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「何、それ本気で言ってんのか」
彼はコーヒーをテーブルに置き、怪訝そうな目で私を見上げた。
「式、式だけよ。……だって、お祖母ちゃんあんな状態でもし結婚式の日が『過去の日』だったら」
「……」
「入籍は、ちゃんとするからさ。それこそ、今すぐにだって。でもなんかね……お祖母ちゃん、かわいそうで」
黙ったままの彼は少し怖い。結婚式の資料を、バサッとテーブルに放り投げ、大きなため息をついた。何か考えているようだったが、残ったコーヒーを飲み干すと黙って寝室に行ってしまった。
私は、彼は結婚式に積極的でない、と思っていたから、この提案に易々と乗ってくると思っていたので意外な反応だった。
丁度残り少なくなっていた薪をかき集めると、火の粉が舞い上がる。わずかに勢いを取り戻した小さな火は意思を持った妖精のようだ。
どうしてもお祖母ちゃんの泣き顔を思い出すと、結婚式を挙げる気にはなれなかった。友達が2次会を開いてくれると言うので、それをお披露目にすればいいんじゃないかな……どうせ、親戚は少ないんだし。
彼の方の親戚は、両親と叔父叔母、せいぜい従弟妹くらいだ。私の方は母しかいない。そう思うと式を挙げる意味がよくわからなかった。その分、ちょっと新婚旅行のランクを上げた方がいい。まあ、それすらもはっきりとは決めていなかった。お互い仕事の都合でいつ行けるかわかったもんじゃない。
うん、そうしよう。結婚式はやめよう。
暖炉の火が自然に消えた。灰をかき集めると、まだ少し熱気を感じる。
ちょっとだけ、ウェディングドレス着れなくなることに未練はある。でもそれはそのうち、写真だけでも撮ればいい。お祖母ちゃんも「過去の日」でなければ大いに祝福してくれるんだけど、その日の朝にならないとわからない。「呼ばない」という選択肢はなかった。そんなことするなら、最初からしなければいいだけの話。
ウェディング情報誌の表紙の、美しいドレス姿の女性が綺麗な教会の祭壇に新郎と向かい合って立っている写真を見て、ちょっとだけ羨ましくも思えたけれど……
寝室に入ると彼はもう寝息を立てていた。枕の傍にはカバーのかかった単行本が大体2,3冊は置いてある。
ねえ、佳之。わかってくれるよね? お祖母ちゃんを傷つけたくないの。
朝、物音で目覚めると廊下で気配がし、慌てて飛び起きるとお祖母ちゃんが一人で杖をつきながらリビングへ向かっている所だった。
「あら、菜摘ちゃん、おはよう。目が覚めちゃってね」
「おはよう、お祖母ちゃん。やだ、寒いのにストールもかけないで」
よかった、今日は普通だ。ちゃんと私をわかっていた。お祖母ちゃんの寝室にストールを取りに行くと、サイドテーブルに少し前のウェディング情報誌が置いてあってギョッとした。どういうつもりで読んだのだろうか。
「佳之は、まだ寝てるの?」
「えっと……ああ、もうあと30分したら起こすよ」
「そう。……ね、さっきウェディング雑誌を読んでたのだけど、最近は記念に樹を植えるのが流行りなんですってね」
ああ、そういう記事を見ていたのか、なるほどね。
「えっ、ああ、そうみたいね」
「その為の山まであるらしいじゃない。まあ、うちは庭に植えればいいけど」
庭……もうそんなスペースはなさそうだなあ……佳之に相談してみようか。結婚式を挙げない代わりに樹を植える。うん、いいんじゃない? 私達らしいかも。
「いいね、それ、素敵! お祖母ちゃんありがとう」
お祖母ちゃんはフフッと少女のように笑い、ソファにゆっくり座った。私はストーブに薪を組み、乾燥した杉の葉に火を点け一番下に突っ込んだ。この最初の匂いも好き。私の中で冬の匂いといったらこれ。
