【推し婚】白い結婚の旦那様と、離縁なんかしたくない私。
新しいあさが来た。
希望の朝?
ううん、違う。
婚姻3年目の記念の日を半年後に控えたこの日。
私はピカピカと輝く朝日に起こされ、身支度を始める。
天蓋付きの豪華なベッドから降りると、ふかふかの絨毯が足の裏に触れる。
うん。ベルベッドの敷布が部屋中に敷き詰められた寝室、だなんて、前世の一般人だった頃からは信じられない贅沢だ。
「キャサリン様、お湯の用意ができました。こちらにお願いいたします」
侍女頭のマーリン女史がドレッサーの前の椅子を勧めてくれる。
「ありがとう、マーリン。ふふ、今日もいい天気ね。気持ちのいいお日様の日差しになんだか元気が出るわ」
「まあ。キャサリン様? お元気になられたのなら、今夜の夜会はお出になりますか?」
「うーん、そうねえ。やっぱり出ないとまずいかしら?」
「そうですねえ。旦那様も奥様も領地に戻っておりますし、ライオネス様は今回もご欠席でいらっしゃいますが、かといってキャサリン様までもがこうして引きこもってしまっていらっしゃったら、あまりよろしくないかもしれませんわ」
頂いたお湯で顔を洗い、夜着をスルッと脱ぐ。
体全体を絞ったタオルでさっと拭いてくれるマーリンに、心の中で感謝しつつ。
「でもねえ。マーリン。私はお飾りの、形だけの妻ですもの。お屋敷の管理は執事のジェフリーが全て采配してくださるし、何もしないのでいいのは助かるんですけど、そんな私がライオネス様も行かない夜会で遊んでたら、余計に申し訳ないと思わない?」
貴族の夜会は遊びではない。大事な社交の一環だ、っていうのはよくわかってる。
でも、もともと下級貴族だった私にそんな公爵家の嫡男の妻の役割は似合わないもの。
白い結婚で、あと半年で用無しだって追い出されるかもしれない私が、夜な夜な遊び歩いたって、あんまりこの家にいい結果をもたらす社交ができるとは思えない。
ここ、バッケンバウワー公爵家の嫡男、ライオネス様に嫁いだ私、キャサリンには、実は前世の記憶、みたいなものがあった。
こことは多分違う地球、その中でも日本っていう国で過ごした記憶。
まだ幼少の頃、熱を出して寝込んだ時、唐突に思い出したそんな記憶に翻弄されはしたものの、それはそれ、これはこれ、と、割り切って今の世界を楽しむことにしたのだった。
それに、この国には私のイチオシ、ライオネス・バッケンバウワー様がいらっしゃるのだもの!!
前世の記憶は曖昧なところも多くて全てを覚えているわけではないけど、それでも。
一つだけ、夢中になってたものがあった。
それが、アニメ、『ブラウド・ブラッド』
WEB小説を原作に、マンガ、アニメ、果ては舞台まで展開された大ヒット作。
一見、ロマンス小説のようなラブストーリーかと思いきや、SFの要素や魔法の要素も盛り沢山な、そんなエンターティナーな物語だった。
私はそんなブラウド・ブラッドの世界に転生していたのだった。
ライオネス様はそんな物語の中では脇役で、主人公の親世代。
それでも時々出てくるそんな親世代の物語で魅せる姿に、私は一目惚れした。
まあ、おじさま姿も渋くてダンディで、もちろん好きなんだけど。
そんなどちらかといったら本編からは外れている存在なせいか、その奥様は名前も出てこなかったりで、よくわからなかったのだ。
公爵家は王家ともその血筋で結ばれている関係で、ライオネス様も王位継承権を保持している大貴族の御曹司。とてもじゃないけれど私が望んで妻の座に着いたわけじゃない。
ライオネス様と同世代で生まれたのだと理解した時は、本当に飛び上がって喜んだものだ。貴族院入学式でたまたま近くにいた彼を見て、心臓のドキドキが止まらなくて。
新入生の挨拶で名前を呼ばれ壇上に上がった彼を見て、もう頭の中が興奮で抑えられなくなって。
