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34. 興味本位じゃないんですよね?

 玄関へ入って靴を脱ぐと、結乃ちゃんは来客者用のスリッパを棚から取り出し床へ置いてくれた。その行為にキョトンとしていると、結乃ちゃんは私から目をそらした。


「お客様にスリッパを出すのは、当然のことですから……」


 やっぱり兄妹だから似ているんだ。


 なぜかそれが嬉しくて、私はまた自然と微笑み、スリッパを履いた。それからリビングに通されて、勧められた椅子へと腰を下ろす。


 心なしか結乃ちゃんは緊張しているようで、肩がややこわばっていた。


「お客様がこんなこと言うのはおかしいと思うけど、リラックスしていいよ。別に取って食べるためにきたわけじゃないから」

「ごめんなさい……」

「謝る必要もないかな。私もアポなしで来ちゃったんだし」

「いえ、」


 彼女はまっすぐに私を見た。未だ瞳は緊張の色で揺れているけど、それでもそらさずに私の目を見る。私と同じで、彼女も伝えたいことがあったのかな。


「……ごめんなさい。この前は不躾な態度を取ってしまって……」

「ん、私これっぽっちも気にしてないよ?」

「それでも、私は私が酷い態度を取ってしまったって分かってるので」


 好きな人に頭を下げられるのを見るのは、あまり気分のいいものじゃない。それにあれは兄を大切に思う素敵な気持ちだから、謝る必要なんてない。


 だけど私は、こういう場面で遠慮をしたりするとかえって向こうが気遣ってしまうことを知っているから、気の済むまでやらせてあげることにした。


「じゃあ、どうして酷い態度取っちゃったの?」

「それは……」


 口ごもる。


 怒られるとでも思ってるのだろうか。うんうん、全然怒らないから安心してね。


 そう微笑んでみせると、なぜか結乃ちゃんに視線をそらされた。笑顔って難しい。


「お兄ちゃんが、傷付いてほしくなくて……」

「傷つく?和泉くんが?」

「お兄ちゃん素直だから、騙されてるのかと思って……友達なんてしばらくいなかったし、家に連れてくるのも久しぶりだったから……」


 あぁ、たしかに騙してるって思われても仕方ないのかも。というより、和泉くんも最初はそう思われてたのかな。突然何の前触れもなく話しかけちゃったから、警戒されちゃってたのかも。


 私がそんな風にちょっぴり反省していると、結乃ちゃんはまた気まずそうに目を合わせた。


「ごめんなさい、嘘つきました……」

「はい?」


 その言葉に、私は文字通り目を丸めていたんだと思う。彼女の意図が、よくわからなくなったのだ。


「えっと、嘘って?」


 すると今度は机の上に置いていた両手をきつく握りしめながら、


「嫉妬してたんです。お兄ちゃんが誰かと仲良くしてるのを聞いて、見て、嫉妬してたんです。もちろん騙してるとも考えてましたけど、私の醜い嫉妬の方が大きいです。だって、取られたりしたくなかったから……お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんだから……」


 その恥ずかしい訴えの最後には、目に涙が滲んでいた。それが一筋頬を伝いながら机に落ちていく。


 誰かに伝えるには恥ずかしい気持ちなのかもしれないけど、私は結乃ちゃんが美しいと思った。誰かをそこまで好きになれるなんて、とても羨ましい。


 そこまで好きなんだから、あんな風に怒っちゃうのも仕方ない。私だって和泉くんがどこの馬の骨かも知らない女の子と仲良くしてるのを見たら、結乃ちゃんと同じく嫉妬してしまうかもしれない。


 だから彼女のその気持ちは正しいもので、理解してあげられる。

 

 結乃ちゃんは落ちていく涙を、必死に手の甲で拭った。


「ご、ごめんなさい。勝手に泣いたりして……! へ、変ですよね。気持ち悪いですよね……で、でもお兄ちゃんのことは嫌いにならないであげてください! 今度同じようなことが起こったら、きっとお兄ちゃんは……!」


