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20年櫻

作者: taishi

初めて書いた小説です。温かく見守ってください。

3月11日は東日本大震災が起こった日です。

震災の起こる前に執筆した小説ですがこの小説を書き始めた時にはこのような悲劇が起こるなんて思いもよりませんでした。

被災された方々、そして被災地の一日でも早い復興を心より願っています。


 <平成24年3月12日 14:20>

「もう一度、あの時みたいに皆で櫻が見たいんだ・・・。」

病室のベッドに横たわり窓を眺めながら植原は言った。

「あの時って?」突然の植原の発言に三浦は少し驚きながらも聞き返してみた。

「ほら、あの時だよ。俺たちが入社して初めての仕事、徹夜で芝公園の花見の席取りしただろ?」

「ああ、あれかぁ・・・。」三浦は素っ気無く病室の窓の外を眺めながら応えた。

そんな三浦の反応をよそに植原は話しを続ける。

「あの時は大変だったなぁ、眠いし、寒いし、酔っ払いに絡まれるし。けど・・・あの時見た櫻は今でも忘れない。」

三浦と植原の勤める帝和グループでは毎年恒例の花見大会がある。その年に入った新人が徹夜で場所取りをするのが伝統であり、三浦と同期の植原は20年前に共に徹夜をして場所取りをした仲である。

 

植原守は現在三浦と同じ42歳、かつては花形部署の国際営業部だったが体調不良を原因に10年前の人事異動で経理への異動し、現在は経理課長の地位にある。

入社当時から生真面目で心優しく、揉め事を嫌う性格、27歳の時に社内の一般職である3つ年上の女性と結婚し、現在では高校1年と中学2年の息子の父親である。

そんな植原が食道癌に罹り入院したと聞き三浦は見舞いに来た。


「なあ・・・三浦、お願いがあるんだ。もう一度同期のメンバーを集めてあの時みたいに櫻が見たいんだ。

俺はもう長くは無い。最期のお願いだと思って俺の願いを聞いてくれないか?」

思いもよらぬ依頼に三浦は驚き戸惑った。

「そんな事を急に言われても無理だ。第一お前と俺を抜いて3人はもう帝和にはいない、消息不明だ。もう1人だって・・・、解るだろ?無理だ。」

しかし、植原は「頼む。」の一点張り、昔から穏やかな割に頑固で譲らない一面がある。

入社当時から変わらない。

しばらくの押し問答の後に三浦は根負けした。

「仕方ない・・・解った・・・、ただし、期待はするなよ!」と了解をしてしまった。

「ありがとう。三浦なら引き受けてくれると信じていたよ。ただし、この件は同期の皆に会って話してほしい。皆が今どんな状況なのかお前の口から俺に教えてくれ。忙しいのは百も承知だ。だが頼む!」植原はベッドの上で頭をさげた。

「おい!やめろよ!頭なんて下げるな!他の人が見てるだろ。解かった、会って話すよ。」

「本当か?ありがとう。」

植原は癌でやせてしまった細い腕を差し出して握手を求めて来た。

痩せたなぁ・・・、ほとんど骨と皮だけになった植原の手を握ると最期だというのも嘘ではないと実感してしまう。

ふと、時計に目をやると見舞いに来てから30分も経過している事に気が付いた。

「いかん、16時からクライアントとの大事な打ち合わせだ。資料もまだ目を通していない。そろそろ行くよ。」

「ああ、忙しい中、わざわざすまないな。その件はよろしく頼んだよ。」

「何度も言うが期待はするなよ。」

「いつも期待を裏切らない男だろ?」

植原は窪んだ瞳を細くして微笑んだ。こけた頬が痛々しい。

三浦は何も答えず病院を後にした。


茗荷谷にある病院から虎ノ門の帝和グループ本社に戻ったのは15時だった。

帝和グループは明治2年、帝和科学工業株式会社として創業した。当時は国営企業であり、国の科学薬品のすべてを担ってきた。現在は科学薬品だけでなく、精密機器部品を筆頭に自動車部品、繊維、衣料、食品などを手がける一大化学メーカーとしてその地位を不動の物にしている。

資本金800億円、国内に10、海外に30の拠点を持っており、子会社、下請け、孫受けは本社の人間でも把握しきれていない。もちろん学生の就職人気企業ランキングには常に上位に入っており、春には選りすぐりのエリート達が入社してくる。

しかし、厳しい社内競争の中で生き残るのは1割、出世コースに乗り重役の椅子を手にするのはほんの一握りの人間である。

そんな厳しい環境の中、三浦和夫は現在、国際営業部の日本統括部長の地位にいる。

会社のナンバー2である義理の兄の大山信明専務からの信頼も厚い。

来期の取締役会で大山専務の副社長昇格が決定すれば、夢にまで見た重役の椅子を手に入れる事が出来る。

ここまで来る為に三浦は全てを尽くして来た。ライバルを容赦なく蹴落とし、当時社長の大山家の娘を嫁にもらい、コスト削減のためにリストラを積極的に行った。

当然敵も多いが、三浦は着実に実力と地位を手に入れた。

批判の声を聞くたびに三浦はそれを跳ね除けて来た。なんとでも言え、蟻がどれだけ集まろうと象の耳には届かない。

三浦はまさに自分こそが帝和グループの勝ち組であると確信していた。

三浦のオフィスは帝和本社の43階にあり、眼下には国会議事堂を始め東京を一望することができる。

重役になれば45階の専用の個室がもらえる。

「あと少し、あと少しだ・・・。」三浦は自分にいつもそう言い聞かせてここまで登りつめた。


現在、時刻は15時20分、クライアントが到着するまで少し時間がある。

三浦は植原からの頼みについて考えていた。まずは同期の消息を探らなければならない。三浦はメモ用紙に同期4人の名前を書き出した。

戸田健太郎

織田真由美

茂木行海

岡田雄大

「佐々木、ちょっと来てくれ。」三浦は目の前でパソコンを打つ痩身の男を呼んだ。

「・・・・何か?」男は機械のように冷たい返事をして三浦の席の前に立った。

「お前、上司に向かって何か?なんて口の利き方はないだろ!」

「以後気を付けます。何か?」三浦の恫喝が何も無かったかのように、佐々木はまったく感情の無い声で応えた。眼鏡の奥からは冷ややかな眼光が垣間見える。

この佐々木という男は優秀な部下だが、誰に対しても心を開く事はない。特に三浦には敵意に近い態度を取り、ほとんどコミュニケーションを取らない。しかし、優秀な男である事に変わりは無く、部下を駒としてしか見ていない三浦には最適な部下なのかもしれない。

「ここに書いてある人物は全て平成元年入社の人間だ。この四人の会社に残っている資料と現在の消息を16時までに調べろ。」

三浦はそのメモを佐々木に渡した。

佐々木は感情の無い目でメモを見つめ、「何の為にですか?」と質問を投げかけて来た。

「お前が知る必要は無い、お前は与えられた業務を遂行するだけだ。」

少し佐々木はメモを見つめ、その感情の無い視線を三浦に戻した。

「了解いたしました。しかし、この戸田という人物は確か関西の・・・・、」

「お前が知る必要は無いと言っているだろ!」三浦は一喝した。

オフィスが一瞬静まり返る。

誰もが三浦を恐怖の目で見つめていた。

「以後気を付けます。」佐々木はまた感情の無い声でそう応え自分の席に戻った。

「・・・まったく、腹の立つ男だ。」

佐々木をはじめ社内の誰もが三浦を嫌い、恐れ、妬み、蔑んでいた。

まあいい、俺は一人だ。俺が重役になった時にここにいる全員が俺にひれ伏す。

しかし、違ったやり方でもここまで来れたのではないか?最近三浦はそう思う事が多くなってきた。

もしも、戸田がいたなら違うやり方でここまでこれたはずなんだが・・・・・。

何を考えているんだ、俺らしくもない。

三浦は16時からのクライアントとの打ち合わせに意識を集中させる事にした。


<平成24年3月12日 16:30>

「クライアントも大分納得してくれたようだな。」専務の大山はガラス張りの部屋から外を見下ろしながら三浦に言った。

「ええ、元々無理なコストでの発注でしたが、下請けにコストダウンを義務付け、それに対応できない下請けはずべて発注をストップしました。」

「発注ストップによる影響で下請けが2社ほど破産に追い込まれるだろうな。だが何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない。下請け2社ぐらいで済んだなら安いものだ。今回のブライアン・スミス社との取り引きは100億円の規模になる。これが成功すれば私の副社長就任も夢ではない。最後まで気を抜くなよ。」

「了解いたしました。失礼致します。」

三浦は大山の個室を後にした。

今回の取り引きはアメリカの高性能電子機器メーカーのブライアン・スミス社への部品提供である。

ブライアン・スミス社の電子機器の部品に、帝和グループの精密機器部品の多くが採用されたのが始まりである。

しかし、第一回目の打ち合わせでブライアン・スミス社が提示した金額は予想の金額よりも30%低い金額での提示だった。

だが、発注規模としては100億を超える規模であり、世界のブライアン・スミス社への部品提供は大きな宣伝効果をもたらす。必ず成功させなければならないプロジェクトである。

帝和グループ内での意見は2つに別れた。

ひとつは「下請けにコストダウンを要求して、ブライアン・スミス社の提示コストにあわせる。」この意見は大山を筆頭に役員の70%が支持をした。

一方、「再度、ブライアン・スミス社と交渉をし、お互いが一番折り合いの付く数字を模索しよう。」

この意見は常務である田中をはじめ役員の30%が支持をした。

田中側の意見は正論であった。下請けを守る事が出来て、なおかつ今後のブライアン・スミス社との取り引きでも交渉の余地を手に入れる事ができる。

しかし、役員の大半はそれを拒んだ。ブライアン・スミス社と波風を立てるのを嫌い、何より下請けに無理強いした方が早いと判断した。当然、下請けは今回の申し出を拒否したが、拒否した下請けは受注をストップするとの脅しを掛け、無理やり下請けを付いてこさせた。

その一連の流れを推進したのが、大山専務であり、三浦であった。

その為、ブラウン・スミス社の提示コストにあわせる事が出来た今、100億規模のプロジェクトの成功は手の届くところまで来ていた。


自分の席に着いた三浦は社外秘と書いてある4枚の封筒が机に置いてある事に気づいた。

封筒の隅にそれぞれ戸田、織田、茂木、岡田と書いてある。中を確認してみると入社当時の履歴書、会社に残る資料、現在の連絡先と簡単な状況が書かれた紙が入っていた。

いつもなら書類の小さな曲がりや、日本語の表現などで佐々木の揚げ足を取ってやろうと思うが、履歴書の写真を見てあの頃の記憶がよみがえって来た。

あの時の、あの櫻を共に見た、あの四人の写真が三浦を回想の世界へと誘った。


<平成元年4月2日 8:30>

平成元年、帝和グループは三浦をはじめ6人の新入社員を入社させた。

本日、晴天。

三浦は社会への期待と不安を胸に入社式の会場を目指していた。途中で公園のトイレに立ち寄り身だしなみをチェックする。今日は東北の両親が送ってくれたネクタイを締めての出勤だ。

三浦の家は決して裕福ではない。しかし、東京の大学に無理をして出してくれた。その気持ちに報いる為に三浦は必死に勉強し、日本最高峰の帝東大学を主席で卒業し、最難関と言われる帝和グループの内定を手に入れた。

高鳴る鼓動を抑える為、三浦は深呼吸をした。

「今日から俺もあの帝和グループの一員だ!帝和で出世して東北の父ちゃん、母ちゃんを楽させたい!絶対に頑張るぞ!」鏡に向かって自分に気合を入れた。

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」

耳をつんざく様な大声がトイレの個室から聞こえてきた。

「だ、大丈夫ですか!?」三浦はおそるおそる個室の中の男に聞いてみた。

「大変や!!!一大事や!!!紙があらへん!!!兄ちゃん悪いけど隣の個室から紙取ってくれへんか?」相手は関西弁でそう応えた。

あまり関わりたくないが仕方ない、三浦は隣の個室からトイレットペーパーを投げ入れた。

「いで!兄ちゃん投げ入れるときは入れますよーぐらい言ってくれな。」トイレの関西人はブツブツ文句を言い始めた。

なんてやつだ。元は紙を確認しなかった自分が悪いのに文句まで言いやがって!!これだから関西人は!

三浦は関西人が嫌いになっていくのを感じた。

しばらくして男が個室から出てきた。身長は三浦より若干高く180cmぐらい、よく焼けた肌に引き締まった肉体、大きな口と耳をしており、少し猿顔である。スーツを着ているが年の頃は三浦と同年代に見えた。

「イヤー!兄ちゃんありがとう!何とか助かったわ。感謝感謝やで。」

猿顔の関西人は三浦の手を握り、上下にぶんぶんしながら話した。

「この恩、一生忘れんわ!!ほな、兄ちゃん俺急ぐから、またいつかな。」そう告げると関西人は足早に去っていった。

三浦はただ呆然と猿顔の関西人の背中を眺めていた。

「なんなんだ?あいつは?それより・・・・あいつ、手は洗ったのか?」三浦は自分の手をおそるおそる見つめた。


悪いことは続くものだ、三浦はそう実感した。

「おー!兄ちゃん!お前もか!」入社式の会場に響き渡る声で叫びながらあの猿顔関西人が寄ってきた。

周りの帝和グループの先輩社員は怪訝そうな顔で二人を見ている。

「大きな声を出すな!周りの目線をみろよ!!」三浦は猿顔関西人をすみに引っ張って行き小声で注意した。

しかしサル顔関西人はどこ吹く風、「何でやねん、挨拶とおっぱいは大きい方がええって小学校で習わんかったか?俺、戸田健太郎!大学では結構有名なストライカーやったんやで!自分知ってるか?城修大のゴール前の黒ヒョウ伝説。知らんのかい!なら教えたるわ、あれは俺が一年の時、宿命のライバル帝東大学からハットトリックを決めた時から始まるんや・・・・・、ところでお前名前なんなん?