そのまま、彼の挨拶が終わると同時に頭の中からサーっと血が引くような感じがしたと思ったら、ふっと意識を失って。
どたんと倒れた私を保健室まで運んでくれたのがライオネス様だと知った時は、ベッドの上でもう一度気絶したくらい。
天にも昇る幸せに、そのまま儚くなってしまうところだった。
まあもちろん、彼とそのまま親しくなれたわけじゃない。
学生時代は、取り巻きの令嬢に囲まれるライオネス様を、遠目に眺めているだけだった。
それでも十分幸せだったけど。
ライオネス様を見ていられるだけで幸せ。
もし声が聞こえたなら、もっと幸せ。
彼が微笑みを浮かべているだけで、私まで幸せな気分になれる。
だからまさか。
まさか、こんなことになるだなんて、想像もしていなかった。
私、キャサリン・ヨークシャーは男爵家の三女だった。
貴族といっても男爵家じゃぁそれほど地位も高くなく、お家もあまり裕福ではなかったからだろう。
社交のような場所にも縁がなく、縁談の話だってない。そんな私。
貴族院は魔法の基礎を習う場所で、魔法の使える貴族の子だったら必ず在籍するよう義務付けられていたから通わせてもらえたけど、そうでなかったらとっくに働きに出ていたかもしれない。
上の姉様二人にはなんとか縁談話もあったけれど、私はきっとどこかの高位貴族のお屋敷に奉公に出るのだろうなぁって、そんなふうに思っていた。
父さまも母さまもそれを望んでいたのだろう。
一通りの礼儀とかマナーとかはちゃんと先生をつけてもらえて身につけることができた。侍女として奉公に出るにも、ちゃんとした基礎教育は必要だもの。そう思ってしっかり学んだおかげで、貴族のしきたりや礼儀、マナー、そういったものはしっかりと身についたと思う。
「どこに出しても恥ずかしくない、私の自慢の娘だよ」
お父様がそうほめてくれたのが、救いだった。
そんなことで、「私は結婚とは無縁なんだわ。仕事に生きよう」そう決意を固めた10代半ば。
自由でいられるのはこの学生時代だけ。十歳から十五歳まで通う貴族院の間だけ。
それならその間はめいいっぱい推しの彼の姿を目に留めよう。
そう思い、陰ながらではあったけれど、ライオネス様を眺めることを心の支えに生きてきたのだった。
皆がパートナーにエスコートしてもらう卒業パーティにも一人で。
もう今日は美味しいものを食べて、あとは壁の花で過ごそう。そう決意し、人だかりの中心にいるライオネス様を眺めてほっこりしていた時、だった。
「君との婚約は破棄させてもらう!」
人の塊のほぼほぼ中心で、そんな声が大きく響き渡った。
「ライオネス様!?」
あの声は間違いない。
ライオネス・バッケンバウワーその人。
うん、聞き違えるわけない。あの声は、私の大好きな、推しの声だもの。
「あらあら、ライオネス様ったら、こんなところでそんなこと、言わなくても」
ライオネス様にそう答えるのはカラベラ・アイゼンベルク侯爵令嬢。
確かバッケンバウワー公爵家とは縁戚関係にある侯爵家で、ライオネス様とも幼馴染だと周りの噂で聞いた。
婚約、されてたのね……。
興奮気味に見えるライオネス様に対し、あまり取り乱してもいないカラベラ様。
それどころか口元には冷たい笑みを浮かべ、彼のことを見つめている。
「わたくしとライオネス様の関係は、いわば家と家同士のつながりの象徴ですわ。そう簡単に婚約解消できるものではなくってよ? ライオネス様も本当はわかっていらっしゃいますわよね?」
「だからと言って、君がそうやって他の男を侍らせているのを黙って見ていろというのか? 僕は、もうたくさんだ」
「あらあら、この子達は『とりまき』ですもの、将来のバッケンバウワー家の役に立つ者たちですわ。それもこれも、あなたのためなのに」
カラベラ嬢。艶やかな黒髪をアップにし、真紅のマーメイドドレスに身を包んだその姿は妖艶で。
ああ、男性っていうのはこういう人に惹かれるのかなぁ?
