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振り返った夏樹の視界に映ったのは、美女だった。
年齢はおそらく夏樹よりもちょっと上の二十代半ばほど。長い黒髪を後ろで一つに縛り、メガネの奥には聡明さを湛える瞳。その凛々しい顔立ちからは、かなり大人な印象を受ける。
黒のパンツスーツに包んだ細身の身体はすらりと伸びて、女子憧れのデキる女性のイメージを具現化したらまさにこうなるだろうと思われた。
とんでもない美女。
そして、夏樹の知らない人だった。
――誰だこの人?
しかし戸惑う夏樹を他所に、彼女は小さく微笑むと、
「突然申し訳ありません、吉田様ですよね?」
そう言った。どうやら相手は夏樹のことを知っているよう。しかし、夏樹はいくら彼女の顔を見ても名前はおろか出会った記憶さえも思い出すことが出来ない。
「あのー……、ごめんなさい。どなたですか?」
訊ねると、目の前に名刺が差し出される。
「申し遅れました。私は雪野と申します」
夏樹は名刺を見る。
彼女の名前は雪野由香子。家事代行サービスの『有限会社まごころ』の社員らしい……のだが、その追加の情報はさらに夏樹を混乱させる。
「家事代行サービス? 俺、頼んでないですけど……」
怖くなってくる。なにか危ない事件に巻き込まれる前兆なのではないか。
「そうですね、今日は違う話なんです。就職の――」
「いや!」
夏樹は反射的に叫ぶ。
これから現実逃避しようというときに、また『就職』。顔が青くなり、動悸息切れ目眩が同時発生。夏樹はうずくまり、耳を塞いでガタガタと震えた。
許して。もうホント許して。
せめて今日くらいはクソニートをそっとしておいて……。
「……どうされました? 菜森教授からのご紹介で伺ったのですが、ご迷惑でしたか?」
「え、菜森教授?」
顔を上げる。菜森教授とは夏樹が大学でお世話になった近代魔法学の教授である。
――どうしてこの人から菜森教授の名前が?
「菜森教授の紹介って、どういうことです?」
「ええ、実は現在弊社では人材を募集しておりまして、その件で菜森教授にご相談させて頂いたところ、菜森教授は『こちらにも就職先を探している生徒がいる』と言って吉田様の名前を挙げられたんです。そこで、もしご興味があれば採用試験を受けていただけたらと思いまして」
「……えーっと」
あまりに突然のことに夏樹は理解が追いつかない。
たしかに夏樹は菜森教授に何度か泣きついたことがあった。しかし、そのときは軽くあしらわれて一切就職口は紹介してもらえず、今日卒業式で会ったときもなにも言っていなかったはず。
なのに、なんでいきなり? しかも家事代行サービス?
――いやいやいや。でも、ちょっと待てよ。
夏樹はぷるぷると首を振る。
もしかして、これは千載一遇チャンスじゃないのか?
切望していた職が、向こうからやって来たのだ。家事代行サービスについては詳しく知らないけれど、教授の紹介なら身元は安全だろうし、職歴まっしろよりは遥かに良い。というか選べる立場じゃない。
「雪野さん、でしたっけ? それって本当の話ですか?」
「もちろんです。不安なようであれば、ぜひ菜森教授に確認をとってください」
由香子は堂々と言う。嘘は吐いていないように見えた。
「……その……仮にですけど、試験を受けるとしたら、試験日はいつ頃になります?」
「吉田様がよろしければ、今から面接を行います」
「今!」
――全部が急だな!
しかし時期的に夏樹はあまり文句が言えない。会社側も時間がないのだろう。
卒業式帰りなので服装は一応スーツ。ちょうどいい、と夏樹は思う。
――どうせニートなんだ。やるだけやってみるしかない。
「分かりました……俺、じゃなくて私、受けます。受けさせてください!」
夏樹は立ち上がり、意気込んで言う。
すると由香子はニッコリ微笑み、高級車の後部座席のドアを開いた。
「では、どうぞお乗りください」
夏樹は一つ息を吐くと、車に乗り込む。