20.もしかして和泉くん、ジェラシー感じてるのー?
昼休み、僕らは一年B組の前にいた。
普段は使わない階の、しかもいつもとは違う教室に入るというのだから、僕の心臓はいつにもましてバクバクと鼓動している。
そうだというのに、柳ヶ瀬さんはいつも通りの涼しい顔。もしかして、鋼のメンタルを持ってるんじゃないだろうか。
「じゃ、昼休みも終わっちゃうし、さっさとやっちゃおっか」
そう言ってから、柳ヶ瀬さんはB組のドアに手をかける。僕はそれを静止した。
「ま、待って。まだ心の準備が……」
「和泉くんの心の準備を気長に待ってると、昼休み終わっちゃうんじゃないかな」
確かに。
というか昼休みが終わったとしても、この心臓の鼓動が止むことはないと思う。先延ばしにすればするほど、こういうのは踏ん切りがつかなくなるんだ。
そういうことを柳ヶ瀬さんは理解しているから、ちょっと厳しめの言葉を投げかけてくれたのかもしれない。
「でもまあ、一回深呼吸しなよ。落ち着くよ?」
「あ、うん」
僕は大きく息を吸った。
あれ、深呼吸って先に息を吐き出すんだっけ?
柳ヶ瀬さんは僕が息を吸っている隙に、B組のドアを開け始めた。
「こんにちはー! 美咲亜衣留ちゃんって女の子いますかー?」
「ゲホッ! ゲホッ!」
僕は思わず大きな声でむせてしまう。
深呼吸しなよと言ったのに、終わる前にドアを開くなんて……
そんな僕を見て、柳ヶ瀬さんはにっこり笑っていた。確かに少し落ち着いたかもしれないけど、荒療治にもほどがある気がする。
教室の中は、少しだけざわついていた。
ところどころで「あの綺麗な人だれ?」「やっべ、超美人」「あれだよあれ、二年の柳ヶ瀬有栖さん。すごい美人の」などの賛美の声が上がっている。
最近一緒に行動することが多いから感覚が麻痺してきているけど、彼女はやっぱりすごい人なのだ。
容姿だけじゃなく、誰に対しても分け隔てなく接しているから、学年を超えて尊敬されているんだろう。
やがて、金髪の長い髪をした女の子がこちらへトコトコ歩いてくる。背は少しだけ低いけど、第一印象だけでハツラツとした女の子なんだということがわかった。
上級生が相手なのに、僕みたいに動揺していない。舞台役者のようにしっかりとしていて、遅れて彼女は演劇部に入っているんだということを思い出す。
そして僕は、美咲亜衣瑠という少女と初対面じゃないということを知った。
彼女も僕のことを覚えていたのか、少しだけ低い位置から大きな目を丸めた。
「君は確か、入学式の日に私に道を教えてくれたよね?」
「え、和泉くん、美咲さんと知り合いなの?」
「え、あ、知り合いというか……」
「入学式の日に宮水学園への道が分からなくなってね、そんな時にこの人と出会ったんだよ。お礼が言いたかったんだけど、あれから一度も会うことがなかったから困ってたんだ。ありがとう」
たぶん一度も会わなかったのは、僕があまり教室から出ないからだと思います。それに下級生の教室に行くことは基本的にないからね。
「あ、えっと……当然のことをしただけだから……」
「当然のことと言っても、この髪の色を見たら少しは敬遠するだろう?君はそんなに英語の自信があったのかい?」
英語の自信はなかったです。だけど声をかけたのは、美咲さんが宮水の制服を着ていたから。
辺りをキョロキョロと見渡して困っていたから、きっと迷子なんだと思ったんだ。それなら僕も宮水の生徒だし、別に英語を使えなくてもカタコトの英語で案内は出来ると思った。
結果的に、美咲さんはすごく日本語が上手で、そんな心配は本当に杞憂だった。
「へー和泉くん、英語得意なんだね。グローバルー」
「い、いや、英語は得意じゃないよ? 国語の方が得意かな……」
「まあ確かに、君はお世辞にも英語が得意だとは言えなかったね。助けてもらったのに、思わず吹き出してしまいそうだったよ」
「和泉くん、なんて言ったの?有栖さん興味あるなー」
「いや、もはや英語でもなかったね。外国の人が話すカタコトの日本語みたいに話しかけられたよ。思わず彼は日本人じゃないのかと勘ぐってしまったくらいだ」
美咲さんと柳ヶ瀬さんは二人して笑い始めた。やめてください、僕の過去の失態を掘り返さないでください!
