第2話 対面(1)
友人として付き合ってみると、彼はとても思いやり深く、優しくするだけの優しさを持った人ではないと知れた。
でも一つだけ予想もできない一面もあったのだ。
「もう、どうして教えてくれなかったの?」
もううんざり。
なんなの?このカップルは。真っ昼間からイチャイチャと。
「ごめんね。びっくりさせたかったんだ。僕にこんなに美人の友人がいるんだって。」
ちょっと、何なのその声は……惚気きってるわよ……。
「いいかげんにして。」
私の機嫌の悪い声に何か感じたのか、可愛らしい人の体がビクッと跳んだ。
何だか悪い人の気分だわ。
「あっ、大丈夫だよ、椿はいじめたりするような人間じゃないから。」
言われなかった語尾に、恐くないよ、と付くように思えたのは気のせいじゃないだろう。
「いじめなんてしないわ。無駄だもの。」「確かに無駄なことはしないだろうけど、その前に椿には人を傷つけたりはできないよ。」
確信を含んだ言葉。少しばかりくすぐったい。
わずかにそれた話題を元に戻すべく、勢い込んで話した結果がこれ。本当にどうしようもない。
「恋人を紹介してくれるって聞いていたんだけど……」
「恋人だ。椿なら偏見でものは言わないだろう。」
「えぇ、そうよ。偏見や先入観は、人を正しく判断するのに間違ったものしか与えない。でも……まさか貴方が可愛らしい男性を連れてくるとは思わなかったの。」
そう、彼の恋人は男性だった。それも、私よりも格段に可愛らしい。
彼の恋人こと、仙崎真澄さんは、どこからどう見ても可愛い小動物のような人だった。
私よりも数センチ違うだけだ。
思わず右手で頭を支えながら深いため息を吐いた。本当に無意識にだ。決して他意はない。
だけど真澄にはそうは思えなかったようで、少し不安そうな上目遣いで見られた。私の反応からあらゆる可能性を考えているようだ。
「私と有栖のこと疑っているの?」
真澄の体がびくりと跳ねた。
「図星ね。」
「あっ、いじめちゃダメだよ。椿と違って繊細なんだから。」
あまりにも失礼な言い分だ。彼がこういう人間だと知っているからたいした怒りも湧かないが。
「有栖、何でここにくる前に話さなかったの?そうした方がスムーズにことが運んだと思うんだけど。まぁ、予想はつくけどね。」
「わかってるならいいじゃないか。」
この男……。馬鹿なのだろうか。
「話さないことは貴方にとって何でもないことかもしれないけど、仙崎さんにとってもそうであるなんて思わないことね。」
少しきつい言い方になるが、彼はこんなことで怒るような狭量な人ではない。少なくともそう思っている。
「貴方の口から私たちの関係を事細かに説明するの。初めて会ったときのことから全部ね。」
有栖は不貞腐れているような顔をして私をちらっと見た。
「わかったよ。全部話す。」
少々不本意そうだが、これも彼らのためだ。
証拠に、有栖が説明してくれるって聞いたときの顔がほっ、としてた。やっぱり気にしていたんだと思う。
「僕と椿の出会いはお見合いだったんだ。伯母がいつも持ってくる縁談の一つだった。椿に初めて会った時、この人の中には強い意志と先を見通す目があると思った。それから、ちょっとのことじゃ揺るがない強い心もね。この人なら、真澄のこと、きっと手伝ってもらえると思った。だから椿に友達になってほしい、って言ったんだ。椿は僕にとって、すでに穂高と同じくらい大切な親友だよ。真澄にも好きになってもらいたいんだ。」
「うん、わかってる。この人は憎まれ口を叩きながら、いつも人のためを思ってる優しい人だって分かったから。」
少しだけ恥ずかしそうにこちらに微笑みかけてきた真澄を見て、彼の本心がわからなくても、有栖が何故彼を好きなのかわかるような気がした。
