33.和泉くんおっサリュー
和泉くんのことだから私がいないと部室に入らないと予測して、予定している場所へ向かう前に文芸部室へ寄ってあげた。案の定彼は部室の前に立ち尽くしていて、ドアの取っ手とにらめっこしている。
紗凪ちゃん後輩と少しは仲良くなったみたいだけど、二人だけで話すのはまだ気まずいんだろうな。だからといって、今日は和泉くんを一緒に同行させるわけにはいかないし、部活で足止めしておかないと私の予定も遂行することが出来ない。
厳しいけれど、ここは耐えてもらうしかない。
「和泉くんおっサリュー。どしたの?」
「あ、うん。ちょっと……」
言わなくてもわかるよと微笑んであげた。それだけで和泉くんはパッと安心した表情を浮かべてくれる。そうかそうか、有栖さんが来てくれたのがそんなに嬉しかったか。
「それじゃあ今日も部活頑張ろっか。といっても本読んでるだけだけど」
「うん、そだね。頑張ろうか」
私が代わりにドアを開けてあげると、そこにはいつも通り紗凪ちゃん後輩がいる。私たちより遅く来たことがないから、授業が終わるとともに真っ先に部室へ足を向けているんだろう。
本当に友達が少ないんだね。
「お疲れ様です先輩」
「おっつー」
「お疲れ様。桜庭さん」
「というわけで、有栖さんはもう帰るね」
「えぇ?!」
踵を返そうとしたら、和泉くんの驚きの声が上がった。彼は基本的に大きな声を出さないから、私も紗凪ちゃん後輩もびくりと体を震わせる。
「うわ、どうしたの和泉くん。なんかいいことあったの?」
「え、待って。柳ヶ瀬さん、もう帰るの……?」
そんなお出かけに置いてかれた子どもみたいな目をしなくてもいいのに。和泉くんは本当に有栖さんが大好きなんだね。
「うん、ちょっと用事があるの」
「あ、ちょっと僕も用事あったんだった」
「おいおい嘘をつくな」
ペシンと優しく頭を叩いてあげると、やや涙目になって頭を押さえる。そんなに強く叩いたつもりはないんだけどなぁ。
「そういうわけだから、和泉くんのことは紗凪ちゃん後輩に任せるよ」
「私は別にいいですけど……」
「和泉くんも、アーユーオーケー?」
コクコクと頷く彼を見て、私は自然とにっこり微笑んでいた。こんなにも自然に笑えるようになったのが、私は嬉しい。
以前までは楽しいことなんて一つもなくて、ただ愛想笑いを浮かべることしか出来なかったから。
こんな私になれたのは、全て彼のおかげだ。彼のおかげで、私はちょっとだけ変わることができた。
でも私は、そんな彼に不実を働くことになる。それを知ったら、どんな表情をするのかがちょっと怖い。
優しい和泉くんでも、怒りの表情を浮かべるのだろうか。それとも軽蔑して、私と話してくれなくなるかもしれない。
そうなる可能性があったとしても、私は一度決めたことを曲げることをしたくなかった。たとえ嫌われるかもしれないけど、それでも彼のことが知りたいから。
「……どうしたの?」
不安げな表情を浮かべながら、和泉くんは私の顔を覗き込んでいる。これからのことを考え込んでいて、少し表情が沈んでいたらしい。
「ん、なんでもない。じゃあまた後でねっ」
「え、」
返事を聞く前に彼の髪の毛をくちゃくちゃにかき乱してやって、怯んでいるすきに文芸部室を出た。これ以上和泉くんの前にいると、ボロが出てしまうかもしれない。
本当の私は、和泉くんの思っているような完璧超人じゃないんだから。
久しぶりに、自分の住んでいる地域とは反対の方向へ歩いた。紗凪ちゃん後輩は毎日和泉くんと下校できるから、ちょっと羨ましい。
私の家が和泉くんの家の近くにあればと、何度思ったことか。むしろ彼の家に住んでしまいたい勢いだ。
そういうことを考えていると、いつの間にか和泉くんの家の前についてしまった。彼は普通の家だと言ったけど、やっぱりそばに来ただけで温かみを感じる。
一つ深呼吸をして、インターフォンを鳴らした。もう結乃ちゃんは帰ってきてるだろうか。
しばらく待っても家の中から反応は帰ってこない。もう少しだけ待ってみようかなと思ったら、曲がり角の方から足音が聞こえてきた。やがてその足音の主は私を見つけて、驚いたように目を丸める。
「え、どうしたんですか……? えっと、兄は……」
「いず……結弦くんなら学校で部活してるよ。今日は結乃ちゃんに用事があって一人で来たの」
警戒されているのか、この前より身体が縮こまっていた。大丈夫だよと、微笑んであげる。
「ちょっとだけ、二人で話せないかな。用事があるならまた後日でもいいんだけど」
一も二もなく断られる可能性も考慮していたけど、結乃ちゃんは悩むそぶりを見せてくれた。それから遠慮がちにもう一度こちらを見る。
「えっと、父も母も帰ってくるのが遅いので、家の中でお話ししましょう」
「わかった」
とりあえず話をしたくないほど嫌われてはいないらしい。
私は結乃ちゃんの後をついていきながら、二度目の和泉宅へ入った。




