苗字が違いますが、これは養子の関係だとか。
ノリ そう。一番上の兄貴が山崎を継いで山崎、二番目はおふくろの実家の名前を継いで鼓。そんで俺がその母親の母親の養子に入って、石川徳夫になった。
喜利 それは生まれた時からですか? それとも戦後ですか。
ノリ 戦前戦前。というか、生まれたら養子にするとかなんとかいう約束になっていたんじゃないの。だから俺も兄貴も幼い頃から鼓に石川って呼ばれていたよ。山崎って呼ばれた事は一度もない。仮に友達が来たりすると、「山崎さん、石川くんいますか」だもの(笑)思えば変な家だね(笑)
喜利 どうして祖母の家の養子に入ったんですか?
ノリ 詳しい事はよく知らないけどね、おふくろは元々鼓って名前で当然両親がいるんだが、お父さんの方が道楽者でね、祖母が愛想を尽かして離婚したのね。祖父さんの方は鼓寅次郎、例の寅さん(※男はつらいよ)と一緒だ(笑)祖母さんの方は石川うた、という名前だった。祖母さんは広島県福山市古野上町って所に家を持っていて、俺も長らく本籍はそこにあった。祖父さんは離婚した後に、多分おふくろを頼って付いて来たんだろうな。朝鮮の家にいたよ。もうその頃は中風で寝ていてね、ほら、オンドルってあるだろう?
喜利 朝鮮の暖房器具ですよね。
ノリ そそ。そこに横になっているのは、覚えているよ。この人は敗戦前に亡くなった。
喜利 養子ということは貰われて……。
ノリ 違う違う。名字だけ後を受け継ぐ、まあ、名前養子だね。だから普通に俺らは名字は違うけど同じ家に住んで、同じ家庭で育ったよ。本当に、本当に変な家さね。そんな家で育ったんだよ、俺らは(笑)
喜利 なるほど……。師匠は馬山の生まれだそうですが、直さんは晋州の生まれだと『現代人名情報事典』(平凡社)にありましたが。
ノリ 勉強になるねえ(笑) その晋州ってのは、朝鮮でも有名な温泉地帯でね、親父はそこに別荘を持っていたんだよ。それはよく覚えている。だから、直さんはそこで産まれたんじゃないのかなあ。でも本宅は馬山にあったよ。
喜利 当地ではどんな感じの生活を送っておられましたか。
ノリ 幼かったから何とも言いようがないけど……。親父が清水財閥の番頭だし、おふくろは風呂屋だからわりかし裕福な家庭だったとは思う。あと、清水財閥の社長が子供がいないもんだから、兄貴と二人よく可愛がってもらって家に泊まりに行ったものだよ。
喜利 お名前は……?
ノリ えー、なんだっけなあ……清水、清水……思い出せないね。ただ、福山の人だとは覚えている。朝鮮でも有名な財産家で、三階もあろうという洋風の豪邸に住んでいてね。兄貴と俺は可愛がられた。でも、俺はその人の家に行くのが嫌でねえ(笑) 夜、シェパードに追っかけ回されたり、変に暗かったりして、幽霊が出るんじゃないかと思ったよ(笑) 兄貴もその家と清水さんのことは覚えているはずだよ。
喜利 因みにその清水財閥は何をなされていたのですか?
ノリ 軍需工場だよ。うん、朝鮮半島の海沿いに大きな工場持ってね。俺が覚えている限りではダイナマイト、手榴弾、イワシの缶詰、ね。そういうもの作っていたよ。