 そう訴えているのを遮って、私は涙を拭っている結乃ちゃんの手を握った。突然の行為にキョトンとしている彼女の瞳からは、そのまま涙が滴り落ちていた。


「私はお兄さんのことも、もちろん結乃ちゃんのことも嫌いになったりしないよ」

「……え?」

「お兄さんの素晴らしさは結乃ちゃんも分かってると思うけど、結乃ちゃんもとっても素敵な人だってたった今分かったから」

「素敵なんかじゃ、ないです……」

「素敵だよ。誰かのために泣くほど必死になれるなんて、私には多分出来ないことだから。私は、結乃ちゃんが羨ましい」


 ぎゅっと手を握ってあげると、ようやく彼女の頬に赤みが差した。つまり照れているのだ。照れている結乃ちゃんは、和泉くんみたいでとっても可愛い。


「結乃ちゃんが私のことを嫌いでも、私は好きだよ。だって私のことを嫌いだから私も嫌いだなんて、そんなのおかしいでしょう?」

「私のこと、好きなんですか……?」

「好きだよ。だから、結乃ちゃんが心配することは何もナッシング」


 おどけてみながら笑ってみると、また視線をそらされた。人付き合いってやっぱり難しい。でも和泉くんのおかげで、以前より少しは成長したのかもしれない。


 結乃ちゃんはそれからしばらく黙り込んで、机の上へ視線を向けていた。それを私が見守っていると、何かの覚悟を決めたのか、顔を上げて私の目を見た。


 その目には、私を嫌悪する感情や、怯えるような感情ではなく、もっと別のものが含まれているような気がした。懇願というのが正しいのかもしれない。結乃ちゃんは、私を頼ろうとしてくれている。


「お兄ちゃんのこと、任せてもいいですか……?」

「もちろん。有栖さんに任せなさい」


 そう言うと、彼女はようやく口元を緩めてくれた。少しだけ、私は結乃ちゃんに近づけたのかもしれない。


 私はようやく手を離した。


「実は今日ここへ来たのは、もう一つ理由があるの」

「理由、ですか?」

「うん。和泉くんのこと、もっと知りたいと思って」


 ここから先は、私にも勇気がいる。それを聞いてしまうことは、和泉くんのことを知ってしまうことになるから。今まで人付き合いを避けてきた私が、故意に相手のことを深く知ってしまう。


 知ってしまうということには責任が伴う。隠してきたことを、自ら暴こうとしているんだから。ただの同級生じゃいられなくなる。ともすれば、友達でもいられなくなるかもしれない。


 たとえそうだとしても、私は和泉くんのことを知りたかった。知らずに、ただ安全な場所で見守っているのは、好意を抱いている相手にするべきことじゃない。


 真実を知って一緒にいられないのだとしたら、わたしはそれまでの人間だったんだろう。


 でも、少しでも和泉くんの助けになることができるなら、迷う必要なんてない。自分変えてくれた彼の助けに、私はなりたいんだから。


 覚悟と勇気は案外すんなりと決めることができた私は、まっすぐと結乃ちゃんへ視線を向けた。


「和泉くんの、過去を教えてほしいの」

「え、お兄ちゃんのですか?」

「うん。和泉くん、自分の内面のことはこれっぽっちも話してくれないから。たぶん、何かあったんだよね? それを本人に聞くのは、ちょっと辛いかもしれないから」


 私の読みが当たったのか、結乃ちゃんは先ほどよりも深刻そうな表情を浮かべた。和泉くんの情報と、私への信頼を天秤にかけているんだろう。


 それほどに、彼にとって重い話なんだ。


「……興味本位じゃないんですよね?」

「うん。本気で和泉くんの力になりたいと思ってる」

「それなら、まあ……でも約束してください。何があっても、お兄ちゃんのことは嫌いにならないって」

「約束する」


 私の決意が確かなものだと理解してくれたのか、結乃ちゃんは一度目を閉じた後に、和泉くんのことを語り始めた。


「小学校の頃に、お兄ちゃんに女の子の友達がいたんです」

「え、和泉くんに?」

「はい。久留島胡桃さんっていう女の子です。胡桃さんはすごく元気な子で、いつもお兄ちゃんのことを引っ張ってました。私も一緒に遊ばせてもらっていたので、当時のことはよく覚えています」

