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26.あっ、恋愛小説じゃないんだね……

「もう紗凪ちゃん後輩は文芸部室にいるのかな?」

「どうだろ。もう部室の中にいるのかも」

「部屋の中確認しなかったの?」

「そ、そんな怖いこと出来ないよ……もし気付かれちゃったら、桜庭さんと二人きりになっちゃうし……」


 僕としてはなるべく、柳ヶ瀬さん以外の人と二人きりになるという状況を作りたくない。何を話していいのか分からなくなるし、向こうもそんな僕に何を話していいかわからないだろうから。そういうすれ違いが起きると、何も会話のない気まずい空間が出来上がってしまう。


 その点柳ヶ瀬さんはあまり気遣うことなくズバズバ話しかけてくれるから、基本的に気まずくなるということはない。


 そういう意味では居心地がいいと思っているけど、そもそも僕が何も変われていないから、ただ柳ヶ瀬さんへの申し訳なさが積もる。


「まあ和泉くんが年下の女の子と二人きりで話すのは、まだちょっとハードルが高いかな。結乃ちゃんならともかく」

「そういえば結乃のことなんだけど、あの後、カレー作ってくれてありがとうございます。美味しかったですって伝えておいてって言われたんだよ。結乃とっても喜んでた」

「お、その反応はちょっと期待しちゃっていいのかな? 結乃ちゃん私に心開いてくれちゃった?」

「それはどうだろ……あ、ううん気難しい子じゃなくてね、本当はもっとハツラツとした女の子なんだよ。だから柳ヶ瀬さんのことをちゃんと知ってくれれば、結乃も僕みたいに話しかけてくれると思う……」

「有栖さんのことをちゃんと知ってくれればって、和泉くんにとっての私って結構評価高いんだね。なんか嬉しいなっ」


 にこりと笑う柳ヶ瀬さんが眩しくて、僕は直視することができない。それに彼女の言っていることがほとんど図星だったから、僕の気持ちを知られてしまったのが恥ずかしいと思った。


「と、とりあえず入ろっか。桜庭さんが待ってるかもしれないし……」

「ん、そだね。そうしよっか」


 柳ヶ瀬さんは文芸部室のドアを開く。僕はそのやや後ろから、そっと中をうかがった。


 通常の教室とは違って縦長の長方形の形をしたその部室は、左右にいくつも本棚が置かれている。文庫本や単行本、分厚い辞書や何かの学術書のようなものがビッシリ収められていて、まるで図書室の一角のようだ。中央には縦長の机が置かれていて、その上にいくつか文庫本が散らばっている。


 部室の窓辺で、桜庭さんはパイプ椅子に腰を落ち着かせ本を読んでいた。昨日とは違い赤いふちメガネをかけていて、それがとてもよく似合っている。


 でもその容姿に僕は、デジャブのようなものを感じていた。僕は多分、彼女をどこかで見たことがある。


「お疲れー紗凪ちゃん後輩」

「お疲れ様です。柳ヶ瀬先輩」


 それから桜庭さんは僕を見て、


「お、お疲れ様です、和泉先輩……」

「あ、うん。お疲れ様です……」


 明らかに柳ヶ瀬さんと対応の違いが見えるのは、僕の気のせいなんだろうか。


 それともただ悲観的に考えているだけ?


 しかし僕のことをまっすぐに見てくれなかったというのは、まぎれもない事実。僕も彼女のことをまっすぐ見れなかったけど、向こうも読んでいる小説へとやや視線を落としていた。


 僕らは空いているパイプ椅子に腰を下ろす。隣に座るのは恥ずかしいから一つ分席を空けたのに、それを見てムッとした柳ヶ瀬さんは、わざわざ僕の隣へ移動してきた。一瞬肩が触れ合いビクッとしたのを見逃してはくれなかったようで、僕はくすりと笑われる。


 きっと僕の反応を見て面白がっているんだ。


「亜衣瑠ちゃん、今日は一緒じゃないの?」

「はい。亜衣瑠は演劇部なので、放課後は忙しいんです」

「なるほどなるほど。ちなみに文芸部はどんな活動してるの?」

「活動という活動はしてません。私が入学したのと同時に、先輩方は卒業して顧問の先生も異動したんです。だからどんなことをしてたのか知りません。強いて言えば、空いた時間に本を読むことぐらいですね」


