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第十話「月猪」

 遠くで見えていた時の速度とは、比べ物にならなかった。まるで月猪自体が、大砲の弾になったかのように。しかし、いくら速くても進む方向は一点のみ。

 ぶつかる直前に横へ飛んだ執事に対応できない月猪は、追撃とばかりに方向転換する。大きい体格が祟ったのか、瓦礫の山みたいな体が派手に横転した。懸命に起き上がろうと暴れるそいつの腹に、月明かりで光る何かが居場所を誇示していた。

 それは、月猪の腹に突き刺さっていたブッシュナイフの刀身。輝きにいち早く気付いた私は、無意識に声をあげていた。

「執事!」

 名を呼ばれた彼も気付いたようで、私に見向きもせず月猪へと走る。こちらに向けた、そいつの足を飛び越えて、月猪の腹に刺さっているブッシュナイフの柄を掴む。その勢いのまま引き抜いて、立ち上がろうとする月猪から飛び退いて、素早く下がる。そこで私が目にしたのは、ナイフを持つ右手を震わせながら、肩で息をする執事の姿。

「……!」

 私は、預けられたティーセットを割らないように気をつけながら、急いで彼の元まで走る。

 執事が戦闘中でも紅茶を手放さなかった理由。いや、手放せなかった理由。紅茶に何かを混ぜて、飲んでいたのではないだろうか?もしかしたら、何かの薬かもしれない。

「おや……。どうしました?」

「どうしました?……じゃない!これ、必要なんでしょ」

 近づいた私に気付いて、ちらりと見たのはティーセット。差し出したそれに何度か瞬きすると、執事は認めたくなさそうに視線を逸らす。

「気付いてしまいましたか」

「肩で息をする姿を見れば嫌でもね」

 ティーセットと交換でブッシュナイフを受け取った私は、待ってましたと言わんばかりに笑う。私に振り回されている方がらしい、彼にそう言い残して再び走った。

 普段通りの動きの方が、彼も助かるはずだと想定して、私が先陣を切る。ブッシュナイフが刺された箇所を守るように、不自然に立つ月猪の前足を狙って薙ぐ。致命傷といかず、切り傷を作る事しかできなかったけれども、隙を作るには充分だった。

「任せたわ」

「お手数おかけします」

 私は執事の邪魔にならないように、月猪から距離を取る。そいつは振り向きざまに牙で突き上げる一撃が、先程まで私がいた場所を抉る。紅茶を一口飲んだ執事がティーセットを片手に、背負っていた荷物の一つから驚くべき物を取り出した。

 本来の形から大きく変わってしまっているが、間違いない。ユルトが持っていた機械仕掛けの長剣。刀身も半分ほどに欠けているそれを、執事が片手で持って駆ける。

 月猪が自身に迫る脅威に気付くには遅すぎた。跳び上がった執事は、ユルトの剣の重さを利用した力強い一撃を、首目掛けて振り下ろす。それはまるで、罪人の首を断つ斬首刑のように無慈悲。

 宙に舞うのは月猪の頭。崩れ落ちるのはそいつの胴体。まるで巨木が斬り落とされたみたいに、草原に鈍く響いた。

 私はブッシュナイフを鞘にしまって、執事を待つ。一人で強く生きていくと言ってた私が、誰かを待つなんて。過去の私が見たら笑ってしまうだろう、なんて思っていると彼が私の前に現れた。

「助かりました」

「ただ、私の前で死なれるのは目覚めが悪いだけよ」

 血で濡れたユルトの剣を肩に担ぐ執事が、私に微笑む。そんな物騒な物があるなら、最初から使って終わらせてほしいものだ。剣の血を月猪の毛で拭き取る執事を指差して、不平をもらす。

「いつの間に持ってきてたのよ、そんな物騒な物。それが原因で追われてたんでしょ?」

「剣の部分が問題ではないようなので、譲って頂きました。貴女に使った機能の根本が原因かもしれないと、ちゆりが仰っていたので」

「取り外し、できたんだ」

「そのようです」

 燕尾服に機械仕掛けの剣という、ミスマッチな組み合わせに執事自身が苦笑し、剣を背負う。ゆっくりと、彼は切断された月猪の首に近づいてサバイバルナイフを引き抜く。

 どこか高級そうなハンカチで血を綺麗に拭き取って、私に献上するように差し出した。

「貸して頂き、ありがとうございます」

「そっちが勝手に使ったんじゃない。ま、綺麗にして返してくれたからいいわ」

「そうですか。では、問題がないようでしたら直ぐに行きましょう。血肉は、他の生物を引き寄せますから」

 執事は、奪い取るように手にした私に溜め息を吐きながら、鍛冶屋がある方を指差す。そちらを向けば、遠くに火が灯った建物が見えた。どうやらあそこが、お使いの目的地のようだ。

「構わないけれど、執事は大丈夫なのかしら。途中で倒れたら置いてくわよ?」

「それは手厳しい。ですが、貴女も気をつけてください。助けるのも限度がありますので」

 私の吐いた毒を笑って流す彼に、殴り飛ばしたくなるけれど、今は我慢しよう。周囲に感じる新たな動物の気配。月猪のように強くはないが、数が多い。

「まっすぐ行くわ。全部相手するほど暇じゃないもの」

「そうですね。彼らの目的は大物の肉ですから」

 一体どこに身を隠していたのだろかと問い詰めたいくらいほどの数。視線を一度だけ交わし、草原に吹く追い風に乗って大地を蹴る。餌に飢えた獣など、今までの強敵達に比べたら赤子も同然に過ぎない。

 まだまだ、夜は始まったばかり。草原に血の臭いが漂う。

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