#レイヤーの朝は早い
午前8時。けたたましい目覚まし音とともに朝だと気づく。時間を把握してから彼にLINEを通話モードにして掛ける。7コール目で、やっと機械音から生活音に切り替わった。
『おはよ。起きたー? 』
『んぅ……あと10分したら起こしてぇ……』
7回目コールで声の掠れた寝起き声。
今一瞬、可愛い感じの女の子に近づけた感じがする。私乙女!?
我ながら思ったか。全然ない。
この台詞、どう聞いても想像するのはBLドラマCDに聞こえてしまうんだもん!
完全な事後からの寝起きシーンですよあなた。総受よあんた!と残念な想像だけが結びつき、また10分後に同じようなモーニングコールをする。
『起きたぁ……ありがとう』
『二度寝したら今日の飲み会分奢りね。いい?』
『っちょ待てしぃ。頑張って起きるしぃ』
朝一のミッションをクリアしてから私も自分自身の身支度をする。
今日は都内某所でのコスプレ撮影会。何をトチ狂ったかカメラどころかオタク知識は1ミリ状態の彼氏も連れて行くことになっている。
休日でも混雑する新宿行きの小田急本線を、あらかじめつけてきた奇抜な色のカラコン隠しのサングラスをかけ、青い顔で電車をJRへと乗り継ぐ。人ごみの中でキャリーケースを転がすには至難の業だ。
そうして1時間後、ようやく目的地の最寄駅にたどり着いた。
「おはよう甲汝! 待った?」
「おはよう麗奈ちゃん。私も今来たところよ」
眼鏡に帽子を被った小柄な少女。
彼女は菅野甲汝。
大学時代からの友達で、在学中の頃から一緒にコスプレを始めた付き合いの長い仲だ。
「さっきLINE見たけど、今日彼氏さんも来るんだっけ?」
「そうそう。いきなりでごめんね。あいつにカメラ教えることになってさー。すまん! 協力頼む!」
一瞬、彼女の表情が歪む。そう、彼女はパリピ系男子、ましてやギャル男はあまり得意ではないからだ。
「うーん、まぁ今回はいいけど……。上達できなかったら彼氏さん、燃やすからね? うふふ」
「さんきゅー! ってさらっとはずかし怖いこと言うー」
とはいえ、甲汝とは桜雅と面識は一応ある。彼女も職場が横浜周辺で、時々一緒に飲みに行くからだ。
そこに何回か桜雅が合流することがあったので、職場きっかけで付き合っていることも知っている。
おっとりしている口調だが、さらっと脅し文句も言うダークな一面を持つ彼女は、桜雅にはことごとく塩対応だ。悪い奴じゃないからと甲汝には何回か頭をペコペコ下げながら機嫌をなだめた。
まあ、あとは桜雅が気にしていなければいいのだけれど……。
10分後に、やっと桜雅も駅にたどり着いた。
いつものウルフカットに革ジャン、星柄の鞄にジャラジャラ鳴らすブレスレットが通行人から一際目立つ。
「ごめええぇん! 寝てたら電車乗り過ごしちゃったしぃ! って甲汝さん久しぶりじゃねぇの!?」
「おはようございます。そしてお疲れ様です」
早速甲汝の顔つきが一瞬歪む。ひぃぃ!