そんなふうに思えてた。
ライオネス様もこういう人がいいのかな……。
今まではそんなふうに漠然と思っていただけだったけど……。
カラベラ嬢の周囲には、下級生の男の子たちが数人そばに控えていた。
どの子も皆、美少年、って言葉が似合う、綺麗な顔立ちの男の子たち。
その全てが、カラベラ様を崇拝するような瞳で彼女のことだけ見つめている。
魅了?
もしかして、カラベラ様って魅了の魔力の持ち主なのかしら……?
『ブラウド・ブラッド』の世界にはいろいろな魔法、いろいろな能力、そして、真ギアという名前の魔法アイテムが存在した。
そんな中でも特級品の魔眼が三種。
全てを見渡し全てを司る、魔眼、マギアキャッツアイ。
大いなる力の象徴、魔眼、ドラゴンズアイ。
そして、支配の瞳、魅了の権能を持つ、魔眼、ゴールデンアイズ。
物語の流れの中でいくたびか出てくる魔眼。
本編主役のマリサ・ブランドーの姉、悪役令嬢アリサ・ブランドーが持っていたのはマギアキャッツアイ。そのせいで彼女は魔女だと汚名を着せられ処刑されたのだったっけ……。
真ギアは主を選び、一度その主を選んだらその主が死ぬまで離れることはないという。
だから、もしカラベラ様がこの世代でゴールデンアイズの所有者なのだとしたら、子らの世代になる前にお亡くなりになってしまうことになる。
だって、その魔眼、ゴールデンアイズを所有することになるのは、本編主役であるマリサ・ブランドーなのだもの。
「もういい。僕は、今の君の瞳は好きじゃない。この後のことは家同士で話し合おう。それでいいね?」
「ええ」
彼女の妖艶な瞳が金色に瞬く。
この会場中がそんな彼女の瞳に支配されてしまったかのように。押し黙ったまま。
ううん、全ての人がまるでカラベラ様の味方であるかのように、ライオネス様に非難の目を向けているように思えた。
そんな中、背を向け、一人去るライオネス様の足音だけが響いて……。
◇◇◇
いけないいけない。
傷心のライオネス様を一人で行かせてしまったら、いけない……。
そう思って後を追いかける。
迎賓館の玄関ロビーを出てしまう直前で追いついた私は、精一杯の勇気を出して、声をかけた。
「ライオネス様!」
「君は……」
会場中が敵に思えたのだろう。全てがカラベラ様に支配されてしまったかのようで。
そんな時に声をかけられたからか、ライオネス様は随分と驚いたお顔をしていた。
「あんな……、ひどい……、私……」
息もきれ、うまく言葉にできなかった。だけど、そんな私の必死さだけは伝わったのだろう。
「ありがとう。確か、キャサリン嬢、だったよね。そっか、君だけはいつも真っ直ぐに僕のことを見てくれていたっけ……」
安堵したような、そんな笑みを向けてくださるライオネス様……。
「私は……、ライオネス様が幸せになってくれるよう、いつも祈っています。私は……、私だったら絶対に、ライオネス様を裏切ったり傷つけたりしない、のに……」
最後は泣き声に混ざってしまって、多分ライオネス様はちゃんと聞こえていないだろう。
目の前で突然泣き出してしまった私を持て余し、困惑するライオネス様に申し訳ないと、ますます涙が溢れてしまう私に、ライオネス様は優しく頭を撫でて下さった。
結局、ライオネス様は私を家まで送ってくれることになり、私はそのまま馬車の中で泣き続けたのだった。