 随分と適当な部活動なんだなと思った。


 でも何もしないというのは僕にとって嬉しいし、柳ヶ瀬さんにとっても嬉しいことなんだと思う。僕はとりあえず、カバンの中に常備してあるライトノベルを取り出した。


「あの、ちょっとお時間をいただいてもよろしいですか」

「時間?」

「実は、少し相談したいことがありまして……」


 そう言った桜庭さんは、僕らの前の席へと移動する。取り出したライトノベルを一度カバンの中へ戻した。


「相談? 和泉くんに対する恋の悩みなら、今すぐに諦めたほうがいいと思うよ。もう私という先客がいるからね」

「ちょ、ちょっと柳ヶ瀬さん……」

「えっと、お二人はもしかして付き合ってるんですか?」

「え、え、え?!」

「和泉くん、亜衣瑠ちゃんの時と反応が同じだね。そんなに私のことが嫌いなんだ?」

「き、嫌いとかそんなんじゃないって!」

「じゃあ大嫌い?」

「それも違うから……」


 恥ずかしいから口には出せないけど、柳ヶ瀬さんには好意をもってるんだと思う。だから嫌いじゃないし、勘違いもされたくない。


 そんな僕の気持ちがグルグルと空回りして、何を言いたいのかさっぱりわからなくなっていた。


「とりあえず和泉くんの話は置いておいて、相談って何かな?」


 僕のことは置いておくんですね。そっちの方が嬉しいからほっと胸を撫で下ろすと、柳ヶ瀬さんはやっぱりくすりと笑った。


 桜庭さんは机の上にある通学カバンから、一冊の本を取り出して僕たちに見せる。


「実は、これなんですけど……」


 それは昨日僕が桜庭さんから貰った、桜の下に埋めた君への想いという小説だ。表紙には桜野凪というサインが書かれている。二つ持っているというのは、本当だったらしい。


「もしかして桜庭さんって、桜野凪さんの身内なのかな」

「いえ身内じゃなくて、桜野凪というのは私のことです」

「……え?」


 唐突に飛び出した桜庭さんの言葉に、僕は文字通り言葉を失った。聞こえたはずの言葉が頭の理解を超えていて、たった一言でパンク寸前になる。


 そうだというのに、柳ヶ瀬さんはいつも通り涼しい顔をしていた。


「ん、まあ気付いてたからそんなに驚かないよ。いや、私たちにそれを話したのはちょっと驚いたけど」

「気付いちゃってましたか」

「え、ええ?! 桜庭さんが、桜野凪さんなの?!」

「おおう。和泉くん驚きすぎじゃない? 有栖さんちょっとびっくりしちゃったよ。というか本当に気付いてなかったんだね」


 え、だって、桜庭さんが桜野凪さんだなんて。え、ええ?!


「えっと、驚かせちゃってすいません……」

「気にしないでいいよ。和泉くんってちょっとオーバーリアクションなところあるから」


 たしかにオーバーリアクションなところがあるけど、そんなに変なのかな……だとしたら、これからは色々と改善した方がいいのかもしれない。柳ヶ瀬さんにキモいと思われていそうだから。


 そんな穏やかではない僕の胸中を知らない彼女は、話を進めてどうぞという風に、桜庭さんへアイコンタクトを送った。


 桜庭さんはなぜかとても言いにくそうに、そして恥ずかしげな表情をしている。


「それで、ずっと学校をお休みしてたことなんですけど、実は家で小説を書いてまして……」

「え?! 新刊出るの?!」

「和泉くんうるさい、ちょっと黙ってて」

「ご、ごめんなさい……」


 オーバーリアクションをやめようと思い立ってすぐに注意されてしまった。これはもうダメなのかもしれないと、ちょっと僕は落ち込む。


「あの、新刊じゃなくてですね。インターネットの小説投稿サイトで商業作家でも応募できる賞があったので、それに応募するための小説を書いてたんです」

「へえそんなのあるんだ。和泉くん知ってた?」

「あ、うん、知ってたよ。作家になろうってサイトだよね」

「はい、そのサイトです。そのサイトに小説を投稿して応募するですけど、実は筆が進まなくて締め切りギリギリまで書いてたんです……」


 がっくしというように、肩を落とす桜庭さん。商業作家だからといって、締め切りに間に合わないという理由で学校を休んでもいいのだろうか。


 いや、たぶんダメなんだと思う。その僕の気持ちを柳ヶ瀬さんは代弁してくれた。


「あんまり強いことは言えないけどさ、ダメだと思うよそれ。あくまで学生なんだから、しっかり学校には登校しなきゃダメだよね。って、有栖さんは柄にもなく注意してみたり」


