13.これは、例えばの話なんだけど
様々なレーベルの本が、所狭しに並べられている本棚の前へやってきた。柳ヶ瀬さんは、まず最初に平積みされている書籍を手に取る。
表紙には、小学生ぐらいの可愛い女の子が真っ白な水着を着て写っていた。
柳ヶ瀬さんは一切こちらを見たりせずに、そのライトノベルの表紙に目線を落としたまま、
「これは、例えばの話なんだけど」
と前置きした。
その次に放たれる言葉がなんとなく予想できていた僕は、思わず唾を飲み込む。暑くもないのに、不自然に汗が流れてきた。
「和泉くんは、例えばこういう本も読んだりするのかな?」
「え、あ、う、うん……」
「じゃあこの本も、実は持ってるとか?」
「うん……」
嘘をついてもすぐにバレると思ったから、僕は正直に答えた。
そのライトノベルは、一巻が発売されてからずっと発売日に追いかけてます。
柳ヶ瀬さんは、少なからず軽蔑の目を向けるかと思われたけど、違った。その頬には笑みが浮かんでいる。
「和泉くんって、素直なんだね」
「だ、だって、嘘ついてもバレるだろうし。嘘ついたら、嫌われるかもしれないし……」
「別に嫌ったりしないけどなぁ。私が和泉くんの立場だったら、むしろ積極的に隠すと思うし」
えっ、それなら買ってないって言った方がよかったのかな。さっきの発言を曲解されたら、僕が小児性愛者だと勘違いされても不思議じゃない。
僕は慌てて、そのライトノベルの説明をしてあげる。
「そ、それはね、表紙がそんな感じのエロいやつなんだけどね、実は内容は真面目なスポコンなんだよ。小学生がバスケを通して成長していく話なんだけど、普通に泣けるしアニメ化だってしてるよ?だ、だから全然おかしくなんてないと思う……」
「うんうん、私は読んでないからわかんないけど、和泉くんがおかしくないっていうなら、おかしくないと思うよ」
そう言って柳ヶ瀬さんは、そのえっちいライトノベルを、平積みされている場所へ戻した。僕は彼女がちゃんと理解のある人で、心底安心する。
これがもし別の誰かだったら、「うわ、マジないわ。和泉くんもう近寄らないで。ていうか息しないで」って言われてたかもしれない。
事実、茶の間でそのライトノベルを読んでいたら、結乃に「お兄ちゃん、ライトノベル読むのはいいんだけどね、それは妹の前で読まないで? というか出来れば部屋の中から出さない方がいいと思う」と忠告されたからね。
柳ヶ瀬さんは、下唇に人差し指を当てて、嬉しそうに微笑んだ。もしかするとその仕草は、柳ヶ瀬さんの癖なのかもしれない。
「でも有栖さん、ちょーっと安心したよね。和泉くんって、エッチな本に興味ないのかなって思ってたから。やっぱり和泉くんも男の子だね」
僕は恥ずかしさで何も言えずに俯く。
そんな僕を見て柳ヶ瀬さんはくすくすと笑い、余計に恥ずかしさが積もる。僕の反応を見て遊んでいるんだ。
僕は彼女の頬を染めさせる方法を知らないから、反抗もできない。
それから柳ヶ瀬さんは、虎とドラゴンの二巻と三巻をカゴの中へ入れた。僕のオススメしたものを目の前で買ってくれるのは、やっぱり嬉しいな。
「あ、このライトノベルの表紙いいね」
柳ヶ瀬さんがそんなことを呟いて、平積みされていた本を手に取った。その表紙には無数の桜の花びらが散りばめられていて、桜の木の前で男の子と女の子が向かい合っている。
女の子は涙を流していて、男の子は便箋を手に持っている。
実はこの表紙、すごいネタバレなんだよね。初見だったら全然わかんないんだけど、読み終わったらなるほどと思う感じの。