何も、気の利いた言葉をかけれたわけじゃない。
ただ、一人じゃないよ、と、伝えたかっただけ。
世界中が敵に思えていただろうライオネス様が、孤立し心を閉ざしてしまわれることのないように、そう思ってもらいたかっただけ。
私の自己満足のため。偽善? ううん、本当に私自身のためにしたこと。
だから、それでライオネス様の気を引こうとか、そんなことはかけらも考えてはいなかった、けれど……。
卒業後、奉公に出るならバッケンバウワー公爵家が希望。
ヨークシャー男爵家も一応バッケンバウワー公爵家の遠縁。
一族の末席には加えられている、そんな家だったから。
もちろん公爵家への奉公は望み薄、侯爵家や伯爵家に侍女として上がる可能性の方が高かったのだけれどね。
父さまにそう伝え、一週間が過ぎた時。
慌てた様子の父さまに連れられ訪れたのは、なんとそのバッケンバウワー公爵家だった。
案内されたのは公爵家の応接間。
目の前に座っているのはオーギュスト・バッケンバウワー公爵と、奥様のラインヒルデ様。
侍女にあがるだけの話にどうしてこんな仰々しいことになってるのか不思議に思っていると、公爵さまがこう切り出した。
「キャサリンさん、どうかうちの息子に嫁いではもらえまいか」
あまりのことに言葉がでないでいると、父さまが。
「閣下、ほんとうにうちの娘でよろしいのでしょうか?」
「ああ。君の娘、キャサリン嬢だけなのだよ。引きこもってしまった息子が反応するのが……」
父さま、聞かされていたんだ。だかあんなに慌てていらっしゃったの?
でも、引きこもってしまったって……。
「どういう、ことでしょう?」
「君もあの卒業パーティでの一幕は知っているね。あのあとから、ライオネスは自室に篭って出てこなくなってしまったんだよ」
え?
「カラベラ嬢との婚約は破棄した。流石にあれだけの人がいる中での宣言だからね。そのままにはして置けなかったのもあるが、なんといってもライオネスが強く望んでいたからね。しかし……。婚約を破棄しても、ライオネスは部屋に篭ったままだった……」
「どうして……」
「尊厳を傷つけられ、うちに篭ってしまったのだ。あれには今、周囲全てが敵に見えているのだろう。私たちの説得にも応じようとしないのだよ……」
本当に困っているのだろうということはその公爵さまのお顔からわかる。
それにしても、なんで私……。
「ライオネスを廃嫡し、一族から後継者を養子に、そんな声も長老たちからは聞こえてくる。しかし、私はそんなことにはしたくなくてね。そんな折だった、君の家から、君、キャサリン嬢が当家の侍女として務めたいと申し出があったのは」
オーギュスト様、すくっと立つと私のそばにきて、手をぎゅっと握って。
「あの夜、ライオネスが君を送って行ったのは、知っている。何があったのかは全て侍従から聞いているからね。もう、君だけが頼りなんだ」
え? ええ?
まるで、女性を口説くようにお顔を近づけてくるオーギュスト様。
その勢いに呑まれそうになるけど、だめ、ダメダメ。
「でしたら、私が侍女としてライオネス様のおそばでお仕えしましょうか?」
それなら許容範囲内。誰に迷惑かけることも、ないし。
「いや……。それも考えたのだが、今はライオネスの伴侶が必要なのだ」
え?
