32.どうでしょう、一矢報いましたか?
休み時間に喉が渇いたから昇降口にある自販機へ向かってみると、そこには珍しい女の子がいた。いや、最近はほぼ毎日会ってるけど、こんな風に休み時間に会うというのが珍しいのだ。彼女はたぶん、和泉くんと同じであまり教室の中から出ない部類の人だから。
だから物珍しさを覚えた私は、周りに人がいないことを確認してから彼女へ近づいた。
「紗凪ちゃん後輩も喉が渇いた感じ?」
「え?」
私に気付いた紗凪ちゃん後輩は、硬化投入口に伸ばしていた手を止めてやや驚いた目をしながらこちらを見た。話しかけられたことに驚いてるみたい。
「あぁ、柳ヶ瀬先輩ですか。すいません……」
「ん、どしたの?」
「あ、いえ。私実はあまり友達がいないので、気さくに話しかけられたことに驚いたんです」
君も友達が少ないんだね。私と同じで苦労する性格をしているから、ちょっと親近感湧いちゃうかも。
でも和泉くんに言わせてみれば、その性格が私たちの良いところって言うんだろうけど。
「じゃあその数少ない友達の有栖さんが、今日はジュースをおごってあげようかな」
「友達というより、先輩は先輩じゃないですか?」
「友情に年齢なんて関係ないのだよ紗凪ちゃん後輩。ほれほれ、何が飲みたい?」
言いながら半ば強引に自販機の前に陣取る。すると彼女は私の目をまっすぐに直視してきた。
もしかして、こういう冗談が苦手な人なのかもしれない。
「あの、一ついいですか」
「ん、なにかな?」
「間違ってたら申し訳ないんですけど、無理して私と仲良くしなくてもいいですよ」
「というと?」
「和泉先輩のために、私と仲良くしてるんじゃないですか?」
鋭いけれど、鋭さのベクトルがちょっと明後日の方向に向いてるな。彼女も和泉くんと同じで、基本的には自分に自信がない人なのかも。
「別に仲良くしなくても、私は部室の中で邪魔したりしませんよ。だから……」
「君も、もっと自分に自信を持ちなさい」
「……はい?」
紗凪ちゃん後輩はきょとんとした表情を浮かべる。その驚き方は和泉くんみたいでちょっと面白い。
「確かに私は和泉くんのために動いてる節が大きいけど、そんな理由で誰かと仲良くしたりしないよ。私が紗凪ちゃん後輩と仲良くしてるのは、和泉くんが君と仲良くしたいと思ってるからなんだ」
「はぁ……えっと、どういうことですか?」
「つまるところ、和泉くんが仲良くしたいと思ってる相手に、きっと悪い人はいないんだよ。うん、きっと。だから有栖さんは、紗凪ちゃん後輩と仲良くしたいんだ」
未だよく分かっていないみたいだけど、よく分かってもらわなくてもいいから財布の中から小銭を取り出して、自販機の硬貨投入口に滑り込ませた。
先手必勝、これで紗凪ちゃん後輩は断ることが出来ない。
「ほらほら選びなよ。先輩は後輩に対して優しいものだからね」
「あの、本当にいいですよ……? 自分で払います」
「え、なになに? アイスココアがいい?」
私の強情さに折れてくれたのかそれとも諦めたのかは知らないけど、一つ小さなため息をついた。それから彼女は自販機の一番右上を指差す。
そこにはまがまがしいイラストがプリントされた、いかにも身体の内側から謎のエネルギーが湧いてきそうな奇妙な飲み物が展示されていた。つまるところ、エナジードリンクだ。
「え、もしかして眠いの?」
「はい、少し」
基本的に彼女は素直だから言葉の内側を探らなくてもいいし、私は接しやすいと思っている。つまり紗凪ちゃん後輩は眠くてやや機嫌が悪いのだ。先ほどから目をしばたたかせながら、眉間にシワがよっている。
だからといって有栖さんは引いたりしないんだけどね。
「紗凪ちゃん後輩のことだから、夜遅くまでペンを走らせてたんじゃない?」
「目的はあってますけど、手段は違います。今どき原稿用紙に手書きなんて人はいませんよ。パソコンを使って打ち込んでました」
「へぇ、有栖さん機械音痴だから羨ましいなぁ。パシパシキーボード打てるの?」
「まあ、それなりに。というか文章打ち込むだけならそんなに操作慣れしてなくても大丈夫ですよ」
「ん、私の家パソコンないんだよね。だから本当に分からないんだよ。やっぱり一端のプロ作家だから、自分のパソコンとか持ってるの?」
その何気ない質問をしたら、彼女は途端に周りをキョロキョロ伺い始めた。突然どうしたのかと思っていると、こちらに近づいて内緒話をするように声を潜めて話しかけてくる。
「あの、作家をやってることは基本的に秘密なので、ぼかして言ってください」
「あ、ごめん。配慮が足りてなかったかも」
「私も言ってなかったので、すいません。パソコンは前まで家族共用のを使ってたんですけど、印税が入ったので自分用のを買いました」
そういえば小説を出したら基本的に印税が入るから、もしかすると普通の高校生より貯金がたくさんあるのかもしれない。だから奢ると言った時に結構遠慮したのかな。
「紗凪ちゃん後輩は生意気だな」
