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1話

「ひいいいい!」

 猛烈な寒気がして顔を上げると、ちょうど四時間目の授業が終わったところだった。弁当箱を持ったクラスメートたちが、僕を汚物でも見るように遠目で見ていた。

「す、すいません……」

 素直に謝る。制服の袖を捲り上げると、気持ち悪いくらい鳥肌が立っていた。なんだろう、悪夢でも見たのだろうか。額を拭うと、汗が浮いていた。夢の中で窒息すると、目が覚めたとき何故か息切れを起こしているが、今まさにそんな感じだ。夢の中で死んだのだろうか。良く覚えていない。

「どうしたコクハラ。お気にのパンツを目の前で破かれる夢でも見たか?」

 後ろから僕の肩をつついてきたのは、大山翔悟(おおやましょうご)くんだ。ただのイケメン。ほかに説明はいらない。

「……僕はコクハラじゃない、君島だ」

「どっちでもいいじゃねえか。同じようなもんだ」

「文字数しか合ってないよ!」

「じゃあなんて呼べばいいんだよ」

「普通に君島って呼べばいいじゃないか! どうしてそこで悩むの!」

「きみしむぁっ! ……ほら、噛んだじゃねーか」

「わざとらしい!」

 この教室で席が割り当てられた時、たまたま後ろの席になった翔悟くんは、僕のことを「コクハラ」と呼んだ。てっきり人間違いかと思ったがそういうわけではなかった。

 コクハラ。黒原とは書かない。

 僕が入学式に起こしたあの出来事は、かなり多くの生徒に見られていたらしく、その様を見ていた一人の生徒が「告白ハラスメントだ……」と呟いたらしい。それがきっかけで、僕はこのクラスでおよそ大半のクラスメートから告白ハラスメントを略して「コクハラ」という不名誉なあだ名で呼ばれるようになってしまったのだ。自分の名前と全く無関係なところから付けられたあだ名なので非常にややこしい。一年くらい経つと「君島」って呼ばれるほうが新鮮になりそうで怖い。

「で、どんな不愉快な夢を見てたんだよ。まさか……ノーパン少女か?」

「そんな嬉々とした顔で聞かないでよ」

 身を乗り出して折角のイケメンが百八十度転換してしまうようなにやけ顔を寄せてきた。翔悟くんは黙っていれば普通に格好良い人なのだけど、喋りだすとただの変態だった。僕とはそういう関係で話す機会が多い。

「お前があんな悲鳴を上げるくらいだ。きっと事件はパンツじゃねえ。そもそもそれすら無かったと考えるのが妥当だ。絶対領域を破ってしまったお前に待ち受けていたのは女の肉体というリアル。残酷だが、羨ましいぜコクハラ」

「絶対領域を破るという前提で話してくれるところ、本当に君は僕のことを分かってくれているのだと思うんだけど、そんな夢は見ないよ。ていうかホントに悪夢だねそれっ!」

「俺はそっちのほうが良いけどな」

「やはり君とは相容れないんだね……悲しいよ」

「戦友としてはこれほどまでに震える相手はいないがな」

 正直に言って、僕は彼という人間が好きだ。他人の目を恐れずに自分の欲望へと突き進むその様は、まだ僕にさえ到達出来ていない地点だ。尊敬に値する。しかし、どうしても彼とは相容れない部分がある。

 ぱんつの有無。

 彼がイケメンゆえの運命なのかもしれない。彼はぱんつをファッションの一種とも思ってない。彼に言わせればぱんつはただの布。強いて言うなら脱がす楽しみがある程度だと彼は語る。

 ぱんつを脱がす。想像しただけでも吐きそうな言葉だった。ぱんつ無き乙女に純情は無く、純情無き乙女には魅力を感じない。それをどれだけ力説しようと、彼は一向に折れなかった。僕は学園で初めて出来た友人がダークサイドにいることにただただ深い悲しみを覚えながら、しかしなお立ち向かってくる彼に、僕は敵ながら感心していた。