「一族が納得しない。独り身のままでは爵位を継がせるわけにもいかない、といった声が強いのだよ。あれをこのままこの公爵家を継ぐ嫡子としておくためには、配偶者が必要なのだ」
ああ。独り身だとしても、本人がバリバリ社交もお仕事もこなす公爵であれば良くても、血だけ名前だけで引きこもってしまっている人間に一族の命運は託せない、そういう意味、かぁ。
配偶者が、伴侶がいさえすればそのうちその公爵家の血を受け継ぐ子が生まれるかもしれない。親がダメでも子に継がせれば問題はないだろう。そう考えられているのかもしれない……。
「でも、私が仮にライオネス様の妻という立場になったとしても、彼がそのまま引きこもってしまっていたら。子供が授かる保証はどこにもありませんわ。なんだったらライオネス様のお手つきになれるかどうかもわかりませんよね?」
「そうなったらそうなったで仕方あるまい。しかし、今、伴侶が見つからなくては……このままライオネスが骨抜きになってしまったのであれば、当初の婚約者であるカラベラ・アイゼンベルク嬢を養女に迎え、そちらに相応しい伴侶を当てがい、この公爵家を存続させるべき、と、強行的な意見を言ってくる長老もいてね……。特に前アイゼンベルク侯爵である老アルベリック卿がそう強行に主張しているのだ……。老アルベリック卿は私にとっても叔父にあたる。あまり無碍にもできないのだよ」
ぎゅっと手を握られたまま、動くこともできず。
私はそのまま固まってしまっていた。
「まあまあ、あなた、かよわいレディの手をそんなに力いっぱい握るものではないわ」
ラインヒルデさま!
奥様のラインヒルデ様、オーギュスト様にそう声をかけてくれて。
しょうがないなとでもいわんばかりのお顔をして離れてくれたオーギュスト様の代わりに私の目の前に立ち、ふんわりとハグしてくださった。
「ああ、かわいそうに。すっかり怖がってしまってるじゃない。ごめんなさいね、キャサリンさん。お父様から聞いたわ。あなた、この家に侍女として奉公にあがりたいっておっしゃってくださったのよね? それって、ライオネスのことをにくからず想ってくださってるからよね?」
「あ、え、それは……」
「いいのよ。隠さなくても。あなたのことは悪いけど調べさせてもらいましたわ。あなたがずっとうちのライオネスのことを真っ直ぐに見ていてくださったことも。だから、もう、お願いするならあなたしかいないって、そう思ったのよ」
「私、なんかで、本当に良いんですか?」
「もちろん。それに、白い結婚のまま三年経ってしまうようなことがあった場合は、わたくしたちも諦めがつきます。あなたも自由に生きていいのよ。当然、慰謝料として、あなたの次の人生のための支度金もはずむつもりよ。その時になってどなたかとの結婚を望むなら、いくらでも応援するわ。どう?」
◇◇◇
結局このまま押し切られ、私はライオネス様の妻となった。
お金に釣られたわけじゃない。ただただライオネス様のお力になれるのであれば、なんでもよかった。
そうして2年半経ったわけ、だけど……。
その間に変わったことといえば、カラベラ嬢がとりまきの一人に刺されて亡くなったことくらい、だろうか。
あのあと王太子の婚約者におさまった彼女、多分その魅了の魔法で貴族の社交界のあらゆる人を籠絡し、このまま王太子妃に収まるか、とか思ってたのだけど、そういうわけにもならなかったらしい。
巷では痴情のもつれで刺されたのだとも噂され、稀代の悪女にバチがあたったのだとも言われていたけど、どうなのだろう。
もしかしたら、王家の暗部による暗殺?
魅了の魔法によって王家が籠絡されてしまうのを防ごうとする勢力によるカラベラ嬢の排除が目的の刺殺だったのかも。そう私は考えている。
『ブラウド・ブラッド』の世界ではカラベラは親世代の学生時代に出てくる、モブにすぎなかった。それは私、キャサリンもそうだけど。
だとしても、魔眼、ゴールデンアイズを所有していたのだとしたら、そうそう自身のとりまきに刺され殺されたりはしない、とも思うの。
ゴールデンアイズの権能は、支配、魅了、そして読心。
相手の心の奥の奥まで覗き込み、相手の心を魅了して、そして逆らうことができないほど心を縛り、支配する。
本編主役のマリサは、そんな権能を使うことを忌避し、周囲が自分に優しくしてくれることがこの魅了の権能のせいではないかと悩む、そんな人間らしい子だった、けど。
カラベラ様は進んでこの権能を使ってらしたようにしか見えなかったもの。
そんなカラベラ様が痴情のもつれでとりまきに刺される?
