第十五話「片鱗」
執事が分けた『カレー』をぺろりと平らげ、それを繰り返す。白米がなくなり、茶色い液体が入った鍋をエリアとセイランが奪い合う形へと変わる。
その時点で、私は戦線を離脱して傍観に回った。流石に液体だけで食べる気はない。エリアとセイランのスプーン同士がぶつかりあい、鍔迫り合いを始めてしまう。
私はどうしたものかと執事を見れば、普段のことだからと言われる。この均衡状態ならば、もうしばらく続くだろう。
私は執事に、静かな場所へ案内するように頼む。この親子は少々騒がしすぎる。
エプロンを外した執事の後ろ姿を追いかけると、ひらけた場所に出た。騒がしい親子の声は聞こえず、確かに理想通り。
「少し暗いですが庭ですよ。工房の方が近いので、先程よりは静かだと思います。どうかなさいましたか?」
「どうも。いや、ちょっと最近変な感じがして......」
私は体の違和感を執事に伝える。私は腕がなくなったのが原因だと考えているけども、実際にはわからない。とにかく、その気持ち悪い感覚をどうにかしたかった。
「オフシェと組手してたり、道中の獣と戦っている時は気にならなかったのよね」
「なるほど。では、軽く組手などしてみますか。少しは良くなるかもしれません」
「......そうね。ついでに義手も試してみるわ」
ファイティングポーズを取って構える。執事は変わらず紅茶を一口飲んで、右足のつま先で地面を数回つつく。それが合図だった。
地面をつついていた執事の右足が、私の側頭部を狙ってくる。普段よりも遅く感じた蹴りを上体を反らして避け、足が目の前を通りすぎる瞬間に右手で掴む。
「おやおや?」
「ふん!」
私は興味深そうに見る執事を鼻で笑う。足を引っ張り、バランスを崩させようとするが、びくともしない。自分の行動が愚策だと気付いた時には、既に遅かった。
「伊達で足技を使っている訳ではないので」
力任せに右足を振り下ろされ、執事に自由を与えてしまう。咄嗟に後ろへ下がって距離を取るが、間に合う気がしない。彼はその右足に力を入れて、飛び膝蹴りを顔面に浴びせてくる。それを素早く鋼鉄の手で受け止める。耐久面は見た目通り問題ないようだ、私は嬉しくなって笑ってしまう。
「まだまだ!」
「おや、力強い」
力任せに義手で振り払って吹き飛ばすが、難なく着地する。ティーカップに入った紅茶を、彼は再び一口飲み始める。距離を詰めるために駆け出して、跳ぶ。鋼鉄の左腕を突き出して執事を狙う。すんでの所で避けられてしまい、義手が地面にめり込む。思ったより深いのか、なかなか抜けない。咄嗟に執事を見れば肩をすくめている。
「力加減はまだまだのようですね」
「……そうね」
ゆっくりと、地面から引き抜いた義手に少々土は付いている。軽く払って義手を見ても、傷ひとつない。組手とはいえ、外れることもなかった鋼鉄の左腕に満足してしまう。ティーカップに紅茶を注ぐ執事は、不思議そうに問いかけてきた。
「私の足を掴んだ時、何かしましたか?」
「何もしてないわ。ただ、普段より少し遅く感じたわ」
あの初撃だけ、少し遅かった。最初は手抜きだと思っていたけれど、執事の質問から察するに、そういう訳ではないようだ。執事は、紅茶で満たしたティーカップを見つめながら呟いた。
「潜在能力の片鱗の可能性がありますね。体の違和感も、それが原因かもしれません」
「どうすれば開花するのかしら。執事の時はどうだったの?」
「私は……」
私がまだ得られていない、身体能力を最大限に引き出せるという潜在能力。執事の時はどういった環境で手に入れたのだろうか。彼が開花した時の環境に近い状態にすれば、もしかしたら私も……などと思ってしまう。
「死の淵でしたね」
「なるほど……」
死の淵には遠いかもしれないが、左腕を失った時の記憶を思い出す。その時の出来事によって潜在能力の片鱗を見せたのならば。完全に開花させるには、どれほどの痛みを覚えなければならないのだろう。そしてそれを乗り越えて開花させた執事に、畏怖を覚えてしまう。
「大丈夫ですよ」
執事はティーカップを見つめるのをやめて、笑いかけてきた。私は訝しげになってしまう。一体何が大丈夫なのか。彼は紅茶を一口飲んでから教えてくれた。
「一度でも片鱗を見せたなら、あとは自然と開花すると思いますよ」
「へぇ、楽しみね……」
「戻りましょうか。そろそろ落ち着いている頃でしょう」
くるりと背を向けて、執事は平屋へと戻ってしまった。庭に一人佇む私は、鋼鉄の左手を見つめて、強く握りしめる。少しずつだけれど、確かに前へと進めている事を確信して。