物部氏と忌部氏
物部氏が少しづつ分かってきた気がする。まず物部氏がD1B2かもしれないというのがかなり確信を得ている。ただし、近畿で極端に少ないというのが気になってる。これについては確かに有力者がハプロを占めるのは道理だが、これは逆が成り立たないだけで、必ずしも有力者がハプロを占めてしまうわけじゃない。
この点について藤原と天皇家は世界でも特殊だと知っておいたほうが良い。どの国でも同じ家系がずっとトップに君臨するってない。中国は特に有名だが、前の王朝の人間は皆殺しにされるケースが多い。朝鮮も支配ハプロが数多いのだが、それでもこれがあるそうだ。朝鮮の場合、日本に多いO1B2の47Zが多いのは、王族である新羅の初代の王から出た朴氏の影響が大きい。だから朝鮮の47Zはさらに少ない可能性がある。
あれはどんな理由があるか?分からないが、日本に特有の物がある。その一端が藤原家になる。特に天皇と藤原が数多いのは、武士の時代にも多いに繁栄したのが大きい。物部氏も無いとは言えないが、この2系統が武士の家系で締める割合が高すぎる。
戦後まで生き残った大きな家系では、織田家の忌部や長我谷部、島津の秦、そして毛利の出雲国造家が古い家系では有名かと思う。だが歴史が違う。狭い鹿児島の一角で反映した島津じゃ広がりようが無いし、忌部の場合織田家より部民の数の方が多いだろう。何より歴史の長さが重要になる。チンギスカンが胡散臭いのも1300年代からと言う歴史の浅さがある。
物部氏と藤原家の場合、鈴木さんと佐藤さんが有名かと思う。イチローもひょっとしたら物部氏なのかもしれない。精力的に地方に多くのの国造を残した物部氏は氏族の盛衰の激しい近畿はさほどじゃないのかもしれない。
まず阿波風土記の忌部、物部の同類って話を批判したい。これは胡散臭い。だって私は忌部O1B2、物部D1B2にかなり確信を持ってるから。忌部氏の多い徳島でO1B2が高く出る。この土地は武士貴族の前の古代豪族っぽい古い系統が多い。徳島と出雲は遺伝的に良く似ている。それゆえ古い土地を支配した人たちの系統で大体とけるんじゃないか?と見てる。
それで忌部氏が別の調査でO1B2と出ていて、これは確定して良いのじゃないか?と見ている。ただ問題は徳島に多い秦氏にある。秦氏の宗家みたいなものは、始皇帝と同じでよい。だが秦グループとなると雑多な山東人、遼河人でありO1B2がかなり高い集団だと見ている。日本の47Zの偏りはこういった人たちかもしれないとは見ている。南部の弁辰に47Zは集中して半島に居る。
しかも徳島の秦氏は始皇帝の前の変異のハプロで始皇帝と全く関係が無い。秦氏の大半、または秦氏を名乗らなくても秦人の大半は、万里の長城のあたりの流民だと見ている。当時わいはくなどは異民族と見なされていたので、異民族が多い労働者の割合で遼河人が占める割合は高いだろうと見てる。ただ秦語を話せただけって程度で見ている。実際に始皇帝の土木工事の労働者の大半は異民族だとの調査が遺伝子の調査で出ている。
後の時代になって秦と言うアイデンティティを満足させるため、自分達と全く関係が無い始皇帝の子孫をトップに祭り上げただけだと見ている。半島の秦系の大半は何ら血統的には関係が無い東夷異民族の末裔だ。しかも呉越楚の南方人は北上しただけじゃなくて、強制的に連れてこられた話も残っている。そこにO1B2と言う主流じゃない民族が異民族として集中した可能性は高い。
ただし、それをもってO1b2は流民だと言うつもりは無い。理由は、秦が出来る前から半島に来てないと日本の大きなハプロになってる理由が説明できないから。弥生時期の初期には来てないと。半島に居た中国人は大半がO1B2と絡んだ遼河人だと見ている。
忌部氏と物部氏が同系だは私は批判的。遺伝子を知ってるから?ならまああまり褒められたデータではない。でも私なりに確信があり、その点からありえないと思ってる。他にもある。弓削氏と言うのが道鏡を出した物部氏の一族になる。この一族も忌部氏と系統が良く出てくる。これは母系に忌部氏が入って有名な物部氏衰退の当主守屋氏を生んだからになる。
母系で混ざったのを父系だと混同して同系とやってるケースが古代は多すぎる。大綜麻杵この人物が問題の忌部氏じゃないか?と言われてる物部氏の先祖になる。麻が入ってるのがキー。麻の生産で忌部氏はとても有名だから。これに関して、やはり母系に忌部氏がいたのじゃないか?との指摘がありハプロから多分違うと思っている。
この系統から祟神天皇が生まれたので、それゆえに忌部氏が特別に物部氏だが自分達の子孫として神として祭ったのじゃないか?と見ている。徳島と大阪は一応隣なので多分物部氏と忌部氏は古代から血統的につながりが深いと見ている。弓削氏の流れもあるし。当時敵対していたが、そういう関係だったのを後から知った。
以前四国を通じて広がったと思っていたが、これ逆だった。瀬戸内ルートで広がって、河内に来てから逆流するように物部氏は西に向かったとある。これによって徳島、香川、愛媛にも広がったとなる。こう考えると、そもそも物部氏は中国近畿の人間じゃないか?と見える部分がある。
これに関してはニギハヤヒはそうである可能性がある。ニギハヤヒにも親が居ただろう。その先祖が九州だった可能性もある。ニギハヤヒが出雲系なのか?はやはり違うと思う。天皇家にニギハヤヒが九州から出た一族だというのがあるのはそれなりに意味があると見てるから。ニギハヤヒが代を重ねていったのか?1代で行ったのか?は分からない。
それでも東へ向かったのが残ってるのは、やはり九州出身だったと見ている。ややこしいのは出雲は古代九州に来ていたのじゃないか?と私が見てる点になる。このあたり国譲りが、出雲の国じゃなくて、出雲の勢力範囲から北九州から排除した話しだと見ている。そのためニギハヤヒは九州で出雲と血統的に父系じゃないが繋がってると見ている。
この辺り企救国と言って、なにやら魏志倭人伝に無い国があったと聞いている。私が予想するそもそも邪馬台国の中枢なんて全く知らない。これが天皇家のルーツだと見てて、それとつながってくる。敵対関係ではないが、邪馬台国でどんな政治が行われていたか?なんて関わっても無いだろうと私は見ている。
そして物部氏のそのグループの一員だと見ている。忌部氏がO1B2だと見てるのはそこもある。この辺りの高木神信仰は、おそらく縄文からで、その担い手は海人天皇家だったと見ている。だが、そこに大陸からの天信仰が混じってタカミミスヒという神に大陸的修飾されたのが真実だと見ている。
土着の神が大陸的になるってのは弥生時代良くあるらしい。他にもアマテラスの流れの太陽神もこの流れにある。土着の縄文的アミニズムに大陸的な宗教観が混じって前から居た神がまるで外来の神のように生まれ変わるとなる。もちろんこのアマテラスはアマテル=男神である。
そういった大陸系のものを持ち込んだのが、タカミムスヒの子孫だといわれる忌部氏だと見てるので、O1B2だろうと見ているのもある。
物部氏の話だったのに忌部氏の話が長くなってしまったが、この時代の遠賀川流域というのは、タカミムスヒなしには語れないと思ってるから。