14.へぇ、和泉くんやるじゃん。おっとこのこー
メイド喫茶の内装は普通の喫茶店とあまり変わりがなく、一番変わっていることといえば店員がメイド服を着ているということぐらいだった。
そのメイド服は今流行りのミニスカではなく、足首のあたりまで伸びたロングスカート。
僕はミニスカートよりロングスカートの方が好きだったから、余計に緊張感が増してきた。
男だというのに、やや柳ヶ瀬さんの後ろへ隠れる。そうしていると、髪の長い清楚さを身にまとったメイドさんが笑顔を貼り付けてこちらへ歩いてきた。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
え、え、おかえりなさいませ……?
そういえば、メイド喫茶ではおかえりなさいませが挨拶だと、ライトノベルで読んだことがある気がする。僕の姉がこんなに清楚なわけがない、っていうライトノベルでも、メイドさんがおかえりなさいませと言っていたような……
「おーう、ただいま帰ったよ!」
柳ヶ瀬さんはいつにも増してノリノリで、僕はちょっと恥ずかしかった。でも柳ヶ瀬さんが喜んでくれるなら、少しの恥ずかしさは我慢できると思う。
僕らは、空いていた端っこの席をメイドさんに案内される。
「今日一日、ご主人様の奉仕をさせていただきます。気軽にメリルと呼んでください」
メリルさんは二人ぶんの名刺を取り出し、僕らに手渡してくれた。なんというか、周りで奉仕しているメイドさんたちは今風のキャピキャピした印象を受けるのに、メリルさんは本物のメイドさんみたいに落ち着きがある。
「今日はお二人でデートですか?」
「そうなんですよ。実は、彼にライトノベルをオススメしてもらおうと思って」
「お二人はとっても仲がよろしいんですね」
メリルさんはこちらへ営業スマイルを向けてくれて、反射的に視線をそらす。
そらした先には柳ヶ瀬さんの笑顔があって、最終的に机の上に視線を落とした。
「彼、ちょっと照れ屋なところがあるんです。気分を害してしまったらすいません」
「いえいえ、初々しくてとってもかわいいと思いますよ」
「ですよね。ちょっと卑屈になる時があるんですけど、こういう時はかわいいんです」
女性二人に可愛いと言われるのは、男としてどうなんだろう。どうせならかっこいいって言われたいけど、かっこいい部分なんて一つもないから一生言われないんだろうな。
うん、こういう卑屈になるところがまずダメなんだと思う。
メリルさんはそれから、メニュー表とお水を僕らの前に用意してくれた。
「当店のオプションとして、お客様をお呼びする際の呼称をお決めすることができるのですが、何かご希望などはありますか?」
「あ、じゃあ私有栖様でお願いします」
「かしこまりました、有栖様」
柳ヶ瀬さんが様付けで呼ばれていると、本当にお嬢様なんじゃないかと錯覚する。実際容姿は完璧すぎるほどに完璧だし、仕草ひとつとっても育ちの良さが垣間見える。
友達のいない僕が掴んだ情報によると、柳ヶ瀬さんの家は大きな一軒家だという噂がある。実際に柳ヶ瀬さんのお家を見たことがある人は、あんまりいないんだろうけど。
だって彼女は、なるべくクラスメイトと親密になりすぎないように気をつけているんだから。
そんなことを考えていると、二人の美人さんに顔を覗き込まれていた。
「お客様はどうなされますか?」
「あ、え、えっと……じゃあ普通にお客様で……」
「和泉くん、面白くない」
ピシャリと柳ヶ瀬さんに指摘されてしまう。
少し頬をぷくりと膨らませていた。
「私はもっと、和泉くんが慌てふためくところを見たいんだよ」
「え、別にいいよ、そんなの」
「というわけでメリルさん、どんなオプションを選択するお客様が多いですか?」
聞いちゃいなかった。
メリルさんも面白がって、オプションをずらずらと並び立てる。
「普通に名前でお呼びしたり、〇〇様、〇〇ちゃん、〇〇くん、お兄さん、お兄ちゃん、にいに、旦那様などがありますね。一風変わった呼称だと、豚やクズなどがありました」
最後の方はきっと空耳なんだと思う。さすがに僕にそんな性癖はないし、多分メリルさんに言われたら落ち込むだろうな。
柳ヶ瀬さんはメリルさんの教えてくれたオプションを聞き、わりと真剣になって考えていた。先ほどのアニマイトでペンケースを見定めている時みたいに、真剣な表情。
僕としてはこんな場面で真剣にならなくても……と考えている。
「お兄ちゃんと呼ぶのはどうでしょう? 当店では一番人気のある呼称ですね」
「あ、それいいです。それにしましょう」
「和泉くんって妹さんがいるらしいんですよね。だからたぶん、呼ばれ慣れてます」
バレてました。