「甲汝、こいつ遅刻したし奢ってもらおっか」
「いえ、そんな悪いわよ」
甲汝が手のひらを左右に振る。
「はいはい。んじゃおーちゃんギリギリ誤差って範囲で。カメラやるからには頑張りなさいよ?」
「その代わり、下手にとったら燃やしますからね」
笑顔のようで、目が笑っていない彼女の視線がぐさりと桜雅に刺さる。
「っちょ!?甲汝さんそれ怖いからぁ! マジカンベン!!」
そうしてスタジオに3人、私と甲汝はキャリーケースをごろごろ引きずり、桜雅はシルバーアクセをじゃらんじゃらんしながらスタジオへと歩き出した。
本当に大丈夫だったのかなぁ。このガタガタ身内メンツ……。
歩いて数分後、スタジオ会場に着くと私達は更衣室、彼は煙草吸いたいと言うから受付付近の喫煙所で合流となった。
「ねーねー、私今日レンズ2個持ってきたよー」
「私外付けフラッシュもってきたよ」
「やったぜ。ナイスコンビネーションさんきゅー」
更衣室の中、まるで昨日も会っていたかのようなぐだーっとした会話が浮遊して時間が過ぎていく。今はお互い社会人になったけど、この馴れ合ったやりとりが気を使わず学生のノリに戻る感じがする。
服を脱ぎ、衣装を取り出すと何やらアニメにありがちな視線を感じた。
「ん、どうした? 甲汝?」
「いや、なんでもない」
「ほーう、あれかぁ。アニメにありがちなバスト談義かい?」
「近いのもあるけど、ふふっ、いいわ……。麗奈さん最近下着が派手になってきましたわね」
「やーないない!! お姉さま気のせいですわっ!!」
「薔薇のようにお顔が紅くなってますわよ。可愛らしい……」
「よかったのか、ホイホイくっついて来て!?」
「ちょっ、その薔薇展開ずるいわ……!」
突如始まる某百合学園ごっこ。前触れもなく甲汝はじわじわ冗談を言ってくるからそこが面白い。
今回の撮影スタジオは、戦前から設立されたという古民家を今はドラマや映画、雑誌の撮影に使われている。もちろんコスプレや趣味での利用も受け付けている。
畳の広がる広い和室、縁側、黒電話や床の間に飾られた伝統的な感じの掛け軸。どれも時代を感じる。庭の桜が葉桜に変わりつつも、まだ花びらはそこそこ残っているため、外でも写真になれるとロケーションはありそうだ。
「よし、目線下さいね。はい、いきますよ! 3、2、1」
シャッター音がカシャッと鳴った。
「ありがとうございますー! わっ!丁度良いこの明るさー! そして桜吹雪の連写具合もっ!」
桜の木の下でのコスプレ。乱れる桜吹雪は構図は綺麗な写真になった。それもそのはず、赤、青、緑の信号機のような色をし重力を無視した派手な髪型、派手な防具を纏った衣装。化粧も眉毛をきりっとさせ、そこら辺の男子よりも格好よく皆表情がきまっている。
「で、俺、カメラ講習はいつ教えてもらうんだし?」
「あ、すまん、忘れてたわ」
「っておい! ひでーし! むしろこの話のメイン、俺がカメラ習うんじゃないの!?」
「安心して冗談よ冗談! ってか現実みのある事を言わないの。空気読んで!」
「了解だしぃー」
「ほら、おーちゃん。今甲汝が撮ったやつはね、連写って設定にしてこれをね、こうで、こーでな、こーじゃ!」
「ちょっと麗奈ちゃんも、設定の説明を適当にちゃだめよ!」
「サーセン。えっとね……」
と、甲汝から撮ったカメラを受け取り説明をはじめた。
「今のは連写モードにしてからシャッター速度をあらかじめ上げたの。1/200に。だから、ブレずに撮れる。これを1/60とかにするとほら」
カシャ、カシャ、カシャ。
小走りする甲汝を撮った?
「シャッターの音が遅くなって、ちょっとブレが生じる。で、その分の明るめに映る」
「へぇー。なんか物理にあるよねこういう単元。凸レンズの絞りとか光の関係とか」
仕事場絡みの知識になると急に口調が淡々する桜雅。得意気になっているのがわかりやすい。
「まあだいたい合っているけど」
「そしたらさ、太陽光と焦点距離を計算して合わせたらもっと取りやすいシャッター速度で設定で写真が撮れるってことじゃん」
「その通り! おーちゃん! さっすがー!!」
こういう時は褒めて伸ばすに一択。私は既に攻略していた。
綺麗な写真を撮るのに距離を全部計算させたらより一層綺麗な写真が撮れるじゃん。そして彼もこの趣味をもっと知ってもらえる……!
