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第八十二話「近づく第1期末テスト③」


授業が始まっても、春馬の意識は黒板の数式を完全にスルーしていた。彼の脳内では、先ほどの「補習ルール改定」に対する違憲審査のような激しい議論が戦わされていた。


「(そもそも補習とは、学力が定着していない層を救済するためのセーフティネットであるはずだ。赤点を取った生徒を、社会保障制度における『生活保護受給者』とするならば、平均点程度の学力を持つ俺は、立派な納税者であり労働力を持つ『市民』だ。……なぜ、健康な市民が強制労働(補習)に従事させられなければならない!?)」

彼はシャープペンシルを強く握りしめ、仮想の「学校当局」に対して、脳内で直談判のシュミレーションを開始した。


「(直談判の実行可能性調査:効果的な窓口はどこだ? 担任か、学年主任か、それとも校長か。……いや、誰に訴えたところで、この決定は既に公示された制度だ。一介の生徒が歯向かったところで、得られる成果は限りなくゼロに近い。……それどころか、『教師への反抗』というネガティブなタグを貼られ、内申点という不可視の資産に回復不能なダメージを負うリスクがある)」


春馬は、窓の外を飛ぶ鳥を眺めながら、自らの「無力さ」を論理的に受け入れようとした。


「(同じ生徒間の評価であれば、暴落したところで俺の生活に影響はない。だが、評価者である教師を敵に回すのは、投資効率として最悪だ。……結論。現状の不当性を認識しつつも、表面的には制度に従順なポーズを維持することが、生存戦略上の『最適解』である。……クソッ。俺は、この理不尽な社会の歯車になるしかないというのか)」


チャイムが鳴り、一限目が終わる。春馬が重い溜め息をつきながらペンを置くと、案の定、隣の席から蒼奈が覗き込んできた。


「春馬くん、授業中ずっと怖い顔して固まってたね。……ねえ、何をそんなに一生懸命考えてたの?」

春馬は、自分の脳内で繰り広げられた壮大な「国家と市民の対立構造」を、できる限り冷徹に、簡潔に要約して提示した。


「……補習という名の強制労働制度に対する、市民的抵抗の有効性について検討していた。結論としては、当局(教師)への直談判は社会的リソースの喪失を招くため、不本意ながら体制に迎合し、学習効率を人為的に引き上げる以外の選択肢はない、という帰結に至っただけだ」


春馬の難解な言い回しを、蒼奈は瞬時に噛み砕き、そして呆れたように肩をすくめた。


「……つまりさ、春馬くん。補習が嫌だから、先生に文句言おうか悩んで、でも怖いからやめたってことでしょ?」


「言葉のあやはあるが、骨子は合っている」


「あのね、春馬くん。……その難しいこと考えてた50分間、普通に授業の内容に集中してれば、それだけで平均点超えるための勉強になったんじゃない?」


「…………っ!!」


「文句を考えるエネルギーを教科書に向けてれば、補習のリスクなんて最初からなかったんだよ。……ね? 私と一緒に勉強した方が、絶対に頭の使い方の『最適化』になるってば!」

春馬は絶句した。


自分の「高度な葛藤」が、蒼奈の放った「授業を受ければよかった」という、あまりにも原始的で、かつ揺るぎようのない正論によって完全に論破されたからだ。


「(……ぐうの音も出ない。俺は『制度への反逆』という高次の概念に逃げることで、目の前の『勉強』という単純作業から目を逸らしていただけなのか? ……若宮蒼奈……。お前は、俺の論理の『逃げ道』を塞ぐことに関しては、本当に天才的だな……!)」

春馬は、自分の「無駄に過ごした50分」というコストを痛感し、再び机に沈み込んだ。

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