「へ、へえ……」


 へ、へぇ、そうなんだ……和泉くんにも仲が良い女の子がいたんだ……


 それはなんというか、うん、複雑だなぁ……


「二人は幼稚園の頃からの付き合いだったんです。胡桃さんが川に行きたいと言えば、部屋の机にへばりついているお兄ちゃんを無理やり引き剥がして、外へ連れ出していました。山へ行きたいと言えば山に、公民館に行きたいと言えば公民館に。無理やりでお兄ちゃんも困ってましたけど、たぶん嫌じゃなかったんだ思います。お兄ちゃん、楽しそうにしてましたから」

「なんというか……強引な人なんだね胡桃さんって」

「はい。お兄ちゃんとは違って、すごく活発な人でしたから。でも……胡桃さんはある日突然、いなくなりました」


 おそらくここからが一番重要な話なのだと理解した私は、しっかりと椅子に座りなおした。


「何も告げずに、胡桃さんは転校してしまったんです。先生からは家庭の事情だと言われたらしいんですけど、それ以上のことは教えてくれませんでした……お兄ちゃんは、泣きました。自分のことが嫌いだったから、何も教えてくれなかったんだと。しばらく塞ぎ込んだままで、私も、かける言葉が見つからなくて……一ヶ月ほど、お兄ちゃんは一人きりでした……」


 その時のことを思い出したのであろう結乃ちゃんは、再び目に涙を溜め始めた。先ほどと同じく手を握ってあげる。


「お父さんやお母さんは、何か聞いてなかったの?その、転校した理由とか」


 すぐに首を振った。


 幼馴染なら親子同士仲が良い場合もあると思ったけど、そういうわけでもないらしい。


 というより、私の想像とはだいぶ違った言葉が返ってきて、やはり少し戸惑った。


「お父さんともお母さんとも、私たちはあまり話をしないんです。仕事で帰ってくるのも遅いですから。休日は家にいるんですけど、会話なんてないです。平日は顔を合わせるのも珍しくて、一緒に外食や旅行に行った経験は物心がついた頃から一度もありません。自分のことは自分で、というのが幼い頃から染み付いてきた私たちの感覚なんです。……そういうのをネグレクトっていうものだと知ったのは、私が中学二年になった頃でした。私たちにとってはそれが当たり前だったので、特に何とも思わなかったんですけど……」


 そんな境遇があったなんて、和泉くんは一つも態度や表情に表したりしなかった。少しは気付いてあげるべきだったのかもしれないと思ったけど、それはたぶん無理な話だ。結乃ちゃんと同じで、きっと和泉くんもそれを不思議なこととは思っていないからだ。


 和泉くんにとってはそれが普通で、正常なんだから。


 それにもしそれが異常だったのだとしても、私に話してはくれなかったと思う。信頼していないからじゃなくて、和泉くんはそういう人間だからだ。


 優しい人だから、自分の弱い部分を今まで私にひた隠しにしてきたんだ。


 結乃ちゃんは、話を戻した。


「……それで、お兄ちゃんはそれから友達を作ることを避けるようになりました。もう誰かを失いたくなかったんだと思います。嫌われて、またどこかへ行ってしまうのが怖いから……現実から逃避することが出来るものはいくらでも用意することができました。幸い、両親から生活には困らないほどのお小遣いはもらっていましたから……」


 だから和泉くんは、ライトノベルを読んでいたのかもしれない。自分の殻へ閉じこもるには、それはとても魅力的なものだったんだ。


「お兄ちゃんのために、私、頑張ったんです。心の拠り所になるために、いつでも笑顔で支えられるように頑張りました……また同じことが起きた時に、助けられるようにって……でも、私だけじゃ足りなかったんです。だから、だから……!」


 その必死の思いを告げるのと同じくして、部屋の外から鍵の開く音が聞こえた。時計を見ると、もうこんな時間になっていたんだと私は驚く。


 彼に弱いところを見せられたくないと思ったのか、結乃ちゃんは慌てて涙を拭った。私はそれに微笑んで、


「大丈夫だよ。あとは私がなんとかしてあげる。結乃ちゃんは、もう少しだけ待っててね」


 返事を聞く前に、私は席を立って部屋を出た。


実習中につき更新が遅れてしまい申し訳ありません

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