表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

忠犬彼氏

忠犬彼氏

作者: 片桐ゆかり


「ねえ、千倉秋さん。私あなたの彼氏と寝たの」


昼休みになったばかりの教室は、ざわざわとした喧騒に満ちている。昼ご飯を買いに行った友人達を待つ間に携帯で朝から送られてきているメールをみていれば、目の前で勝ち誇ったような声がした。

ちくらあきさん、という名前は私しかいないので渋々携帯を閉じた。全く、なんだってこんなことに。

目を向ければ私を見下ろす視線に優越感と憐憫が浮かぶ。

はっきりと言い切った言葉は、喧騒の中でもはっきりと教室中に響いたらしい。クラス中の視線がこちらをみていた。

本当にめんどくさい、と口の中でつぶやこうとして失敗した。


──あまりにもお粗末な台詞に、笑いをこらえられなかったからだ。

相手が不快感を表し、眉にシワが寄った。流行のメイク、茶色く染めた髪の毛、ふんわりした香水。

可愛い女の子。

可愛いと知っている女の子。

だったら、言ってはだめだ。

誰もに聞こえる声で、私はあなたの彼氏と同じベッドに入りましたよなんて。

嬉しくていいたかったのだとはおもうが、それは彼女に優越感を与えても、いい印象は与えない。

全く、恋とは恐ろしいこと!


「それで?」


引っ切りなしにメールが届く。マナーモードにした携帯は、ずっとぶるぶると震え、煩さに苛立つが今携帯を開いたらこの目の前の彼女は逆上するだろう。メールを送ってきた相手の名前も、彼女にとってはいらだつ原因でしかないだろうことを思って、思わず携帯をひっくり返した。

それで、彼女は何をいいたいのかをきくことを優先する。


「何も感じないの?」

「…じゃあ貴方は、何を感じさせたいの?可哀相だなあ、とは思うけど」


貴方が、と付け足せばぐ、と彼女が唇を噛んだ。

騒がしかった教室には物音ひとつしない。いや、私の携帯が鳴る音くらいしか、しない。


「だって、寝たのよ。わたし、したんだもの」


駄々をこねる子供のように彼女がいう。

だからなんだ、こいつどうにかしてくれ。呆れたように頬杖をつく。泣きそうな彼女を慰めるだなんてこと、したくもない。

どれだけ好きだからってアナタの彼氏と浮気しましたなんて公衆の面前で吐き出しておいて泣くだなんて全く可哀想な人だと憐憫さえ、感じる。

その原因が私と彼氏にあるのだとしても。それは、ただの目の前の彼女のエゴでしかないでしょう。

携帯が鳴らなくなったのでようやく諦めたかと息を吐く。と、同時に衝撃が走った。



「秋ちゃんなんでメール返してくれないの!俺朝からずっと寂しかったんだよ、メールの返事ちょうだい、ついでにキスもして!あとぎゅってして頭撫でて名前呼んで!」

「うるさい」

「ひどいよ秋ちゃん!でも好き!だいすき!」

「あんたのせいで取り込んでるの、大人しくして。っていうかHRからずっとメールしてきてうっとうしい。我慢しなさい。電池もたないでしょ、私の。休み時間に構ってあげてるじゃない」

「たりないよ、秋ちゃん…。俺もっと秋ちゃんと一緒にいたいもん」


そんなことをいわれてもクラスが違うのだから仕方ないだろう。四六時中こいつにかまっていたら過労死する。そう思いながら、私の横に膝立ちになって抱き着いてくる男の頭を撫でてやれば、にへらっと笑って大人しくなった。

抱き着く強さが倍になったのがいただけないが。


「苦しい。離して」

「やだ」


ぐりぐりと頭を押し付けられる。

小さければ可愛いのに、こいつといえば180近い長身で王子様と呼ばれるような容姿をしている。

可愛くない。むしろうっとうしい。――学園の王子様とふざけた名前で呼ばれるこの彼氏は、自称私の忠犬である。


「で、私にどうしてほしいの」


疲れきった声を出せば、目の前の彼女ではなく隣の男が口を開いた。


「秋ちゃん具合悪いの?保健室いく?大丈夫?」

「……」


お前のせいだといいたかったが、如何せんこの男に尻尾と耳がみえる。犬の。それが垂れているようにもみえた。

──ちなみに、わたしは犬好きである。


「秋ちゃん、この人だれ?秋ちゃんの友達じゃないよね」

「あんたの知り合いでしょ」

「ん?知らないよ、俺秋ちゃんしか見えなーい」

「……」


にこにこしながら私の頬に唇を寄せてきたので押しのければ、ひどい秋ちゃんひどい!嫌いになったの?やだやだやだ!と駄々をこねたので好きにさせた。頬に首に腕に手にちゅ、ちゅ、と唇を落としてくるこの犬はとろけそうな顔をしている。羞恥心というものはないのだろうか。

じゃれつく犬だと思えば可愛いもんである。


「なんで、だって」

「欲しいならあげるよ」

「…っ、」

「なんで秋ちゃんがあげることになってるの?だめだよ秋ちゃん、秋ちゃんのものは秋ちゃんのでしょ。あげる必要があるわけ?」


喘ぐような彼女を不憫に思ったので言えば、不快感をあらわにした、私の彼氏が言った。ちなみにこいつは仙道樹という名前である。私が名前を読んだことは数えるほどしかない。だってほら、飴はたまにあげるからいいのだ。しつけには。

