プロローグ
はっきり言って読みにくいです。自分の文才のなさは自分でも分かっています。けど最後まで読んでくださったらうれしいです。連載が終わるのは一年ぐらいかかるかもしれませんので、首をながーくして待っていてください。
プロローグ
人の人生には二通りの道がある。自ら選択した道と、自分ではない誰かに選択された道。 私の場合後者だった。
私の十七年の人生は幸福とは言い難いけれど、不幸とも言えなかった。
私の母は藤村家という古い家に生まれた。
蝶よ、花よと、何不自由なく暮らしていた母。父と出会ったのは、母が十八の頃だった。父は若手実業家として母の結婚相手として申し分ない、と母の父、私の祖父は思ったそうだ。実際、両親が寄り添うように写る写真はお似合いだと、娘の私でさえそう思った。結婚式は盛大に行なわれ、幸せそうな二人の笑顔がずっと続くように思われた。
ある日のこと。
父の不在中に書斎で本を読んでいた小学生の私を追って来た母は、ごみ箱のなかに入った普段買わない女性物のブランドの袋を見つけてしまった。母は何気なく父にそのことを尋ね、父はあまりよく見ずにその袋を母から取り上げた。まだ幼い私にも父の様子がおかしいことがわかった。母にはそれが何を意味するのかがわかったのだろう。いつもすぐに父の後に付いていく母が、その日は、足元から見上げる私をやさしい腕でそっと抱き締めた。
崩壊の足音はいつも静かにやってくる。人の思いは永遠ではなく、変わらないものは何もないのだ、と母はどこか遠くを見つめながら呟いた。
一年が経ち、父はあまり家に帰らなくなった。
母は何も言わずにただ父のことだけを考え家を守り、いつも毅然とした態度で父にも親族にも接した。ただ、私だけにはときどき甘えるように抱きつくことがあった。それが何とも言えずうれしく、母に頼ってもらえることが私の背中をしゃんとさせた。人の目からみれば私は大人びた可愛げのない子供だったと思う。けれど、それは母を思う子供の精一杯の背伸びだった。
父と母が愛を誓い合った日から十年の時が流れ、あの日の幸せそうな笑顔にはもう戻れないと父と母は判断したようだった。
たった二人での最後の旅行。父と母は山奥の別荘に一泊二日で出掛けた。
その日は霧雨で山へと続く道は乳白色の霧がかかっていた。 そこからのことは詳しくは分からない。燃え盛った車を調べると、ブレーキオイルが少しずつ零れていたようだった。車両が不良品であったのではなく、意図的にブレーキオイルが零れていくように母が仕向けたのではないかと親族でさえも噂し、気高く美しかった母を写真にでさえも人々は蔑みの目を向けた。
そんな噂のある嫁の娘を父方の家族は引き取りたくないようで、父方の祖父母は一度も目を合わせようとしなかった。母の兄夫婦でさえも私を引き取るのを渋り、危うくたらい回しになるところを母方の祖父の一言に救われた。
「私の所にくるといい。味気ない老後の一人暮らしに最後の華を添えてくれれば良い。」 祖父は普段人のすることに口出ししない寡黙な人だった。にもかかわらず、私のために言ってくれたこと、それが何よりもうれしかった。
祖父の所で暮らし始めた九歳のころ。
祖父の家は兄夫婦のいる母屋から、濃い緑に囲まれた石畳を通る離れになっていた。
離れといっても、祖父の家は十分すぎるほど広く、今まで洋風の建物に住んでいた私にはここは人の暖かさがあると思えた。
一部屋一部屋は広すぎないくらいに広く、よく手入れされていた。祖父に案内されて与えられた寝室に入ると、和風の家には不釣り合いなほど大きくて乙女チックな天蓋つきのベットと、アンティークの机と椅子が置いてあった。少しだけ泣きそうになりながら祖父を見ると、やさしい眼差しで見つめ返してくれた。
祖父と暮らし始めてから八年が経ち、私は十七になった。
相変わらず、兄夫婦は私に冷たく、自然と彼らに向ける私の目は冷たくなった。藤村家において、私の存在は数少ない汚点だと、兄夫婦が話しているのを聞いたことがある。それがわざとであることは、伯母の嘲笑で分かった。そんな生活を続けながら、祖父の他に従兄妹の如月さんと皐月さんと仲良くなれた。たった三人が私のここでの全てだった。
だから私は伯母の話を受けることにした。皐月さんに来たお見合い話を。皐月さんには誰よりも幸せになってほしかったから。