 戦友と書いてライバル。まさにそんな関係で正しいと思う。うん、熱い。

 昼食の用意をしているクラスメイトを横目にしながら、僕は翔悟くんに言った。

「昼ごはんどうするの? 購買?」

「いや、今日はいいや……腹減ってねぇし金もねぇ。コクハラは今日もパンツか?」

「まるで僕が毎日昼食にはぱんつを食べてるような言い方だね!」

「え、ちげぇの?」

「食べないよ! いやもしかしたら食べるという未来もあるかもしれないけど、少なくとも今現在まで食べたことはないよ!」

「パンツを食うことも出来ねぇのに、お前はパンツ好きを名乗ってんのか?」

「なん……だと?」

 そこまで言われて黙っている僕ではない。机の横にかけてあるバッグから一枚のぱんつを取り出し、翔悟くんの机に叩きつけた。ネットで調べて学んだ完璧なたたみ方で収納していた。ちなみにこの淡い桃色のぱんつ、デザインを重視したことにより通気性が損なわれ、女性からの人気は対して高くない代物だ。少々装飾過多とも取れるデザインは内股周辺や尾骨辺りを傷つけてしまい実に不評だが、デザイン性のみを評価すれば文句なしの一品である。先日ワゴンセールで買ってきました。

「君はもしかしたら冗談で言っているのかもしれないが、僕はぱんつを食うことなんて何の苦にもならないぞ? むしろ、ぱんつと一体化することによって新しい何かを得る事が出来るかもしれないとさえ考える」

「だがコクハラ、お前は食えない」

「なに?」

 翔悟くんは僕からぱんつを奪い取り、目の前に突きつけた。

「お前にとってパンツとは、食うものじゃないからだ」

「――っ!」

 言葉が出なかった。翔悟くんが向けてくる視線に耐えられない。僕自身がプライドという小さなもののために奥へ追いやられた心を、容赦なく突いてきた。

 敵ながら、天晴れっ!

 僕の様子を見て翔悟くんは勝ち誇ったように笑い、握ったぱんつを僕へ返した。すまない、やはり僕はまだまだ小さく未熟だ。こんな一枚のぱんつさえ守れないようで、何がぱんつを愛するだ……っ。僕は膝を折り、翔悟くんにひれ伏した。

「……君の言うとおりだよ。ありがとう、目が覚めたよ」

「随分とぐっすりタイムだったみたいだからな。五時間目が始まる前に起こしてやったんだよ」

「ありがとう。ついでに周りの目がとても冷たいことにも今更気づいたよ」

「気にすんな。入学当初からずっとそうだろ?」

「そうだね……」

 意気消沈して席に着いた。ぱんつはしっかりしまっておこう。

 ぱんつと入れ替わりにバッグから弁当箱を取り出す。両親はどちらも早朝に仕事へ出かけてしまうので、弁当はお手製だ。と言うと立派に聞こえるかもしれないが、僕に料理なんてイケメンスキルは無く、タッパーに詰め込んだ白いご飯と、適当に焼いた巨大卵焼きが僕の弁当だった。肉が食べたいですお母さん。

 だるそうに机に突っ伏している翔悟くんの前で弁当を食べる。

 通称「告白ハラスメント」によって僕がぼっちになりかけていたのを救ったのは翔悟くんだ。この侘しい弁当を便所で食べる事になっていたら、僕は今頃心が折れていただろう。野望とかそういうことを言っている場合じゃなかったと思う。

 彼は、僕が関わったことによってクラスから浮いてしまったと思う。きっと僕にさえ出会わなければ今頃彼の周りには可愛い女の子たちが集まってきゃーきゃー言っていて、きっと彼女の一人や二人、ゲームをするような感覚で作っていただろう。そう思うと、ほんの少しだけ申し訳ない気がした。ほんの少ししかしないのは、それでもラブレターを貰っているからだ。いちいち自慢してくる。僕の野望が叶ったとき、彼にはぱんつを脱がしてはいけない刑でも受刑させてやるつもりでいる。ごめんね。

「失礼しまーす」

 翔悟くんを処刑する方法を妄想していると、教室の前のドアが開いた。続いて、三人の学生が入ってくる。胸元のバッチを見ると、全員が二等生なのが分かる。

 卵焼きを口に運びながら、ちらっとそちらを盗み見すると、見覚えのある顔が一つだけあった。

「はいはーい、ちゅうもーく」

 片手を上げて幼稚園児を集めるかのように自己アピールする女学生。後ろで結んだショートポニーテールがトレードマークで、はにかんだ笑顔がとても魅力的に映る。学園でも人気があるとして有名な人だった。