三浦和男・・・、カズオてなんやねん!、オカズみたいやン!今晩のオカズは人気AV女優のカレンちゃんでっか?なんてな、がはは!!」

戸田の下ネタ発言とサルのくせに黒ヒョウ伝説?挙句の果てに自分の名前を馬鹿にされた事で三浦の怒りは頂点に達した。

「・・・お前、・・・いい加減に!!」

「そこの二人!早く席に着きなさい!!」三浦が怒鳴ろうと思った瞬間、後ろから人事担当に怒鳴られてしまった。

「へーい。」

「・・・・はい。すみません。」

戸田はつまらなそうに、三浦は怒りを納めながら席に着いた。


その後、入社式がはじまり形式じみた式は一時間ほどで終了した。

新入生は控え室に戻り各自簡単な自己紹介をするように人事担当から指示を出された。


「植原守です。帝東大学文学部卒業です。帝和グループではグローバルな舞台で活躍が出来るビジネスマンになるのが夢です。よろしくお願いします。」

まだスーツを着慣れていないあどけなさが残る男だ。七三に分けた髪と、ほんのり赤いほっぺ、笑うとできるえくぼが印象的で、ぼっちゃん刈りとクリクリした瞳が小犬を彷彿とさせる。

三浦と同じ帝東大だがキャンパスが違う為、面識は無かった。優等生タイプだと三浦は感じた。


「あの、城修大学出身、お、岡田雄大です。学生時代はアメフト一筋でした。よろしくお願いします。」

岡田は大きな体を曲げて一礼した。190cm、体重は100kgはある象のような巨体の持ち主ではあるが、その巨体には似合わないどんぐり眼と団子鼻、少し緊張し、しどろもどろな自己紹介はアニメのキャラクターのようで思わず笑いそうになった。案外気の優しいタイプなんだろろう。


茂木行海(もぎいくみ)、帝東大理工学部出身。よろしく・・・。」

分厚いめがねに、ぼさぼさの髪、一昔前のスーツはよれよれでしわだらけ、穴から顔を出したモグラのような男がぼそぼそと自己紹介を終えた。

しかし、帝東大の理工学部といえばノーベル賞を何人も輩出している日本最高峰の頭脳が集まる場所だ。天才と変人は紙一重であると茂木を見て三浦は思った。


「そして俺が城修大の黒ヒョウ、戸田・・・・・・(以下省略)」

一時間ほど戸田の独演会を聞かされる事になった。


「はい!私の名前は織田真由美です。城修大学法学部出身です。学生時代はロサンゼルスとロンドンに留学に行った事もあります。女の子は私一人ですが、皆さんよろしくお願いします!」

はつらつとした自己紹介をした紅一点の女性。リスのような黒目の大きい瞳が印象的な女性だった。整った顔立ちと髪を後ろで結び、ピンと背筋を伸ばした姿はまさに健康美という言葉がふさわしい。同じ法学部だし話が合うといいなぁ・・・と三浦はあらぬ期待をした。


三浦を含め見事に日本大学界の双璧である帝東大と城修大に別れた。それは同時に帝和グループの二大学閥を意味する。

それにしても、植原→子犬、岡田→象、茂木→モグラ、戸田→猿(黒ヒョウ×)、織田→リス

ここは動物園だなと三浦は心の中で笑った。


「三浦和男です。帝東大学法学部出身です。入社後は固定概念にとらわれず、国際的な視野をもつ社会人になりたいです。また、将来的には帝和グループの役員になり、経営の面から帝和グループをより良くしていけるようにがんばりたいと思っております。皆様よろしくお願いします。」

決まった・・・・!!、美しいほどにすばらしい自己紹介だ。三浦が満足げに席に戻ろうとすると、

「硬ったい挨拶やな~、中年か。」と戸田が汗をふく中年サラリーマンの真似をしながら野次を飛ばしてきた。他の同期のなかでクスクス笑いが起きる。

「戸田君、やめなよ~。」と言いながらも真由美も笑いを堪えている。


・・・・このやろう・・・・・!!!絶対ぎゃふんと言わせてやる!三浦の中に復讐の炎が燃え盛っていた。


<平成元年4月10日 22:00>

新入生六人は3ヶ月の研修カリキュラムの後、正式配属となる。

研修カリキュラムはビジネスマナーの基礎から、プレゼンテーション、英会話、ディスカッション、ビジネス心理学などベテラン社会人でも根を上げる様な内容となっている。そんな中、三浦と意外にも戸田が高得点を出し続けた。緻密に計画を立て、慎重すぎるほどに物事を進める三浦に対し、戸田は常に積極的に行動しリスクを取りながら豪快に物事を進める。まさに対照的な二人だった。

「戸田め・・・、くそ!」三浦も戸田もいつしかお互いをライバル視していた。


そんなある日、本日のカリキュラムを終えクタクタになった6人を人事課長がある部屋に集めた。

部屋には花見用のゴザ、クーラーボックス、カラオケ機器、そして寝袋が大量に置かれていた。

6人は寝袋を見た瞬間嫌な予感がした。すると人事課長が一つ咳払いをして演説でもするかのごとく6人に向き直った。

「明日は帝和グループの花見大会だ。参加人数は150名。午前10時開始、君たちは明日の花見大会のために今から場所取りをしてきてくれ。」

「今からて!明日の朝じゃだめでっか?」戸田が素っ頓狂な声で聞いた。

「朝の席取りじゃいい場所が取れないじゃないか、徹夜で取るから良い場所が取れるんだ。会社の為、上司の為、君たちはこの任務を成功させるのだ。」

社会とは不条理なものだと三浦は感じた。

なく、三浦をはじめ6人は重い荷物を背負いながら虎ノ門の本社を出て、芝公園を目指した。


<平成元年4月10日 23:30>

23時半とは言え夜桜を見て花見を楽しむ客は多かった。

「よし、まずは場所探しだ。手分けして皆で最高の場所を探すぞ。」

三浦がまわりを見渡しながら言った。

「アホ、酒が先や!先に買いに行かんと売り切れてまうで、まずは酒の確保や。」

戸田が間髪入れず反対した。

「花見は櫻が見えるポジションをみつけるのが優先だろ?」

「なんでやねん!花見は酒や!」

「櫻だ!」

「酒や!」

「まあまあ、落ち着こうよ。どっちも重要だし、どっちも正論だ。二手に分かれたらどうかな?」

植原が笑顔で二人の間に割って入った。赤いほっぺの植原の笑顔に三浦も戸田も渋々抜いた刀を鞘に納めた。


話し合いの結果、戸田、真由美、岡田が場所探し、三浦、茂木、植原が買出し担当になった。

カラオケセットが不調で、植原は近くの家電量販店に修理にカラオケセットを持って行くことになった為、三浦と茂木は二人で買出しに行くことになった。


「茂木は俺たちと違って技術職採用なんだってな。」

「・・・ああ。」

「うちは技術職はヘッドハンティングで取ってくるからな。新卒採用は10年振りだそうだ。」

「・・・そうか。」

「茂木は学生時代は何をやっていたんだ?岡田みたいにアメフトに打ち込んだりとかあるのか?」

「・・・研究。」

「好きな芸能人や好みのアイドルはいるか?」

「・・・知らないし、興味がない。」

茂木は学生時代から研究成果が高く評価されるなど注目を浴びている存在であった。

開発技術部の部長が、なんとしても茂木を入社させたいと大学に何度も足を運んだという話も聞く。

「天才・茂木」入社前から帝和内部ではその話で持ちきりになっていた。

一方、天才=変人の可能性は否めない。茂木は極端に口数の少ない男だ。

岡田も口下手で口数は少ないが、茂木はしゃべる気が無いのだろう。茂木にとっては会話はあくまで必要最低限の伝達方法であって、それ以外は何も意味を成さないものなのだろう。


近くの酒屋まで行って指定された種類の酒を購入、二人で持つには量が多いが力を振り絞って芝公園を目指した。

「くそ!なんて重いんだ!いいよなぁ、場所取りは楽で。戸田なんか適当な場所を見つけて、今頃さぼってるに違いない。」

「・・・三浦は戸田が嫌いなのか?」

「嫌いって・・・、言うか・・、なんとなく合わないだけだ。俺は仕事には個人的な感情は持たない。」

「戸田は、三浦の事を認めている。三浦も戸田の事を心のどこかで認めているはずだ。二人が組めば面白い科学反応が見られそうだが。」

「そんなの!・・・、第一俺が心の中で認めているなんてわかるのかよ?」

「見ていれば解かる。」

茂木は言葉数は少ないがはっきりとした口調で言い切った。


「ちょっと!止めてください!!」

芝公園に着いた途端に真由美の叫び声が聞こえた。

声の方向に行ってみるとチンピラ風の酔っ払い3人の男達が、真由美を取り囲んでいる。

「いいじゃねーかよ、ねーちゃん。俺たちと飲もうぜ。」

「酒も沢山あるし、ねーちゃんがちょっとサービスしてくれるなら小遣い弾んでやってもいいぜ。」

「サービスはそれなりのサービスを期待するぜ。ぐへへへ。」

「いや!離して!あなた達と飲む気はありません!」

真由美は一人必死に抵抗していた。

しかし、多勢に無勢痺れを切らしたチンピラ風の男が真由美の腕を引っ張った。

「がたがた言ってねーで!こっち来な!!」

「いや、痛い!誰か助けて!」

真由美は泣きそうになるのを必死に堪え叫んだが、時刻は深夜0時である。ほとんど人はいない。

どうする?三浦は隣の茂木を見た。

しかし、そこには茂木の姿は無かった。あいつ・・・、逃げやがった!

その間にも真由美は引っ張られていく。

どうする?相手はチンピラ風の男三人だ。一人でなんとか出来るのか?その前に変な因縁を着けられても困る、社会人として揉め事はご法度、もし社内に知れたら出世の道は閉ざされ、ひょっとしたら解雇の可能性だってある。しかし、止めに入らなければ真由美は連れてかれる。助けを呼びに行くか?いや間に合わない。止めにいくか?男たちに暴力を振るわれる可能性だってある。どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?どうする?ドウスル?ドウスル?どうすればいいんだ?

三浦は自分の鼓動が極限まで早くなり、思考が止まっている事に気づいた。


「待てやーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

その声に誰もが振り向く、するとそこには岡田に肩車をさせている戸田の姿があった。

なぜに肩車?その場にいた誰もが突っ込みを入れたくなったが、そんな事は気にせず戸田は続けた。

「お前ら俺の仲間になにしてんねん!真由美はお前らとの飲む気はイチ・デシ・リットルもあらへん。とっとと、家に帰ってシコっとれ!ボケが!」

おそらく酒=液体=デシリットル(単位)で上手く言ったと思ったのだろう。戸田は満足げな顔をしている。

「とうっ!!」と岡田から飛び降りた。戸田は見事に着地は失敗して顔面を強打した。

チンピラ風の男たちが戸田の方に寄ってきた「なんだてめーは、痛い目合いたいか!」とドスの効いた声で脅しを掛けてくる。

しかし、その間にぬっと岡田が体を入れてくる。普段は優しく、口下手な岡田だが、190cm、100kgの体は迫力がある。チンピラ風の男達が後ずさりするのがわかる。

「か、帰って下さい。お、織田さんが嫌がっています。」

本当は岡田も怖いんだろう。どもりながらも声を振り絞った。


チンピラ風の男達と、岡田、戸田のにらみ合いが続く中で、誰かがそっとチンピラ風の男たちのジャケットのポケットに何かを入れた。

それは紛れもない茂木であった。

茂木はそのまま三浦の元まで歩いて来た。

「茂木、お前何を入れたんだ?」

「・・・すぐに解かる。見てな。」

三浦は疑問が解けないまま状況を見つめていた。

「小僧ども、痛い目見ないと解からないみたいだな。」チンピラのリーダー核の男が指を鳴らしながら戸田に近づいた。

まずい、このままでは戸田がやられてしまう!三浦は焦った。しかし、次の瞬間ありえない事が起こった。

「あ、兄貴!ジャケットから煙が・・・・、あっ、俺もだ。熱い!熱い!」

チンピラ男たちのジャケットから白い煙がもくもくとあがるのが見て取れた。

「なんじゃーこりゃ!!おい!脱げ!脱げ!」

慌てふためくチンピラ3人、三浦、戸田、岡田は呆然としているが茂木だけは笑いを堪えていた。

何をしたのか解からないがチンピラたちは大混乱だった。

「お巡りさん!こっち、こっち、あの三人です。」

振り返ると植原がマイクを使って警察を誘導している。

「兄貴、警察はまずいですぜ!」「ちきしょー!!お前ら顔は覚えたぞ!!!」

チンピラ3人は一目散に逃げ出した。


「植原、ありがとうな!警察呼んできてくれて助かったわ!!」

駆け寄って来た戸田に対して、植原はバツの悪そうに言った。

「警察は呼んでないんだ、あれは演技だよ。」

「なんやねん、この演技派が!!」

戸田が植原にヘッドロックを掛ける。痛い痛いと言いながらも植原は誇らしげだった。


誰もいない夜の芝公園で6人は一足早い宴会を始めた。

「カンパーイ!!」缶ビールで盛り上がる中、三浦だけが浮かない顔をしていた。

「三浦君どうしたの?」ほろ酔いの真由美が三浦に聞いた。

「いや・・・、皆すごいよ。俺、真由美が絡まれている時、混乱して動けなかった。怖かったってのもあったのかもしれない。けど、いろんな事を考えすぎて結局動けなかった。どうするかなんて二の次でまずは止めなきゃいけなかったんだよな。・・・・・本当にごめん。」

「三浦君・・・・。」一同押し黙る。


「ええんちゃうの?」しばらくして戸田が言った。

「確かに三浦は動けんかったかもしれん。けど、俺かて茂木の奇策と植原の機転がなかったら今頃、チンピラにボッコボコや。まあ、岡田が何とかしてくれとったかも。」

ゲホッゲホッ、岡田はむせながら「お、俺は喧嘩なんかできないよ。」と否定した。

「何やねん!でかい図体して使えんやつやなぁ。」どっと笑いが起きる。

「ところで茂木、あの煙どうやってやったんだ?」植原が皆の疑問を代表して聞いた。

隅の方で飲んでいた茂木は頭を上げた。

「あれか、簡単な仕組みだよ。高濃度の水酸化ナトリウムと水を混ぜると、発熱効果があり、それに伴い煙も出る。今回、空き缶の中にその二つを入れた簡易性の発煙筒を作っただけさ。」

「高濃度の水酸化ナトリウムなんてどこで手に入れたんだ?」

すると茂木はおもむろに自分のかばんを指差し、

「ある程度の薬品はいつも持ちあるくようにしている。」と話した。あはは、笑いながらも皆心なしかかばんから離れた。


みんな程よく酒が回ったところで岡田が急に立ち上がった。

「お、俺!実家がずっと農家なんだ。俺のじいちゃんも、ひいじいちゃんも、俺は農家の跡取りで終わりたくない。帝和で必ず何かを残してやる!!」鼻息を荒くして岡田は語った。

