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9.週末、一緒にデートしない?

 保健室のドアをノックしても応答が返ってこず、しかしドアは開いていたからお邪魔させてもらうことにした。特有の薬品の匂いが鼻をつく。


 実はこの匂いはあんまり好きじゃなかったりする。


 僕は柳ヶ瀬さんを脇にあるベッドに座らせて、それっぽい棚を漁り始めた。


「もしかして、和泉くんが手当てしてくれるの?」

「う、うん。だってもう時間経ってるし、早くしないとダメでしょ?」

「たしかに、早くしないと一生歩けなくなるかも」


 一生ってことはないんじゃないかな。


 ガサゴソやってると、上から三番目の棚に湿布と包帯を見つけた。僕はそれを手に持ち、柳ヶ瀬さんのところへ戻る。


 しかしまだ靴を脱いでいなかった。


「あの……」

「脱がせてほしいなー」

「……」


 柳ヶ瀬さんは負傷した右足を僕の前に差し出して、フラフラと誘惑させてくる。


「じ、自分で脱げないの?」

「ちょーっと厳しいかも」


 先ほど柳ヶ瀬さんを折れさせたのは奇跡みたいなもので、今回はたぶん折れさせることなんて出来ないんだろう。

 

 だから僕は早々に諦めて、彼女の足に手を差し伸べた。


「痛かったら言ってね」

「ちょっとぐらい我慢するから大丈夫」

「できれば、我慢しないでほしいんだけど……」

「じゃあ善処するね」


 その言葉を聞いて、僕は柳ヶ瀬さんの靴紐をサラサラと解いた。捻ったところを刺激しないように、固定しながら優しく靴を引き抜いていく。


「いっつ……」

「だ、大丈夫?!」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ……」

「大丈夫じゃないよね……?」

「我慢してた時よりは、ずっと大丈夫だから」


 やっぱり、ずっと我慢してたんだ。もし出来るならば、柳ヶ瀬さんが負傷しているとわかった体育の時に、手を引いて処置をしたかった。


 そういうことを考えても、後の祭りだ。


「ごめん。優しくするから」

「ん」

 

 靴を引き抜いた僕は、次に靴下を脱がせる。これはすぐに上手く脱がせられて、綺麗な素足が露出された。


 その足首が、少しだけ赤くなっている。


「うわっ、めっちゃ赤くなってるね私の足」

「派手に転んでたからね」

「あはは……あれは失敗失敗。適当に転ぼうと思ったんだけど、タイミング悪く自分で足を引っ掛けちゃったんだよね」


 そばにいたから、派手にすっ転んだのはよく覚えてる。僕は一度優しくその足首を撫でて、それから湿布を貼った。


「ひやん!」

「え、どうしたの?」

「こらこら、そういうの貼る時は、ちゃんと事前に申告しなさい!」

「ご、ごめん……」

「許す」


 許してくれた。


 包帯を巻いて靴下を履き直し、靴紐は緩くしめる。これで処置は終わりだ。


 僕は柳ヶ瀬さんの足元から離れる。


「ありがとね、和泉くん」

「あ、うん……」


 今までは負傷した足を手当てしなきゃという名目に突き動かされていたけど、よく考えれば保健室で二人きりなのだ。この状況は非常にまずい。


 まずいというか、なんというか、体育館裏で話したとき以上に緊張してしまう。


「実はね、今日一日中和泉くんと話せる機会をずっとうかがってたんだよ」

「へ?」

「ほら、手振ってたじゃん」


 柳ヶ瀬さんはいつものニギニギを披露する。


 そういえば廊下で目があった時に、ニギニギをされた気がする。もしかすると柳ヶ瀬さんが準備体操を誘ってくれたのも、ずっと僕のことを見ていたから気付いてくれたのかもしれない。