それはちょっと納得がいかなかったから。
そして、ライオネス様は、というと。
実は今でもずっとお屋敷に引きこもっている。
◇◇◇
「僕は……、君を愛することはできない……」
公爵夫妻に婚姻を押し切られたあと、ライオネス様のお部屋でそう言われ。
「良いんです……。私、ライオネス様のお役に立てればそれで……」
そう答える私。
本当にこれが本心だもの、嘘偽りのない、私の心。
「悪いね、君がうちの両親に押し切られたのだろうというのは想像がつく。だけれどね、僕はもう、貴族社会そのものがまっぴらなんだ。たとえ政略的な婚姻だったとしても、相手のことを慮る結婚がしたい、そうずっと思ってきた。でも、それが貴族としては甘い考えなのだと、そうカラベラに言われたよ。もう、何もかも放り出して、とも考えた。でも、ね」
ライオネス様、机の上で作業をしながら私の方を見もせず、そうおっしゃって。
「両親の気持ちを無碍にすることもできないんだ。笑ってくれていいよ、貴族失格だって」
「そんな……」
「三年、だったっけ、白い結婚を三年続けたら、その時は君を自由にしてあげれるんだよね。だったら僕は、君には手を出さない。そう決めた」
え……。
「三年後、僕は貴族の立場を捨てて魔法技師にでもなろうと思う。僕はこうした魔法具をいじるのが好きで、ずっと趣味で技師の真似をしてきたんだけれど……。ああ、こうしていると落ち着くよ。悪いね、キャサリン。君はこの三年を好きに過ごしてくれていいよ。僕は、何も、強制しないから」
そこまでおっしゃって、ライオネス様の意識から私が消えたのを感じた。
もう、机の魔法具をいじるのに夢中で、こちらを振り向きもしない。
完全に、人との間に心の壁を作ってしまったかのよう。
私は、小さく、「失礼します」と声をかけ部屋を出た。
◇◇◇
それから、毎日。
私はライオネス様のところにお食事を運び、そして一緒に御相伴して、食器を下げる。そういった生活を続けてきた。
頻繁にお掃除や洗濯をしようとすると煙たがられたので、その辺は本当にたまのたまに。
侍女だったらお食事をご一緒にいただくなんてことできなかったなぁ。
おそばで見ているだけでも幸せだなぁ。
そんなふうに思いつつ、まったりとこの2年半を過ごしたのだった。
お部屋には隣接する湯殿もあって、ライオネス様はお外に出ないだけで、人間らしい生活までやめてしまったわけではなかったから……、それだけは救いだった。
もちろん湯殿のお世話は侍従の人がしている。流石に私がライオネス様のお背中を流す、とか……、そういうマネはできなかったけどね。
お食事を運ぶと、面倒そうに私の方をちらっと見て、そのまま用意された食事に口をつける。
そして素早く食事を終えると、そのまま自分の机に戻って作業を再開するライオネス様。
会話も特にないけれど、それでもいい。
私は食事を終えたらゆっくりとお茶にして、ライオネスさまが作業する姿を少しだけ眺める。
お食事の間だけは。この部屋にいることを許してくれている。
完全に無視されているわけではないもの。
だから……。
今日のライオネス様はガラクタのようなものがいっぱい入った箱の中から、取り出しては見て、仕分けして、といった作業をしていた。
この間お屋敷に古物商が来て、ライオネス様、いっぱい買い物していたはず。
魔法具の材料になるものでもないかと探しているのかな。
そんな中で、一つ、気になるものがあった。
煤けて茶色く錆びているようにも見えるけど、王女様のつけるような冠?
