3.一つ確認するけど、君はアホなのか?
「えー、一つ確認するけど、君はアホなのか?」
昼休みの体育館裏。
僕より少しだけ背の低い柳ヶ瀬さんは、両手を腰に当てて呆れたように目を細めていた。
僕といえば、割と柳ヶ瀬さんとの距離が近かったから、緊張して半歩ほど身を引いている。
「ご、ごめん……」
「手紙なんていうめんどくさい方法を使った私も悪いけど、さっきのあれは和泉くんが八割悪いと思うよ絶対」
「ほんとにごめん……」
柳ヶ瀬さんは大きなため息をつく。僕はオロオロへこへこしかできない。
「まあ、辰原のバカの眉根を曲げさせられたから、今回の出来事は大目に見てあげましょう」
言いながら、腰に当てていた手を肩あたりの高さにあげて、やれやれといった風に水平に振る。よかった、許されたみたいだ。
「辰原くんのこと、嫌いなの?」
「逆に聞くけど、私が辰原のことを好きに見える?」
さっきの出来事を思い返した。思い返したくないけど。
辰原くんは全然気づいていなかったけど、柳ヶ瀬さんはすごく怖い顔をしていたのだ。あの顔を見たら、好意的な感情を抱いてはいないんだろうなってことがなんとなくわかる。
「じゃあ、嫌いなんだ」
「んー、嫌いでもないかな」
「えっ、どっちなの?」
「ぶっちゃけ興味ないの」
ぶっちゃけちゃいました。
僕といえば、辰原くんが柳ヶ瀬さんのことを名前で呼んでいたから、ちょっぴり仲がいいのかなって想像してたのに。
「私って、結構クラスメイトたちと仲睦まじく話してるけどさ、ぶっちゃけるとあんまり興味ないんだよね。いい人たちだとは思うけど。たとえば休日とかに遊びに誘われたら、あっそういうのいいですってな感じになっちゃうの」
「え、あ、そうなんだ」
「かといって、そういう態度を表に出してたら色々と面倒ごとに巻き込まれるからさ、みんなとはくっつきすぎず離れたいなっていう距離感を保ってるの」
柳ヶ瀬さんっていつもクラスメイトと楽しげに話してたから、博愛主義者なのかと思ってた。
案外、冷めた人なのかもしれない。
「まあ、そんな自分を直したいとも思うんだけど、やっぱり一度染み付いたら中々直してくのは難しいよね。結局、今のままでもうまくやっていけちゃってるから」
「結構苦労してるんだね」
「そうそう、有栖さんは結構苦労してるの」
だとしたら、先ほどのアレは柳ヶ瀬さんにとって好ましくなかったことなんだろう。彼女は積極的に他人と関わりたくないと思っているから。
「でもそれなら、どうして僕のことを助けてくれたの? 宛先が書いてなかったから、黙っててもよかったよね」
「黙ってたら、昼休みはこんな風に和泉くんとお話ができなくなってたでしょ?」
「柳ヶ瀬さんは、僕のことあんまり興味ないんだよね?」
あれれ。そうだとしたら、どうして柳ヶ瀬さんは僕なんかに声をかけてきたんだろう。消極的な人だったら、別に見つけたライトノベルもそのままにしておけばよかったのに。
いや、僕はとっても感謝してるんだけどね。
「あぁ、ごめんごめん訂正するね。別に、世の中のみんなに興味を示してないってわけじゃないの。有栖さん、和泉くんのことは絶賛気になってるから」
「え、どうして気になってるの?」
至極当然の疑問を投げかけると、柳ヶ瀬さんは微笑みながら人差し指を自分の下唇に当てて、
「ひ・み・つ」
と、可愛らしいアクセントをつけて答えた。
その可愛らしい仕草と、柳ヶ瀬さんに興味を持たれているというダブル波状攻撃のせいで、僕の心臓は破裂しそうなぐらい高鳴っている。
「え、え、」
「私、和泉くんのことが気になってるから、こんな風に話しかけてるんだよ。まあ、最初の一歩はさすがに緊張したけどね」
たぶんそれは、柳ヶ瀬さんにとって失言みたいなものだったんだろう。右手で自分の口元を押さえて「あっ」という声にならない声を漏らしていた。
「え、昨日話しかけてくれたとき、緊張してたの?」
「いや、あれはその、つまりあれだ」
わ、珍しい。柳ヶ瀬さんが僕みたいにしどろもどろするなんて、結構レアケースなんじゃないだろうか。
人差し指で頬をかいて、ちょっと視線が泳いでいる。
僕は場違いにも、可愛いなと思ってしまった。
諦めたのか、柳ヶ瀬さんは肩を落とす。
