第九十三話「近づく第一期末テスト⑭」
「春馬! 朝よ! 起きなさい、遅刻するわよ――!」
箕島家の静寂を切り裂く、春那による恒例の「災害級モーニングコール」。彼女が勢いよく寝室のドアを開け放った時、そこにはいつもの「布団と格闘する息子」の姿はなかった。
カーテンの隙間から差し込む朝日を浴びて、デスクに向かい、静かにシャープペンシルを走らせる春馬の背中があった。
「……あら? 春馬、もう起きてたの? しかも……勉強? 珍しいわね、雪でも降るのかしら」
「(母の介入を確認。……落ち着け。この程度の動揺で集中力を削がれるわけにはいかない)……母さん、驚くようなことではない。単なるリソースの先行投資だ。今回の期末テストは、平均点以下でも補習対象になるという制度改定が行われた。俺の夏休みという貴重な資産を防衛するためには、平時以上の稼働が必要だと判断したまでだ」
春那はニヤニヤしながら息子の背後に回り込み、その強張った肩をひょいと覗き込んだ。
「なるほどねぇ。……つまり、春馬は焦ってるのね!」
「……焦る? 不適切な表現だな。俺はただ、リスクマネジメントを遂行しているに過ぎない。精神状態は極めて凪に近い」
「あはは、嘘おっしゃい。春馬は平然としてるつもりだろうけど、そういう『余裕がなくて必死なところ』が顔に出ちゃうのが、あなたの魅力なのよね。隠せてると思ってるのは本人だけなんだから」
春馬の耳が、わずかに赤くなる。
春那はさらに調子に乗って、息子の頭を撫でようと手を伸ばしながら、わざとらしく提案する。
「そんなに困ってるなら、お母さんが勉強教えてあげようか? これでも昔は、暗記物だけは得意だったのよ?」
「……不要だ。母さんの教え方は飛躍が多すぎる。『気合いで覚える』といった非科学的なメソッドは、俺の脳内プロトコルと互換性がない」
春那を牽制するように、春馬は椅子を引いて立ち上がった。
「……それに、今回は『策』がある。既に信頼に足る外部リソースとの提携を取り付けている。だから、何ら問題はない」
「へぇ、『策』ねぇ……。ふーん、その策っていうのが、もしかして昨日言ってた『余興』の正体かしら?」
春馬は母の追及をかわすように、素早く鞄を手に取った。
「……詳しい報告は、結果が出てからだ。俺は図書館へ行く。開館と同時にアクセスしなければ、最適な学習環境(座席)を確保できないからな」
「はいはい、いってらっしゃい。その『策』に、しっかり助けてもらいなさいよ?」
家を出た春馬は、冷たい朝の空気を吸い込んで、ようやく少しだけ肩の力を抜いた。
「(……策、か。……若宮をそう呼ぶことで、母さんの追求を逃れたが……。実際、俺が今から向かうのは、全教科100点という名の『暴力的知性』の元だ。……焦っていないと言えば嘘になる。だが、昨日の10分間の決意を無駄にするわけにはいかない)」
春馬の足取りは、いつもの「義務的な登校」よりも、わずかに力強かった。
彼は、母には決して言えない「新しい変化」を胸に秘め、約束の場所である図書館へと向かって歩き出した。