神山樹(かみやまいつき)でーすっ。ほんのちょっと時間貰ってもいいかなー?」

 クラスメートがなんだなんだと神山先輩のほうへ目を移した。

 神山樹先輩。胸元に合計五つのバッチが輝き、嫌でもそこに目が行く。人気があるだけではない。こういう人物が持つスキル、才色兼備。バッチの数はそのまま、彼女がエリートだということを示している。

 龍泉学園の特殊なところはこのバッチにある。

 通称「バッチシステム」。簡単に言えば、成績優秀者などにバッチが送られ、その数によって生徒を区別する競争システムだ。学年のバッチもその中に含まれ、二等生は僕ら初等生がつけている「種」を象ったバッチに加えて、「若葉」を象ったものを胸につけている。ちなみに三等生になると「花びら」を象ったものになる。

 このバッチシステムは、卒業用件にも関わる。学年バッチ三つと、それを合わせた合計十個のバッチの提出が卒業の条件だ。人によっては三年間で卒業できない人もいるが、それは巷で言う留年扱いにはならない。一応生徒は三年間での卒業を目指すが、それが達成出来る生徒はそう多くない。一部の成績優秀者が先頭を突っ走り、あとの生徒はちまちまと点数を稼ぎながらバッチを手に入れるのだ。

 僕はまだ、学年バッチしかつけていない。入学当初に一度テストがあり、そこで学年一位を取った子が「成績優秀バッチ」を貰っていた。つまり、そうしたものの一つ一つが、差に繋がっていくシステムだ。

「うっは、マジ可愛くね。流石学園のアイドルだな」

 寝ていたはずの翔悟くんが神山先輩の登場と共に飛び起きていた。実にめんくいである翔悟くんにとって神山先輩は格好のえさだ。何せその美貌がハンパじゃない。どちらかというと童顔だが、ただし幼いわけではなく、ほんのりと乗った化粧が助成らしさを感じさせる。学園のアイドルという使い古された言葉を当てはめる事に一切の不思議は無く、僕も彼女を見た途端、引きずられるようにしてどんなぱんつをはいているのか想像してしまうほどだ。

「おいコクハラ、樹先輩にするわ」

「何が?」

「昼飯」

「おい!」

 リアルにやりかねない。そんなことをしようものなら学園全ての男子学生を敵に回すことになる。彼の身のためにも僕の妄想のためにも必死になってでも止めなければならない。よって僕は、冗談だと分かりつつ(半分くらいだけど)も、よだれを垂らしてまさに獲物を狩ろうとする彼の腕を掴んだまま、神山先輩に注目した。

「六月に審判員の更新が行われるのは皆知ってるよね?」

「知ってまーす!」

 後ろで翔悟くんが答えた。やめてくれ、君に注目が集まるということは僕が視界に入るということなんだぞ。

 神山先輩は軽く微笑み返して一蹴し、話を続けた。

「あたし、それに立候補することにしました! わーわー!」

 自分で拍手をし、言葉で盛り上げる。この明るい性格が生徒たちに大人気なんだそうだ。なるほど、ぱんつの色は暗そうだ。

「そこで今日は、自己アピールしに来ました!」

 ぶい、と指を突き出す。それだけでクラスの男子は心奪われたように大声で囃し立てるようになる。僕も適当に便乗しておいた。

 審判員。

 この学園におけるバッチシステムの中で、「学内・課外活動成績」という部分において、その活動の内容を見極めてバッチを進呈するかどうかを判断する。それが審判員の役割だ。毎年数名が選出、後期と前期に分かれて二度に分けて選挙が行われる。それは全て学生主体らしい。生徒会と連立していて、条件として学年バッチを除くバッチが三つ以上なければ立候補することが出来ない。ある程度の成績を収めなければ公正な判断も出来ないと思われているからだろう。

 神山先輩のバッチは五つ。うち二つが学年バッチだが、残りの三つは違う。腕が二本交差している形のバッチ。スポーツ優秀者に送られるバッチだ。何のスポーツで取ったのかは知らないけど、その辺りは翔悟くんにでも聞けばすぐに教えてくれるだろう。