――しかし、樹は顔が整っているだけに恐さ満点だ。冷気すら漂っている。


「あんたのせいでしょーが」

「何が?」


不機嫌な樹は、全くもって扱いづらい。

目の前には泣きそうな彼女、横に怒り狂う犬(仮)に挟まれた私が盛大なため息を吐いても仕方ないだろう。


「別に、樹と貴方が寝ようが寝まいがどうでもいいよ。飼い犬が通り掛かりの人と遊んだからって飼い主は別になんとも思わないでしょう」

「いつき、くんは犬じゃない…!」

「例えだっつーの…」


教室の視線が生温い。

隣からくる視線が痛い。


「秋ちゃんが構ってくれない…!なんで俺放置するの?嫌いになったの?やだよそんな子見ないで喋っちゃやだ!」

「…樹、我が儘言い過ぎ」


一発ぺしんと叩いてやる。馬鹿犬に躾をするのは一応飼い主として、すべきことなので。

しかし肝心の飼い犬は、「秋ちゃんにたたかれた」と嬉しそうににまにましていた。ネジが抜けたのだろうか。

しかし仮にも浮気相手の彼女にこうも辛辣に扱うやつだっただろうか。


「……」


女の子はぎゅうと唇を噛み締めて出ていった。

上っ面だけでこの犬を好きになった彼女は、きっとドン引きしたのだろう。ああでも、好きだったのだからショックだったのかもしれない。一度は肌を許したであろう男にここまで無視されてしまえば。

お前がどうして、そういう視線は慣れっこだ。私でさえ何故、学園の王子様とまで言われるこの男になつかれたのかわからないのに。――ただ、樹が私にじゃれつくところを見た人間は、私にたいして同情の視線を向けることが多い。


「あーきーちゃん!お腹すいた」

「…勝手に食べてなさい」

「一緒に食べようよ、あーんってして」

「あー、もう飼い主募集って書いて張りたい」

「ん?秋ちゃんが飼い主でしょ?」

「…はあ、」


いそいそと樹が広げた、樹のお弁当からプチトマトをつまんで口にいれてやる。指ごと口に含んでトマトをさっさと飲み込んだ男は私の指を舐めて噛んでを繰り返す。


「なんでこんなに懐かれたんだか…」


教室はさっきのことなどなかったようにざわめいている。しかし、思い出したかのようにこちらを向く視線の中には、私に対する同情と学園の王子様への残念な視線が。


「よく言えば、忠犬かしら」

「それもあるけど。俺は番犬でもあるからね」


にっこり、笑った顔はぞくりとするほどの美しさと恐さをたたえる。

──その瞬間、教室の空気が凍った。

こういう表情にはなれてる私にはどうってことないが、初めて目にした人間はやっぱり怖いものだろう。私も最初は怖かった。


「…番犬ねえ」

「そう。だから、秋ちゃんに噛み付くやつはぜーんぶ噛み殺してあげるね」

「物騒なこと言うのやめなさい」

「やーだ、ご主人様を守るのが俺の役目だから」

「……もー、好きにして」

「うん、秋ちゃん大好き」


飼い犬もとい、私の番犬は今日明日も変わらず私にべたべたとくっついてくるのだろう。

それが嫌ではないと思うくらいには、私はこの男が気に入っているのである。


「まあ、私も、好きではあるかな」

「秋ちゃん…!」


感極まった飼い犬に抱き着かれて椅子から落ちた。抱き込まれたので痛みはないが、盛りそうな駄犬に拳を一発。


「ほんと、今日は疲れたから帰るわ。次から全部自習だし」

「ええ、じゃあ俺も」

「だめ。あんたは授業あるでしょ」


飴と鞭は必要である。

私は本当に樹を置いてさっさと帰ってしまったので友人に聞いた話ではあるのだが、あのあと私の犬はというと不機嫌で冷たいオーラをまとい、人を殺せそうなほどだったらしい。

そんな馬鹿な。

しかし、翌日樹のクラスの人間に泣きつかれたので困ったものだとため息をついた。


そのあと学校が終わってすぐに私の家にやってきた樹はそれからやけに私にべたべたしてきた。

そういえば、樹は私の家に四六時中入り浸り登下校や休み時間はほとんど私に付き纏っているのだが、いつあの彼女と寝たのだろうか。

授業中か、と納得し聞いてみればきょとんとした顔をした。


「俺、秋ちゃんとしかしたことないよ」

「うそだ」

「ほんとだよ、だって俺の中で秋ちゃんと家族ってカテゴリーと秋ちゃんと家族意外ってカテゴリーしかないもん」

「…ふむ」

「で、秋ちゃんと家族意外は特にどうでもいいし。そのあとに友達っぽいのも入るかな。秋ちゃんは家族とか友達に欲情しないでしょ。俺が欲情するのは秋ちゃんだけだよ?俺秋ちゃんのこと四六時中感じてたいもん」

「…友達はちゃんと私や家族と同じカテゴリーにいれたげなさい」

「やだ。それに、秋ちゃんはその中で飛び抜けて一番だよ。俺の家族も秋ちゃん大好きだし。いつも引きはがすの大変なんだからね」


そう言って飼い犬は私を抱きしめた。

俺だけをみててよ、と言うので、(いろんな意味で)目が離せないと言えば樹の目が輝いた。

意味は違うだろうが、まあ、いいだろう。

私だってなんだかんだ、気に入っている男なのである。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 謎な忠犬でおもしろかったです。続きがあるといいなと思います。
[一言] 楽しませていただきましたv 是非彼氏視点か続きをお願いします。
[一言] はじめまして(・∀・)♪ 読ませていただきました* とても面白かったです\(^O^)/ これからも頑張ってください(*^-^*)
2012/09/12 20:39 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