ライオネス様、じっと眺めて固まっている……。
っていうか、あれは……。
伝説の魔ギアの一つ。
知恵のサークレットとよばれる、魔ギア、シルヴァメーティス。
本来は、こんなくすんだ色じゃなくて、白銀に輝くティアラのような外観だったはず……。
「ライオネス様、それ、少し見せてもらってもいいですか?」
「ああ。古物商から買ったガラクタの中に紛れていたんだけど、なんだか気になってね。魔法具であればなんとか再生できないかと、見てたんだよ」
そうおっしゃって、茶々けてしまっているシルヴァメーティスをさっと渡してくださった。
「ありがとうございますライオネス様」
手にとって、窓の光に透かしてみる。
ああ。中にこもっているマナが見える……。
シルヴァメーティスは本編でも番外、過去編でも、名前だけしか出てこなかった魔ギアだった。
女神の知恵が詰まっているという話で、装着者はその権能、『叡智の鍵』を行使できる、らしい。
自身のマギアスキルの限界値を解放し、より高度な魔法を使うことができるのだ、とか。
そして、女神の知識の加護を得て、あらゆる種類の魔法を使うことができる、という。
(女神、かぁ……)
女神が本当にこの世界にいるのなら、どうして私がここに転生してきたのか、それが知りたい。
ライオネス様のおそばにこうしていられるだけで、私は幸せなんだけど。
それもあと半年。
半年したら、ライオネス様はこのお屋敷も出て、一魔法技師になるのだとおっしゃって、今までその考えを変えることはできなかった。
公爵様も、ライオネス様の決意が堅いならばもうしようがない、と、最近は領地のお屋敷に行ってしまい、王都には帰ってこない。
ライオネス様は一人息子だから、彼が家を出ていってしまったら、やっぱり親族から養子を迎えるしかない。
成人した人を養子にし、自分たちは領地に引き篭もるつもりだとも聞いた。
なんだか悲しい。
私はライオネス様が好きなように生きてくれたら、と、そうは思うけど。
でも、だからと言って家族が不幸せになるなんて、嫌だなぁ。
そんな物思いに耽りながら、ボロボロにくすんだシルヴァメーティスを眺めていたら……。
熱が、湧き上がって、内在していたマナが、膨らんでくる。
びっくりして危うく手を離しそうになったけど、落としたら大変だ。脆く見えるし、ぱりんと割れちゃいそうで。
慌てて、ぎゅっと握り直す。
なんで? どうして? これって、私のマナに反応したの?
メーティスは、鈍く光を放ち。
そして……。
周囲を覆っていたサビのようなものが、ハラハラと剥がれ落ちていった……。
「これは……」
「これは、魔ギア、シルヴァメーティス、ですわ……」
「シルヴァ、メーティス?」
「ええ、伝説の魔ギア、知恵のサークレット、シルヴァメーティスです」
「なぜ、わかる?」
「私の頭の中に、そうメーティスの意識が流れ込んでくるのです……」
女神の知恵。それが、奔流となって押し寄せてくる。
私は、その流れ込んでくる意識に呑まれるままに、白銀の色を取り戻したサークレットを額に合わせて頭にかぶった。
「キャサリン、髪が……」
私の、茶色かった髪色が、ふんわりとした白銀に変わり、目の端に映る。
頭の中に大量の情報が流れ、それがモヤのように心に覆い被さって。
自分の意識が、保て、ない……。
「キャサリン!!」
座っていた椅子から、どてんと落ちたのは、かろうじて理解できた。
そのまま意識が真っ白になって……。
◇◇◇
真っ白な空間に、いっぱいの泡が浮かんでいる。
大きな泡。小さな泡。
そんな泡は、時々隣の泡とくっついたり離れたりしながら、ふわふわと浮かんでいた。
わかる。
この泡一つ一つが、一つの独立した世界。
そして、人々の心。
世界の中心? には、大きな泡がいくつもの気泡を生み出して、そしていくつもの泡を吸収していた。
「あらあら、あなたはまだここにくるのは早いんじゃなくって?」
え?