僕は偶然にもその本の内容を知っていて、実はすごく大好きだったりする。タイトルは今時のライトノベルに比べてとてもシンプル。
桜の下に埋めた君への想い。
作者は桜野凪。
「こういう系の小説も、和泉くんは読んだりするの?」
「すごい大好きな小説だよ」
「へぇ、じゃあこれも買おっと」
言いながら、柳ヶ瀬さんはなんの躊躇もなくその本をカゴの中へと放り込んだ。中にはにゃーこ先生のペンケースとライトノベルが三冊。
「そんなに軽くていいの……? お金とか大丈夫?」
ペンケースは僕がプレゼントするけど、それでも柳ヶ瀬さんの出費は大きいと思う。
オススメしたものは僕が払ってもいいんだけど、たぶんそう主張してもひらりとかわされるだけだから、提案することははばかられる。
「お金なら大丈夫かな。有栖さん、クラスメイトとは必要最低限しか遊んでないし、正直溜まる一方だったんだよね。あと君はどうせ、僕がオススメしない方がいいのかも……って思ってるんだろうけど、全然気にしないでね。和泉くんの好きなものは私も読んでみたいし、有栖さんは和泉くんのことが知りたいんだ」
言論封殺。
柳ヶ瀬さんがそこまで言うなら、本当に余計な心配はしなくていいのかもしれない。そもそも桜野凪の小説は、わりと万人受けすると思っているから、途中で投げたりはしないと思う。
むしろ、こういうライトノベルもあるんだという新たな学びになってくれるかもしれない。
「このライトノベルは、この一冊しかないのかな? 虎とドラゴンは十巻まであるらしいけど」
「その小説は一巻で完結なんだよ。だから読みやすくていいと思う」
「ふーん。そういえば、すごい大好きな小説だっていう割には、あんまり内容話したりしないんだね。もしかして、疲れてきちゃったかな?」
やや上目遣いで、柳ヶ瀬さんは僕の体調をうかがってくる。僕といえば、あまり寝てないというのにすこぶる体調が良かったから、その心配は本当に杞憂だった。
柳ヶ瀬さんと話していたら、いつの間にか元気になっていたのだ。
「あ、あのね。本当に大好きな小説だから、あんまり事前情報を仕入れずに読んで欲しいんだよ。その方が面白いと思うし……」
「ひうんっ!」
「?」
どこからか悲鳴ともつかないような可愛らしい声が聞こえてきて、一瞬柳ヶ瀬さんが発したものなのかなと思った。だけど柳ヶ瀬さんは涼しい顔をしていて、カゴの中へ入れた小説に目を落としている。
あまり気にしないでおこう。
「へぇ、そんなに面白いんだ」
「お、面白いよ。ちょっとあらすじ読んでみたら?」
「お、そうだねぇ。えーとなになに? ある朝、アパートの前に記憶喪失の女の子が倒れていて……」
柳ヶ瀬さんがそれを読んでいる間、僕はそれとなく辺りを見渡してみる。
大きいお兄さんや、大学生ぐらいの男性、そして柳ヶ瀬さんの少し後ろに、紺色のパーカーを着てツバのある帽子を被り、赤いふちメガネをかけた女の子が立っていた。
ライトノベルを開いて目を落としているから、きっと試し読みをしているんだろう。どこかで見たことがあるような気もするんだけど、たぶん気のせいだ。
その女の子はチラチラと左右に視線を泳がせていて、一瞬僕と視線がぶつかった。一瞬というのは、僕が慌てて視線をそらしたからだ。
もしかしたら視姦されていると勘違いされるかもしれないし……いや、そんなことするわけないんだけどね。
そもそも目を合わせるのが苦手だからすぐにそらしました、ごめんなさい。
あとその女の子がとても可愛かったから、という邪な理由もあります。
やがて柳ヶ瀬さんはあらすじを読み終わり、
「すごく面白そうだね」