「実際は貴方の言うような優しい人間じゃない。私は感情を抑えていられるような人にはなれない。ただそれだけ。」
本題からずれにずれたけど、まぁ少し打ち解けてきたように思えた。
「それよりも、本題の……」
「じゃぁ、なんでお見合いなんかしたの?自分から言いだしたわけじゃないだろう?」
まったく、この男の口をふさぐ方法はないの?ちっとも前に進まない。
「どうしてですか?」
クリクリとしたつぶらな瞳のこの子までもが……はぁ……
「……従姉の代役よ。今年で二十歳になる。」
「その子が来たくないって?」
「違う、皐月さんは何も知らない。私が見合いを受ける代わりに伯母と取引したの。この事を皐月さんに知らせず、私の願いを一つ叶えさせて欲しいって。」 二人が顔を見合わせた。それは何ら不思議じゃない。だって、たかがお見合いがどうして取引材料になるのか、彼らには検討もつかないんだから。
「後で調べて分かったの。貴方とお見合いしたうまくいかなかった令嬢は、その後二、三ヵ月間陰で笑われる運命にあるの。」
これも彼には検討もつかない答えだろう。
その証拠に彼には眉間にはっきりとした縦皺がある。
「どうして?」
いつもより低い声。どうも理解できなくてというより、単純な怒りらしい。
「貴方、自分が何て言われているか知らないの?穏やかな笑みを浮かべる氷の貴公子だって言われているのよ。」
「そう、で、どういう意味?」
この……馬鹿!
「仕草や表情は優しいのに、笑顔でそれ以上近寄らないように牽制しているみたいに見えるんでしょ?」
真澄!貴方は頭が良いわ、有栖と違って。
「よく分かるね。」
そこ、そんなことで感心しない。
「だって、初めて会った時、僕もそう思ったから。」
ほんの少ししんみりとした空気が流れた。真澄はその時を思い出そうとしているようにわずかに目を細め、幸福そうに微笑んだ。
「あの時の泰彦はすごく近寄りがたくて、すれ違うのだけでも緊張したんだ。」
有栖は初耳だったようで、数秒真澄をじっと見つめた。さながら、生まれたばかりの動物の仔が、初めて見る世界に好奇心を抱いているかのように。
「でもさ、よく見ていると泰彦は表情が豊かで、穂高と軽口をたたいている時が子供みたいですごく可愛い人なんだって思った。」
可愛い?想像できないわ。
「真澄……君、そんな前から僕のこと好きだったんだね。」
口調は至って真面目。でも、表情は気持ち悪いくらいに惚気切ってる。
「仲良くなさりたいのでしたら、他の所で仲良くなさったら?」
「そうだよね、あぁ、でも移動する時間がもったいないよ。」
この男に厭味は通じないのだろうか。厭味な笑みを浮かべていた顔をもっと厭味な満面の笑みにした。
もっとも、有栖が私の厭味に気付いていたとしても、自分の望みを実行するために無視するだろうけど。
私が移動したほうが早いし、簡単なんだろうけど、まけるみたいで癪。でも、今日ぐらいは負けてやるか。
不本意だけれど。
「ごめんなさい、この後約束があって。これで失礼させていただきますね。仙崎さん。」
着物で少し動きがゆっくりだったが、できるだけ速くきびきびとした動きで、二人きりにするためにドアへ向かった。
背中に物言いたげなおそらく、真澄の視線が張りついた。真澄にはこの状況に困惑と恥ずかしさしか抱かないだろうが、なんとなくほっとしている。有栖のあんな顔を見れたから。
なんだか穏やかな気持ちがすーっと、心に広がった。
個室のなかを区切るためのドアの前の衝立ての陰から、そっと中を伺えば、何とも言えない幸せそうな二人がいた。
その姿がなぜかある二人に重なって、知らず知らずこぼれていた笑みが、不安の中に埋もれてしまいそうだ。
私にもいつか、あんな風に笑い合える人が現れるだろうか。
でもきっと、それは幸福な事なのだろう。
……たとえ、どんなに苦しくとも。