その目はらんらんと輝いており、夢に燃えていた。

すると次は真由美が立ち上がり語りだした。

「じゃー、私も!!私は帝和初の女性役員になる!もう決めちゃった。」

よっ!日本一!周りから声が上がる。

「よっしゃ!真由美が重役なら俺は社長や!!俺が帝和をひっぱったる!!」戸田が間髪いれずに宣言した。

「おいおい、戸田が社長じゃ帝和グループも危ないな。」「私も戸田君の下いや~~。」

「なんでやねん!」あはは、と笑い声がこだまする。真由美は笑いながらも戸田を見つめていた。

「茂木はどうなんだ、何か夢とかあるのか?」三浦は聞いてみた。

「・・・笑わないか?」茂木はあたりを見回した。「笑わないよ」五人は口を揃える。

「・・・・・・・純国産のロケットを飛ばしたいんだ。日本の技術では不可能と言われているけど、俺は、・・・挑戦したい。」茂木は自分の決意を口にした。

「ええ夢やん!笑えるところ無いで。」戸田が突っ込んだ。

「理工学を少しでも学んだ事がある人間なら、純国産ロケットなんて夢物語で誰も口にしない。けど、ここにいるメンバーは真剣に俺の話を聞いてくれた。ありがとう。植原、三浦はどうなんだ?」

「俺は子供ができたら自慢の両親になりたい。前に自己紹介で言ったグローバルな舞台で活躍するっていうのは建前なんだ。俺は親父を早くに亡くしている。だから、俺が見れなかった親父の背中を子供に見せてやりたいんだ。」植原は照れくさそうに言った。

「俺は終わりだ、最後に三浦。いいの頼むぜ!」

「俺は・・・」、残りの五人が食入るように三浦を見つめてくる。

「・・・・・内緒だ。飲もうぜ!」

「なんだよ~~~」「言えよ~~~~~~」「そんな落ちかいな!」5人はそれぞれ文句を言った。

言える訳がない。三浦の夢、このメンバーと来年も再来年もこの先ずっと笑い合っていたいという願いだったのだから。

恥ずかしくて言うことが出来なかった。

そのあとも、6人は夜桜の下で朝がくるまで語りあった。


<平成23年3月14日 11:00>

「このプランはあまりに厳しすぎます!!下請けに倒産しろと言っているようなものです!もう一度ブライアン・スミス社にコストアップの交渉をお願い致します。我が社の精密機器部品は下請けの開発協力があって初めて商品化された物です。他社と完全差別化が出来ているこの商品ならブライアン・スミス社も我が社の提案を呑むはずです。下請けを切ると言う事は帝和の技術を切ると言うことです。」常務の田中が役員会で一人訴える。

「しかし、田中常務。差別化とは言うけれども、現在では海外でも生産ラインは存在しているではないか。つまり、もう海外でも作れる商品なんですよ。それに下請けの開発協力などなくても帝和グループ内で開発は十分できる。下請けの人間が優秀なら帝和グループに入っているはずだ。

100億のプロジェクトだ。絶対に失敗させたくない。子会社を存続させるとなるとその分のコストは約年間で10億は必要となる。

そこまでの経費をかけてまで子会社を守る必要があるのかね?

近年では世界の一流企業は大胆な人員削減によるコストカットにより効率化を図っている。

現に今回の相手先であるブライアン・スミス社も主力工場であるデトロイト・ミシガン・フロリダの3工場を閉鎖し、中国へ生産拠点を移している。自社の技術力うんぬんは時代に逆行しているのだよ。

極端な話、いらないものは切り捨てる。一番シンプルで効率のいい形に帝和を生まれ変わらせるんだ。私の意見は間違っているかな?」

大山専務は冷静に状況を分析し相手の弱点を突く反論をする。議論での追い込みで大山専務に勝てる人間は帝和グループにいない。

「それは・・・・、私の一存では・・・・しかし、このままでは下請けが・・・」

「田中専務は帝和グループより、子会社の方が大事だとおっしゃりたいのですね!」

「あの、私は・・・その、別にそのような事は・・・」

田中は完全に押さえ込まれている。

「来週にでもコスト各下請けにコストダウンの申請をいたします。リストは大体私の頭の中で完成しています。」大山は勝利を確信しきったように言い放った。

そうして役員会議は終了した。


今回のプロジェクトが成功したら大山派閥は間違いなく帝和グループのメイン派閥になる。

田中専務は優しすぎる。派閥の頭の器じゃない。

かつては大山(当時は常務)、和田常務の2大派閥が帝和グループを牛耳っていたが、和田の失脚後、大山派閥は破竹の勢いで勢力を伸ばしている。

かつて三浦は田中の下であったが、大山に引き抜かれ現在にいたる。


自分の席に戻りパソコンのメールチェックをしていると岡田と茂木から返信が来ていた。

岡田は現在、埼玉で農業をしており、茂木は大田区の中小企業に勤めているらしい。

二人とも負け犬だな。三浦は鼻で笑った。

しかし、植原の頼みもあるので会いに行くことにした。今週のスケジュールを見ると明日は埼玉支店への視察、明後日は大田区にある下請けへの訪問がある。

「佐々木、ちょっと来い。」

「・・・なにか?」佐々木は無愛想に応える。

「明日の埼玉支店への視察を2時間の予定を1時間削れ、それと、明後日の大田区の下請け訪問のアポイントを一時間早めろ。いいな!」

「しかし、埼玉支社はこの日の為に二時間分の説明資料を作成済みです。大田区のアポイントもこれで3度目の時間変更になります。いくらなんでも・・・」

「何でもなんだ?やる前から不可能というのか?出来たらお前はどう責任をとる?」

「・・・申し訳ございません。今すぐ調整いたします。」

佐々木は憮然として自分の席に戻って電話をかけはじめた。

三浦は岡田、茂木にアポイントのメールを出した。


<平成23年3月14日 23:00>

「ただいま。」

世田谷の高級住宅街にある一戸建てが三浦の住まいだ。以前は他の地域に住んでいたが、住環境は最高のステータスであり、高級住宅街に住むことによって周りの人間のグレードも高いと三浦は考えている。

「おかえりなさい。遅かったわね。」奥から妻の久美子がパジャマ姿にカーディガンを羽織ってやってきた。

「仕事が長引いてな、風呂に入る。沸いているか?」

「・・・まだですけど、あなたご飯はいいの?今日は舞の誕生日だから私頑張っちゃった。今から暖めるから、」

「飯はいらない。早く風呂を沸かせてくれ。」三浦は冷たくあしらった。

「・・・解かりました。」久美子はとぼとぼと風呂場に向かった。

久美子は帝和の前社長・大山一善の娘であり、専務である大山の妹である。

三浦は久美子の事を愛してはいなかったが、出世の為に久美子に愛を囁き結婚にまで結びつけた。

結婚2年目に久美子が長女を出産し家庭を持つ社会人としての地位を手に入れる事が出来た。

ネクタイをはずしながらリビングへ向かうと、高3の娘、舞がアメリカのダンスDVDを食入る様に見ていた。

「おい、またダンスの真似事か?そんなことは時間の無駄だぞ。今から勉強して父さんの様に大企業に戸勤めて、結婚でもしたらどうだ。少しは将来の事を考えろ!」

しかし、舞は無視してDVDを見続けている。三浦はリモコンで無理やり舞の見ているDVDを消した。

「何するのよ!せっかく勉強してるのに!」

「あれが勉強だと!ダンスで大学にいけるのか?」

「私大学には行かない!バイトして、お金貯めて本場アメリカにいくの!」

「馬鹿かお前は!大学に行かないやつは負け犬だ!一流企業に入れない奴も負け犬だ!何度も言っているだろ!」

「なんでお父さんは自分の物差しでしか計れないの?私にはプロのダンサーになる夢があるの!お父さんみたいにお金と出世だけの人間じゃないの!」

「おい!今まで誰が育ててきたと思ってるんだ!お前は外から見て俺の娘に恥じない様な生き方をろ!」

「まじイミフなんだけど!?もう知らない!!」舞はDVDを持って2階の部屋に閉じこもってしまった。

最近は顔を合わせるといつもこうである。

出世の為に結婚した妻、言うことを聞かない娘、俺には安息の地は無いなとリビングのソファーに掛けて三浦はため息をついた。


<平成24年3月15日 14:00>

「・・・えー、つきましては、埼玉支社の成績は売り上げの面では前年比よりも5%ほど上がったものの、総合利益では1.25%のダウン。これは世界的な原油の高騰とリーマンショックにおける日本経済の本格的な回復が見込めないのが要因でして・・・・」

埼玉支店の会議室で今期の総括を聞きながら三浦は眠くなるのを我慢していた。

長い説明を聞いたが結局は去年の利益ダウンを原油の高騰や日本経済のせいにして有耶無耶にし、最後には頑張りますや、注力しますなどの抽象的な言葉で締めようとしている。

抜本的な改革案があるわけでではなく帝和グループという大きな船に小さな穴がいくつも開き、浸水している状況でも誰一人として穴を塞ごうとはしない、簡単に帝和グループは沈まない。沈む前に定年だろうと考えている人間がほとんどだろう。完全な大企業病だ。

今年入社の新卒社員を見たが覇気というか力が無い。人事の好みなのだろうが帝和に入れば安泰だろうと考えている輩ばかりだ。帝和に入って何かをしようではなく、帝和に入ることが目的だったのだろう。

そう思うと同期の岡田は不器用ではあったが、「お、俺!実家がずっと農家なんだ。俺のじいちゃんも、ひいじいちゃんも、俺は農家の跡取りで終わりたくない。帝和で必ず何かを残してやる!!」と誰よりも先に決意を宣言していた。


そんな岡田が退社したのは平成3年の9月だった。

ある日、岡田が会社近くの居酒屋にメンバーを集めた。その頃、皆新人として各部署で山のような雑務を押し付けられ、全員が半ばまいっていた頃だった。

「・・・・・お、俺、会社辞めるんだ。実家に帰る。」

一同が驚いて岡田を見つめた。

「お、親父が農作業中に怪我をしたんだ。後遺症が残って農業が十分に出来ないらしい。お、俺はひとりっこだし、俺が継がなければならない。さ、最初は断ったんだけれど・・・病室で泣いて土下座をされた。帰るしかなかった。折角、帝和に入って何かを残してやろうと思ったのに。俺は・・・、お、俺は・・・・・悔しい!!」

そういい終わると岡田はおいおい号泣し始めた。グラスのなかのビールが涙割りになるのではないのかと思うぐらい泣いていた。

他の同期も声を掛ける事が出来ない。普段、お祭り男の戸田も下を向いて黙っている。

真由美も目に涙を浮かべ、茂木は目を瞑っていた。

「また、いつでも連絡くれよ。相談に乗る。」植原も涙声で岡田の大きな背中をさすりながら言った。

その後、一年ぐらいはメールのやり取りはしたが岡田とは一度も会ってはいない。


埼玉支店での視察を終えて岡田の家がある熊谷市郊外に車を走らせた。

一面に広がる田園風景、東京にいたら気づく事の出来ない安らぎがそこにはあった。

しばらく田舎道を車で飛ばしていると、少し遠くの畑から手を振っている人がいた。

それは紛れもない岡田だった。


「み、三浦、ひさしぶりだなぁ。遠いところわざわざありがとうな。さあ、上がってくれよ。」

以前は100kg近くあった巨体も80kgぐらいに落ちているように見えた。スポーツ刈りだった頭も前から少し薄くなり、白髪が目立つようになっている。どんぐり眼の目じりには笑い皺が刻まれていた。

相変わらず、どもる癖が治っていないところも三浦を嬉しくさせた。

「悪いが、俺は忙しいんだ。用件だけ言うと・・・」

三浦は早目に切り上げようとした。同期との再会は嬉しいが、業務の合間を縫って会いに来ている。

「い、いいじゃないか、うちの育てた野菜を是非食べて欲しいんだ。」そういうと岡田は三浦のかばんを持って家にはいってしまった。三浦はあっけにとられながらも後を追った。

広い居間に通され三浦は腰を下ろした。部屋の隅にある仏壇が目に入った。

「親父さんかい?」

「あ、ああ、俺が実家に帰って半年後だった。おふくろも1年後に・・・」

帝和グループを退社し、わざわざ帰って来たのに半年しか親孝行を出来なかったとは、三浦は少し不憫な気持ちになった。

しばらくするとほうれん草、なす、きゅうり、にんじん、里芋などのおばんざいを岡田の妻が運んできた。有菜といい岡田とは対象的で150cmぐらいしか身長は無いが、はきはきして非常に明るい女性だ。性格がどことなく真由美に似ていると思った。

「親父ー、ほうれん草の水やりおわったぞー。」外の畑から若者の声が聞こえてきた。

「お、おー、にんじんの方も頼む。」岡田は座りながら大きな声で応えた。

「りょーかい!」かぶせるように若者が応える。

「う、うちのせがれだ。今度、高3になる。本人は農家を継いでくれると言っているが、東京でエンジニアになりたいとかみさんにぼやいていたそうだ。だから出してやろうと思っている。今しか出来ない事だからな。」

「そうかぁ・・・。」岡田の親心は三浦にとって耳が痛い。自分は娘の舞に対して価値観を押し付けていたのでは無いかと思ってしまう。

「お、俺は帝和を辞めた直後は親が憎くてしかたなかった。けど、農業に対する真剣な姿勢や、一年中野菜を作っている姿を見ていると、大変な思いをして俺を育ててくれた親に感謝できるようになった。

俺は田舎にいることは負ける事だと思っていたが、そうでもないんだな。」

岡田は照れくさそうにそれでも誇らしげに父親の事を話した。岡田の息子も同じように自分の子供に話すのだろう。それにくらべ、舞は自分の事をどう語るのだろう?


三浦は岡田に植原の病状と願いを話した。

「ぜ、絶対に行く。農業は年中無休だがなんとか都合を合わせるよ。だ、だから植原に癌に負けるなって伝えてくれ。そ、そうだ、俺の作った野菜を食べて元気つけてくれ!」

それを言い終えると岡田の堪えていた涙がこぼれ落ちた。


それから一時間ぐらいして三浦は植原の家を後にした。帰りの車の中で三浦は岡田の事を思い返していた。

岡田に会うまでは、岡田の事を負け犬だと思っていた。帝和グループに残り重役まで後一歩の所まで来た人間と、実家の都合で早々と田舎に帰った人間では明らかに自分の方が勝っていると思っていた。

しかし、今の岡田は仕事も家族も充実している。自分は本当に岡田より勝っているといえるのだろうか?