 とまあ、全部学生証に書かれいてることだけど、きちんと読んでる人は多くないんだろうなぁ……やたらと堅苦しい説明だったし、ケータイ電話の説明書ばりに分厚いし。

「あたしはね、不正が大嫌いです」

 神山先輩は突然そう切り出した。アイドルに違わぬ愛らしい瞳はどこかへ消え、いたって真面目な、言うなればこれこそが神山先輩の本質、スポーツマンの目になった。

「去年の審判員は酷かったんだよ。町内でゴミ拾いでもすれば直ぐにバッチが貰えた。どこを取ってもあまあまな判定ばっかでさ、どーしてこんな努力もしてない人たちがバッチを貰っていい顔してるんだろって、ずっと疑問だった」

 神山先輩の口調は毒を吐くようなもので、力強かった。

 僕らはその時期のことを知らない。が、学生の活動を学生が監視するというのは、そういうリスクが付きまとうものなのだろう。

「まだ、一等生の人たちは経験してないかもしんないけど、特殊活動のバッチは判断がとても曖昧なの。だから、基本的にやることはなんでもいい。そりゃあ、ゴミ拾いだって立派なことだけどさ、それ一回で優秀者っておかしくない? おかしいよね? 一年くらい続けてたってのなら別なんだけどね」

 身振り手振りを加えて、ポニーテールを揺らしながら話をする神山先輩に、クラスメートは箸を動かすことを止めていた。

「そういうところをきっちりしていこうと思うんだ。甘いのも卑怯なのも嫌。一等生には不利な話みたいに聞こえるけどさ、バッチシステムは競争なんだよ。そこんとこしっかりしなきゃ、フェアじゃない」

「その通りだ! 全力で同意する!」

 翔悟くんがガッツポーズを取りながら立ち上がった。なんて迷惑な。

「不正をしてバッチを貰うなんて、キスもせずに女の子をヤっちまうようなもんだ! そういうんじゃないだろ。その過程が大事なんだ。おっぱいにがっつくのも良いが、ムードを作らなければ真の感動を得ることは出来ないっ。そうだろ、コクハラ!」

「僕に振らないでよそんなリアルな話!」

 なんでこの人はこんなに人の目を気にしないで発現出来るんだ。頼むから僕を巻き込まないでくれ。ああほら、氷点下とも劣らない冷たい視線が四方八方から……。

「君、面白いねぇ。名前は?」

 神山先輩がニヤリと、実に恐ろしい笑みを浮かべてこちらに歩み寄ってきた。周りのみんなは誰も気づいていない。きっと女神の微笑みのように見えるのだろう。いや、実は僕もそう見えてはいるんだけど。可愛いです。

「大山翔悟っす!」

「大山くんね、君、あたしのサポーターにならない?」

「さ、サポーター?」

 頭を腕の中に隠して、二人の会話を聞いた。

「そ。六月にある審判員選挙で、立候補者は何人かのサポーターをつけられるの。学年とかあんまり関係ないから、自分に有利になる人をサポーターに置くんだけど……」

「是非っ。全力でサポートさせていただきますっ」

「ありがと。決定したらこっちから連絡するよ。で、もう一つ。今さっきコクハラって言った?」

「え? ああ、言いましたけど。こいつですよコクハラ」

 ぐい、と襟を持ち上げられて僕の防空壕が破壊される。視界が一気にクリアになり、目の前に神山先輩の顔が現れた。思わずドキッとしてしまうような顔立ちだが、僕がドキッとしたのは違う理由である。

「コクハラくん……このクラスだったんだねぇ……」

 粘り気のある声色で、僕にしか聞こえないような声量で言った。

「コクハラじゃありません君島です」

「どっちでもいいじゃん。コクハラの方が呼びやすいし」

「あんまり変わらないでしょう!? だったら本名の方で呼んでくださいよ!」

「あいっかわらず可愛い顔と性格してるなぁ。色んなお姉さま方から声かけられなかった? 私の足をお舐めなさい的な」

「僕はドMじゃないんでそんな美味しい展開があっても揺らぎませんよ。あ、いや、くっ……(ぱんつが見えるかもしれないと考えたら無しじゃないじゃないか!)」

「すっごい揺らいでるじゃん」

「何を言いますか。そう、ぱんつさえ無ければそんなものに揺らぎは、いや、くそっ、一体どうすれば……」

 気が狂いそうだった。

「まあ、いいけど」

 顔を離すと、いつものアイドルっぽい愛想を振りまく笑顔に戻った。

 僕と神山先輩は既に二度ほど顔を合わせた過去があった。

 一度目はあの悪夢の入学式の直後。どうやら竜胆先輩との一件を遠目に見ていたらしく、その変態性だとか積極性だとか良く分からないことを興奮しながら語られた。正直何を言っていたのか良く分かっていない。その時は僕も、ああ、この人は可愛らしいぱんつをはくご婦人なのだろうなと、心穏やかに先輩を見つめていたことくらいしか覚えていない。