「誰でも初めての時は緊張するものでしょ? 実は何度か機会を伺ってたけど、話す口実がなかなか見つからなくてさ。そんな時に出てきたのが、ほら、あのライトノベルですよ。有栖さん、もうこれしかないって思ったから、意を決して話しかけてみたの」
柳ヶ瀬さんの中にそんな葛藤があったなんて。僕は教室のホコリみたいな人間だから、気にせずに話しかけてくれればいいのに。
でも僕なんかに興味を持ってくれているなら、期待を裏切らないようにしたほうがいいのかな。そうはいっても、僕に誇れるところなんてないんだけど。
柳ヶ瀬さんは一刻も早く話題を変えたいと思ったのか、持っていた可愛らしいポーチからあるものを取り出した。
「あ、それ」
「実はね、今日呼び出した理由はこれだったりするんだよね」
柳ヶ瀬さんが取り出したのは、僕が昨日オススメした虎とドラゴンというタイトルのライトノベルだった。
まず僕は、本当にすぐに買ってきたんだと少し驚く。
「それ、ほんとに面白いよね。読んだのは中学生の頃だけど、今でもストーリーは全部覚えてるよ。特に一巻のラストなんかは……」
「ちょーっと待った和泉くん!」
また、柳ヶ瀬さんにしては珍しく大声を出したから、僕はびっくりして口をつぐむ。
「私まだ序盤しか読んでないから、ネタバレダメダメ」
右手にライトノベルを持って、指をバツの字に交差させる柳ヶ瀬さん。
「ご、ごめん……」
「ううん、私の方こそ読むの遅くってごめんね。実は全然小説を読まない人だから、有栖さん、ものすっごく読むのが遅いの」
ものすっごくという部分を精一杯溜めていた。
僕も最初は読むのが遅かったから、柳ヶ瀬さんの気持ちはよくわかる。
「ライトノベルって、買うときすごく緊張するよね。昨日オススメしてもらったのは割と普通の表紙だったけど、並べられてたのは頬が赤くなるような小説ばかりだったから」
「ライトノベルは表紙で買う人が多いから、イラストレーターさんもそういうエッチなのを狙って書いてるんだよ。実はタイトルも凝ったのが多くてね、虎とドラゴンはだいぶ昔のラノベだからシンプルなんだけど、最近のはタイトルだけで中身のあらすじがわかるようになってるんだ。たとえば、“僕の青春小説は間違っている”とかなんだけど、これは……」
「へ、へぇ……和泉くんって、ライトノベルに関してすっごく詳しいんだね」
「え、べつにそこまで詳しくはないと思うよ。ネット上には、僕より詳しい人はいっぱいいると思うから」
柳ヶ瀬さんの頬は、またいつかのように少し引きつっていた。またいつかといっても、つい昨日の出来事なんだけど。
あんまり話したことないし。
僕、また何かやらかしたのかな。
「うん、まあ、そういう和泉くんもいいと思う。実は好きなものを精一杯語れる和泉くんのことが、有栖さんはちょっと羨ましかったりするんだよね」
「ぼ、僕なんて教室のホコリみたいな存在だから。柳ヶ瀬さんが羨ましがるところなんて、一つもないよ……?」
柳ヶ瀬さんは体育館裏にやってきた時と同じく、両手を腰に当てて呆れたように目を細めた。
「和泉くん、自己評価低すぎ。有栖さん、ハッキリ物申す人だからキッパリ言わせてもらうけど、私以外の人にそんなこと言ったらドン引きされちゃうよ?」
「柳ヶ瀬さんは、ドン引きしないの?」
「それはそれ、これはこれ」
どれがそれで、どれがこれなんだろう。
「というか僕、妹ぐらいしか仲の良い人いないし……こういうこと、他の誰かに言ったりしないと思う」
「それでも、君はもっと自分に自信を持ちなさい。というか和泉くん、妹いたんだね」
ちょうど話題を変えられそうだったから、僕は乗っかることにする。
「う、うん、そうなんだよ。実は中学三年生で、来年はこっちの高校に入りたいって言ってるんだ。名前は和泉結乃っていってね、僕と違って結構活発な女の子なんだ。全然兄妹っぽくないよね。ははっ、なんか笑えてくる」
「うんうん。和泉くん、まずは自分を卑下するところから直したほうがいいと思う。キツイ言葉になるかもしれないけど、長い目で見ても、そういう癖が生きる場面なんてないと思うから」
僕の大切な妹の話を“うんうん”というたった四文字で流されたことについては、特に何も言及しないでおこう。それにしても、ちょっとは興味を示してくれても良かったのに……
「ごめんね、なんか説教くさくなって」
「あ、ううん。全然気にしてないから」
「そこは少し気にしなさいよ!」
ぺしん!
