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京都にての物語

蛸薬師堂~具戒清浄~

作者: 不動 啓人

「ここが、たこ焼き屋の聖地や!」

 松浪祐樹まつなみゆうきは門前でTシャツから覗く色白の細い両腕を広げ、その感動を全身で表した。

 場所は京都の繁華街、新京極しんきょうごく。平日の日中とはいえ人通りは多く、当然のように視線が祐樹に集まる。祐樹はいい。こいつはいつもこんな調子だ。人の注目を集めるなど気にもしていない。けれど、俺は違う。間違いなく横にいることが恥ずかしい。

 俺は無言のまま手を広げる祐樹の肩を叩くと、中に入るよう先に歩いて促した。

 背後から、

「おっ、おう」

 という、酔いから覚めた酔っ払いが発するような腑抜けた声が聞こえた。

 通称『蛸薬師堂たこやくしどう』。正式名称は『永福寺えいふくじ』と呼ばれる寺院だ。

 なぜそんな寺院がたこ焼き屋の聖地かといえば――

 蛸薬師――たこやくし――たこ焼く師(師匠)。

 なんてバンザイな発想だ!

 大学卒業後、就職活動に破れた祐樹は学生時代からのバイト先であった、たこ焼き屋に就職したのだが、そのたこ焼き屋の先輩が、更に先輩から聞いた話として祐樹に伝えたようで、晴れて目出度く、祐樹はこの日初めて己の職業の聖地へとやってきたという具合だ。

 俺はそれに付き合わされただけ。

 境内は赤に染められている。赤字に白字で『蛸薬師如来』と記されたのぼりが狭い境内に立ち並んでいる為だ。

 幟の間を抜け薬師堂の前に出ると、薬師如来像を安置する壇の前は雑然とし、由来にちなむ蛸の姿かそこかしこにあった。布製の蛸に木製の蛸。中でも一番手前に置かれた木製の蛸は、木札に『なで薬師』とあり、横の説明書きには「御賓頭蘆蛸おびんずるだこ 左手でふれるだけで全ての病が癒されると云われている」と書かれていた。

 まさに蛸尽くしの蛸薬師。

 そして、たこ焼く師。

「すげぇ、本当に蛸ばっか!」

 祐樹は興奮に小銭を賽銭箱にジャラジャラと入れると、目を強く瞑るほどに願いの念が強くなると思っているかのように、眉根を寄せ両手を擦り合せていた。

 果たして、仏様が肉食であるたこ焼きを推奨しているのか?

 ましてや、たこ焼きの師匠なのか?

 タオルを頭に巻いて汗を掻きつつ、一心にたこ焼きを焼く薬師如来の姿。まったく想像できない。いや、想像したけど、あり得ない。

 けれど、信じる者は救われる。それこそ信心か。

 俺はとりあえず手だけを合わせて形ばかりに一礼すると、さっさと合掌をほどいて周囲を見回していたが、右手上部に『ガン封じ天下無双』の板書きを目にし――俺は戸惑った。


「遼君。お母さんがんなんよ――」

 母親の妹。つまり、叔母さんから連絡を受けたのは、つい先日だった。


 俺に『大垣遼おおがきりょう』という名を付けた両親は、俺が幼い頃に離婚した。原因は母の浮気だった。浮気どころか、本気になって父と俺を捨てて母は家を出て行った。

 俺の記憶にある母は優しかった。だから母がいなくなったと聞かされた時、その予兆も感じていなかった俺は、酷く戸惑って、酷く悲しんだ。そんな俺に、父は母への罵詈雑言を吹き込んだ。母は俺達を捨てた、と言い含めた。当然の様に、俺は母を憎むようになった。

 父は一人で俺を育ててくれた。家事は不器用だったが、それでも俺は不自由なく大学まで卒業することができた。だから俺は、父に感謝している。

 そんな折、母が癌を患っていることを知らされた。報せてきた叔母は、俺に母を見舞うように願っていた。家を出た母は、その後新しい男性との間が上手くいかずに、結局は別れて独りで生きてきたのだという。

「今更・・・」

 俺は――その時、父の顔が頭に浮かんだ――見舞うのを断った。

 表面上、母への想いは憎しみに覆われていた。けれど母が癌と知らされた時、俺は動揺していた。本当に憎ければ、因果応報と喜べばいい。けれど、俺の心に喜びは湧き上がらず、痛ましい想いが滲む様に広がった。後になってその時の気持ちを分析してみれば、きっと憎しみに染まり切らなかった、捨てきれなかった優しかった母の面影が――憎しみに覆い隠されていた俺の心の底に残っていて、母への哀愁を誘ったのかもしれない。