 しかし、二度目。購買にパンを買いに行こうとしたら突然拉致された。校舎裏に連れて行かれ縄で縛られた挙句、『ねぇ、パンツ好きなんでしょ? 見せてあげよっか?』とか思い出すだけでも鼻血吹きそうなことを耳元で囁くように言われ、その後数十分に渡って理性と本能をバトらせた。果たしてどんな目的があったのか分からないが、その時から神山先輩にある種の苦手意識が芽生えたのは間違いない。

 つまるところ神山先輩は生粋のドSであり恐らく学園一のエロ子であるのだが、これだけ聞くと僕とはいい関係を結べそうな素晴らしい先輩のように聞こえるだろう。しかし、その実態は真逆で、彼女は僕の敵に位置する人だったのだ。

「ふふっ」

 少女と呼べるような年代の女の子が見せるとは到底思えないような妖艶な笑みを見せ、神山先輩は左手で小さく下を指差した。僕の視線はそれを辿るようにして降りていき、

「ぶっ!」

 神山先輩のほんの少し捲くれたスカートまで辿り着いた。僕の反応を見て、すっとスカートを下ろす。誰も反応しないところ、僕にしか見えていなかったようだ。

 先輩の視線が「どう?」と嫌みったらしく聞いてくる。

 僕は、怒りで我を忘れそうだった。

 スカートの中身は皮肉にも、あの日と同じ。顔面を足蹴にされた中で見えたあのぱんつと同じだった。僕が彼女に絶望し、なおかつ恐怖を抱いたあの瞬間。

 薄緑の、なんだかふわふわした可愛らしいぱんつ。

 まるで女子中等生がまだ下着の選択をすることを覚えていない頃、とりあえずこんなもんでいいかな、くらいの気持ちで着用している純粋さ満点のぱんつのだったのだ。これの意味するところは一体何か。

 神山先輩がそのぱんつをあえて選択しているとするならば、それは虚偽のためである。人の性格や生活習慣によってぱんつとは常時選択されていくものだ。神山先輩のドSさとエロさからして、あんなぱんつを「わざわざ」選択する意味合いは見出せない。とすれば、神山先輩がぱんつという存在を「見えてしまっても仕方の無いもの」として認識していると仮定して、あのぱんつは彼女を隠すものに違いない。

 いわば、ペルソナ。

 だが僕はその全てを否定する事は出来ない。彼女にとってのベストぱんつだとは思わないが、ペルソナを被り続ける彼女を実直に表現したぱんつでもあるのだ。ある意味では、彼女の心の闇と言っても過言じゃない。だから僕はそれを否定しきることが出来ないのだ。

 それでも、それでもあえて僕は怒りたい。誰のためでもない、ぱんつのために。ぱんつは泣いているのだ。そんな気持ちで、そんな用途のために自分をはかないでくれと。僕にはそれが聞こえたのだ。

 やはり、この学園のぱんつプロデュースをすることが急がれる。こんなことが女学生の数だけ存在しているのではないかと考えると、僕は胸が痛くてたまらない。

 僕は毅然とした態度を心がけながら、鼻血を拭って言った。

「神山先輩、どんな誘惑があろうとも、僕はあなたのサポーターにはなりませんよ」

「おいコクハラ、お前折角樹先輩が声かけてくれたのになんつーこと言うんだよ」

 すると神山先輩は手を大振りしていいのいいの、と翔悟くんに言った。

「コクハラくんがあたし側についてくれないことは最初から分かってたし。ま、無理矢理連れて行くことも出来るんだけど、そうするのはあたし的にも得策じゃないかなって」

「どういうことですかそれは」

「どういうことだろうね?」

 ふふっ、と不適に笑って見せた。ぬう、実につかめない先輩である。

 同行していた二人の先輩がやってきて、神山先輩に何かを呟いた。時間がどうのこうのと聞こえたので、次のクラスにでも回る予定なのだろう。軽くそれに頷き返すと、「じゃねっ」と言って僕にデコピンをかましてきた。