叩かれたりはしていないけど、柳ヶ瀬さんに頭をチョップされた気がした。僕は反射的に頭を抑える。
「というか、私はこんな話をしたくて和泉くんをここに呼んだわけじゃないんだよね」
「あ、そうだったんだ」
「そうそう、ライトノベルの話がしたかったの。っていうか、和泉くん妹いたんだね」
会話が数秒前まで巻き戻った。
今度こそ妹の素晴らしさを伝えるチャンスだと思い、僕は意気込み息を吸う。
「実は中学三年生で……」
「和泉結乃ちゃんって言うんだよね。和泉くんとは違って活発な女の子なんだぁ。それはちょっと会ってみたいかも」
最初から最後まで聞いてたなら、何かしらの反応を示してくれたってよかったのに……僕は少し悲しくなって、肩を落とす。
「いいねいいね。妹を大切にする和泉くん、ポイント高いと思うよ。やっぱり、ちゃんといいところあるよね。私なんかそういう人が一人もいないから、ちょっと見習いたいぐらい」
口を開けばまた自分を卑下しそうだったから、言葉を飲み込んだ。
「でまあ、ライトノベルの話なんだけど」
来ました。
ライトノベルの話なら、多分全然ついていけると思う。だってほら、僕ってライトノベルについて詳しいらしいし。
いや、そんなに詳しくはないんだけどね。
柳ヶ瀬さんは、困ったようにぎこちなく笑った。
「実はまだ十ページぐらいしか読んでないから、語れるお話が全然ないんだよね。とりあえず買ったよーってことを伝えたかったから、お昼にここに呼んだの。だから用事はもう済んだってことだね」
「あっ、そうなんだ……」
「どしたの和泉くん?そんな肩落として」
「え、ううん……べつに、そんなことないと思う……」
「そう?変な和泉くん」
でも、そういう和泉くんもいいと思う。柳ヶ瀬さんはそう言って、ぎこちなさのかけらもない笑みを浮かべた。
「でもあらすじと最初の挿絵を見てみたけど、とっても面白そうだよね。ヒロインの女の子も可愛いし、帰ってから読むのが楽しみ」
その笑顔があまりに子どもっぽくて、あぁきっとこの人は本心で言っているんだなということがすぐにわかったから、僕は危うく惚れかけたのかもしれない。
クラスの誰よりも大人っぽくて、誰よりも魅力的な人で、誰も寄せ付けたくないと思っている女の子。
そんな子が僕に興味を持ってくれているのは、この上なく嬉しいことなんだけど、僕はその好意を素直に真正面から受けることができない。
「和泉くんと話せるように、頑張って読み進めるね。だから今しばらくの間、お待ちください」
「あ、うん……」
「今日は本当にそれだけだったから、わざわざ昼休みに呼び出したりしてごめんね。久しぶりに、というか初めてかも。初めてお昼休みが待ち遠しいなって思ったよ」
それから柳ヶ瀬さんは手のひらをニギニギさせて、「私と一緒に教室に戻ったら、和泉くんに迷惑がかかるかもしれないし、先に戻るね」と言って去っていった。
そんな些細なことを気遣ってくれるなんて、柳ヶ瀬さんはとっても優しい人だ。
僕は次に柳ヶ瀬さんと話すとき、果たして笑顔で話すことができるのだろうか。無愛想な人だと思われたら、ちょっと悲しい。
とりあえず柳ヶ瀬さんと円滑に会話を広げるために、虎とドラゴンは初めから読み返しておこうと思った。
遅れて教室へ戻ると、友達と机を合わせながら笑顔で話をしている柳ヶ瀬さん。
『私って、結構クラスメイトたちと仲睦まじく話してるけどさ、ぶっちゃけるとあんまり興味ないんだよね。いい人たちだとは思うけど。たとえば休日とかに遊びに誘われたら、あっそういうのいいですってな感じになっちゃうの』
僕の席には、まだ名前を覚えていないクラスメイトの女の子が座っていて、とても戻れるような雰囲気じゃない。もうすぐ四月が終わるから、そろそろクラスメイトの名前ぐらい覚えなきゃなと思った。
ちらりと柳ヶ瀬さんの方へもう一度視線を向けると、タイミングよくそれがぶつかった。とても小さく手のひらをニギニギしてくれて、僕もそれを真似て小さくニギニギする。
僕と柳ヶ瀬さんは、どこかで何かが似ているのかもしれない。
そう考えてしまったのは、やっぱり柳ヶ瀬さんに対して失礼なことなんだと思う。
僕は教室を出て、購買へ向かった。
ちょっと出遅れたけど、惣菜パンが残ってたらいいなと思いながら、購買へ歩いた。
でも結局財布はロッカーのカバンの中に置きっぱなしにしていて、向かったはいいものの買うことができなかった。仕方ないからジュースだけでも買っていこうと思い、昇降口にある自販機へと向かう。
何を買おうかなと数分迷っていちごオレにしようと思い立ち、ポケットの中をまさぐる。
あっ、財布忘れたんだった。
こういうことって、よくあるよね。




