21.ぽっと出のヒロインに譲るほど、弱い神経は持ってないから
昇降口で合流した僕らはそのまま校舎を出て、僕の家の方向へ歩き出した。桜庭さんの家は、僕の家の方向にあるらしい。
ということは柳ヶ瀬さんの家とは反対方向だから、帰るときはちょっと大変なのかもしれない。
住宅地の真ん中を僕らは歩く。
柳ヶ瀬さんと美咲さんがやや前を歩き、僕は半歩ほど後ろを歩いている。
「結弦くんは両手に華だな。学園一の美少女である有栖さんと、帰国子女の金髪少女を侍らせるなんて」
「は、侍らせるなんて、そんな……」
「和泉くんの大好きなライトノベルみたいだね。ほら、はーれむ? って言うんじゃないこういうの。虎とドラゴンで読んだよ」
ハーレムではないと思います。だってハーレムっていうのは、複数の女性から恋愛対象として見られるということですから。
少なくとも、僕は柳ヶ瀬さんと美咲さんからは恋愛対象として見られていないと思う。面白いおもちゃ程度に思われてるんじゃないかな。
そう頭では分かっているけど、この現状はやっぱり非日常みたいで、僕はうまく返事をすることができずに俯いてしまう。
「いや、これはハーレムとは言えないんじゃないか?」
「えっ、ハーレムじゃないの?」
「だって、君たちはお付き合いをしているんだろう?」
サラッととんでもないことを美咲さんが口走ったから、僕は開いた口が塞がらない。柳ヶ瀬さんもキョトンと、目を丸めている。
最初に口を開いたのは、僕だった。
「え、え、え?! 僕と柳ヶ瀬さんさんが付き合ってる?! そそそそそんなのありえないから!」
すると何故か柳ヶ瀬さんは、やや目を細めて不機嫌な表情を浮かべた。
「なに和泉くん。そんなに一生懸命否定されると、さすがの有栖さんも落ち込んじゃうんだけど」
「えっ、だって柳ヶ瀬さんと付き合ってるだなんて、そんな……僕なんかと全然釣り合わないし……」
「こら、君は何回言ったらわかるんだ」
いつもの卑屈モードに入った僕を、柳ヶ瀬さんはいつも通りチョップで叩いてきた。僕が軽く頭を押さえると、美咲さんはお腹を抱えて大きな声で笑い出す。
「いや、君たちは面白いね! 本当に仲がいいじゃないか!」
「え、え……」
「でもお付き合いをしていないなら、私が狙っちゃってもいいのかな?」
意味深な笑みを柳ヶ瀬さんへ向ける美咲さん。しかし柳ヶ瀬さんは全く意に介していないようで、いつも通りの涼しい顔を浮かべていた。
いや、涼しい顔というより、挑戦的な笑みを浮かべている。
「私、ぽっと出のヒロインに譲るほど、弱い神経は持ってないから」
「ほう? すごい自信だね」
「私が誰よりも理解してあげられてるからね」
なんの会話をしているのかよく分かっていない僕は、頭の上にいくつもハテナマークが浮かんでいる。何やら不穏な空気が漂っているのかと思ったけど、どうやら違うらしい。
二人ともニヤニヤと笑っていた。
「あ、あの、仲良くしようよ……喧嘩とかダメだからね……?」
「大丈夫大丈夫。私、亜衣瑠さんとはいいお友達になれそうだから」
「私も、有栖さんとはいいお友達になれそうだ」
この人たち、仲がいいのか悪いのかよくわからないな……
そんな風にして歩いていると、美咲さんは普通の一軒家の前で立ち止まった。表札を確認してみると、そこには桜庭という名前が書かれている。
「ここが紗凪の家なんだけど、ちょっと待っててくれ、今呼び出すから」
美咲さんは桜庭さんの家のドアへと近づき、備え付けられているインターホンを押した。ピンポーンという軽快な呼び出し音が響き数秒、しかし返答は返ってこない。
「えっと、いないのかな……?」
「ん、今日は必ずいるはずだよ。多分寝てるんじゃないかな」
そっか寝てるのかあ。風邪ひいてるらしいから、当然といえば当然だけど。
それならお邪魔をしたら悪いし、今日は一旦帰った方がいいのかも。
