第十八話「近い現実」
「……しっかりしてください!」
耳元で響いた執事の声に、我に返った。至近距離にいる執事と視線がぶつかる。安堵したように、彼は深い息を吐いてからゆっくりと微笑んだ。
「大丈夫ですか」
「ええ……。大丈夫よ、ちょっと懐かしい夢を見ていたわ」
「懐かしい?」
首を傾げる執事を放っておき、周囲を見回す。先ほど見ていた、北の区域の光景とは異なる物が広がっていた。亀裂が入った道路に、漏電する街灯たち。そして、物陰からこちらの様子を伺う視線を感じる。
「私達が北の区域まで向かってた頃の、義手を付けた辺りの夢よ」
「なるほど。あれからもう、一年ですかね」
彼の一年という言葉に、つい物思いに耽ってしまう。その一年で母国を一周して来たが、兄に出会えることはなかった。どこかの辺境に身を隠しているのを期待していたのもあり、落胆を隠せない。
「国内を巡る道中でも聞きましたが、貴方の兄は軍に所属していたのでしょう? だからこうして、所属していた駐屯地がある、都心部に来たのではないですか」
最初の頃とは打って変わって、何故か熱弁し始める執事に私は苦笑しかできない。ゆっくりと立ち上がり、こちらを眺める存在に気付いた。それは金髪と深紅の瞳を持つ青年で、黒い鎧を纏っている。それが敵なのを思い出し、慌てて戦闘体勢を取る。こちらが起き上がるのを待ってくれる紳士であり、甘ちゃんのようだ。
「やっと起きたかい、アリス。一対一でそのざまなら、二人同時にかかってきた方がいいんじゃないのかい?」
私の事をアリスと呼ぶ、執事と顔が瓜二つの青年が大袈裟に手を広げて笑う。しかしその笑みは、執事と違って不気味だ。
「私はアリスじゃないわ。今は白狼と呼ばれてるだけよ」
「いいや、君はアリスだね。僕のオリジナルと目がとてもそっくりだ」
一歩、また一歩と青年が近付く。咄嗟に、義手に付いている二つ目の起動スイッチを押す。意識を失って夢を見る前に、一つ目は既に使ってしまっている。
肘辺りから吹き出した蒸気を利用して、瞬発力を引き上げて機動力を引き出す。一瞬で青年の横を取り、踏み込みながら裏拳を放つ。
「動きが素直だね」
「ご忠告どうも!」
蒸気の勢いを乗せた一撃を、片刃の直剣で受け止められた。毒づきながらも、更に一歩踏み込む。右手の掌底で相手の頭へと叩き込もうとした時、想定外の出来事が起きた。
「なっ……」
青年の剣から、強烈な振動が発生して体勢がよろめいてしまう。無理は禁物と判断し、後ろへと跳ねて青年の剣を睨んだ。それは柄が銃のような形をしており、彼の足元に薬莢が一つ落ちた。
「これは機人族の作り出した最新鋭の武器で、ガンブレードというのさ。アリスのために持って来たんだよ?」
先ほどよりも青年の唇が弧を描き、ガンブレードの切っ先を向けて突進してくる。それが私に届くよりも速く、執事が間に割り込んで来た。
「二人同時でもよろしいんでしょう?」
執事がオフシェ宅で使っていたナイフで、ガンブレードを横に逸らす。突進の勢いを殺せない青年の体に、左足の蹴りを打ち込んで吹き飛ばした。私は執事の背を踏み台にして上空を舞う。
青年は執事にだけ視線を向けて、斬りかかると鍔迫り合いが生じた。
「いいよ。君と僕、どちらがアリスの傍にいるべき存在か教えてあげるよ」
盾になる執事が気に入らないのか、見下すように青年は息を吐いている。それを空から見つめながら、最後の起動スイッチを押した。
「都心部に来た途端、攻撃してくるなんて……私が何かしたのかしらっ!」
私の感情に呼応するように、義手が赤く染まっていく。蒸気も溢れでて肘辺りから吹き出した。重力に引かれ、蒸気の勢いで更に加速する。狙うは執事の顔にそっくりな青年の脳天だ。執事は大丈夫だろう。
「しまっ……」
こちらに気付いた青年の顔が歪む。義手の拳が届く瞬間、白い何かが執事と青年を突き飛ばす。その白い何かは空色の板を盾にして、義手の一撃を受け止められた。
「いい一撃だな。時間があれば、どちらかが死ぬまで手合わせしたいところだ」
「板……? それにしては堅いわね」
「さすが、ヴァイス・ルーヴの妹というところか」
甲冑をつけているのか、どこか篭っている声が板の向こう側から聞こえた。兄の名前を知っており、その妹を知っている人物がここにいる。私は兄に近付いている事に確信した。
「兄さんを知っているの?」
「あぁ、よく知っているさ。ふんっ!」
歪むことのない、空色の板で力任せに放り投げられるが、なんとか着地する。板の持ち主を見ると、全身を白い甲冑で覆われている男がいた。
男は私に背を向けて、青年を片腕で担ぐ。どうやら先程の突き飛ばしで意識を失っているようだ。青年と同様、気を失っている執事を少し眺めたかと思うと、深い溜息を吐く。こちらに視線を戻した男を私は睨む。
「まったく……オールが飛び出したと思ったら、妹さんが来てたとはな。すまなかった」
「色々知ってるみたいだけれど、貴方は何者なのかしら」
「俺か? 機人族のブライさ。それ以上でも、それ以下でもない」
それだけ言うと、ブライはオールと呼ばれた青年と共に去って行こうとする。私はほとんど無意識にブライを呼び止めた。
「兄さんはどこにいるの」
「俺はあくまで、ヴァイスからオールの子守を頼まれただけさ。都心部から離れられると困るから、とね」
歩くごとに機械音を鳴らせながら、その場を去ってしまった。後を追おうにも、執事を置いて行く訳にもいかない。ましてや義手の蒸気機関は冷却中だ。
「今はどこか休める場所を探さないとね。ここにいるのは間違いないみたいだし」
私はゆっくりと立ち上がり、執事の元へ歩む。一年以上、連れ添って来てくれた友だ。今更見捨てるわけにもいかない。執事を引きずるようにして、人の気配がしない建物へと入る。よほどの敵がこない限りは、ひとまず安心だろう。
執事が目を覚ますまで、周囲の安全を探りながら情報整理する事にした。