「すっごく面白いよ。実はそれ、桜野凪先生のデビュー作なんだ。もう買い支えてあげなきゃって思ったから、初めて観賞用にもう一冊買っちゃったよ」
「すごいじゃん和泉くん。桜野凪先生の大ファンだね」
「大ファンっていうのかな……いや、ほんとに大好きなんだけどね。なんというか、たぶん僕より好きな人はいくらでもいると思うし、むしろ僕なんかが……いでっ!」
自己嫌悪の方向にひた走りそうになっていたら、柳ヶ瀬さんに脳天をチョップされてしまった。いでっ! とか言ったけど、正直とても優しかったので痛くないです。
柳ヶ瀬さんはきっと腰に手を添えたいんだろうけど、右手にカゴを持っているから呆れた目だけを僕にむけました。
「有栖さんの言いたいこと、わかるよね?」
「う、うん。とってもよくわかります……」
「もう少し自分に自信を持ちましょう」
うん。今のはちょっと、失敗したなと思う。
読書用と観賞用に買うぐらい好きなんだから、大ファンだって自称してもいいんだ。
「実はファンレターも書いたんだよ。とっても面白かったから、その気持ちを伝えたくて」
「和泉くんにしては、すっごく行動的だね」
「だって読んでる時に泣いちゃったし……うん、柳ヶ瀬さんも絶対読んだ方がいいと思う。
そういう話をしていると、柳ヶ瀬さんの後ろにいた女の子は持っていたライトノベルを棚へと戻し……僕のことをチラと見た。
視線がぶつかる。
不意のことでそらすことができなかった僕は、そのまま固まったように見つめてしまい、先に彼女から慌てて視線をそらした。
どこか慌てているようで、なぜか恥ずかしそうに辺りをキョロキョロと見渡してから、アニマイトの入り口の方へ走っていく。
一瞬万引きかと思ったけど、入口に設置されている防犯ゲートは反応しなかったから、疑ってしまった自分を恥じた。
去る背中に向かって心の中で「ごめんなさい」と謝る。きっと何か用事があったからか、それとも家に財布を忘れたんだろう。
「どしたの、和泉くん?」
「あ、ううん。なんでも」
「そう?」
「うん」
それからもライトノベルの話は続いて、お昼の時間が近づいてきたということもあり、レジで精算を済ませた。
僕は柳ヶ瀬さんから白のにゃーこ先生ペンケースをもらい、柳ヶ瀬さんへ黒のにゃーこ先生ペンケースをプレゼントする。
柳ヶ瀬さんからプレゼントを貰ったことももちろん嬉しかったけど、一番嬉しかったのは柳ヶ瀬さんがとびきりの笑顔で喜んでくれたことだ。
ペンケースを大事そうに持ちながら「ありがとね、和泉くんっ! 大切にするね!」と言ってくれた。
僕は恥ずかしくて、まっすぐ目を合わせられない。そんな僕を見て、やっぱりくすくすと笑う柳ヶ瀬さん。
不安だったけど、今日デートにこれて良かったと思った。
やがて二人並んでアニマイトを出て、お昼はどうしようかと話し合う。そんな時に柳ヶ瀬さんは、アニマイトの向かい側にあるお店を指差した。
そのお店の前にはいわゆるメイド服を着た女の子が客引きをしていて、どういったお店なのかが容易に想像できる。
「あそこ、入ってみようよ。実はちょっと興味あるんだよね」
「えっ、や、やめようよ。あそこはちょっと、恥ずかしいから……」
「ほら、つべこべ言わない。今度は有栖さんがエスコートしてあげるから」
言いながら、柳ヶ瀬さんは僕の手首をガシッと掴む。手のひらの暖かさが手首を通して、僕の頬へと伝播した。
「え、え、ちょっと?!」
結局柳ヶ瀬さんに連行されて、メイド喫茶の入り口をまたいでしまう。
これはこれでいいかもなと、ちょっとだけ思った。