 そう考えていたら、柳ヶ瀬さんは腰に手を当てて呆れたように目を細めた。


「だというのに君は、有栖さんからサッと目をそらしたよね。私結構傷つきやすいタイプだから、何かやっちゃったのかちょっぴり不安になったんだよ?」

「ごめん……」

「まあ仕返しはできたから、もう気にしてないんだけど」


 あの準備体操は目をそらしたことによる仕返しだったのか。気付いてあげられなくてごめんなさい。


「で、どうして目をそらしたの?」


 今度のセリフに怒りは含まれてはいなかった。


 だから答えなくても許してもらえると思ったんだけど、柳ヶ瀬さんを不安にさせてしまったことの負い目があったから、黙っておくことはできない。


 僕は、薬品の匂いを吸い込み、呼吸を整えた。


「じ、実はね。柳ヶ瀬さんのポニーテールが、か、可愛いと思って」

「はい?」


 僕の言葉が理解できていないのか、驚いた眼差しを向け瞳をパチクリさせる柳ヶ瀬さん。


 そうですよね。こんなこと、理解できないですよね。


「……ごめん和泉くん。もう一回言ってくれる?」

「え? だから、ポニーテールが可愛いって……」


 繰り返すと、少しだけ柳ヶ瀬さんの頬が赤くなった気がした。もしかして、風邪かな。


 心なしか視線も泳いでる気がするし。


 そんな柳ヶ瀬さんは、こほんと一つ咳払いした。


「えー、きーみーはー、そんなことで目をそらしたんかいっ!」

「いでっ!」


 脳天を優しくチョップされる僕。


 どうしてチョップされたのか、例のごとくわからない。


「ばか! あほ! どんかん!」

「え、え、え?」


 それから五回ほどチョップされた僕の頭は、柳ヶ瀬さんの手刀の形を覚えてしまった。


 やんわりと感触が残る箇所を手で押さえながら、柳ヶ瀬さんのことを見上げる。


 そっぽ向かれた。


「あの、ごめん……」


 謝ると、また柳ヶ瀬さんは目を細めてきた。それからビシッと指をさしてくる。

 

 僕は子猫みたいに身体を震わせた。


「今のは君が謝らなくていいの」

「あ、え、そうなの?」

「そうなんです」


 柳ヶ瀬さんはまた一つ、大きなため息をつく。僕なんかが言うのもアレですけど、ため息をつくと幸せが一つ逃げていくらしいですよ。


「和泉くんって、ポニーテールが好きなの?」

「ぽ、ポニーテールも好きだけど、どちらかというとハーフアップが……」

「ハーフアップが好きなんだ?」


 こくこくと頷く。


 どういった感じにして結んでいるのかはわからないけど、あの形が僕は好きだ。なんというか、清楚という感じがひしひしと伝わってくる。


 後ろを三つ編みなんかでまとめてくれれば、もう最高だ。


 柳ヶ瀬さんは僕の返答を聞いたあと、顎に手を当てて何度か頷く。


「まあ、この話は一旦置いといて」

「置いておくんだ」


 僕としてはハーフアップの素晴らしさを語りたかったんだけど、柳ヶ瀬さんがそう言うなら一旦飲み込もう。


 なぜか柳ヶ瀬さんは、僕の顔を見てくすりと笑った。


「なんか和泉くんと話してると、毎回話が明後日の方向に飛躍してくね」

「え、そうかな。ごめん……」

「責めてるわけじゃないよ。お話ししてると、結構楽しいから」


 そして僕に聞こえるか聞こえないかぐらいの声量で、「勇気出してよかったな……」と呟いた。それはたぶん僕に伝えるために放った言葉ではないから、聞こえなかったふりをする。


「実はね、和泉くんにオススメしてもらった虎とドラゴン、一巻を読み終えたの」

「あ、結構早かったね」

「勉強してる時以外は、ずっと本に向かい合ってたからね。やっぱり、ヒロインの女の子が可愛かった」

「だよねだよね。主人公に素直になれないところが、とっても可愛いんだよ」


 柳ヶ瀬さんは笑顔を作っていたのに、唐突に頭の上に疑問符が現れた。同時に小首を傾げて、不思議そうに僕の目を見る。


「え、あ、どうしたの?」

「ううん。なんか短いなって思って」

「短い?」

「いつもなら、ライトノベルの話するとマシンガントークになるじゃん」

「あ、うん……最近気付いたんだけど、僕がいろいろ話すとき、柳ヶ瀬さん微妙な顔してたから……がっついたりすると、よくないのかなって思って……」

「あぁ、そんなこと?」


 あっけらかんと柳ヶ瀬さんは言う。


 僕といえば結構気にしていたことだから、その反応は少々腑に落ちない。


「今日は和泉くんとたっぷりライトノベルの話をしようって決めてたから、普段通りの君でいいんだよ?」

「え、そうなの?」

「そうなんです。だから、ほら、」


 音楽の先生が生徒に合図をするように、柳ヶ瀬さんも僕に話を促してくれた。


 こんな風に僕の話を求められるなんて、もしかすると初めてのことなのかもしれない。


「いつも主人公に対して不機嫌な態度をとってるけど、本当はしっかりと主人公のことを思ってるところが、あのヒロインのいいところなんだよ。主人公もヒロインに対して誠実に関わっているから、物語のキャラクターなのに応援したくなるよね」