「そしたらおーちゃん、私たちがどの位置にいたらいいか教えて下さい! シャッターはここのボタンを押せばいいから」
ボタンの配置だけ指示をし、私と甲汝は彼の脳内計算から出た距離の通りに立つ。若干甲汝が、私のカメラに……と不服そうにぶつぶつ言っていたが、綺麗な写真が撮れるためだから、とこそっと耳打ちをした。
「甲汝さん、1メートル右に移動して。それから麗奈。角度を45°身体を向けて」
「真田さん、1メートルってこの位? もう一歩移動かしら?」
「おーちゃん、我らは感覚で移動してるから一歩とか何とかを見るようにって指導してくれると嬉しいなー」
「あ……。マジか」
そうすると計算した距離と角度を数的感覚から体感覚でなんとか変換しようと一瞬止まった。そしてまた指示を始める。
「わかった。甲汝さんは2歩分右に。少しずれて。そこで」
続けて彼は私に指示をする。
「麗奈は前から2つ目の箒の先を見る感じでも上げて」
カシャ、カシャ、カシャ――。
シャッターのリズムは位置を定めると軽快なリズムで十数回、そしてまた十数回とテンポよく撮影が繰り返された。
その度に確認のために見せてもらった写真はどれもピントが理想通りで、ブレも、逆光、白飛びもほとんど見つからなかった。
彼は仕事柄の癖で理系モードに切り替わっていた。この時になると、口調からスイッチが切り替わるからよくわかる。
私は撮られた写真を見るたびに褒め伸ばした。そして調子に乗って自分のフラッシュ付きのカメラを渡して操作を教え、シャッターを押してもらった。
一方甲汝は彼の立ち位置指導に最初、少し戸惑っていたがそのうち真剣な目つきで両方のカメラの写真を細かくチェックし、結局夕焼けの映える閉館時間ギリギリまで写真を撮り続けた。
これらの写真は撮影の後の夜、皆と安いチェーン居酒屋で一眼レフのカメラを出して、ビールとともに一挙鑑賞会をするのがいつもの流れだ。
そこに今日は桜雅も同席している。いつもとは少し違った飲みの席だが彼はじーっと写真を見ている。
「んー、この距離計算、合っていたかなぁ」
「初めてにしてはいい感じでしょう」
甲汝の厳しいチェックが桜雅の撮った写真、一枚一枚評論される。
「もう少しピントを定めることですね」
「あ、はい……」
「もう評論会いいから、気軽に飲もうよ! いつものノリで」
甲汝のコメントも確かにいつもより説得力がある。桜雅も持ってきたノートに言われた反省点をメモする中、私は飲み会なんだから~と冷えたビールを飲み、軟骨揚げを時々つまみながら写真を眺めた。
確かに彼の撮った写真は距離感と光の角度のバランスは的確で初めてにしては充分絵になる。さすが理系男子。
「ねえ、真田さん。麗奈ちゃんはの彼女なんだからどんどんいい写真撮るんですよ」
「ちょ! 甲汝なにをいってるんですの!?」
改めて言われるとこっちまでこっ恥ずかしい気持ちになる。私は唐揚げ大を一個頬張りながら彼女の話を聞いた。
「綺麗な写真を撮らないと、私は麗奈ちゃんのこと認めないし、真田さんを容赦なく燃やしますよ」
甲汝は笑顔で彼に微笑む。
「わかったしーもちのろんだしー」
いつものテンションに戻った桜雅はすぐに返事する。そしてハイボールを一気に喉に流し込んでいた。
「麗奈ちゃんを、絶対に幸せにさせないと即燃やすんだから……」
「わかったし」
こそこそと彼に耳打ちしているように見せかけて、日本酒を片手に持った甲汝の声は丸聞こえだった。
何はともあれ、今までより甲汝のどことない桜雅へのトゲトゲしさが緩和されているみたいだった。結果オーライなのかな。ちょっと恥ずかしかったけど。
この飲み会は、2時間席を3時間に延長となり、家路に着いたのは23時過ぎ。いい感じにほろ酔い気味だ。
『今日はさんきゅーな! カメラ、面白かったし!!』
家に着いたタイミングで、桜雅からLINEが届く。あいつも家に着いたのか。同時に、甲汝からもLINEが来た。
『お疲れ様、また遊びに行きましょう。桜雅さん、案外真面目な人で安心しました。写真データは後日送ります』
ひとまず良かった。喜んでくれて。そして改めて認めてくれた甲汝よ、今日は一日ありがとう。
どちらとも今日のお礼を打ち込むと、桜雅からLINEが来た。
『明日仕事? 何時から?』
『13時から』
『俺も14時から授業だから、横浜で昼、飯食わねー? 猛虎坦々麺大本チャレンジしようし』
『いいよ。したら12時に横浜待ち合わせでいい?』
『了解だしぃ!』
明日は仕事だ。横浜市内だけども私は横浜駅、彼は関内駅周辺と今は職場が別々だ。
しかし、始業タイミングが予備校事務も講師も午後なため、いい感じにタイミングが合った。一緒にランチとか私がまだ関内の校舎にいた時以来だ。なんとなく懐かしい。
『楽しみにしてる。遅刻すんなよ!』
『わかったし』
そうスマホを枕元に置き、さっとシャワーを浴びてアニメを観てから、私はベッドに潜り込んだ。
趣味も系統も違う者同士だけど、案外うまくやっていけるもんだな。私も、今度彼の趣味には付き合ってみようかな。
目覚ましをセットし、今夜も眠りにふけるのであった。