三浦は東京に帰るまで自問自答を繰り返した。


<平成24年3月16日 11:30>

「お願いします!これ以上のコストダウンは不可能です。うちも身銭を切って帝和さんについてきました。しかし、これ以上は我々に死ねと言っている様なものです。お願いします!もう一度考え直していただけませんでしょうか?」

大田区の下請会社の応接室、作業着を来た下請会社の社長が机に頭を着けて懇願している。

この社長はこの話がはじまってから何度も何度も頭をさげており、額には汗がにじんでいる。

「猪俣社長。御社がこのコストでの納品を出来ないと言うのなら、弊社からの発注はストップさせていただく。これはもう決定事項なんだ。」

三浦は何も聞かなかったようにさらりと言い放つ。部下の佐々木も終始黙りながらずれた眼鏡を持ち上げている。

「そんな!受注をストップさせるなんて!うちは70%が御社からの受注で成り立っているんですよ。取り引きも先々代から誠心誠意続けさせて頂きました。御社の受注がなくなったらうちは間違いなく倒産です。社員の中には去年結婚した社員も、今年子供が生まれた社員もいます。それに社員達を路頭に迷わすわけには行かないのです!お願いします。なにとぞ!なにとぞ!お考え直しを!!」

下請け会社の社長である猪俣はついに床に膝をついて土下座をした。その勢いで額が床にぶつかりゴンと鈍い音がした。

「猪俣社長、土下座されてもこれは私の一存ではなく帝和グループとしての決定事項です。今週末までになんらかの回答を下さい。もし返事が無い場合は拒否ととらえさせて頂きますので、あしからず。」

三浦は感情のこもらない様に淡々と伝えた。

「三浦統括部長、そろそろ次のアポイントが・・・、」佐々木が時計を見ながら言った。

「そのくらい解かってる。余計な口出しはするな!それでは猪俣社長、お返事まっております。」

待ってください!と猪俣が止めるのも無視して、三浦と佐々木は足早に下請会社を後にした。


「佐々木、お前は一足先に帰って明日の会議の資料を作れ。」

「・・・お言葉ですが今から帰ってやらなくても時間はあります。それに、まだ訪問企業が残っているのでは?私の担当企業も数社残っております。本日中にまわらなければ、来週のスケジュールは詰まっている為、非常に厳しいと思われるのですが?」

「お前は俺の言うことを聞いていればいいんだ!コストダウンの話など電話でしろ!拒否をしたら発注ストップだ!俺が許可する。いいな!!」

三浦は佐々木を一喝する。

「・・・・失礼いたしました。それでは私は本社の方にもどります。」

佐々木は感情の無い声でそう言い終えると風の様に去っていった。

三浦は佐々木を12時までに帰さなければならなかった。なぜなら12時から茂木と待ち合わせをする予定になっていたからである。


茂木が退社したのは入社5年目の秋だった。突然辞表を出し姿を消したという。なので同期はもちろんの事、同じ部署の人間も茂木の退職理由を知らなかった。

「天才・茂木」と社内から嘱望された開発技術部のホープがなぜ辞めたのか?三浦はその真相が知りたかった。

茂木が辞めた年、三浦は焦っていた。

当時、帝和社内は大山専務率いる帝東大学閥の大山派、和田常務率いる城修大学閥の和田派の二大派閥に別れていた。

その頃三浦は若手の中でも一目置かれる存在になっていた。同じ帝東大学出身の大山からの評価も高いと信じていた。

しかし、予想を覆し大山の部署に配属されたのは真由美だった。

和田の部署には戸田と植原が配属され、三浦は窓際と噂される田中常務の部署への配属となっていた。

「なぜだ?本来ならば帝東大学出身で若手でも一番優秀な俺が大山常務の下に付くべきだ。

なのになぜ?なぜ真由美なのか?何か間違ったのか?なぜだ?解からない?このまま出世の道は閉ざされてしまうのか?東北の両親にも親孝行できないじゃないか?このまま負け犬として帝和にいるのか?転職?待てよこのままではリストラ?いやだ!なぜだ?いやだ!なぜだ?いやいやだ!なぜだ?いやだ!なぜだ?だ!なぜだ?いやだ!なぜだ?いやだ!なぜだ?いやだ!なぜだ?いやだ!なぜだ?いやだ!なぜだ?いやだ!なぜだ?いやだ!なぜだ?いやだ!なぜだ?いやだ!なぜだ?いやだ!なぜだ?いやだ!どうして?いつからこうなったのか?」

三浦はノイローゼになるほど悩んでいた。戸田や植原、真由美にもそっけない態度を取るようになっていた。

評価を挽回しようと三浦は毎日会社に泊まり込みで仕事をするようになった。

上司や同僚の心配をよそに三浦は破竹の勢いで成績を伸ばしていった。



「わ!!」

突然後ろから肩を叩かれて、三浦は思わす椅子から転げ落ちて尻餅をついてしまった。

「きゃっ!ごめん、大丈夫だった?」

真由美が心配そうに三浦の元に駆け寄った。

三浦は驚いて尻餅をついてしまった自分が恥ずかしくなり、何も無かった様にずれた眼鏡を直した。

幸い今は事務所には三浦と真由美しかいない。

「ああ、問題無い。何か用か?」

冷静を装ったが少し声が上ずってしまった。

「うーん、用っていうか・・・?三浦君、最近頑張りすぎてるなぁって思って・・・、だから、ハイ!」

真由美は三浦に押し付ける様にバナナミルクのパックジュースを渡した。

「アメリカに留学に行ってた時、ルームメートのジェシーが言ってたんだ。疲れた時にはバナナジュースが一番よって!」

真由美がジェシーという女の子のものまね入りで説明する。

三浦はその心遣いが嬉しくて仕方なかった。

「ありがとう。頂くよ。」

三浦は作業を止めてバナナミルクを飲んだ。

疲れた身体にバナナミルクが染み渡る。

「・・・・美味いよ。」

その言葉に真由美の目元が緩む、三浦はその顔がたまらなく愛おしかった。

「三浦君・・・・最近、大丈夫?皆ともぜんぜん話していないじゃない。」

「別に・・・そんな訳じゃ。」

と言いつつも自分だけが取り残された様な劣等感を感じており、周りに対してもギスギスした態度を取っていた。

しかし、そんな劣等感を抱えている事は周囲にはもちろんの事、同期の仲間にもかっこ悪くて言えなかった。

「うーん、そうなのかな?私の思いすごしならいいけどね。そういえば三浦君、誕生日はいつ?」

「え?6月1日だけど?」

「そうなんだ。今度占いでみてみよっ!」

「女性は好きだね。占いなんて当たるの?」

「失礼ね、けどふたご座の三浦君と、天秤座の私は相性がいいのよ。」

「え?そ、そうなの?」

三浦はその時、舞い上がるほどに嬉しかったがそれを無理やり心の奥に押さえ込んだ。

「けどね、三浦君・・・。天秤ってどちらか重い方に決めないといけないんだよ。」

真由美は少し困った表情を見せた。

「ねぇ、三浦君、片方は自分を必要としてくれてる。もう片方は自分が必要としている・・・、けど、自分が必要とされているのかはわからない。貴方はどっちを選ぶ?」

真由美はうつむきながら上目遣いで三浦を見た。その目には強い思いのような物があった。

その表情がものすごく可愛らしくて、三浦はドキッとした。

しかし、ここで動揺を悟られたくない。冷静なキャラクターを真由美の前だけでは崩したくなかった。

「質問の内容が具体的に解からないな。そういうのは、戸田とかに聞いたほうが良いんじゃないか?」

三浦はあくまで冷静に返したが、それとは裏腹に真由美は一瞬、ひどく傷ついた表情を見せた。

「いくじなし・・・・。」

真由美はすねた様な表情で、三浦にも聞こえないほど小さくつぶやいた。

「?え?なに?」

真由美は一瞬、マズいと思ったのかいつもの笑顔を無理やり引っ張り出した。

「そうだよね!仕事忙しいのに、ごめんね。今の・・・心理テストみたいなものだから!」

「そ、そうか?」

「忙しいところ邪魔してごめんね!私そろそろ帰るね。」

「気を付けて帰れよ。」

真由美は足早にオフィースを出て行った。

「あ、三浦君!」

真由美がオフィースの出入り口で振り返った。

「誕生日、楽しみにしててね!」

「?解かった??」

真由美の目はなみだ目になっていたが、三浦の席からはそれを確認する事は出来なかった。



そんなある日、深夜まで仕事をしている三浦のパソコンにメールが一通送られて来た。

「こんな時間に誰だろう?」三浦は怪しく思いながらもメールを開いた。


件名:大至急

三浦和男様


至急、虎ノ門近くの居酒屋・馬場屋に来たれ。


子犬・リス・猿

?????????誰なんだ?いたずらか?しかし、俺の名前を知っている?

三浦は無視しようとメール削除のカーソルをクリックしようと思ったが「ぐるるるる~~~」と腹の虫が鳴っていた。

・・・気分転換に行ってみるか。三浦は事務所の戸締りをして馬場屋を目指した。

馬場屋は虎ノ門近くにある小さな居酒屋だ。お酒も非常にリーズナブルなので帝和グループを始め虎ノ門界隈の会社の若手社員が集まる居酒屋だ。

5分ほど歩き馬場屋に到着した。三浦は暖簾をくぐった。

「パン!パン!パン!」

三浦はその音に思わずのけぞってしまい、後ろの扉に頭をぶつけてしまった。

そこには植原、真由美、戸田の三人がにやにやしてクラッカーを構えていた。

「三浦君!誕生日おめでとう!」真由美が開口一番に言った。

「待ちくたびれたやないかぁ~、もう先に飲んでしもうたで。」戸田の顔は少し赤い。

「さっ、立ち話もなんだから、三浦はお誕生日席に座れよ。」きらきらしたパーティー用の帽子を被った植原が促してくる。

三浦はあっけに取られていたがようやく理解する事ができた。今日は自分の誕生日で真由美が皆を集めサプライズで祝ってくれた事を、疲れきった心に同期の心意気は暖かかった。

「それでは!三浦の誕生日を祝して、乾杯!」「乾杯!!!」

戸田の号令に三人が続く。それからは楽しい雑談が続いた。

茂木の退職を聞いたのはその時だった。正直驚いたが、茂木らしい去り方だなぁと三浦は思った。

会は大いに盛り上がった。戸田の経理部・花沢課長のものまねや、植原の今付き合っている3つ年上の一般職の彼女の話で盛り上がった。翌年に植原はその女性と結婚する事となる。

しかし、会も中盤になるとやはり仕事の話になった。植原も戸田も今まかされているプロジェクトや自分の功績、今後やりたい事を熱く熱く語っていた。

三浦はそれがうらやましくて仕方がなかった。他の3人は主力部署で将来を嘱望される若手、一方で三浦はどれだけ頑張っても窓際部署の若手社員、明らかな差があると思い込んでいた。

「・・・みんな、ちょっと悩みがあるんだけど・・・聞いてもらってもいい?」

会も半ばにさしかかった頃、真由美が突然口を開いた。

思えば会が始まってから真由美はどこかうわの空だった。

楽しいはずの場で泣き出しそうな顔をする事があった。

だが、その時の三浦は真由美が悩みがある事さえ気に入らなかった。

お前が悩み?大山常務の部署で出世コースに乗っているお前に何の悩みがあるんだ?俺はお前の10倍悩んでいるんだ。それは完全に俺を見下しているのと同じだぞ。

三浦はの心はゆがんでいた。

「お前に悩みなんかあるのか?」無意識のうちにその一言が出てしまった。

その一言に会場が静まった。

三浦も思わず出た言葉にやってしまったと思った。

「三浦、お前そんな言い方ないで!」戸田が攻めるように三浦に言った。

「俺もその言い方は無いと思う。」植原も静かに、そして強く言った。

だが、酒のせいか三浦も感情を抑えられなかった。

「なんだよ、皆して!お前らはいいよな、主力部署にいて、出世コースにのって、なんの悩みがあるんだよ?俺はお前らの10倍悩んでいるよ!!なのに悩みがあるなんて。俺を見下してるのか?」先ほどまで思っていた事をそのまま口にしてしまった。

「アホか!だれも見下してへんわ!仲間の悩みを聞くのは当たり前やろ!頭冷やせ!」戸田も強く返してきた。三浦と戸田はまさに一触即発だった。

「ストップ!ストップ!もう止めて!私の悩みなんて対した事無いから。みんなで楽しく飲もうよ。」

真由美が立ち上がって三浦と戸田の間に入ってきた。三浦と戸田は仕方なく席に付いて飲み直した。

しかし、その後場の空気が盛り上がる事は無かった。

三浦はいたたまれなくて「仕事が残っているから。」と一言だけ言い。5千円札を置いて馬場屋を飛び出した。

三浦は夜のオフィス街をさまよいながら後悔で押しつぶされそうになっていた。

なんであんな事を自分は言ってしまったんだろう?俺は最低だ!

三浦はベンチに腰を掛けて冷静になるよう気持ちを抑えていた。

・・・戻って謝ろう。一時間ほど悩んで三浦がその結論に達した。

三浦は足早に馬場屋に戻ったが店主が暖簾を片付けていた。

店主は「お連れさんならさっき帰ったよ。」とめんどくさそうに三浦に伝えた。

完全にタイミングを逃してしまったな。三浦はとぼとぼ帰ろうとした。

するとビルとビルの間の路地に見覚えのある後ろ姿を発見した。

華奢な背中に綺麗に結ったポニーテール、それはまさしく真由美であった。

その華奢な背中がたくましい男のうでに強く抱きしめられていた。

三浦がばれない様に角度を変えて除いてみると真由美は瞳を閉じて、その華奢な体と唇を男にあずけていた。

始めて見る真由美の妖艶な表情に鼓動が高まった。

相手の男は強く激しく破壊的に真由美の唇をむさぼっていた。

それはまぎれもない戸田であった。


・・・そういう事かぁ。三浦はきびずを返し会社に戻った。

三浦も真由美に対して限りなく好意に近い恋愛感情を持っていた。

しかし、それは見事に崩れ去った。

なんだよ、思わせぶりな態度取らせやがって!!!