 確かに柳ヶ瀬さんが注意を促すのは珍しい。僕には日常茶飯事の光景だけど、基本的には相手と積極的に関わることをしないから。


 桜庭さんへ注意をしたのは、同じ文芸部員だからなのだろうか。注意された本人も、その言葉をしっかり受け止めて反省した表情を見せている。


「そうですよね……亜衣瑠にも電話ですごく怒られました……」

「そうそう。出版社? から出されてる締め切りなら百歩譲って仕方ないとは思うけど、賞に出すのは自分の意思だからね。そこのところ、親御さんにも申し訳なかったなって思わなきゃダメだね」

「はい……」

「反省しているならそれでよし。ほら、顔上げなよ。有栖さん、キツいこと言ってるかもだけど、全然全く怒ってないからね」


 そう言った柳ヶ瀬さんは、顔をしかめたりせずにいつも通りの笑顔を浮かべていた。それはクラスメイト用の笑顔じゃなくて、僕に向けてくれるものにちょっと似ている気がする。


「あ、でも桜庭さん、賞は応募出来たんだよね? 学校は休んじゃったけど、そっちは間に合ったんだからよかったじゃん」

「えっと……」

「え、どうしたの?」


 ポジティブな話に持っていこうとしたのに、桜庭さんは頬をかきながら気まずそうな表情を浮かべた。


「えっと、結果的に賞は応募できなかったというか……うっかりしてて、応募用のタグを付け忘れたんです……」

「あ、あぁ……そうなんだ……それは、うっかりだね」


 頑張って書いたのに応募ミスをしてしまったなんて、僕だったら泣いているかもしれない。小説を書いたことがないから、実際のところは分からないけれど。


「紗凪ちゃん後輩、やっぱり深く反省しなさい。今度からはうっかりミスをしないように、余裕を持って書くこと」

「はい……」

「怒ってないからね。ちょっと呆れちゃったけど」


 桜庭さんは真面目でしっかり者のイメージがあったけれど、どうしても無視できない目的があるときは前が見えなくなる性格なのかも。もちろんそこは悪いところじゃなくて、むしろ良いところだ。


 それだけ何かに真剣に打ち込めるということなんだから。


「で、紗凪ちゃん後輩が相談したかったことって、今の賞応募の話でよかったの?」

「あ、いえ。それとは別にというか、今から話すことが本題なんです」


 そう言った桜庭さんは、机の上に置いてあったカバンからクリップで止められたA4の紙の束を取り出した。それをやや恥ずかしげに頬を染めながら、僕と柳ヶ瀬さんの前に一部ずつ置いてくれる。


「うわ、結構分厚いね。なにこれ」

「えっと、賞に応募しそこねた原稿の一部ですね。サイトの方で一応連載を続けることにしたんですけど、あんまり人気が出なくて伸び悩んでるんです」

「なるほどなるほど。ということは、これを読んでアドバイスをしてほしいってことであってる?」

「そんな感じです。生の声を聞いた方が、改善点が見つかると思ったので」

「でも私、読むの遅いよ? 和泉くんに教えてもらったライトノベルぐらいしか読んだことないし。的確なアドバイスもできないと思う」

「感じたことをそのまま教えていただきたいのでそこは大丈夫です。あまり急いでもいませんし、もちろんダメなら断ってくれても結構です」


 断ってくれても結構だと言ったけど、柳ヶ瀬さんは紙の束をペラペラめくって分量の確認を始めた。これがもしクラスメイトからのお願いだったら、当たり障りのない理由を付けて丁寧に断っていたんだと思う。


