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第九十四話「近づく第一期末テスト⑮」


春馬が校門へと続く緩やかな坂道に差し掛かった時、世界はまだ静まり返っていた。いつもなら、SNSの深夜ディベートの影響で脳が泥のように重く、始業チャイムの数分前に滑り込むのが彼の「最適解」だったはずだ。


「(現在時刻、午前7時15分。……信じ難い。本来なら俺は今、レム睡眠からノンレム睡眠への移行期にあり、脳内メモリのクリーンアップを行っているはずの時間だ。……それが、よりにもよって自発的に勉強をするために、太陽がこんなに低い位置にあるうちから家を出るなど……)」


彼が踏みしめるアスファルトの音だけが、朝の冷たい空気に小気味よく響く。普段の登校時間には溢れかえっている騒がしい生徒たちの声も、遮るような自転車の列もない。その「空白」が、今の春馬には妙に新鮮に感じられた。


歩きながら、春馬は昨日の彼女の言葉を脳内アーカイブから呼び出した。

『向き合ったり、悩んだりする時点で、変わっている。変化してるよ』


「(……彼女はそう断言した。だが、論理的に考えれば、俺の脳内にある『女性不信』という巨大なディレクトリが削除されたわけではない。今だって、誰かに声をかけられれば反射的に壁を作るだろう。……しかし、現に俺の脚は、自分一人の聖域(部屋)を離れ、他者(若宮)との共同作業の場へと向かっている。……この一歩一歩が、彼女の言う『変化の証明』だというのか?)」


春馬は自分の手のひらを見つめた。少しだけ、いつもより血色がよく見える。

「勇気」という抽象的な概念を嫌う彼であっても、この「物理的な移動」という事実にだけは、否定できない重みを感じていた。


彼は、自分が自分にかけた「10分間の再起動」を思い出す。あの過呼吸寸前の苦しみの中で、最後に見つけた「若宮蒼奈」という固有の識別名。


「(……世間が言う『変わる』とは、全く別の自分になることだと思っていた。だが、もし……今の俺というマイナスの座標を保ったままでも、進む方向を変えること自体が『変化』だと定義できるのであれば。……俺が今、この早朝の光を浴びていること自体、演算結果が書き換わりつつある証拠なのかもしれない)」


彼は、自分が「弱者」であることを認めつつも、その弱さを抱えたまま「一歩」を歩んでいる現状を、静かに受け入れ始めた。


やがて、朝日を反射する校舎が見えてきた。その窓のどこかに、全教科100点の「先生」が待っているはずだ。

「(……フン。これほどまでに脳が覚醒した状態で学校へ向かうのは、数年ぶりか。……若宮。お前が俺を『変わった』と定義するなら、その観測データに誤りがないことを、俺自身のパフォーマンスで証明してみせよう。……まずは、平均点という低い壁を、粉砕オーバーキルすることからだ)」

春馬は、少しだけ、本当に自分でも気づかないほどわずかに、口角を上げた。

「策」としての若宮蒼奈に会うために、彼はかつてないほど澄み切った思考を携えて、校門の境界線を越えた。

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