 ハートキャッチ僕キュア。今のはやばかった。くそっ、たかだかアイドルじゃないか。外見や行動だけに惑わされるな僕っ。彼女に薄緑のぱんつに怒りを覚えたばかりなのに、これじゃあ格好がつかないじゃないか。

 先輩は軽くお別れの挨拶を済ますと、ポニーテールを跳ねさせて教室から出て行った。

 彼女が去ったあともクラスのざわめきは収まらなかった。そりゃあそうだろう。入学式後の全校集会で一度だけしか見たことのないだろう先輩がこんなに近くで話していたのだ。一部の熱狂的ファンからしたら涎もののイベントだし、そうでなくてもこの空気に熱された生徒は多い。また写真付きテレカとか高額買取されるのだろうか。

「おいおいコクハラ、なんだよお前。樹先輩と知り合いだったならそう言えよ」

 クラスメートと同様に興奮した様子の翔悟くんがわざとらしく肩を組んできた。

「言えよって、別に聞かれなかったじゃないか。それに僕、正直神山先輩は苦手だし……」

「苦手ってあんなに可愛いのにか? しかもデコピンまでされちまってよぉ、羨ましいから額舐めさせろ」

「やめてっ! 顔を近づけないで! いくら君がイケメンでも流石に気持ち悪い!」

「美少女の手垢のためなら致し方なし」

「そんなキャラじゃないだろう君!?」

 冗談だよ、と言って翔悟くんは僕から離れた。くそ、リア充スキルというやつか。

「あー、しかしサポーターって何すんだろうな。スカートの中に顔とか突っ込んでいいのかなぁ」

「ダメだろう普通に!」

「いやでもさぁ、やっぱこういうイベントってのは男と女の仲を発展させるわけじゃん? 何か感触も悪くなかったし、結構イケんじゃね?」

「そこだけ聞くと同意出来るけど、顔は突っ込めないと思うよ」

「え、結構リアルにマジで?」

 なんでそんなに真面目に聞き返すんだよ。え、何、僕が間違ってるの? イケメンの世界ってそういう風に構成されてるの?

 その後も、審判員選挙の宣伝の為に何人かの上等生がやってきた。しかし、一番初めに来たのが神山先輩とあってか、クラスの盛り上がりや反応は著しくなく、立候補者のマニフェストを読み上げるだけの自己アピールも相まって、僕のクラスでは神山先輩一色の投票構図となりそうだった。

 そんな、なんだかグダグダしてきた空気の中に彼女は風のようにやってきたのだ。

「失礼します」

 スパーンッ! と叩くような音が鳴ったかと思えば、教室のドアが勢い良く開けられた音だった。驚いた人たちは僕も含めてそっちに意識を向けた。

「り、竜胆先輩……?」

 そこに立っていたのは、くいっと眼鏡を上げてクラス全体に射殺すような視線を送っている竜胆先輩だった。胸元には七つのバッチ。学年バッチを除いても、五つのバッチを習得している。

「『永結凍土の女豹』……だっけか」

 後ろで小さく翔悟くんがそう呟いた。それは、竜胆先輩の学園内で噂される二つ名。僕で言うところのコクハラのようなものだ。

 クラスメートたちはその原因不明の威圧感にすっかり怯えてしまっている。視線を必死に外そうとする人、お喋りを止めて相手を刺激しないようにしている人、我関せずを装いつつも、ちらちらと竜胆先輩を伺っている人。これが、今の竜胆先輩が持つイメージだった。

(逆らうな、殺されるぞ)

 そんな空気が教室内に充満していた。

 一等生である僕らは実際に竜胆先輩のことを知っているわけではない。事実、彼女と顔を合わせたのは神山先輩と同じく全校集会の時だ。ここで、二等生代表として挨拶した竜胆先輩は、当時入学したてで浮かれていた僕たちに向かって第一声をこう飛ばした。

『後悔したくなければ口を噤みなさい。私が話そうとしているのに喋り声が聞こえるというのは、命も惜しくないと取って良いのね。あまりに酷いようであれば、この私が自ら……抹殺します』

 その時既に、僕がアイアンクロー・スラムによって意識を闇の底に沈められたというのは一等生の大体には伝わっていた。つまり、彼女の「抹殺する」という言葉が決して脅しからではないという事を僕らは身を持って体感しているのだった。