近くの街路樹に当たってみたが、手に虚しい痛みだけが残った。


もう自分には仕事しかない。

仕事に向かい全てを忘れようと事務所に戻った。深夜の事務所には誰もいない。

「まるで俺のようだな。」三浦は感傷的につぶやいた。

事務所をふらふらしているとある事に気づいた。普段、厳重に鍵が掛けられている経理部のキャビネットが半開きになっていた。

三浦はいけないと思いつつもキャビネットの中を覗いた。綺麗に整頓されたファイルの中に少し異質のファイルが入っている事に気が付いた。

「なんだろう?」三浦はその中身を覗いた。そして、このファイルが大きな波紋を呼ぶことになるとは三浦はその時気づいていなかった。


<平成24年3月13日 12:00>

大田区の工場地帯にある喫茶店で茂木との約束をした。レトロな雰囲気の喫茶店は常連客しかおらず、新顔の三浦が入って来た事に若干の違和感を感じているもののいつも通り営業をしている。

「コーヒーとサンドウィッチ。」三浦は店員の中年女性に声を掛けた。

中年女性は読んでいた週間紙を机に置き、厨房に向かい「セット!1」と厨房にいる人間に伝えた。

運ばれてきた大味なコーヒーをすすっていると茂木が喫茶店に入ってきた。

茂木の外見は年を取っていないのか?と思うほど当時と変わらなかった。当時が老けていただけなのかもしれないが・・・・。相変わらずぼさぼさの頭に、瓶底眼鏡、のそっとした外見はモグラを連想させる。


「久しぶりだな、まあ座れよ。」三浦は席に招いた。

「ああ。カレーライス1つ。」茂木は座りながら店の中年女性にオーダーをした。

「元気でやってるか?」

「・・・ああ。」

「お前に会うのは18年振りだなぁ、結婚はしたのか?」

「・・・いや。」

「久しぶりに会ったがお前は変わらないな。うらやましい限りだ。職場はこの近くかい?」

「・・・ああ。」

やはり昔と変わっていない。こいつには会話という概念が存在しない。三浦はそう思った。

そうしているうちにサンドウィッチとカレーが運ばれてきて、しばらく無言で食べ始めた。


「植原が入院している。癌でもう長くないそうだ。」三浦は本題を切り出した。

茂木のカレーライスを食べるスプーンが止まった。流石の茂木もこれには驚きを隠せない。

「・・・・そんなに悪いのか?」

「ああ、最期に同期で櫻が見たいと言っている。4月の前半のお前の予定はどうだ?」

「・・・4月頭か、俺の仕事は長期だから都合はつけれる。そっちに合わすよ。」

「そうか、それはありがたい。」

そういい終えると、また二人は無言で昼飯を食べた。

「そういえば、仕事が長期って言っていたな。お前今何やっているんだ?」

口数の少ない茂木が営業職をやっているとは思えなかった。

茂木は作業服を着ており何かの研究をしているのは解かるが、何を研究しているのかが興味が沸いた。

すると茂木は小さく笑って「・・・これから少しだけ時間あるか?」と三浦に聞いてきた。

「ないわけではないが・・・」と三浦が濁していると、

「じゃあ行こう。」と茂木が伝票を持って立ち上がり会計を済ませた。

三浦は慌てて茂木の後を追った。

喫茶店から出て2分ほど歩いたところに小さな工場とガレージが見えた。そこが現在茂木の勤めている会社である。

あの帝和グループからこんな町場の中小企業に転職するなんてどうかしている。三浦は茂木という男がますます解からなくなって言った。

「・・・こっちだ。」茂木は三浦をガレージの方に案内した。

ガレージに三浦は入った。そこには多くの若い技術者と、非常に大きな部品のような物が作られていた。

「あっ、茂木チーフ!」一人の若い技術者が茂木のところに図面を持ってやってきた。

「エンジン部分の馬力がイマイチ上がりが悪いです。熱量を増やした方がいいですかね?」

若い技術者が真剣に質問をしていると、他の技術者が違う資料を持って茂木の元にやって来た。次から次ぎえと若い技術者が茂木のもとに集まってくる。茂木はサインをねだられるアイドルのようにあっというまに沢山の技術者に囲まれてしまった。

茂木はその質問に一言づつで応え、自分の持ち場で作業を始めた。

すると、若い技術者達が茂木の動きを一瞬も見逃すまいと、食入るように見ていた。

「何を作っているんだい?ああ、決して御社の産業スパイとかではない。彼(茂木)とは古い仲で・・」三浦は怪しまれない様に若い技術者に聞いた。

すると若い技術者達はクスクスと笑い出した。

「もし、産業スパイができるならしてみてください。茂木チーフの考える事を盗むのはNASAでも無理です。現にNASAに依頼されてロケットのエンジン部分を作っているんですよ。」若い技術者は誇らしげに言った。

「茂木チーフは元々、あの有名な帝和グループにいたんです。しかし、18年前に帝和グループも宇宙開発から完全撤退、茂木チーフもモチベーションを落としていました。そんな時、かつて茂木チーフと研究室が一緒だったうちの社長が声を掛けたんです。うちはしがないエンジンメーカーですけど、茂木チーフが加わってくれたおかげで、オンリーワン品質として世界の有名企業から受注が来るようになりました。その成果がNASAの部品提供です。すごいでしょ!うちみたいな中小企業がNASAのロケットのエンジン作っている!そう考えるだけで胸がわくわくします!」若い技術者は目をきらきらさせて熱く語った。

「そうかぁ・・・、茂木はあと少しで夢が叶うわけだな。」三浦は何年かぶりに夢などという言葉を口にした。

「いえいえ、茂木チーフの夢はまだ叶いません。茂木チーフの本当の夢は純国産ロケットを打ち上げる事です。まだまだ道のりは遠いです。けどいつかあの人を頭に僕ら全員の力で純国産ロケットを打ち上げます。それが僕ら全員の願いです!」

それからもいかに茂木がすごいのかを若い技術者達は口々に語った。あの無口な茂木にここまでの人望があったとは、佐々木は俺の事をここにいる若い技術者のように尊敬してくれてはいないだろう。本来茂木の様な人間の方が人の上に立つべきなのだろう。三浦は今の自分が少し情けなくなった。

「時間が無いので失礼すると、茂木に伝えてくれ。」三浦は隣の若い技術者に伝えた。

「解かりました。けど、作業が終わってからになります。チーフは一度作業に入ってしまうと、力づくで引き剥がさない限り終わらないんです。この間、何も食べず一週間作業に没頭して病院に運ばれてしまいました。」

「あいつらしいなぁ、これからも茂木が倒れないようによろしく頼むよ。」

天才と変人は紙一重、三浦はそんな事を思いながら大田区を後にした。


<平成24年3月19日 11:30>

「そうかぁ、茂木も岡田も相変わらずだったんだな。嬉しいよ。早く会いたいな。」

そう話す植原の表情はにこやかだった。

「それより大丈夫なのか?寝ていなくて。」屋上で三浦は植原と話している。

「大丈夫だよ。ずっと病室にいると気が滅入るんだ。こうして見舞い客が来てくれる時ぐらい外に出ないと。」植原は背伸びをしながら明るく振舞っていたが、腕には点滴が刺さったままだった。

抗がん剤の影響なのか、あの豊かだった髪は一本も残っていない。

「美味そうだな。これを食べたら病気なんてすぐに治りそうだ。岡田に俺も実家に遊びに行くって伝えてくれ。」

岡田の作った野菜を見てもどの野菜にも手を付けようとしない。

おそらく食べ物を受け付ける力が残っていないのだろう。

「茂木も、岡田も4月なら大丈夫なんだよな?・・・そしたら、櫻を見る日は4月10日がいいな。20年前みんなで櫻を見た日だ。」

体は痛々しいほどにやせ細っているが、植原の目はきらきらしていた。

「・・・解かった。他の二人にもそう伝えるよ。」

三浦は浮かない表情で応えた。

「・・・なあ三浦、戸田と会いにくいならいいぞ。無理させてすまない。」

植原が心配そうに三浦の顔を覗き込む。

「何を言ってる。余計な心配をするな!お前は病気を治すことだけを考えろ!」三浦は強く言い返した。

「解かった。お前の強がる性格も相変わらずだな。」

植原はクスクス笑った。三浦は罰の悪そうに下を向いている。

「三浦、お前の予定は大丈夫なのか?」

「ああ、3月31日の役員会議でブライアン・スミス社の件は結論がでる。今のままだとあちらの要求を呑む方向で固まりそうだ。そうしたら、来期からは大山一大政党時代の幕開けだ!」

拳を握り熱く語る三浦に対して、植原は穏やかに応えた。

「大山政党かぁ、俺は正直何が帝和グループにとってベストな選択なのか解からないよ。

確かに大山専務の言っている事も、田中常務の言っている事も正しい。けど、今回の件には帝和グループの答えを出していないじゃないか?

ブライアン・スミス社の要望を飲む、子会社を守り再度交渉をする。確かにそれが答えと言ったらそうなのかもしれない。けど、帝和グループが今後どうして行きたいのかという明確な指針を誰も示していない。恐らく皆気づいてる。けど、批判が怖くてやりたく無いんだ。船に小さな穴が空いても誰も報告をしない。報告したら自分が穴を塞がなくてはならない。ほっておいてもこの船は沈まない。何故なら天下の帝和号だから。俺もその一人だ・・・。」植原は自虐的に話した。

植原の意見は的を射ていた。しかし、そんなことは三浦も解かっている。だが、誰もが100億のビジネスが目の前に転がっていてそれを楽して取りたい。自分が怪我をせずに、自分の地位を守りながら。

この取り引きが帝和の為にならないのは百も承知だ。しかし、声をあげれば批判の矢面にたたなければならない、結局は自分の身がかわいい。哀れなサラリーマン根性だ。

「三浦、俺はこの会社の行く末が心配だよ。この取り引きには何か強い力が働いているような気がするんだ。経理部にいたから金の動きはわかる。どう考えたって近年赤字気味の帝和グループに世界のブライアンスミス社が技術提供とはいえ乗り出すとは思えないんだ。」

植原の問いかけに三浦は応えない。

「そろそろいくよ。」三浦は時計に目をやった。

「ああ、休日なのにわざわざ済まないな。そういえば今週、真由美に会うんだろ?よろしく言っておいてくれ。」

「解かった。言っておくよ。」

三浦は茗荷谷の病院を後にした。

帰りの車の中で三浦は植原との会話を思い出していた。

恐らく植原は気づいているだろう。今回のブライアン・スミス社との契約の裏で動いている資金の事を、そして俺が今の地位を手に入れるきっかけとなったあのファイルの存在の事も・・・・。


<平成8年某月某日 深夜>

三浦はファイルの中身を見て愕然とした。

中には和田常務が進めているプロジェクトの内容、推進状況、そしてキャッシュフローが事細かに記載されていた。

キャッシュフローの中に赤で記載されている数字がいくつか見える。


自政党 大江参議院議員 ▲10,000千円

東王銀行 △15,000千円

上川証券 △5,000千円

みらい子供党 細井衆議院議員 ▲10,000千円・・・・・・・。


明らかな銀行、証券会社からの不正融資とそれに伴う政治家への不正献金であった。

三浦は今自分が知りえた秘密の大きさに手が震え、冷や汗をかいているのが解った。

「だれが?いったいなんの為に?」

もし、この秘密を自分が知ったとばれたら、このファイルを作成した本人、もしくは和田常務に抹殺されてしまうのでは?そのことを考えると恐怖で振るえが止まらなかった。

三浦は落ちつきを取り戻そうと洗面所で顔を洗う事にした。


ジャー!!バシャバシャ!!キュッ!

顔を洗い終えた三浦は鏡に映る自分の顔を見てみた。

ひどく疲れ、クマがくっきりと刻まれた情けない顔がそこにはあった。


「・・・・・これはチャンスだぞ。」

鏡の中の三浦の口が突然動き、口角が禍々しくつり上がった。

「何を言っている。いったいどこがチャンスなんだ?」

「解ってないのか?このファイルを大山に渡して取り入るんだよ。和田派を潰せれば大山のお前の評価は鰻登りだ。おまけに和田派の戸田、植原も潰す事ができる。ライバルを一気に二人消すチャンスさ。」

「馬鹿を言うな戸田も植原も・・・俺の大切な仲間だ!それに俺はそんな事をしなくても正々堂々と勝負してやる。」

「・・・・あの女をモノにできるかも知れないぜ。」

「何を根拠にそんなことを・・・。」

「解らないのか?戸田が潰れればあの女も愛想尽かす。逆にお前は大山派のホープにのし上がるわけだ。普通の女ならなびくはずだ。」

「・・・・下らん!全てお前の空想だろ?」

「ならお前はこのチャンスを逃し、一生負け犬でいるがいい!!」

「!!・・・それは・・・。」

「これは純粋な競争だ。仕事だよ三浦・・・・割り切れよ。」

ドク、ドク、ドク・・・・・・・。

自分の鼓動が早くなり、息が苦しくなるのが解る。

気がつくと鏡の中の三浦はいなくなっていた・・・。

三浦は大きく息を吸い込んだ。

息を吐くと、自分の中のやさしさや思いやりというものが全て息と共に出て行くような気がした。

三浦は部屋に戻り、電話の子機を手に取った・・・。


プルルル、プルルルル、プルルルルル・・・・。

「もしもし、」

「大山専務ですか?私、国内営業部の三浦と申します。」

「なんだねこんな時間に!非常識だぞ!」

「申し訳ございません。実は大山専務に耳寄りな情報を入手しまして、取り急ぎご連絡をいたしました。」

「耳寄りな情報?そんなもの会社で話せばいいだろう!まあ、あいにく私は忙しい身であるら、君のような若手社員に時間を作ってやれる暇は無いのだがね。」

「・・・それが、たとえ和田常務の失脚を招くような情報でもですか?」

「・・・なに?なんと言った?」

「明日22時に日比谷にある小料理屋・他門亭にきてください。久保田という偽名で個室を予約しております。」

「・・・解かった。明日の22時だな。で、どんな内容だ?」

「・・・それではまた明日。」

「おい!まて!」

「ガチャ、ツー、ツー、ツー」


<翌日>

「お客様、お連れの方がいらっしゃいました。」

多門亭の仲居が障子の向こうで声を掛けた。

「入ってもらってくれ。」

障子を開けるとそこには大山が憮然と立っていた。

その表情を見て三浦はニヤリと笑った。

「どうぞお掛けください。」

「いったいどういうことだ!一若手が役員を呼びつけるなど前代未聞だ!」

「もうしわけございません。しかし、この場での力関係は私の方が上である事をお忘れなきよう。」

三浦は不気味な視線を大山に向けた。何かに取り憑かれたような目をみて大山はたじろぐ。

「どうぞ。」

三浦は対面の席を勧めた。


「大山常務は日本酒でよろしいですか?青森・黒石の地酒、大吟醸・玉垂を用意いたしました。料理も本日、築地で選んだものを用意、」

「用件は何だ?」

カコンと獅子脅しが鳴る音が二人の間に響き渡る。

「失礼いたしました。これを。」

三浦は昨日のファイルの一部分をコピーした書類を大山に見せた。

大山は書類を確認し目を見開いた。想った通りの感触だ。

三浦は自分の読みが当たった事が嬉しくて仕方がなかった。

「貴様、これをどこで手に入れた。」

大山が威圧的に三浦に問い詰める。

三浦はもったえぶるように一呼吸置いた。

「あるルートとでも言っておきましょう。和田常務の方の情報は・・・。」

少し大山にカマを掛けるように三浦は言った。

「和田の方だと?俺を脅しているつもりか?」

「とんでもない。私は大山常務の力になりたくて今日、このような席を設けさせていただきました。」

「もったいぶるな、要求はなんだ?」

「その資料を見てもらってわかるように、和田常務はプロジェクトの推進の為に不正献金によって懐を暖めていました。次の会議で和田常務、いえ和田派の糾弾を大山常務にお願いしたいです。