全力で乗っかったのに。
メリルさんはいいことを思いついた、というように人差し指を上に立てる。それは柳ヶ瀬さんの仕草にも似ていて、少し嫌な予感がした。
「では、あだ名で呼ぶというのはどうでしょう。男の子はグッとくるらしいですよ?」
「いいですね、それにしましょう。和泉くんの名前は和泉結弦くんだから……」
正直、柳ヶ瀬さんに僕の下の名前を覚えられていたことに驚いた。
出席を取る時だって名字しか呼ばないし、僕は下の名前で呼ばれることなんてないし、知る機会があったとすれば、学年初めに黒板に張り出された座席の位置が書かれた紙だけだ。
いや、それ以外にもあるんだろうけど。たとえば教員が持ってる出席名簿とか。
でもそれは自分が能動的にならないと確認できないもので、だからこそ柳ヶ瀬さんが覚えてくれていたことが、素直に嬉しかった。
僕は、モブみたいな存在だから。
でもそんな嬉しさの感情は、メリルさんの言葉によってほぼ全てがかき消えてしまう。
口の中が、カラカラに乾いていった。
「ゆずくん、というのはどうでしょうか」
僕は視線を落とす。
それは恥ずかしかったからとか、照れくさかったからとか、そういう類のものではない。
僕の胸は不自然なほどにバクバクと拍動していて、足が地についていないような喪失感にとらわれる。
『ゆずくん』
記憶の底に沈めたはずの彼女の声が、不意に浮かび上がってきた。
大きなポニーテール。ひらひらと揺れる茶色いリボン。
僕の前から、いなくなった……
「すいません、やっぱり普通に結弦くんでお願いしていいですか?」
柳ヶ瀬さんの言葉で僕は正気に戻る。
彼女はメリルさんの方へ視線を向けていて、メリルさんは「かしこまりました」と言って微笑んでいた。
だいぶ遅れて、メリルさんに伝えるために発した言葉だけど、柳ヶ瀬さんが名前で呼んだことに気が付く。いつもは和泉くんと呼ばれていたから、それはそれで不自然に鼓動が早くなった。
柳ヶ瀬さんは間を空けたりせずにメニューを開いて、それから僕の方を見る。
「和泉くんは、甘いものとか好き?」
「……へ?」
「だから、甘いもの。有栖さんは、イチゴパフェが食べたいんだけど。疲れた時には甘いものに限るからね」
「じゃ、じゃあ僕もそれで……」
「へいかしこまりいー」
ラーメン屋の店主みたいな応答をした柳ヶ瀬さんは、二人分のパフェをメリルさんに注文してくれた。メリルさんは営業スマイルを見せて、「有栖様、結弦くん、少々お待ちくださいね」と言って店の奥へと歩いていった。
なんとなく、張り詰めていた糸が緩んだ気がする。
柳ヶ瀬さんは、僕の位置からやや遠くにあったお水を手に取りやすい場所まで移動してくれて、飲むように促してくる。
ちょうど喉がカラカラに乾いていたから、その水を口の中に含むと少しだけ気持ちが落ち着いた気がした。
そしてだいぶ遅れて、柳ヶ瀬さんが気を回してくれたんだということに気付く。
「どう、落ち着いた?」
「あ、うん……」
「ならよし」
柳ヶ瀬さんも目の前のお水を飲んで、それからメイドさんがせっせと歩き回る喫茶店の中を見渡した。
「メイド服って可愛いよね。私も一度着てみたいな」
「うん……」
「着物もいいと思うけどね、やっぱりメイド服にはメイド服の良さがあるね。背中のリボンとか、可愛いから好きだなー」
「うん……」
「和泉くんは、メイド服好き?」
「うん……」
「じゃあ私のことは?」
「……えっ?」
聞き返すと、足をつま先で優しく蹴られた。柳ヶ瀬さんはいつものように、やや呆れたように目を細めている。
「そこは普通に頷いときなさいよ」
「ごめん……」
「謝る必要はない」
柳ヶ瀬さんは再び水を口に含み、自分のコップの水がなくなったから、残っていた僕の水にも手を伸ばした。一応目配せをして確認を取ってきたから、僕は頷く。
普通に間接キスだったから、少し顔が熱くなった。柳ヶ瀬さんは全然気にしてないみたいだから、僕も平常を装う。
やがて水を飲み終わって、こっぷを机の上に置いた。
それから僕を見て、
「なんかあったの?」
「ううん、なにも……」
「なにもない、か」
僕の返した言葉をもう一度呟いた柳ヶ瀬さんは、おそらくその言葉を胸の内側に閉まってくれた。
彼女ほど察しのいい人なら、なにもないはずがないということには気付いているだろうから。
僕は暗に、なにも聞かないでほしいと牽制したのだ。
「うん。そういうの、あるよね。有栖さんは別に気にしてないから、和泉くんも気に病むことないよ」
柳ヶ瀬さんの優しさが胸に染みる。
やっぱり僕は、柳ヶ瀬さんみたいな人になりたいと思った。柳ヶ瀬さんのように社交的な人なら、こんな風にうずうず悩んだりもしないだろうし、もっと明るく話せる気がする。