 だが一方で、俺の心の針は単調に母の方へは振れなかった。動揺を押し留めたのは、父への義理のようなものだった。父はきっと俺以上に母を恨み、憎しみ、それを抑え込んで俺を誠実に育ててくれた。父は母を頼りとはせず、男手一つで俺を育ててくれた。

 母を見舞うことは、そんな父への裏切りになるのではないだろうか、と思えた。

『ガン封じ天下無双』の板書きは、俺に母への想いと、父への義理を想起させた。


 祈願を終えた祐樹が俺の肩を叩いた。

「おっ、おう」

 今度は俺が間抜けな声を上げていた。

「おっ、福の神」

 薬師堂の右手から、妙心寺みょうしんじ阿弥陀堂あみだどうへの通路が続いている。その入り口右手に、微笑み閉じた目の、異常に垂れ下がった人物の木彫りの胸像があった。その傍らに紙で『福の神』と書かれていた。なんだかとても幸せな、けれど、どこか人を小馬鹿にしたような表情にも見えた。

 薬師堂の傍ら、阿弥陀堂へ繋がる通路には様々な書き物が溢れている。寺院側で貼り付けたもの。備えられたホワイトボードに参拝者が書いて行った多くの言葉――その多くは、病気平癒を願ったものが多かった。

 阿弥陀堂の前へ立った。堂前には多くの置物があって、中には『ぐち聴き地蔵』なるものもあって、耳を傾ける仕草で一方の手を突き出しており、その手には小銭が置かれていた。

 ここでも祐樹は手を合わせていた。けれども、俺の脳裏には葛藤がわだかまり、手を合わせることさえも躊躇わせた。

 阿弥陀堂の前は坪庭のようになっている。小さいながらも池があり、その傍らにはテーブルとイスが置かれていた。更には阿弥陀堂に向かって左手にあるのが『京極七福神きょうごくしちふくじん』。右手には奥から『京極観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)』『京極大黒天(だいこくてん)』『京極三社稲荷(さんしゃいなり)』と小さな社殿が並んでいた。

 狭い敷地に雑多な信仰の対象。

 人は一体どう選択し、どの社殿に手を合わせるのだろうか。

 葛藤の中に連想された一つの理屈に、俺は、より思考の混迷を覚えたが、祐樹はそれらの社殿に片っ端から手を合わせ眉間に皺を寄せて祈った。

「そんな全部に手を合わせたら、あかんやろ」

 不節操。不誠実。

 人は常に、選択を強いられるのではないだろうか。何かを得たければ、何かを捨てなければいけない。特に感情を伴う相手のあることであれば、二兎にと追いの不節操さは相手に不誠実に映り、果ては二兎をも失いかねないのではないだろうか。

 例えるならば――

 母への想いを取るか。

 父への義理を取るか。

「別にええやん。俺はみーんなにお願いしたいんやから」

 欲張り――そんな言葉が頭に浮かぶ。

 けれど、どんなに欲張りと言われようとも、もし二兎を追うことが許されるのであれば、それが最善の望みとなるのが人情というものだろう。

「ひたすら祈る。後は待つのみ」

 人事を尽くして天命を待つ。そんなところか。

 俺は祐樹の奔放さが羨ましく思えた。

 選択をしないという選択――俺も祐樹の奔放さにあやかってみたくなった。

 母への誠。

 父への誠。

 後は想うに任せて、どちらにも誠を尽くすしかない。その先にどんな結果が待ち受けていたとしても、それは自分の選択の結果。

 結局、俺は母を心から憎むことはできていなかったのだろう。こうして母の近況を知ることで、母に会いたいという気持ちは増すばかりだったのだから。

 俺は祐樹の傍らから、振り返り歩き出す。

 阿弥陀堂から通路を通って薬師堂前に戻ると、改めて手を合わせた。そして心から母の病が癒えることを、『癌封じ』を願った。

 今こそ癌という病は、俺と母とを繋ぐ、克服すべき共通の試練となった。

 俺はこの後、母を見舞うための許しを得る為に父に頭を下げるだろう。そして例え父が反対したとしても、俺は許しを請い続けながら母を見舞うだろう。それが俺の選択であり、心からの望みだからだ。


 阿弥陀堂から戻ってきた祐樹は、にへら、と笑うと、

「よし、これで焼きの上達間違いなしや~」

 と誇らしげに握り締めた右拳を胸元に突き上げた。

 その傍らで――

 

 福の神も、にへら、と笑っていた。

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