もうひとつは、私を大山常務の傘下に入れて頂きたい。それも末席ではなく、金庫番として・・・。」

「どういうことだ?」

「とぼけないでください。大山常務・・・・、貴方も不正の一つや二つしていますよね?しかし、今一歩

大きな資金を手に入れる事が出来ず、和田派に遅れを取っていた。違いますか?」

大山は応えない。

「私はある錬金術を思い浮かびました。それは・・・・。」

三浦は大山に耳打ちした。

大山はしばらくおいて低く笑い声を上げた。

その反応に三浦は一瞬動揺した。


「おい、大吟醸の玉垂と杯を二つ持って来い!」

大山は手を叩き仲居を呼びつける。

すぐさま酒と杯が運ばれてきた。

「かための杯といこうか。我々の未来に。」

大山は杯に酒を注ぎ三浦に手渡した。

「大山常務、いえ大山専務の未来に。」

三浦は不敵な笑みを浮かべ恭しく杯を掲げた。

これでいいんだ、これは競争だ、ビジネスだ、割り切るんだ。

三浦は杯の酒を飲み干した。


<平成24年3月24日 20:30>

東京タワーが一望できるバー「Promesse」に三浦はいた。店は薄暗く、中世のワイン倉庫を思わせる洒落た作り。一昔前に流行ったジャズが流れている。この曲はたしかソニー・クラークのSoniaだったな。

真由美に指定されたバーに来たものの、この洒落た空間が三浦には居心地が悪かった。

最近は仕事ばかりで小粋なバーで女性と酒を飲むことなんて無かったし、考えてもみなかった。

二杯目のマティーニを飲み干しオリーブをもてあそびながら時間を潰していた。

「そこ、いいかしら?」艶のある声が後ろから聞こえた。

三浦はドキッとして後ろを振り返る。

「なんてね、三浦君久しぶり。少し痩せた?」そこには真由美が立っていた。

あのころのはじけるような若さはないが、真由美は誰もが認めるような大人の女性のオーラを放っていた。岡田、茂木と会ってきたが真由美は年を取ったというよりも、美しく年を重ねたと表現した方があっているだろう。昔のようなポニーテールでは無いが、肩まで伸びた髪に緩いパーマをかけていた。

呆然とする三浦をよそ目に真由美は隣の席に腰を掛けてギムレットを注文した。

「元気だったか?」三浦は何を話していいかわからずとりあえず聞いてみた。

「元気よ、見た目はおばさんになっちゃったけど。中身は昔の私とあんまかわらないの。よく会社の子に言われるの。社長は黙っていれば大人の女性なんですよ。けど、しゃべると女子大生みたいですねって!40過ぎのおばさん捕まえて失礼しちゃうわ!」真由美はそういい終わるとケタケタ笑い始めた。

相変わらずだなぁ、その笑顔に俺も、戸田も、植原も、岡田も、恐らく茂木も首っ丈だった。

「そういえば社長って?」

「私、今ベンチャー企業の社長やってるの。MOSコスメティックっていう会社を女性7人でやっているのよ。最初の3年は赤字続きだったけど、最近ようやく利益を出せるようになったんだ。」真由美は三浦の目を見ながら身振り手振りを使って真剣に話す。その真っ直ぐな瞳に三浦は思わず目をそらしてしまった。

真由美は昔と変わらず明るく前向きで素敵な女性だ。

しかし、三浦は深夜コピー室で真由美が一人で泣いているのを何度も目撃した。

三浦は声を掛けようとしたが、以前目撃した戸田と真由美のキスシーンが目に浮かんでしまいどうしても一歩がでなかった。

三浦は真由美が会社を退職した真相を知りたいと思っていた。


入社8年目のある日、突然馬場屋に三浦、戸田、植原を呼び出して真由美は辞表を提出したことを告げた。

「しばらくは社会から抜け出してアメリカにでも行こうと思うの、やっぱり私には会わなかったみたい。日本の社会ってのが。」真由美はいつもの調子で明るく言った。

三人は突然のことで呆然としてしまった。

「おい、ちょっと待てや!」戸田が止めに入った、無理も無い、付き合っている女が何も告げずに会社を去ろうとしている。焦らないはずがずがない。

「何でや、なんでやめんねん。初耳やで、意味わかれへんわ!」戸田の必死さが伝わってくる。

「そうだよ。せめて理由だけでも聞かせてよ。俺たち同期だろ?」植原も困惑している。

真由美はふぅと、ひとつため息をついて急に声を落とし真剣な上で一言だけ言った。

「これは私が決めた事、だからもう変えるつもりは無いの。」

他の3人に有無を言わせない迫力、覚悟が真由美にはあった。

その真剣な表情に戸田も植原も押し黙る。

「そう言うことで!皆元気でね!会いたくなったらいつでも連絡してね。」また元のはじけるような笑顔は戻ったが、その頬に一筋の涙が伝っていた。

「おい、三浦!お前もなんか言ってくれよ!」植原は懇願するように言った。

しかし、その時三浦は真由美に対して引きとめようという気持ちよりも、憎しみに似た悔しさの方が勝っていた。

大山にファイルを渡してから三浦はもう同期を敵としてしか見なかった。

「いいんじゃないか?別に去っても。負け犬に様はない。」三浦は言い放った。

「な、何言ってんだよ!そんなこと思っていないだろ?なあ、真由美に謝れ。」植原は今の発言が信じれないかのように驚いていた。しかし、三浦は止まらない。

「大山常務に可愛がられ、出世コースを進んでいる人間が辞める?辞める理由がどこにある?俺はお前らと違い努力してようやく大山常務の下についたんだぞ!なめるのも大概にしろよ!」

三浦が真由美を見下したかの様に言い放った。

それを聞いていた戸田が三浦の顔を思い切り殴った。

三浦は後ろの席に吹っ飛んだ。ガシャン!後ろの席に並べられていた料理や皿がほとんど落ちてしまった。

「お前!最低やな!俺の知ってる三浦はそんなこと言う奴やなかったはずや!なあ、なんでや!何でそんな事言うようになったんや!」三浦の胸倉をつかみながら戸田は泣いていた。

「戸田君!もう辞めて!いいの、私はいいの!私が会社に合わなかっただけだから。もういい!だからお願い・・・・」真由美は泣きながら戸田の腕にしがみついた。

三浦は胸倉を掴んでいた戸田の腕を振り解き店を出て行った。

店の中には真由美がすすり泣く声と、皿の残骸だけが残っていた。

あの日から真由美には会っていなかった。


「おーい。三浦君?」真由美は三浦の顔を覗きこみ怪訝そうにしている。

三浦はに回想から引き戻された。

「ああ、すまんすまん。」三浦は慌てて謝罪した。

「もう!疲れてるんでしょ。相変わらずね。仕事に真面目すぎて自分を追い込んじゃうところ。」

真由美はクスクス笑った。笑った顔も素敵である。

「皆、心配してたんだよ。三浦君がいつか倒れるんじゃないかって。特に戸田君が一番心配してたのよよ。」

「あいつが?そんなわけないだろ?現に真由美との最後だっておれはあいつと・・・。」

思わず口ごもってしまう、今思えば自分に非があるのは明確だった。

岡田や茂木に会い三浦は少しづつ自分の価値観に疑問を持ちはじめた。

三浦は今になって過去の自分を後悔した。

「戸田君は三浦君のことを誰よりも尊敬していたし、大好きだったと思う。二人でいるときも三浦君の話ばっかりで・・・・、あれ?、私今二人でいるとか言っちゃった?」

「大丈夫だよ。そのことは皆、知っているから。」

「やだ!知ってたの!?もう、言ってよね!恥ずかしい。」真由美は少し頬を赤らめていた。

戸田はこんなにかわいらしい女性と付き合っていたなんて、正直うらやましかった。

それから二時間くらい話をした。

真由美は話題が豊富で、海外のことや、最近始めたボディーボードの話、マイブームのホットヨガなどの話をしてくれた。三浦も岡田・茂木の近況を話し、娘の舞の相談や部下の佐々木への対応の仕方まで相談した。真由美は三浦の相談に親身になって耳を傾けた。

本題の植原の話しをした時は真由美はとても悲しそうだった。

「植原君、そんなことになっていたんだ。今、自分がこうして健康でいれることって幸せなんだね。植原君には一日でも長く生きてほしい。茗荷谷の大学病院だよね?今度お見舞いに行ってくるよ。

花見は4月10日ね、確か予定は・・・」

真由美は手帳を取り出そうとバッグをあさっている。その細く美しい手を見ていると三浦はある異変にき気づいた。手首に何本もある傷痕・・・。

真由美は手帳を取り出して予定を確認している。

「4月10日は・・・おっ真由美社長は奇跡的に暇です!絶対行くから、植原君にそう伝えておいてね!」

「ああ、伝えておくよ。」三浦は手首の傷痕を見て動揺しているのがばれないようにマティーニを飲み干した。


「ちょっと~、いい大人が飲みすぎよ。」

三浦は真由美に抱えられて海沿いの遊歩道を歩いている。

情けない、そもそも酒があまり強くないのに、傷痕を見た動揺を悟られない為、きついカクテルを5杯も飲み干してしまった。

「おも~い!あそにベンチがあるからそこで休もうか。」

真由美と三浦はベンチにすわった。

「ふ~、疲れた。3月だけどまだ冷えるね。」

しばらく真由美と三浦は無言で夜の海を眺めた。

「・・・・なあ、真由美。なんで辞めたんだ?仕事も順調そうだったし。戸田とも・・・、確かにコピー質で泣いていたの何度か見たよ。けど、何が辛かったんだ?」

三浦は一番気になっていた事を聞いてみた。

「・・・見られてたんだぁ。」真由美は苦笑する。

しばらく二人の間に沈黙が流れた。

しばらくして真由美が重い口を開いた。

「私ね、大山専務にずっとセクハラ受けてたんだ。」

「・・・ほんとなのか?」三浦の酔いが一気にに飛んだ。

「沢山体も触られたし。押し倒されそうになった事も・・・何度もあった。そのたびに大山常務は私に言ったんだ。騒いでも無駄だ、俺はこの会社で絶大な影響力を持っている、逆らったらお前の付き合っている男もろともクビに追い込んでやるって。

私、もっと早く皆に相談すべきだった。何度も何度も死のうと思った。

けど、手首を切るたびに思ったの、あんなセクハラ上司に負けたくないって!けど、限界だった。今でも、男の人が怖いの。だから、結婚も出来ないでいるんだ。私の人生返せって感じだよね。」

一気に語り終えたところで真由美は号泣した。溜まっていたものを全て吐き出した安堵の涙と、自分を退社に追い込んだ大山への悔しさと憎悪の涙だろう。

今まで、三浦は真由美が会社が合わないから退社したのだと思っていた。

しかし、真相は違っていた。

もし、誕生日を馬場屋で祝ってくれた時に、コピー室で真由美が泣いていた時に話を聞いてやれたら、こんな事にはならなかったのかもしれない。

三浦は自分の今までの行動を心から悔いた。

ただ、今は隣で号泣する真由美の肩をそっと抱くことしか三浦には出来なかった。


<平成24年3月25日 11:00>

「予定通り子会社、下請け会社の選定は進んでいるな。ここまで来たのならブライアン・スミス社との提携は手中に収めたも同然だ。31日の会議で正式発表する。そうすれば副社長も夢ではない。」

大山専務は窓から地上を眺めながらご満悦の表情だった。

「もう少しだ三浦。お前を部下に引き入れた俺の判断は正しかった。和田派の撲滅から今日までお前は存分に働いた。織田はいろいろな意味で惜しかったがな。まあ結果良ければすべて良し、最後まで気を抜くなよ。」

「かしこまりました。注力致します。」

大山専務の"いろいろな意味”という言葉を三浦は聞き逃さなかった。

この男が真由美を追い込んだ。

三浦は憎悪の目で大山を見た。

俺は出世の為に、こんな男の為に自分の手を汚してきたのか?

今までの自分の行動を心から恥じ、怒りを抑える為、三浦は大山に見えないように後ろで拳を握った。

指の間から小さな蛇の様に血液が流れ出た。


そして・・・、

三浦は手元の子会社削除リストに目を落とした。今回のプロジェクトで赤字、もしくは小規模の利益しか生まない子会社への支援を打ち切る方針を大山専務は発表する予定だ。

その中に帝和サポートシステム株式会社と表の一覧に記載されている会社があった。

そこには現在、戸田が出向中であった。


<平成8年某月某日>

大山はその三浦から渡された和田常務の不正献金のファイルを使い、すぐさま和田派の糾弾に乗り出した。

その結果、和田は解雇。和田派は崩壊した。

その功績を買われ三浦は田中の下から大山への異動し、現在は大山の右腕として活躍している。

誰があのファイルを作ったのか?不正献金だけではなく違法接待の日付や領収書の番号まで記載されている。

大山派がクリーンな手法で仕事を取ってきているとは言えない。むしろ和田派よりも汚い手を使っている。しかし、明確な証拠がない以上糾弾されないのが組織というものだ。

当時、植原は体調不良により経理部へ移動している。

今思えばその頃から癌の前兆はあったのかもしれない。

問題は和田派にいる戸田の存在である。ある日三浦は大山に呼び出された。

「和田派の中に戸田という社員がいるだろう。お前と同期だ。処遇についてだがこのままどこかに飛ばすのは惜しい男だと思っている。お前はどう思う?」

三浦は少し考え込んだ。そして・・・、

「戸田は今の大山派、帝和グループに必要ありません。」

三浦の心には出世の事しか無かった。たとえ誰を蹴落とそうとその時は後悔の念は無かった。

「そうか、流石は俺が選んだ男だ。その冷酷さは気に入った。」

大山はニヤリと笑った。

翌日、戸田への辞令が下った。「帝和サポート株式会社への出向を命ず。」

出向というかたちを取ったものの、片道切符であることに間違いは無い。

翌日、ダンボール箱を抱えた戸田と廊下であった。

戸田のあの目は今でも忘れない。悲しさ、悔しさ、憤りのすべてを複雑に混ぜ込んだ表情。

何も言わず三浦と戸田はすれ違った。それが三浦が見た戸田の最後の姿だった。


<平成24年3月30日 14:00>

三浦は一人、新幹線で大阪に向かっていた。帝和サポートへの融資停止と、戸田に会いに行くために。

戸田は俺の事を許してくれるのだろうか?頭の中で何度も自分に問いかける。

つい一ヶ月前までは三浦は会社で出世している自分が勝ち組であり、正しいと思っていた。

しかし、岡田や茂木に再会し価値観の違いを見せ付けられた。

そして、真由美は一人辛い現実に耐え続けていた。

結局自分は何も知らない独りよがりな人間なのではないのか?そう思うようになっていた。

俺は何のためにここまで頑張って来たのだろう。何のためにここまで汚くなってしまったのだろう?