「そうそう、そうなの! なんか読んでたら、思わずがんばれっって呟いちゃったもん」

「僕は心の中で応援してたかな。隣に妹がいたから、声に出せなかったんだ」


 その保健室での団欒はとても楽しくて、出来るならばずっと続けばいいのにと本気で考えていた。柳ヶ瀬さんはずっと笑顔で、僕もぎこちないながらも笑みを浮かべる。


 ぎこちないけど、僕が笑えていることに最近はずっと驚いてる。学校では、ライトノベルを読んでいる時もずっと無表情だったのに。


 柳ヶ瀬さんと一緒にいるのが楽しいんだ。


 こんな風に一緒に話していられるのが。


 でも、今が楽しければ楽しいほど……


 ううん……こんな時ぐらい、そういうことを考えるのはよそう。前向きにならなきゃいけないんだから。


 気が付いたら、お昼休み終了五分前だった。


 そろそろあの教室に戻らなくちゃいけない。今度はいつ、柳ヶ瀬さんとお話できるんだろう。


「柳ヶ瀬さん、立てるかな」

「ん、大丈夫そう」


 ゆっくり立ち上がって、柳ヶ瀬さんは微笑む。


「ありがとね。和泉くんのおかげで、かなり楽になったかも」

「僕はただ、当然のことをしただけだから」

「とっても感謝してるよ。それでね、あの、」


 とても珍しく、柳ヶ瀬さんの歯切れが悪かった。


 もしかしてどこか体調が悪いのかと思い身体を観察してみるも、おかしなところは右の拳を精一杯握りしめているということだけ。


 柳ヶ瀬さんは、言った。


「週末、一緒にデートしない?」


 そのデートという言葉が耳に届いた瞬間、それが頭の中を急速にぐるぐると回り始めた。つまり、混乱している。


 え、え、え? で、で、デート?!


「え、え、えっ?!」


 その僕の驚きようが面白かったのか、柳ヶ瀬さんはくすりと口元に手を当てて微笑んだ。


「デートって言っても、本屋に行くだけだよ。あ、でも本屋じゃなくて、アニメのせんもんてん? に行ってみたいかも。そういうところにも、ライトノベルって置いてあるんでしょ?」

「あ、え、え、えっ?!」

「君、ちょっとは落ち着きなさい」


 また優しく僕の頭がチョップされた。柳ヶ瀬さんは呆れた目で僕の瞳を直視してくる。


「行くの? 行かないの?」

「え、あ、行きます……」

「よろしい。即断できる男の子は、有栖さんちょーっと好きだったりするよ」


 即断というより、なぜだか言わされた感が強いけど。


 というか、好きって。えっ? えっ?


「それじゃあ教室戻ろっか。有栖さん、まだお昼食べてないんだよねー」

「あ、僕も食べてない……」

「今から授業サボって食堂で食べる?」

「それは、ダメなんじゃないかな……先生に見つかったりすると怒られるし。あ、でも、柳ヶ瀬さんがどうしてもっていうなら……」

「私がどうしてもって言ったら、和泉くんはついてきてくれるんだ」


 僕を見てニコニコと笑う柳ヶ瀬さん。


 多分どうしてもって言われたら、僕は本当について行くんだと思う。


「冗談冗談。和泉くんのこと困らせたくないから、授業はサボったりしないよ。それじゃあ行こっか」


 僕は頷き、柳ヶ瀬さんの後をついて行く。


 この前と同じく、柳ヶ瀬さんは僕のことを気遣って、教室に戻るタイミングをずらしてくれた。


 僕が先に入って、すぐに席に着く。


 遅れて入ってきた柳ヶ瀬さんは、席に着くや否や男子と女子に囲まれて、いつもの光景が出来上がった。


 だけどその輪の中心にいても、柳ヶ瀬さんはちらりとこちらをうかがってニギニギを送ってくれる。僕もそれを真似て、小さなニギニギを返した。


 このクラスの誰も知らないけど、僕と柳ヶ瀬さんは週末にデートをするんだ。そういう秘密の関係が、なんだか心地よかった。



 追記


 次の日から柳ヶ瀬さんは、その長い髪をハーフアップでまとめてくるようになった。どういう心境の変化があったのかはわからないけど、僕はまた少し、彼女のことが気になり始める。

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