「ん、まあ頑張ったら二日で読み終わるかな。和泉くんはどう?」

「頑張れば今日中に読み終わると思う」

「おおう、さすが和泉くん。ライトノベル博士だね」

「博士とか、そんなんじゃないと思うよ……」


 そんな風にいつも通りいじられていると、不意に桜庭さんから視線を向けられていることに気付いた。僕のことを、赤フチメガネのレンズ越しに不思議そうな目で見つめている。


「え、えっと、な、なにかな?」

「あ、いえ。仲が良いんだなと思ったんです」

「そ、そうかな……」

「仲が良いのは当然だよ和泉くん。私この学校の中じゃ、一番和泉くんのこと理解してるからね」


 柳ヶ瀬さんの言ったことはおそらく本当のことだから、僕は焦って否定することもできない。


「お二人は子どもの頃から仲が良いんですか?」

「ん、そんなことないよ。私と和泉くん、ついこの間までただのクラスメイトだったし」

「仲良くなったきっかけとかってあるんですか?」

「きっかけというより、私が和泉くんに話しかけたからだね。一方的に彼のことが気になってたから」


 言いながら脇腹を優しく小突いてきて、心臓が大きく跳ねる。これまでにも何度か意味深な言葉を言われたけど、心当たりがないからどうして仲良くしてくれるのか、実のところはよくわかっていない。


「なんか、いいですね。そういうの」

「紗凪ちゃん後輩は気になってる男の子とかいないの?」

「居ないというか、遠い世界の出来事だなって思うんです。そもそも私って、男受けがよくないですし」

「え、なんで。普通に私は可愛いと思うけど。クラスにいるケバい女の子よりかは、ずっと女の子って感じするよ」

「そんなことないですよ。クラスメイトの男子からは、たぶんウザがられてますから。曲がった事とかが許せないので、いろいろと注意しちゃうんです」

「へぇ、結構苦労する性格してるんだね」

「ですよね。治したいんですけど、長年染み付いちゃってるものなので」


 僕は、そんなことはないと思った。


 真面目なところは、素直に誇ってもいいと思う。注意できるのはしっかり相手のことを考えてくれている証拠なんだから。本当にどうでもいい相手なら、そもそもその行いを正そうとしたりはしない。


 そういうことをぼんやり考えてると、僕の鼻腔を柔らかい匂いが通り抜けた。いつの間にか、柳ヶ瀬さんが僕のことを覗き込んでいた。


「和泉くん、どしたの?」

「あ、いや、なんでも……」

「ふぅん」


 値踏みするように僕のことを見ていて、いつも通り恥ずかしさに耐えられなくなった僕は先に顔をそらす。


 というか、僕はここにいてもいいんだろうか。女子トークに気の利いた言葉を投げることができないし、いつも以上に縮こまっている気がする。


 そういうことを考えていたら、桜庭さんが僕へ話題を振ってくれた。


「和泉先輩は、気になってる女の人とか好きな女の人はいないんですか?」

「え、ぼ、僕? いない、かな……いないと思う……」


 なぜか柳ヶ瀬さんに睨まれてしまいました。


 それはそれとして、本人がいる前でそんなこと言えません。


 柳ヶ瀬さんのことが気になってるだなんて、そんなことを伝えてしまった日には、しばらくずっとネタにされていじられるから。


 それに安易に気になっていると伝えるのは、柳ヶ瀬さんに失礼な気がする。僕はしばらくこんな気持ちを抱いたことがなかったし、いろいろなものの整理ができていない。


 この気持ちがどんなところから湧いてくるものなのかも、今の僕は理解できていないんだから。


「あ、私今からちょっと勉強していいかな。今日の数学、ちょっと難しかったから復習しておきたいの」

「構いませんよ。私は静かに本を読んでますから」

「あ、じゃあ僕はせっかくだし桜庭さんの原稿読もうかな……」


 それからは各々の作業に没頭することになった。


 ぱらと一枚紙をめくると、桜庭さんの書いた物語が視界に飛び込んでくる。実は今になっても、桜庭さんが桜野凪さんであることに動揺を隠せていない。


 あの感動的な小説を書いた人が実は高校生で、しかも同じ文芸部員だなんて。こんな偶然あっていいものなんだろうか。


 そして今、その桜野先生の新作を僕は読もうとしている。こんなに幸せなことはない。


 次はどんな物語を紡いでくれるんだろうと期待を寄せながら、僕はタイトルへと目を滑らせた。


『再生魔法でハーレム生活〜古に封印された魔女たちを復活させてしまった件について〜』


 あっ、恋愛小説じゃないんだね……


 予想の斜め上を突き抜けて、少しの間空いた口が塞がらなかったけど、桜庭さんの書いた小説を下校時刻まで読みふけった。


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