そんな柳ヶ瀬さんは、少しだけ困ったように笑った。
「ねえ、一つだけ聞かせて。私って、少し強引だったかな」
僕は今日一日の出来事を振り返る。
強引にエスコートを任され、強引にペンケースをお互いにプレゼントすることになって、強引にメイド喫茶へ連れて行かれて、強引に呼び名を決められてしまった。
お世辞にも強引じゃなかったよ、なんてことは言えるはずもないし、柳ヶ瀬さんも分かっててそれを聞いたんだと思う。柳ヶ瀬さんは、僕の反応を見ていつも楽しんでいるから。
でも、僕は……
「楽しかったよ」
それは嘘偽らざる本心で、隠す必要なんてない。少しでも言い方を間違えれば柳ヶ瀬さんのことを傷つけてしまいそうだったから、いつにも増して真剣に、はっきりと答えた。
いろんなことがあったけど、楽しかったんだ。
それは柳ヶ瀬さんが買ってくれたペンケースが証明してくれている。それが僕の近くにあるという些細な事実が、どうしようもないほど心の内側を温めてくれた。
「そっか」
安心したように柳ヶ瀬さんは呟く。
「それなら、よかった」
願わくば、柳ヶ瀬さんも同じ気持ちでいてほしいなと、少し押し付けがましいかもしれないけれど、そう思った。
それから僕らはパフェを食べてメイド喫茶を出る。
もう一度アニマイトの中をぶらぶら回っていたら、いつの間にか日が暮れ始める時間になっていた。駅からバスに乗って学校の方角へと戻り、特に取り決めもなく歩いていたら、先に僕の家の前に着いてしまった。
「あ、僕の家ここなんだよね」
「そうなんだ。じゃ、ここで今日はお別れだね」
柳ヶ瀬さんは、右手を上げてニギニギしようとする。
「待って、家まで送ってくよ」
「え?」
上がりかけた手は中途半端に止まり、行き場を失う。柳ヶ瀬さんは少し目を丸めていた。
「送ってくれるの?」
「あ、うん……日が暮れたら危ないだろうし」
僕がそばにいても危ないものは危ないだろうけど、こういうのは男の子の務めだと思う。ライトノベルなんかでも、デートの後は男の子が家まで送っていたし。
「へぇ、和泉くんやるじゃん。おっとこのこー」
「と、当然のことだから」
「んー、でもいいかな。あ、和泉くんに送ってほしくないってわけじゃなくてね、あんまり遅くなるとご両親が心配すると思うの」
「両親は、帰ってくるの遅いから」
「あぁ、そうなんだ」
なにを考えているのか、柳ヶ瀬さんは二、三度思案するように頷いて、それからもう一度僕を見た。
「じゃあ、学校まででいいかな。私の家、学校を挟んで和泉くんの家から反対方向なの。そんなところまで来ちゃったら、和泉くんも疲れちゃうと思うし」
ここが妥協点だなと思った。
あんまりしつこく送るよと言ったらめんどくさがられそうだし、そもそも僕のキャラじゃない。
「じゃあ、そうしようかな」
「うん、ありがとね、和泉くん」
柳ヶ瀬はニコリと微笑んで、僕もようやくぎこちないかもしれないけど微笑むことができた。当初の約束通り学校まで送り、短い会話を交わして今日は別れる。
最後は色々あったけど、良いデートだったと思う。初めてにしては上出来だったんじゃないかな。
柳ヶ瀬さんは楽しんでくれてたみたいだし、こんな時ぐらいポジティブでいよう。
うん、今日は楽しかった。
家に帰ってまず、僕は結乃にものすごく心配された。休日は家に引きこもってるお兄ちゃんが、どうしてこんなに遅くまで出歩いてるの?!
とてもひどい物言いだったけど、普段の僕がそうなんだから仕方ない。
結乃にもいずれ柳ヶ瀬さんのことを知ってほしかったし、柳ヶ瀬さんにも結乃のことを知ってほしかったから、包み隠さず今日のことをすべて話した。
もちろんペンケースのことも話したら、今日の結乃はいつもみたいにおかしくなったりせず、しっかりと頷きながら聞いてくれた。
そして最後に、
「その柳ヶ瀬有栖さんって人、機会があったらお家に連れてきて。妹、一度会って話がしたいから」
「うん、わかった」
機会があれば、誘ってみよう。柳ヶ瀬さんならきっと喜んでくれるはずだ。だって結乃と話したいって言っていたんだし。
今日は僕が夕食の当番で、野菜とお肉を炒めたり、冷蔵庫にあった豆腐を用意した。結乃はいつも通り美味しい美味しいと言ってくれて、心が和む。
そのようにして、少し忙しい休日は終わりを迎えた。
僕はその日の夢の中で、久留島胡桃と出会っていたのかもしれない。
次の日の昼休み、購買でパンを買うべく並んでいたら、突然構内に呼び出しの放送がかかった。普段なら適当に聞き流すんだけど、今日はそちらへ意識が注がれる。
『二年C組の和泉結弦さん、二年C組の柳ヶ瀬有栖さんは、職員室へお越しください』