「え、なんのことですか?」
「有栖先輩に奢られて、せいぜい申し訳ない気持ちに浸るといい」
ご注文通りエナジードリンクのボタンを押すと、取り出し口からゴトンという鈍い音が響く。取り出して、紗凪ちゃん後輩に渡してあげた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。というより今更だけど、可愛い女の子がエナジードリンク飲んでるのはちょっと引いちゃうから、みんなの前では極力飲まないほうがいいね」
「別に元から可愛くないのでいいです」
プルタブを開けて、エナジードリンクをゴクゴク飲み始める。本当に可愛くない後輩だ。ちょっといじってあげよう。
「有栖さんは可愛いと思うけどなぁ。ほら、全体的に顔が整ってるし」
「私が言ってるのは外見じゃなくて内面のことです」
「あぁ、たしかに可愛くない性格してるね」
自分で言ったのにやや表情が不機嫌になっているから、本当に可愛くない性格をしている。
「でもまあ、私はそんなめんどくさいところが好きだけどね。可愛くないところが可愛い」
「先輩の言ってることは時々よく分からないです」
「つまり紗凪ちゃん後輩は可愛いってことだよ」
クールで私以上にサバサバしている紗凪ちゃん後輩でも、今の攻撃は少々効いたらしい。エナジードリンクが気管の変な部分に入ったのか、軽くむせていた。
「けほっけほっ! あの、からかってますか……?」
「いたって真面目だよ。可愛いね、紗凪ちゃん後輩」
笑顔を向けてあげると、なんとびっくりしたことに今までツンとしていた彼女が、顔を赤らめながらそっぽを向いた。
和泉くんならオロオロしてごめんなさいと謝るんだろうけど、そんな表情を見せてくれたのが嬉しい有栖さんは自然と頬が緩んでしまう。
やっぱり彼女は可愛い。
ニコニコした表情を浮かべていると、紗凪ちゃん後輩は反撃とばかりに目を細めながらこちらを見た。
「柳ヶ瀬先輩は、和泉先輩のことが好きなんですか? 部活の時、どこからどう見てもそう感じるんですけど」
「ん、好きだよ好き好き。大好き」
「あの、仕返しのつもりだったんですけど……ちょっとびっくりしました。恋愛対象として見てるんですか?」
「恋に恋する乙女な紗凪ちゃん後輩は、やっぱり気になっちゃう?」
「なんですかそれ……もういいです」
唇を尖らせながら向こうを向いた紗凪ちゃん後輩は、両手で大事そうにエナジードリンクを持ちながらちびちびと飲んでいる。
周りの人にもそういう面を見せてあげればいいのに。
「今のところはちょっとだけ恋愛対象として見てるかな。ちょっとって言っても、私、和泉くんに告白されたらコロっと落ちちゃいそうだけど」
「そうですか」
それから彼女はチラと私を見て、迷うように視線をさまよわせた。何か言いたいことがあるのかなと黙っていると、やや視線をそらしながらこちらへ身体を向ける。
相手の目をまっすぐ見られないのは、紗凪ちゃん後輩の癖みたいなものなんだろう。
「柳ヶ瀬先輩は、和泉先輩のことをからかって遊んでるだけかと思ってました。勘違いしててすいません」
「なんでそう思い直したの?」
「先輩って、真面目に話してる時は基本的に『私』って言いますから」
うわ、鋭い。作家というものはみんなこんな風に鋭いものなんだろうか。
「どうでしょう、一矢報いましたか?」
「んー、紗凪ちゃん後輩と話す時はちょっと気をつけなきゃなぁ」
エナジードリンクを飲み終わった紗凪ちゃん後輩は、自販機の横にあるゴミ箱へ近付いて、空き缶を優しく落とした。
普通の人なら投げて放るだろうから、和泉くんの言うように、そういう真面目なところは彼女の良い部分だと思う。
「すいません。奢ってもらって、話にも付き合わせちゃって」
「別にいいよ。クラスメイトと話すより、紗凪ちゃん後輩と話した方がよっぽど楽しいからね」
「楽しいですか?」
「楽しい」
そう言うと同時に、壁に張り付いているスピーカーからチャイムの音が鳴り響いた。チャイムが鳴ったということは授業が始まるということで、つまるところもう遅刻が確定なのである。
私は別にそこまで深く気にしないタイプだけど、紗凪ちゃん後輩は面白いくらい目を丸めて「すいませんっ! 次の先生厳しい人なので、お先に失礼します!」と言い残し、階段の方へと走っていった。
「真面目だなぁ」
そう呟いて、私も和泉くんの待ってる教室へ足を向けた。もちろん遅刻はしたし、先生にも注意を受けた。
和泉くんは遅刻をした私に心配の視線を向けてくれていて、やっぱりこの人は優しいんだと再認識する。そんな彼に、小さなニギニギを送る。
この時間が終われば楽しい楽しい部活だけど、実は今日は欠席することにしているから、和泉くん成分を補給することはできない。
だから授業中は、何度も後ろを振り向き和泉くんを見た。
可愛い可愛い和泉くんは、その度に頬を赤く染めていて、やっぱりとっても可愛いのだ。