僕はいつの間にか、耳まで熱くなっていた。
そしてひとしきり笑った美咲さんは、目元にたまった笑い涙を拭きながら、僕へと謝る。
「いやいや悪かった。あの日の君があまりに面白かったからつい。感謝しているのは本当なんだ。それと、敬語を使わないのも許してくれ。海外生活が長かったから、敬語に慣れてないんだ」
美咲さんって帰国子女なんだ。
なんというか、少し幼い容姿とその喋り方は、やっぱり最初は違和感がある。
僕は今まで先輩や後輩という人種と関わることがなかったから、敬語を使われなくても全然いいんだけど。
「ところで、私に何の用だい? 有名人の柳ヶ瀬有栖さんと、恩人である和泉結弦くんが同時に押しかけてくるなんて」
やっぱり、柳ヶ瀬さんは有名人なんだ。
「実は、もっちー……望月先生から聞いたんだけど、桜庭さんが一週間学校を休んでるみたいなんだよね。私たち文芸部に入ったから、部員としてお見舞いに行こうと思ってるの。それを先生に伝えたら、仲の良い美咲さんを当たってくれって」
「ほう、君たちは文芸部に入ったのか。それで、紗凪のお見舞いに行きたいと?」
「そうそう、和泉くんがすっごい心配してるの」
突然名前を使われた僕と、美咲さんの目がぶつかる。慌てて目をそらしてしまったから、変な人だと思われたかもしれない。
いや、もう出会いの時点で変な人だと思われてるんだろうけど。
「君は、紗凪と会ったことがあるのかい?」
「え、桜庭さんと? たぶん、一度も会ったことないけど……」
「それでも、君は気になるのか?」
もともとお見舞いに行こうと提案したのは柳ヶ瀬さんだけど、心配していたのは事実だ。だから僕は、頷くことで肯定を示す。
すると美咲さんは、腕を組みながらうつむき、何やら考えごとを始める。やがて結論がまとまったのか、顔を上げた。
「君には借りがあるからな。まあ借りがなくても、今回の場合は了承したと思うが。あのアホには、私もそろそろひとこと言いたかったところだ」
「あほ?」
「気にするな、こっちの話だから」
美咲さんはにこりと笑う。
ということは、了承してくれたんだろうか。あまりにもあっさりとしているから、思わず拍子抜けしてしまう。
「突然知らない先輩が家にやってきたら紗凪も驚くだろうから、私の立会いのもとになるけど、それでもいいかな?」
「おっけー、それでいいよ」
「それじゃあ、放課後は昇降口に集合ということで」
気のせいかもしれないけど、柳ヶ瀬さんが普段通りに話せている気がする。もしかすると、美咲さんに興味を示しているのかな?
それはそれで、なんだか複雑な気がする……
飼っている犬が他の誰かに懐いているのを見てイライラするというより、飼い主が他の飼い主と仲良くしているのがイライラするといった感じだ。
といっても僕は犬なんかじゃないんだけど……
僕は何を考えてるんだろう。
しかしなんとなく腑に落ちなかった僕は、美咲さんと別れて教室に戻っている時に、さりげなく聞いてみることにした。
「美咲さんと、僕と話してる時みたいに普通に話せてたよね」
すると柳ヶ瀬さんは、口元をニヤリと歪めた。
「なに? もしかして和泉くん、ジェラシー感じてるのー?」
「そ、そんなんじゃないって!」
「ほんとかなー?」
ニヤニヤと笑う柳ヶ瀬さん。
結局その真意を聞く前に、僕らのクラスに着いてしまった。僕は、美咲さんに嫉妬しているのだろうか。
こういう感情は初めてだったから、僕には理解することができなかった。




