止まない雨音 - shota-
「おやすみ」
月明かりに照らされた友紀奈の顔が、一晩中頭を離れなかった。
「しょーたっ」
威勢のいい声と共に、背中のど真ん中を大きな手のひらで思いっきり叩かれた。
「っまえは、」
肩に担いだカバンを躊躇なく後ろにいる相手のわき腹めがけて振り切る。
「もっとましな挨拶をしろ」
なんとも間抜けな声が廊下中に響き渡るが、素知らぬ顔をして先を歩く。
「いやいやいや、しょーたのがひでえって!つか、まじ超痛いんだけど」
まわりの目線から逃げるようにあとを追いかけてくる和人は、文句を言いながらも俺の隣に並んだ。ふと窓をみると、叩きつけるような雨がうねりながら流れていく。雨の日独特の匂いが校舎を包み込み、なんとも切なげなものが胸の中をゆっくりと回った。
『七月七日が晴れますように』
ふいに、風に揺れる綺麗な文字が雨雲の中で浮かんだ。
なぁ、神様。俺の煮え切らない願い事なんて良いからさ、友紀奈の願い事を叶えてやってくれよ。あいつ、自分のためでもないくせにちゃんと書いたんだよ。なぁ、夜の間だけでもいいんだ。なんなら俺ももう一枚書くからさ。
声に出さずとも、そう強く叫んだ。あの雨音に負じと、願い事を叶えてくれるやつに聞こえるように。
気のせいだろうか、さっきよりも力を弱めた雨が窓を撫でるように流れていった。
クリスマスのように華やかなものでもなく、正月のようにめでたいわけでもない【 七夕 】というものは、ひっそりと近づいていた。
いま、眠気と闘いながら授業を受けている人たちの中で、今日が七夕だと気づいている人はどれほどいるだろうか。
教師の話しをどこか遠くで聞きながら、そんなことを考えていた。
俺の斜め前にいる小沢さんは、かくかくと上下に動く頭を必死で持ちこたえている。疲れているのかな…と思う反面、まーた見てる、と呆れながらも少し笑って指摘してくる友紀奈の凛とした声を思い出して、秘かに笑った。昨日はだいぶ眠かったんだろうな。寝ぼけた声が少し可愛いかった、なんてからかい気味に言ったら、あいつは怒りながら悪態をつくだろう。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
俺はいつからか、小沢さんではなく友紀奈のことを考えていたことにも気づかずに、変わらず雨が止むことを祈っていた。
休み時間になっても雨は止まなかった。どんよりとした雲は一向に動く気配がない。頑固なやつだ。ふとそう漏らすと、お前に言われたかねぇよ。隣でおにぎりを頬張る和人がつぶやいた。
みんな部活の友達などと食べているのだろうか、教室は人が少なく、耳を済まさずとも隣のグループの会話が聞こえてきた。誰だろう、と目線だけで確認すると、隣で丸くなってご飯を食べているのは女子のいわゆる中心グループで、その中には小沢さんの姿もあった。
「あー、それ聞いたことがある」
「えっまじで⁇ 聞いたことないんだけど」
「まじで⁈ 結構みんな知ってるよ」
話題になっているのは、あいつと呼ばれる誰かのことだった。女子はよくしゃべるなぁ、と黙って口を動かしていると、突然和人が立ち上がる。
「翔太、ちょっと職員室までついてきてくんね?」
「嫌だ」
「お願いだって!今度なんかおごるからさ」
出された条件に渋々頷くも、時計を確認してから心底面倒臭そうにたずねる。
「弁当食べてからじゃ駄目か?」
「いや、早めにって言われてたの忘れててさぁ」
「んー…じゃあちょっと待って」
箸をケースの中に閉まって弁当の蓋をしめてから、ドアの方へと歩き出す和人の後を追った。途中、さらに盛り上がりはじめた女子の横を通りかかる。
「ーーさん、クラスでも嫌われてるらしいしね」
瞬間的に振り返ると、そう無邪気な笑顔で言い放つ小沢さんが、ドアが閉まる一瞬の間、はっきりと目に映った。
ーーなんて言った?
考えるよりも早く、手が動いた。しかし、その腕は和人の手に握られて動かない。
「翔太、いこう」
頭の中が真っ白で、いつになく和人の目が真剣で、俺は何も言わずにただ頷いた。
向かった先は社会準備室で、そこには積み上げられた資料と雨の音以外何もなかった。
「ごめんな、翔太」
そこでぽつりぽつりと告げられた和人の話しを俺は黙って聞きながら、昨日短冊に書いた願い事を頭の中で繰り返した。
『このままでいたい』
俺は、なんて馬鹿な願い事をしたんだろうか。どうして何も知らずに、わかったような口を聞いていたのだろうか。なんでそんなことも見抜けなかったのだろうか。
全身から流れ出す後悔と怒りにも似た感情を抱えながら、俺はただ放課後が来るのをじっと待っていた。