味噌汁を作り、玉子焼きを作り漬物を切ったりしているうちに30分が経った。佳之を起こしに寝室へ入り、一度声をかけたがスースー寝息を立てたままピクリともしない。背を向けていた肩を揺さぶるとようやくこちらへ向き直り自分の頬を軽く2回叩く。これも「合図」。
私が頬にキスをすると、大きく伸びをして起き上がった。
「おはよう。今日はね、普通の日だったよ」
「おはよう。そうか、よかった」
そして改めてキスを交わし私は部屋を出る。これが「合図」があった時の習慣。一見、女には興味ねえよ、めんどくさい、みたいな顔をしておきながら実は結構甘えたがりでもある。そんなところがたまらなくかわいい、と思う。
朝食を摂りながらお祖母ちゃんが樹を植えたら、と話したが彼は「まあ考えとく」と反応が薄かった。恐らく植える場所がないのだろうとは思う。
お祖父ちゃんの代から15年以上かけて出来上がっているこの庭の「生態系」のようなバランスを崩したくない気持ちもあるだろう。
まだ佳之が大学に行っていてお祖父ちゃんが元気な頃、ちょっと珍しい樹を植えた時、土にウィルスが繁殖していたらしくその周りの植物が軒並み枯れてしまった、と大騒ぎしていたのを思い出す。その一角の植物を土ごと処分するのを私も手伝った。
そのあとの再生はそれは見事だった。お祖父ちゃんは1年以上かけて土作りをし、元々庭にあった植物を株分けして植えたり、種をポットで苗から作り植えた。やがてその一帯はハーブ用になっていった。
カモミールやセージ、レモングラス、ミントやラベンダー、ローズマリーなどが今も佳之に手入れされながら鬱蒼と生えている。私はそれを摘み、乾燥させてハーブティーにしたりている。
またそんな彼の姿が、お祖母ちゃんを時々「過去の日」に戻してしまうのかも知れないが、とにかく植物の世話に関しては、植物たちが佳之以外の人間を受け容れてくれなかった。
水遣り一つにしても、佳之は庭に植わっている何百種類(恐らく)全ての植物の状態と合わせて覚えていて、天候や湿度、日照時間も計算して撒いている。もちろん、植える段階である程度似たような環境を好む物を近くに植えたり段差を付けたり、ということはお祖父ちゃんの代からやっていることなのだが。
何気なく鉢をずらす、それ一つとっても意味のあることなのだ。
お陰でこの家の植物は皆生き生きとしている。今も、冬なのに一つも寂しそうな顔を見せない。安心して、春に備えて眠っているのだ。
今日も庭にいる佳之を眺めているその時だった。突然、リビングの正面の芝生を大きなシャベルで掘り返し始めたのだ。それも、かなりの範囲を。
「どうしたの、そんなに芝を……何を植えるの」
「樹を、植えるんだろ。ほんとはちょっと遅いんだけどな……仕方ない」
何の相談もなしに、きっともう佳之の頭の中では何を植えるのか決まっているのだ。なんていうか……ちょっと位希望とか聞いてくれてもいいんじゃないの……
しかも、そこに植えたらリビングから海が見えなくなってしまう。大きな掃き出し窓の正面は、海が見えるようにするためにわざわざお祖父ちゃんが低木を植えた場所なのに。
毎日、その海が太陽を反射する輝きを見るのが好きだったんだけどな。
色々言いたかったけど、とにかく庭については口出しできなかった。いつもならお祖母ちゃんと二人で飲むハーブティーを私は口を付けず、丁度ナナコさんと入れ違いで早目に仕事に出かけた。
樹を植える提案に乗ってくれたのはいいけど……ひと言くらい相談してくれたっていいのに! 私の胸の中には一日中、そのことがモヤモヤとくすぶっていた。




