(2)
夜、そのカレーを子供みたいにパクつく彼に結婚式の話をするも丸投げされる。
「全部任せる、お前の好きにすれば」
「へー、わかった、いいのね。後で文句言わないでよ。私が決めた事は絶対にやってよ?」
ニヤリほくそ笑むと、一瞬動きが止まり私の顔をじっと見つめる。……な、長い。目を逸らした方が負けだから、と訳の分からない意地でじっと見返す。さあ、20秒位見つめ合ってたかな、さすがに照れちゃうのは私だけか。中学の時からこの顔が好きでたまらない。大人になって益々、うん、かっこよくなったよなあ……彼のお祖父ちゃんの若い頃にそっくりらしい。
「……何させる気」
「いや、だってさっき全部任されたし」
「いやいや、ちょっと待て……わかった、あとでゆっくり見るから」
「ふーん、そう。まあいいけど。来週の水曜までには……このね、ピンクのマーカーの所見といてよ」
彼のたっての希望で取り付けた薪ストーブの前で、ソファに座ったお祖母ちゃんがウトウトし始めたので、寝室に連れて行った。お祖父ちゃんが亡くなってから少し、ぼんやりしている時間が増えた気がする。できるだけ話しかけたり、庭で一緒に園芸をやったり散歩したりしているけれど、物忘れも増えてきたようだ。もう80も過ぎているし、比較的日中はシャンとしているけれど夜はどうも弱い。
私は、この家に同居を始めて半年になる。彼が大学で県外へ行っていた間もほぼ毎日のようにこの家に通っていたし、本当の祖父母のように接していた。お祖父ちゃんが亡くなった時もお祖母ちゃんが心配で、ずっと親族のように付き添わせてもらった。
お祖父ちゃんのお別れ会の時の事は忘れられない。
教会の静謐な空気の中、それまで曇っていた空から突然光が差し込み、ステンドグラスの美しい色彩がお祖父ちゃんの棺と、その傍らに寄り添うお祖母ちゃんを包み込んだ。
お祖母ちゃんがその光を掬い上げるように両手を合わせ、ステンドグラスを見上げるその姿はこの世の物とは思えない美しさを感じた。
そしてあれは……私だけに見えたのだろうか。教会の中にあった大きなマリア像の心臓の部分がほのかに輝くと、お祖父ちゃんの身体からも同じ位の光が現れゆっくりとマリア像の光に吸い込まれていったのだ。
生前、神に赦されぬ事をしたと口癖のように言っていたけれど、きっと赦してくれたのだと思う。何故なら、お祖父ちゃんは私が知る限りでは真面目で優しく、心の広い素晴らしい人だったから。仮にそうだとしてもきっと償いが終わったから召されたのではないか、と。
「電気消すね」
「まって、まだ行かないで」
時折こうして、子供のようになる時がある。
「いいよ、眠るまでいるね」
安心したようににっこり微笑み、ゆっくりと手を差し出す。
「今日もいい日だったわ。沈丁花がね、咲いていたのを香りで知ったのよ」
「へえ、素敵! 私も明日の朝見てみるね」
「……結婚式、いつだったかしら」
「4月29日。あとね、3カ月かな」
「そう……ふふっ、あんな子と結婚してくれるの、あなたぐらいなもんだわ」
「でしょ! 私、物好きだから」
「……ありがとうね、あなたがいてくれたら私も安心よ」
一瞬ドキッとした。安心して死ねるわ、なんて言われるのかと思った。縁起でもない、私のバカ。
「ねえ、あの子がどんなに道に迷っても……離れないでいてあげてね。ああ見えて寂しがり屋なのよ」
「ふふっ、そうね。大丈夫よ、絶対に離れないから。離れろって言われたってついていくもの」
「ありがとう……うん、そうね。おやすみ」
「おやすみなさい」
夜中にトイレに行く事があるので、照明は完全には消さず足元の灯りをつける。握っていた手が少しずつ緩み、やがて寝息を立てはじめたのでゆっくりと手を抜き、布団の中に入れ込む。
そっと部屋のドアを閉めリビングに戻ると、彼もまた、暖炉の前でウトウトしていた。
「風邪ひくよ、お風呂入って」
「ん……ああ。あ、今日のアレ、定着剤つけるからまだ寝るなよ」
「……あ、今日私お風呂入れないんだっけ?」
「いや、シャワーなら。タオルでこするなよ」
「わかったからさっさと入ってきてよ」
彼が出た後、言われた通り施術した背中の所はこすらずにシャワーを浴びた。やはり湯船に浸かれないと寒いので、しばらく暖炉の前で暖まる。彼は恐らくまたラボにいるのだろう、灯りがついている。
気が付くと私もウトウトしていた。この暖炉はいけない、気持ちよすぎてつい緩んでしまう。悩んでいる時なども揺れる炎を見ていると、一種のトランス状態に陥ってボーッとする。
「こら、人の事言えるのかよ。風邪ひくぞ」
せっかく気持ちよくウトウトしてたのに起こされ、一瞬ムッとする。
「んもう、何よ、気持ちよかったのに」
「定着剤」
「あ、そうか……ごめん、勝手に塗って」
毛足の長い絨毯の上でゴロン、と腹這いになると彼がパジャマをめくり上げる。クリーム状の定着剤を塗った部分が少しひんやりした。
彼は暖炉の火を消し、灰を掻いた。少しだけ薪の消える時の煙が室内に流れ込むが、決して嫌な香りではない。
クリームが渇いて尚も起きようとしない私を、一度ゴロンと横向きに転がし脇から腕と膝を差入れ、上半身を無理矢理起こした。ああ、このままお姫様抱っこして寝室に連れて行ってくれないかなあ……なんて一番ありえないような夢を見てみる。
「ほら、乾いたぞ。起きろ」
「ふ、うぅん……」
「重てえって。寝ぼけやがって」
「ふ、……ん、失礼、ね」
そう言いながらももう眠たくて目が開かない。彼の腕に抱かれているのが心地よくて目が勝手に、開くことを拒否しているのかもしれない。
「ったく」
不意に唇に暖かく柔らかな湿度を感じた。
「ん……」
彼の方からキスしてくるなど珍しい事だけに、思わず目が覚めたがこのまま寝たふりを……できない……つい、舌が反応してしまった。
「……ほら、目、覚めたか。寝室行くぞ」
しまった、謀られた。
「寝室に行く」と言うのは……そう、「合図」なのです……普通に寝る時は、彼は勝手に無言で寝ちゃうのだけど。それに、大体施術した日はなぜか「そういう気持ち」になるようで……究極に照れ屋な彼の、これが精一杯らしい。
言葉は結構ぶっきらぼうでキツイ事も言われるけれど、とても優しく抱いてくれる彼が大好き。彼に触れられている時は、こんな私がまるで繊細な花になったような気持ちになれるから。