と思ったけど、美咲さんは制服のポケットからピンク色のスマホを取り出し、画面をタッチし始めた。
「え、寝てるのに起こすのは悪いよ……」
「いいんだいいんだ。学校をサボってる紗凪の方が悪いんだし、結弦くんが気にすることじゃないよ」
え、サボってるって。風邪を引いたんじゃないのかな。
そんなことを考えてたら、美咲さんはスマホを耳に当てた。
「なんか訳ありなのかな?」
「どうだろ……」
やがて通話は繋がったようで、美咲さんは眉をひそめる、
「おい紗凪、さっさと降りてきたまえ。君を心配しているという文芸部の部員が、お見舞いに来ているぞ。は? 今起きた? 化粧をしてない? 知るかそんなの!」
電話越しに大声で叱った美咲さんは、それから一方的に通話を切った。ひそめていた眉を元に戻し、僕らへ笑みを向ける。
「たぶん今すぐ降りてくるから、ちょっとだけ待っててくれ」
「あ、うん……」
美咲さんがそう言ってから、一分も経たないうちに慌ただしく家のドアが開いた。そこから顔だけをひょっこりのぞかせる、長い黒髪の女の子。
僕はその女の子を、どこかで見たような気がする。だけどどこで見たのかが、あまりよく思い出せない。
無意識のうちに彼女のことを見つめてしまっていて、不意にその視線が一瞬だけぶつかった。
一瞬だけというのは、彼女が僕を見た途端に、目を丸めて慌てて視線をそらしたから。
僕、彼女に何かしたんだろうか……?
「紗凪、昨日から新しく文芸部に入った、柳ヶ瀬有栖さんと和泉結弦さんだ」
美咲さんが僕らのことを紹介してくれる。
柳ヶ瀬さんは微笑みながら会釈をして、僕もとりあえず頭を下げる。
桜庭さんは僕らのことを交互に見て、それから美咲さんへと視線を戻した。
「私、聞いてない」
「それは君が学校を休んでいたからだろう?」
「むむ……」
「それに一週間も。一週間も休めば、現状はいくらでも移り変わるだろうさ」
なんだか美咲さんが桜庭さんを責めているように見えて、少しだけ居心地が悪い。友達同士の親密な距離感なんだろうけど、とりあえずこの空気をなんとかして変えたい。
「あ、あの、風邪はもう治ったのかな……?」
「え、風邪……? あ、あぁ……そうでした、私風邪を引いてたんでした。ゲホッゲホッ!」
口元に手を当てて大きな咳をする桜庭さん。心なしか顔が紅潮しているように見えるし、やっぱり風邪が治っていないのかも。
「ご、ごめん。風邪引いてるのに呼び出しちゃって。ゆっくり休んで、早く学校に来られるように……」
「君はアホなのか?」
一瞬柳ヶ瀬さんに言われたのかと思ったけど、違った。そのセリフを放ったのは美咲さんで、僕のことを呆れた目で見ている。
柳ヶ瀬さんはクスクスと笑っていた。
「ね、面白いでしょ和泉くんって」
「面白いというより、天然だろうこれは。今の演技に騙されるのは、彼ぐらいなんじゃないか?」
「え、演技……?」
思わず桜庭さんを見ると、気まずそうに視線をそらされた。もしかして、美咲さんの言う通り本当にサボりなのかな。
「とりあえず、下手な演技はいいから家に上げてくれ。私は歩き疲れた」
「えっ、今部屋の中散らかってるんだけど……」
「せっかく君の嘘を間に受けてお見舞いに来てくれたんだ。部屋を見られるぐらいの辱めは受けろ」
「うぅ……」
あの、そんなに強く言わなくても……
僕が桜庭さんの立場だったら、泣いちゃうかもしれない。いや、泣くだろう。
事実、桜庭さんの目には小さな涙が浮かんでいるんだから。しかし美咲さんは、それほど怒りの表情を浮かべてはいなく、むしろ涼しい顔をしていた。
「私、部屋の綺麗さは気にしないから」
柳ヶ瀬さんが言う。
それがきっかけになったのかは分からないけど、桜庭さんは大きく肩を落としたけど折れてくれた。
「ごめんなさい。心配して見に来てくれたのに、まだパジャマでしかも部屋が散らかっていて」
もっちー先生の言う通り、桜庭さんはとても礼儀の正しい人なんだなと思った。