「もう、しょうがないわね。ここは死者が最後にたどり着く場所、よ? あの中心にいるのがグレートレイス。大霊。魂の還る場所。円環よ。このままぼんやりこんなとこにいたら、あなたもわたくしみたいに、あのグレートレイスに取り込まれてしまうわよ?」
「え? だって、カラベラ様、あなただって……」
カラベラ様? どうして私、カラベラ様だって……。
「わたくしはいいのよ、もう十分楽しんだしね。でも、次の人生ではもっと殊勝に生きた方がいいかしら?」
「あれは……、ゴールデンアイズのおちから、ですか?」
「そうね。ちょっと調子に乗りすぎたかしらね? わたくしだって、本当にライオネス様のために、と思っていたんですけどね」
「でも……」
「そうね。世界にとっては少し異端でしたからね。それを排除しようとする力が働くのも無理はないわ。わたくし、世界を支配するつもりなんか、さらさらなかったのに。ちょっと怖がられてしまったのかもしれないわ。あの王子様に」
カラベラ様……。
「あなたも気をつけなさい。強すぎる力は、危険よ」
「そんな、私に力、なんて……」
「バカね。あなたは自分のこと、何にもわかっていないのね。まあいいわ」
わかって、ない? 何を……。
「ほら、あの人が待ってるわ。ちゃんと帰ってあげなさい」
私の意識が、まるでカラベラ様の意識に押されるように、ふわっと後退していく。
背後には光の壁? 光のカーテン?
その壁に触れ、そのままその壁に吸い込まれていくのを、感じて……。
◇◇◇
「キャサリン! キャサリン! 目を覚ましてくれ!!」
はっと気がつくと、目の前にはライオネス様のお顔。
ああ、こんなにアップで。
幸せすぎてもしかしたらこれは夢? って思ってほっぺたをつねってみたら、痛かった。
「ライオネス、様?」
「よかった……。目を覚まさなかったらどうしようと心配したよ……」
ゆっくり、体を起こしてみる。
うん、どこも怪我とかはしてなさそう。
頭も、痛くない。
倒れる前、モヤがかかったようになってたけど、今は大丈夫。
シルヴァメーティスは……。
頭を弄ってみたけれど、もうどこにもなかった。
でも、私と一緒にある、そう感じる。
白銀の髪は……、そのまま、だった。
髪をひとふさとってよくみても、完全に白銀。それも、色が抜けて白髪になった、というわけでもない。艶々と腰のある髪のまま、白銀に変わっていたから。
「大丈夫、かい?」
「ええ、ライオネスさま。ありがとうございます」
「よかった……。はは。でも君が目の前で倒れるのは二度目だね。あの時も、心配したんだ。だから壇上からあわてて降りて、君を抱き上げ保健室に連れていったんだった。なんだか懐かしいな……」
優しい目でこちらを見つめくださるライオネスさま。
こんな瞳で見てくださるの、あのパーティの夜以来、かもしれない……。
「好きです。ライオネス様。私はほんとうあなたのことが大好きです……」
思わず、そう口走っていた私。
「君は、僕の女神なのかもしれないね……」
初めて。
ライオネス様が、私のことをちゃんと見てくれたのかもしれない。
そう思うと嬉しくて。
涙がほろほろと頬に流れた。
ライオネス様は、私の白銀になった髪をさっと撫でて。
「ありがとう。キャサリン」
そう言って、優しくハグをしてくれた。
Fin
新作、読切短編です。
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