三浦は新大阪着の新幹線の中で自問自答を繰り返していた。


帝和サポート株式会社は大阪府堺市にある。業務は帝和グループの販売代理である。

資本金1,000万円、従業員数20名と多くは無いが、近年は黒字経営である。

現在、戸田は帝和サポートの営業部長という肩書きである。

三浦はタクシーを飛ばし帝和サポートについた。

受付の内線電話鳴らしても誰も出ない。仕方なく三浦は事務所に入った。

ドアを開けると三浦は圧倒された。

そこには社員の声と熱気が渦巻いており、電話が鳴り止まない騒がしい事務所だった。

受付の内線を取る暇が無いのだろう。

「まいど!お世話になってます!」

「いやー、社長!もう一個お願いしますわ!」

「ありがとうございます。もう少し勉強させてもらいますので!」

社員がそれぞれの持ち場で生き生きと働いている。壁には、目指せ売り上げ最高記録3億円!!と大きな文字が貼られていた。

景気が低迷する中でどこの企業も下を向いている。そんな中でこの会社は生き生きと全力で働いている。三浦はその勢いにただ圧倒されていた。

「あのー、誰かお約束ですか?」

若い女子社員が恐る恐る声を掛けて来た。

「戸田部長はいらっしゃいますか?」三浦は聞いてみた。

「ああ、キャプテンですか!?さっきまで会社におったんですけど?どこへいったのやら?」

「キャプテン?」

「部長は自分の事キャプテンて呼べ言いおるんですわ。おかしな人でしょ?」女子社員は笑いながら三浦に教えた。

あいつらしいなぁ、三浦懐かしさに浸った矢先に後ろの扉が開いた。

「いやー、あのタコ社長なかなか首を縦にふらへんな!けど、来週までには契約まで持ち込むで!」

戸田が若い社員を引き連れて入ってきた。

「キャプテンお客さんです。」

「よお・・・。」三浦は声を掛けた。戸田も、三浦を見て驚きを隠せない。

しばらく二人とも無言で見詰め合った。


「本社のお偉いさんがこんなところに何の用や?」

会社の応接室で戸田はコーヒーをすすりながら聞いた。

またしばらく沈黙が流れた。

「短刀直入に言おう。今回の帝和グループの子会社整理案は聞いているよな?」

「まあな・・・お前、まさか!」戸田は目をひん剥いて体を前に乗り出す。

「帝和サポートもそのひとつだ、業績的には申し分ないが、何せ事業規模が小さすぎる。来期からグループから外れてもらう。具体的には本社からの融資ストップと帝和グループの看板を来期からはずしてもらうことになる。」三浦は感情がこもらないように伝えた。

すると戸田がいきなり土下座をした。

「おい!よせ!」三浦は突然のことい驚いた。

それ以上に戸田にこのようなことをさせていることが辛かった。

「頼む!この会社だけは守ってくれ!俺の首ならなんぼで差し出すから!

ここにいるメンバーは皆、帝和グループからいらんって言われた人間や会社になじめず流れ付いた人間ばっかりなんや。そいつらがもう一度頑張って結果残そうとしている。そしたら、3年連続黒字を出してんねん!あいつらの頑張りを俺は無駄にしたくない。いや、無駄にすることは絶対できん!頼む!同期のよしみや!なんとかしてくれ。」

戸田の迫力に三浦はただ圧倒されるばかりだ。

戸田は頭を上げようとしない。この男は昔からそうだ、誰よりも仲間のことを考え、大切な者達を守って来た。そんな男だ。そんな男を俺は蹴落とした。

岡田や茂木、真由美に会って薄々気づいていたが、戸田に会って三浦は確信した。俺は本当に身勝手で小さな男なだと。

「三浦・・お前・・・」

戸田が三浦の顔を見て驚く、三浦は・・・泣いていた。

しばらく戸田と三浦の間に沈黙が上がれる。今までの溝を埋めようとお互いが何かを言おうとするのだが、言葉が出てこない。

先に植原の事を話そう。三浦がそう思い一息ついた時、携帯が鳴った。

真由美からの着信だ。

「もしもし、」

「三浦君!大変。植原君が、植原君が!」

落ち着けと真由美に言い聞かせ声を掛けたが、真由美の気は動転してしまっている。

次の瞬間、真由美の口から最悪の事実が告げられた。

三浦はショックのあまり携帯を落とした。

「おい、どないした?」戸田が心配そうに三浦の顔を覗いた。

「植原が・・・亡くなったそうだ。」


<平成24年3月30日 16:00>

三浦と戸田はすぐさま新大阪に向かい新幹線に飛び乗った。

新幹線の中で二人は何も話すことが出来なかった。

お互い未だに言葉が見つからない、戸田が帝和グループ本体を離れてもう何年がたつだろう?

三浦は戸田との思い出を思い出していた。トイレットペーパーを個室に投げ入れたとき、花見で颯爽ともめごとを止めに入ったとき、真由美の送別会で殴られたとき・・・。

いつもかっこ良かったな。・・・俺は心の奥底でお前みたいに強く生きたかったんだ。

けど、素直になれなかった。

ちっぽけな自分を隠すために俺は仕事に没頭したんだよ。

三浦は戸田の横顔を眺めながら思いに耽った。


植原が入院する病院に着いたのは19時過ぎだった。

三浦と戸田は勢いよく扉をあけた。

そこには40半ばの女性と学ラン姿の男の子が二人、そして真由美の姿があった。

40台半ばの女性は植原の奥さんだろう。ハンカチで目を押さえながら三浦たちに丁寧にお辞儀をした。

三浦と戸田もお辞儀をする。

「三浦君・・・、戸田君?」

「・・・よう、ひさしぶりやな。」

二人はまさかの再会に少し戸惑っているようだ。


病室のベッドに植原は眠っていた。永遠に目が覚めることのない眠りについたのだ。

人はこんなにも穏やかな顔で死ねるのだろうか?そうる思わせるほど植原の顔は穏やかだった。

「今日の午前中、様態が急変してあっという間だったって。」真由美は目を腫らしていた。

三浦はただ茫然と立ちすくむ。

なあ、植原・・、花見の約束守れないだろ?もうみんなで櫻見れないなんて寂しすぎるだろ。

三浦の胸にこみ上げるものがあった。

「あの・・・」

振り向くとそこには高校の制服を着た少年が立っていた。

しっかりとした印象を受ける、意思の強そうな目を真っ直ぐ三浦に向けている。どことなく入社時の植原にそっくりだった。

「生前に父が、これをあなたにと言っておりました。受け取ってください。」

その手に封筒が握られていた。

三浦は青年からそのお封筒を受領する。

「父は優しく、勤勉で、つねに僕たちのヒーローでした。時折厳しいところもありましたが、父の優しさはこれからも忘れません。これから母と、弟は、僕が守ってみせます。」

青年の瞳は涙で濡れながらも強く輝いていた。

植原、お前あの時言ってたよな?

子供が出来たら自慢の親になりたいって、子供たちに自分の背中を見せてやりたいって言ったよな。

その願いは叶ってるぞ。

・・・お前はすごいよ。

三浦は感傷にひたりながらも先ほどもらった封筒の中身を確認した。

封筒の中には手紙がはいっていた。

三浦はおもむろに中身を読んでみる。


「三浦へ この手紙を読んでいるという事は俺はもうこの世にはいないんだろうな。ありきたりな始まりですまない。けど、自分の体は自分が一番良く解っている。俺はもう長くない。恐らくみんなで櫻を見るまでもたないだろう。

かつてお前が会社で見つけた和田常務の裏金を記載したファイル、実は俺が作ったものなんだ。俺は帝和グループが好きだ。しかし、一方で重役連中は汚い金を使い私欲を肥やしている。俺はそれが許せなかった。俺が体調不良を理由に経理に移ったのも金の流れを把握できるからだ。

しかし、三浦にファイルを発見されるとは思わなかったよ。流石三浦だ、期待を裏切らない。期待ついでにもうひとついいかな?会社の俺のロッカーの中に青いファイルが入っている。暗証番号は326だ。その使い方はお前にまかせる。中身は三浦ならわかるだろ?期待してるよ。

健闘を祈る。

長文になってすまない。俺は皆に会えて本当によかった。三浦、戸田、真由美、茂木、岡田。ありがとう。」

三浦は一気に読んだ。

「おい、何が書いてあったんや?」

後ろから戸田が聞く。

三浦はふうと息を吐くと突然病室から駆け出し外に出た。

「おい、三浦!どこいくねん!」

戸田の制止を振り切り外に出た。

三浦はタクシーを捕まえ虎ノ門の帝和グループ本社に向かった。

本社に着き、急いでロッカー室に向かうと植原のロッカーを開けた。

中には青いファイルが入っていた。

三浦には、そのファイルの中に何が記載されているのかがわかる。

それは大山の裏金の記録と、そこに関与した三浦の動きの全記録が記載さている。


<平成24年3月30日 23:30>

三浦は本社で佐々木と極秘に明日の会議で発表する資料を作成していた。

明日の会議で帝和グループの未来が決まる。

俺にできるのか?

いや、やるしかない!

三浦は自分に出来る全ての事をやろうと心に決めた。

佐々木にもその熱意を語った。

佐々木は二つ返事で了解し協力をしてくれてた。

深夜二人で誰もいないオフィスで三浦と佐々木は資料作りに没頭した。

思えば今まで佐々木にも散々迷惑をかけてきた。

まともにコミュニケーションを取ろうともせず、いつも仕事を押し付けてばかりだった。

「・・・なあ、佐々木。」

三浦が声を掛けた。

「はい。」佐々木がパソコンを打つ手を止めた。

「今までいろいろ済まなかったな。・・・俺は上司としてお前に辛くあたって来た。うまくいかないと全てお前のせいにしてきた。すまなかった。」三浦は席を立ち頭を下げて心から謝罪した。

佐々木は一息着き、口元を少し緩めた。

「私は・・・三浦部長が嫌いでした。私がどれだけ頑張ってもあなたは私の事を自分の出世の駒としか考えていない。少なくとも私はそう感じていました。

しかし、先ほどのお電話で三浦部長がこの帝和グループを思い、行動を起こそうとしている。

そこに私の力を必要としてくれている。

それだけで私は貴方に付いてきて良かった。そう思います。」佐々木はまっすぐ三浦の目をみて応えた。

「佐々木・・・、ありがとう。この件が終わったら一杯飲みに行こう。東京都タワーが一望できるいいバーがあるんだ。」

「是非、よろしくお願いします。しかし、遅くなると彼女がお腹をすかせて待っているのである程度日にちを決めさせて下さい。」佐々木は笑顔で応えた。

三浦は佐々木の笑顔を見たのは初めてだった。

「なんだ、彼女がいるのか。いいなあ、写真とかあるのか?見せてくれよ。」三浦は興味があった。

「はい、携帯の待受けにしています。」佐々木は携帯を三浦に渡した。

三浦は携帯を開いた。携帯の壁紙はソファーに座る赤いリボンを着けた、細い体の・・・・・・、

ニシキヘビが写っていた。

「彼女?」三浦は一応聞いてみた。

「由紀っていいます。彼女に夢中です。」佐々木は照れくさそうに言った。

三浦は何も言わず携帯を返し仕事に戻る事にした。


<平成24年3月31日 0:54>

明日の資料を作っていたら帰宅が0時をまわっていた。

三浦は自分の家に向かい住宅街を歩いている。

ふと家の裏にある小さな公園が目に留まった。

その公園で何年か前にここで舞と遊んだ事を思い出した。

あの頃の舞は三輪車がお気に入りでいつも乗っていたな。

誕生日に買ってやったピンクの三輪車はどこにいったのだろう?