 この経験は二等生も変わらないらしく、『永結凍土の女豹』というのは同等生たちが言い回ったらしい。決して表情を変えない、冷たき令嬢。楯突くものを一人残らず抹殺していき、噛み付いた相手を離さない。僕らが知っている竜胆先輩の全容とは、主にこんなものだった。

「モラルがなっていて良いクラスね。でもそこの男子。みんなが私に注目している中で一人だけご飯を口に運ぶのはどうかしら。あなたみたいな連帯感の無い人が秩序を破壊するのよ。反省しなさい」

「す、すいませんっ」

 顔を伏せて知らんふりをしていた男子の一人が名指しされ、彼は急いで謝っていた。

「そこの女子。今あなたが座っている席、それはあなたの席?」

「そ、そうですけど……」

「随分とメルヘンチックな机ね。どうしたのその落書きは」

「じゅ、授業中暇だったので……」

「暇だった? 授業が? ふざけてるわね。それに、学校の備品を汚しておいて良くもそんなのうのうと生活出来たものね。それはあなたのものじゃないのよ。我が物顔をしたいのだったら、丁寧に扱いなさい。さ、今すぐそれを消して。目障りだわ」

「は、はいっ」

 ああー、最初っから竜胆先輩節全開だなぁ。もはや圧政とも取れる注意の数々に、クラスメートたちは自分が聞いた噂が嘘でない事を確信し始めているのが分かった。

「去年は、こんな生徒が特殊活動バッチを良いようにさらっていったわ。今年もきっと同じことが幾らか起きるでしょうね。でも、私が審判員になった暁にはそれを許しません。公正な判断に基づき、甘えによって習得されたバッチは全て剥奪させて頂きます。無論、去年そういう方法で取ったバッチも丸ごと。だから安心して。一等生も二等生も変わらない、一緒のスタートラインに立つの」

 そう。審判員のもう一つの権利とは、厳密な会議を経た末の「バッチの剥奪」だ。そんなことは悪質な事件でも起きない限り滅多に無いのだが、竜胆先輩の口ぶりを聞いている限り、彼女のマニフェストとはこの部分の厳重化なのだろう。誰得なマニフェストだ。やろうとすることは神山先輩と対して変わらないはずなのに、内容一つでこうも印象が変わってしまう。

「あなたたちも何の努力もしてないクズみたいな人間が優秀者としてバッチの数を重ねていくのを見るのは嫌でしょう? だから、そういうものを防ぐためにも、私に投票し――」

 そこで一瞬、誰にも気づかれないくらいの小さな間があって、

「――なさい」

 民主主義も顔が真っ青になる命令口調で、そう締めくくった。

 最悪だ。もう手の施しようが無いくらい最悪な演説だった。今クラスメイトたちが感じているのは恐怖じゃない。苛立ちだ。完全な上から目線に、男女問わずイライラしている様が見て取れる。現に、彼女を多少なりとも支持している僕ですら、気分を害するような演説だった。

 このままでは竜胆先輩には一票すら入らないだろう。どうにか、僕がどうにか出来ないものか。

 ぱんつの女神を救うための力を、僕にっ!

「――っ!?」

 僕は、彼女のスカートを直視した。意図的ではない。そこに視線が動いたのだ。

 ゆらぎ。いやこれは歪みか。スカートの周辺だけ竜胆先輩から隔離されてしまったかのように、そこだけ現実から離れてしまっているかのような微妙な感覚。僕のセンサーが告げているのだ。後悔したくなければ、あのスカートの中を想像しないことだと。

 だが、それは逃げである。

 僕は勇気を振り絞り、勢い良く席から立ち上がった。

「竜胆先輩……」

「あっ、き、君島くん? あなたこのクラスだったの……」

「そんなことはどうでもいいです。先輩、あなた今、黒のぱんつをはいてませんか」

 僕の登場に驚いている先輩を完全に無視して、僕はさっきの違和感の正体を口に出した。

「なっ、何を……!」

「先輩から感じる微量のずれ。恐らくあなたは昨晩、明日は審判員選挙の宣伝の日だといって多少緊張していたはずです。お風呂に入ってもなんだか落ち着かない。湯上りにぱんつをはく時、ふと目に映ったいわゆる典型的な『勝負ぱんつ』。男で言うところの褌を締めるという気合を入れるための行為に、あなたは黒のぱんつを選んだ。しかし、あなたは反面今日という日のためにある程度用意を行ってきたはずだ。不安に感じることなど何も無い。あったとしても、それは人前に立つ緊張や当選に対する緊張ではない。なんなのかは知りませんが、そんな生半可な微妙な気持ちではかれたぱんつは、僕に救援信号を送ってきました」

