第八十話「近づく第1期末テスト①」
登校した春馬は、今朝の母・春那とのやり取りを反芻し、改めて「平均点死守」の決意を固めていた。自席に着き、無機質な「凪」の状態を保とうとする彼に、隣の席から蒼奈が身を乗り出してくる。
「春馬くん。もうすぐ第1期末テストだね」
「……そうだな」
春馬は視線を教科書に落としたまま、短く、拒絶のニュアンスを含めて答えた。しかし、蒼奈の次の一撃は、彼の予測を遥かに超えるものだった。
「ねえ、一緒に勉強しようよ!」
春馬は冷徹なトーンで「共同学習」の脆弱性を指摘し始めた。
「……一緒に勉強、だと? 若宮、お前は学習効率というものを理解していない。統計的に見て、複数人での勉強は、往々にして『会話』や『間食』といった目的外行為(脱線)へと逸脱する。結果として純粋な学習時間は極僅かとなり、最初から一人で孤独に机に向かう方が遥かに高いパフォーマンスを発揮できる。お前の提案は、論理的な自殺行為だ」
「えー、そんなことないよ? 私、勉強できるから教えられるし。余裕もあるし!」
「……教えられる、だと? 結局のところ、若宮、お前という変数が介在すれば、俺の集中力は削がれ、議論はまたお前の言う『不確実な楽しさ』へと脱線する。これは俺がこの数日間でお前から収集したデータに基づく、極めて精緻な予測だ」
「えっ! 春馬くん、それって私との日々の中から分析してくれたデータだよね? 嬉しい!」
「(……なぜ、嫌味を言っているのに『嬉しい』に変換される!?)」
蒼奈はクスクスと笑いながら、核心に触れる。
「でもね、春馬くん。私、定期テストは1年生の時からずっと学年トップだったんだよ?」
「……その程度のことは知っている。お前がマドンナ的な地位と知性を両立しているという事実は、校内の共通認識だ。だが、トップだろうが何だろうが、俺の学習スタイルを曲げる理由にはならない」
「そっか。……じゃあ、私が全教科100点だったのは知ってる?」
春馬の思考が、一瞬の火花を散らして停止した。
「(……全教科、100点?)」
学年トップ、という相対的な順位ではない。全教科100点という、一切のミスを許さない絶対的な完遂。それは、春馬が「平均点」という安全圏に逃げ込んでいる間に、彼女が「完璧」という名の頂上で、孤独に、あるいは楽しそうに君臨していたことを意味していた。
春馬は動揺を隠すように、吐き捨てるように言った。
「……ふん、自意識過剰だな。どれだけ点数が高かろうが、全員が全員、若宮お前のスコアを注視しているわけではない。俺にとって、それは単なる『外れ値』だ」
「あはは、そうだよね。……でもね、春馬くん。私は春馬くんの点数、知ってるよ。」
春馬の背筋に冷たいものが走った。
「去年の結果、廊下に張り出されてたの見たことあるもん。春馬くん、意外と平均点ギリギリだよね? 数学は高いけど、暗記系がボロボロ。……ねえ、本当は困ってるんじゃない?」
「(……見られていた。俺が最も安全だと思っていた『平均点』という擬態を、この女は最初から見抜いていたのか……!)」
春馬は、目の前の少女を戦慄の思いで見つめた。彼女はただ可愛いだけの存在ではない。周囲を完璧に観測し、記憶し、自分の武器に変える。
全教科100点という圧倒的な「正解」を持ちながら、平均点ギリギリの俺を観察して楽しんでいる。
「(若宮蒼奈……。やはり、お前は脅威的な存在だ。知性、観察眼、そして人心掌握。……俺の『平均点死守』というささやかな論理は、今、かつてない強敵によって包囲された……!)」
春馬の期末テストという名の「戦い」は、かつてない敗北感と、奇妙な高揚感と共に幕を開けた。