小学、中学、高校と舞は成長したがそれと比例して舞の心は三浦から離れて行った。

気がつけば舞と話しても喧嘩ばかりだな。

久しぶりに三浦は舞と遊んだブランコに腰を掛けていた。

このブランコに舞を乗せてよく遊んだな・・・・。

ブランコから舞が落ちた時、大した怪我じゃなかったのに病院まで走っていった。

仕事に没頭するだけでなく、もう少し舞の話を聞いてやれればよかったな。

三浦は一人、ブランコに乗りながら思いにふけっていた。

ふと、後ろの方から何か物音が聞こえた。

振り返って音の方向に目を凝らしてみる。

そこには汗だくになって踊る舞の姿があった。

「舞!」

その声に舞はビクッと驚き、イヤホンを取った。

「お父さん?」

「なにやってるんだ!こんな遅い時間に危ないだろ。」

三浦はマイに駆け寄った。

「ごめん・・・すぐに戻るよ。」

舞はタオルで汗を拭いて家に戻ろうとした。

「待ちなさい。」

三浦は舞を引き止めた。舞は怪訝そうに三浦を見つめた。

「・・・・・ジュース飲むか?」


「このジュースまだ売ってたんだ。」

舞はベンチに腰をかけて嬉しそうにピーチジュースを飲む。

公園にある古い自販機の商品構成は今でも昔のままだった。

「そうだな。」公園のブランコに腰を掛けながら舞いの話を聞く。

しかし、何を話していいのかわからない。親子なのにこの気まずさは一体なんなんだ。

すると、舞はジュースの間を手でもてあそびながら言いにくそうに口を開いた。

「私ね、明日、オーディションの最終選考なんだ。」

三浦は舞のおかれている状況に少しおどろいた。自分にも話して欲しかったと思いながらも今までの自分の舞に対しての態度を反省した。

「そうか・・・。」

「アイドルグループの最終選考なんだ。私はアメリカでプロのダンサーになるのが夢なんだけど、芸能事務所に所属して下積みしないとオーディションも受けれないみたい。だから、今はどんなチャンスもつかもうと思ってるの。」

舞の目は真剣だった、あんなに泣き虫でおてんばだった女の子は夢を追い将来をしっかり見据えている。

舞の成長に三浦は感動していた。

「実は父さんも明日は勝負の時なんだ。正直不安だらけだ。けど、舞も明日、最終選考を頑張るなら父さんも頑張ってくるよ。」

三浦はいまの自分の状況をそれとなく話した。明日で帝和グループの、自分の、関わる人全ての未来が決まる。俺に出来るのか?大山専務という強大な敵を倒すことができるのか?三浦はそのことばかりを考えていた。

すると舞は三浦の手を握って見つめ三浦の手首に何かをくくりつけた。

「私が作った腕飾り、お父さんにあげるよ!私がそばにいる。だから頑張って!」

「ありがとう・・・、がんばるよ。」

三浦は今まで張り詰めていたものがスッと解けていく気がした。

「寒いからそろそろ帰るぞ。」

「うん。」

三浦は舞に自分のマフラーを掛けてやった。

舞は嬉しそうに三浦の腕に抱きついた。

家の玄関を開けると妻の久美子が立っていた。

「あらあら、今日は仲がいいわね。なにかあったの?お母さん妬いちゃうわ。」

「なんでもないよねぇ、お父さん。」

「ああ。」

三浦は照れくさそうにはにかんだ。


<平成24年3月31日 13:30>

「つきましてはブライアン・スミス社へのわが社の部品提供は大幅のコストダウンを見込み・・・・」

大山の腰巾着・岸田が企画書を読み上げている。

大山へのゴマすりで指紋が無くなったのでは無いのかと社内で噂される男だが実力はたいした事はない、社会とはこういう輩が幅を効かすとろくな事がない。

今日はブライアン・スミス社との契約の方針決定の役員会議である。

これで、帝和グループとしての答えが決定する。しかし、現段階でブライアン・スミス社の要求を呑む以外の結論は無いであろう。

「・・・・現段階で弊社の方針としてはブライアン・スミス社の提示金額で契約するとの結論でよろしいですか。意義のある役員の方は挙手願います!」

岸田は力強く、毅然と言い放った。岸田の真横には大山が余裕の笑みを浮かべている。

そう、これから俺の時代が始まると言わんばかりの笑みである。

「では、これにてブライアン・スミス社との契約事項についてですが・・・」


「待ってください!」

三浦は挙手をし立ち上がった。

会議室にいる社長以下全役員が三浦を見つめた。会議室がざわつく。

大山専務が怪訝そうな顔を三浦に向けた。岸田は鶏の様に落ち着きなく視線と首を動かした。

「先ほどのブライアン・スミス社との契約について提案がございます。お忙しいと思われますが10分だけお時間をいただけないでしょうか。」三浦は役員全員を見渡し言った。

「さ、先ほど、決議はなされました。そ、それに皆様お忙しいので」

岸田はさらに落ち着きなく目を左右に動かした、まるで鶏がえさを探し回るような滑稽さだ。

大山もこれには驚きを隠せず、椅子にもたれていた体を直した。

「社長、10分だけお時間をいただけないでしょうか?」岸田を無視し三浦は続けた。

「お願いします!!」

三浦は社長に向き直り深くお辞儀をした。

「・・・10分だけだ。話してみろ。」社長は三浦を見つめながら応えた。

「ありがとうございます。佐々木、資料を皆様に。」

脇に控えていた佐々木が資料を配る。

配る途中で佐々木と岸田の目が合った。

佐々木は馬鹿にしきったように岸田を見て鼻で笑った。

岸田は怒りで顔を真っ赤にしている。

そういえばこの二人は同期だったな、犬猿の仲と聞いているが同期にもいろいろなかたちがあると三浦は思った。

大山に目を向ける。怒り心頭の大山の表情が三浦に向けられている。

今にも襲い掛かってきそうな表情だ。

三浦は小さく深呼吸をした。

さぁ、勝負だ!!


「私が提案いたしますのは既存の子会社を使いコストダウンと商品の差別化を作り出すことです。

現段階では今まで話していた様にブライアンスミス社の要望に合わす為、子会社の選別を行わなければなりません。

しかし、今後ブライアン・スミス社への部品提供を今後安定的に行う為には子会社を維持したまま、もう一度産ライン、物流ラインの見直しをはかることです。現在の子会社の能力をフルに使えば大幅なコストダウンと他社との差別化を可能にします。実例が資料の1ページ目に記載されています。

確かに提示コストにあわすのは重要な事です。しかし、差別化の出来ていない商品を部品提供したところでコストが安い競合が出現した時に取って代わられてしまいます。

もちろん今回のブライアンスミス社の要望額と大幅にずれが生じてはいけないので10億円のプロジェクト融資が必要となります。キャッシュフローは2枚目になります。」

三浦の流れるようなプレゼンテーションは続いた。

今までの無理に希望提示額に合わせるという概念ではなく、再度、生産ラインを見直しコストダウンと差別化を実現し将来的に無理のないロジックを作るのが三浦の考えだ。

子会社を守りながらブライアンスミスの要求を満たすことが出来る案を三浦は生み出した。


「今から生産ラインを見直す?ブライアン・スミス社への返答期日はせまっているんだろ。」

大山が意地悪な質問を投げかけてくる。

未だに動揺している岸田と違い大山は冷静さを取り戻していた。

その目には三浦に対する憎悪に満ちていた。

その目を見たとき流石の三浦も一瞬動揺した。

大山の恐ろしさを知る三浦だからこそこの危機的状況を危惧している。

三浦は一度大きく深呼吸して左手首を触った。

そこには昨晩、舞にもらった腕飾りの感触があった。

大丈夫だ・・・・三浦は冷静さを取り戻した。

「いえ、問題ありません。

お配りしている資料の中に生産ラインの概要が書かれております。

私が待つデータのなかには各子会社の生産性、利益率、特性などのデーターが詰まっております。既存の子会社で十分対応できると判断しております。」

いままで子会社整理の推進の陣頭指揮を取っていた三浦の頭の中には子会社の膨大なデーターが詰まっている。大山に対して根拠付けした意見を返す事が出来る。

「この計画を推進するメンバーはどうする?」

大山専務がまた質問をする。

「ある程度のメンバーはピックアップいたしました。明日にでも発足できます。」

三浦も返答する。

「子会社の連中はすぐに動ける保障はあるのか?」

大山専務の声が僅かに苛立ち始めている。

「問題ありません。子会社の幹部には連絡済です。」

三浦はまるで大山の返しを読んでいたかの様にすぐさま返答した。

それから大山専務の容赦無い質問攻めが続いた。

「では新たに生産ラインの見直しを図るとしよう。その時に発生するコストは想定できているのか?そのコストをどこが負担するというのだ?ひょっとして帝和グループがもつわけじゃないよな?」

大山の質問は相手の明確でない部分をついてくる。

将来の展望を語る場合に大山ほど嫌な相手はいないだろう。

しかし、三浦はここ数年、大山の傍らについて大山の議論での攻め方を熟知していた。

「現段階で発生するコストは10億円のプロジェクト資金以外では最大で2億3800万円が想定されます。この程度の資金なら取引先銀行の融資額を超えることはありません。」

大山が小さく舌打ちをしたのがわかった。

今の一撃でしとめるつもりだったのだろう。

「仮にコストを捻出したとしても、一体何年でペイできるのかね?具体的な数字を示してくれ。」

大山はいつもどのくらいできるのかと期限をつめてくる。

あやふやな数字をいった瞬間にその曖昧さをついてくるのだろう。

「3年です。」

三浦は一言だけ応えた。

かかった!大山がにやりと笑った。

「そんな無責任な!3年で出来なかったら君はどう責任をとるんだ!」

大山得意の責任によるプレッシャーを三浦に浴びせてきた。

すると三浦は会議中の人間全てに自分の姿が見えるように向き直り、大山に向けてこういった。

「もし、3年で結果がでなかったら・・・・・・そのときは私が責任を持って辞職いたします。無論、このプロジェクトなら必ず3年で黒字計上は可能です。これは現在の子会社の能力、コスト、スケジュールを考慮し、最悪の場合を想定しても3年でのペイは可能です。」

三浦は言い切った。

大山が明らかに三浦の勢いに押されるのがわかった。

三浦の目には覚悟の二文字が宿っていた。

ベテランプレーヤーのスマッシュを、新人が華麗にカウンターで返したときのような歓声が周囲から上がった。

その後もまるでテニスのラリーのように二人の質疑は続いた。

周りの人間は観客のようににそれをただ見守るしかなかった。

大山にも焦りが見えており、徐々に当初の冷静さを失ってきた。


三浦は質問のやり取りを冷静に判断しある言葉を待っていた。


「だいたい、10億円のプロジェクト資金など、どこから捻出するんだ!!」


来た!!!


待ってましたと言わんばかりに三浦は佐々木に目配せをした。

佐々木は小さく頷き会議室のカーテンを閉め電気を消した。

「おい!いきなり何をするんだ!!」

会議に出席している重役達から非難の声が上がる。

次の瞬間、プロジェクターに財務諸表が映し出された。

「これは・・・・!!貴様!やめろ!!!」大山専務は明らかに狼狽している。

その声を無視して三浦はプロジェクターの近くに移動し、説明を始めた。

「今、プロジェクターに映し出されている財務諸表は弊社の売り上げの一部を不正に横流しをした証拠です。10年前からこの不正は行われており現在、不正にプールされた金額は20億、今回のプロジェクト資金に10億当てたとしてもお釣りが来きます。

そして、この不正を実行したのはそこにいる大山専務、そしてこの私です。」

会議室が一層ざわつく。

「どういう事だね!大山君!説明したまえ!!」

会議室の一番奥に座っていた社長が大山に質問する。

大山は真っ青な顔をして頭を抱えている。

「私が提案した計画は現段階ではコスト、期間、人員すべてにおいて実現可能です。

ただし、子会社無しではこの計画の成功はありえません。今一度、帝和グループとしての方針を打ち出して頂きたい。以上で私の提案を終わります。」

会議室の電気がついた。

・・・会場は静まり返っていた。

誰も口を開こうとしない。

三浦は立ち上がり一礼し会議室の出口へと向かった。

途中で大山とすれ違う。

「貴様!このままで済むと思うな!ここでお前も道連れだ!」

大山専務の充血しきった目が三浦を睨み、最後の呪いの言葉の様に言い放った。

三浦はそれを無視し会議室を後にした。


会議室を出て、長い廊下を歩いていると目の前に見慣れた姿があった。

戸田であった。

「おい!佐々木って奴から話は全て聞いたで。

なんでや!なんで自分の身を犠牲にしてまで・・・、誰の為や?植原か?真由美か?それとも・・・俺か?」

三浦はフッと小さく笑った。

「勘違いするな。誰のためでもない。会社にとってベストな選択は子会社を維持し技術力・生産能力を下げない事、不正を明るみに出しその資金をプロジェクトにあてる事だ。」

「そない言ったってお前・・・これからどないするねん!」

戸田は心から心配そうに三浦を見つめた。

「解ると思うが俺はもう長く帝和にはいられないだろう。

社長には前もってお前を俺の後釜として起用してくれと打診してある。それと佐々木をよろしく頼む。女の趣味はどうかしているが出来る男だ。大切にしてやってくれ。後は頼んだぞ。」

「お前・・・それでええんか?」戸田が顔をゆがめながら問いかけた。

目の前にいる戸田という男は何よりも自分の事を心配してくれている。

本当にいいやつだ。三浦は心の底からこの出会いに感謝した。

「出世だけが全てじゃない。お前らは俺に教えてくれた。少し遅いが俺も大切な物を探しに行くよ。

世話になったな。」

三浦は戸田の肩をポンと叩き廊下を歩き会社を出た。

外に出ると雲ひとつ無い青空が広がっていた。

三浦はネクタイをはずし空に向かって投げた。ネクタイは春の空に舞上がった。


<4月10日 23:00>

「あっ、来た来た!おーい、三浦君!こっちこっち。」

ライトアップされた桜の木の下で真由美が手を振っている。

「遅いで大将!待ちくたびれたわ!」

戸田が駆け寄りヘッドロックをしてくる。少し酒臭い。

あの後、戸田が直接社長に直談判し三浦はクビを免れた。

一方、大山は今回の不正だけでなく、セクハラ、パワハラで部下を何人も潰していたらしく懲戒解雇となった。それに伴い大山派は空中分散した。

戸田は本社復帰の話を蹴り帝和サポートに戻った。

「見とけや!あの会社で天下とったるで!」

大阪に帰る時に三浦の手を握りそう宣言した。

「み、みんな。おちついて。三浦も早く座って。お、俺の自慢の野菜食べてくれよ。」

岡田が三浦と戸田の間でオロオロしながら話しかけていた。

茂木は隅に座り微笑んでいる。

「カンパーイ!!!」

5人は6本のビールを空けて乾杯した。


岡田は野菜のおばんざいを取り分けている。

家族の大切さを教えてくれてありがとう。


茂木は隅の方で酒を傾けている。

純国産ロケットを必ず打ち上げろよ。


戸田と真由美が隣に座り談笑している。

この二人が幸せになってくれればいいな。


なあ、植原、お前もこの櫻が見えてるか?

三浦は咲き誇る桜を眺めていた。

櫻は5人の上で咲き誇る。

いつまでも、いつまでも。











この小説を読んで頂き誠にありがとうございました。

世界で一人でもいいので読んで欲しいと願い執筆しました。

物語を書き始めたきっかけは私が以前勤めていた会社の状況にあります。

その会社は春に大量に新卒を募集するにですが3年後には9割が離職をしてしまう企業です。そんな時、入社式の写真を眺めると「このメンバーをそろえる事はもう不可能なんだなぁ。せめて小説の中だけでも実現させてみよう。」と思い執筆い致しました。

学生時代の友人と違い、同期はあくまでライバル。出世のスピードや評価も違う中でその複雑さを描けれたら幸いです。

この小説を最後まで読んでいただき誠にありがとうございました。

人生の数分でもこの小説の為に時間を使っていただいた事を誇りに思います。

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