 まるで、今日という日にあった選択をされたかのような黒ぱんつだが、その実彼女は勝負ぱんつを「ついで」程度にしか思っていない。だから感じたのだ、この違和感を。見なくても分かる。選択することの出来る女の子のぱんつを予想することなど容易い。

「黒のぱんつとは一見して勝負ぱんつに選ばれがちなぱんつです。しかし、その実、黒という色がそういうイメージを焼き付けさせているだけで、万人に黒のぱんつが勝負ぱんつとなりうるかは別問題。本当に自分で選んだものならば、恐らく僕はこんな違和感を覚えなかったでしょう。あなたはきっと妥協した。いえ、間違いなく妥協したはずです。黒という色が、まるで自分を勇気付けてくれると錯覚した!」

 事件の犯人を告発するかのように、僕は竜胆先輩を指差した。

「何故ですか先輩……あの日僕に見せてくれたぱんつは嘘だったっていうんですか!!」

 悲痛な叫び。それが届いたのか、先輩は泣きそうな顔でわなわなと震えていた。クラスから「竜胆先輩を動揺させてるぞ……」「流石コクハラ。俺たちに出来ないことを平然とやってのける!」「正直引いた」などと僕に対する賛辞の声が上がっている。

 だが僕も先輩をいじめるつもりは毛頭も無い。反省してくれればそれでいいのだ。僕は机の横のバッグに手を差し込んで、中を漁った。

「ちょうどいいです。今、先輩に似合うぱんつを用意しますのでこれをはいてぐっほぁっ……!」

 目にも留まらぬ速さで先輩の手刀が飛んだ。

 地獄突き。指を伸ばしたまま相手の急所を突く、破壊力のある打撃技。鳩尾にめり込んだ先輩のか細い指は、折れる様子などなく僕を貫いていた。あまりの衝撃に僕は膝を折り、前かがみになった。

「君島くん。あなたの命、私が預かったわ」

 なんか格好いいこと言ってるけどこの人僕を殺すつもりだー!

 竜胆先輩は魅惑のふとももで僕の頭を両脇から挟んだ。なんだこれ、天国か何かか。密着度は今までの中でも最大になり、おみ足からはとってもプリティーな香りがした。ここに移住したい。

 しかし、そんな僕の夢を打ち砕くかのように、今度は両脇に手を添えられ、ぐいっと上に持ち上げられた。

 小学校の頃、教壇の上に立ってヒーローごっこのようなことをしたのを思い出した。そのくらい昔に遡らなければ見られない、とても貴重な光景が僕の前に広がっていたのだ。教室を高い位置から見下ろすこの視界。人の頭の上が見える状況なんてそう無いだろう。みんな各々、恐怖や驚きになどに表情を強張らせている。僕の後ろで一部始終を見ていた翔悟くんでさえ、こめかみから一筋の汗を流しながら僕を見ていた。

「パワー、ボム……」

 誰かがそう呟いた瞬間、まるでジェットコースターに乗ったかのような強烈な落下が僕を襲った。内臓が揺れる。鳩尾を打たれて肺には空気なんて入ってなかったはずなのに、僕はふっと軽い息を漏らしてその感覚にさらわれた。

 ありがとうみんな。この二ヶ月間、短かったけど楽しかった。

 出来れば僕のことを覚えておいてくれると嬉しいな。コクハラじゃなくて君島のほうで。そういえば竜胆先輩は僕をコクハラって呼ばないんだよな。まあ、事件の被害者だし当然か。

 背中に一瞬の衝撃を感じたとき、それを垣間見た。

 黒のぱんつ。

「やっぱり、はいてたんじゃないですか……」

 胸糞悪い。ぱんつの神は僕を裏切った。手を伸ばせば届きそうなその黒ぱんつを今すぐ引っぺがしてやりたかった。

「……」

 竜胆先輩が悲しそうな顔で僕を見下ろしていた。

 な、なんだ。そんなに僕にぱんつのことを指摘されたのがショックだったのか? そうだとしたら少し悪い事をしたかもしれない。

 罪悪感だか怒りだか、良く分からない気分に包まれて、僕は意識を失った。

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