第七十五話「自己制御プロトコルの再構築」
夜、自宅の一室。春馬はベッドの上で、青白いスマホの光に照らされていた。画面に表示されているのは、今日の自分の言動ログ――ではなく、「衝動的行動 抑制 方法」「脳 落ち着かせる 科学的アプローチ」といった検索ワードの数々だ。
「(現状分析:深刻だ。ここ数日の俺の言動は、事前のシミュレーションを逸脱し、衝動的な出力が多発している。特に昨日の『捨てるなら俺が貰う』という発言は、論理的整合性が皆無であり、生存戦略としても最悪の手だった。……俺の脳内で、一体何が起きている?)」
彼は、自分の心拍数が蒼奈の前でだけ異常値を叩き出す現象を、「扁桃体のハイジャック」か「前頭前野の機能一時停止」のどちらかだと仮定した。
スマホの画面をスクロールしながら、春馬は次々と提示される「解決策」を精査していく。
「(検索結果A:『マインドフルネス瞑想』。 呼吸に意識を向け、今この瞬間の感情を客観視する……。ふむ、悪くない。だが『今この瞬間』を意識しすぎれば、若宮の笑顔という強烈な視覚ノイズに脳を焼かれるリスクがある。
検索結果B:『アンガーマネジメント(衝動抑制)』。 衝動を感じたら6秒待つ。……6秒か。若宮の予測不能な言動に対し、6秒も沈黙すれば、その間に彼女はさらに3つ先の『楽しさ(攻撃)』を仕掛けてくるだろう。……非効率だ。
検索結果C:『デジタルデトックス』。 ……スマホを置け、か。だが俺は今、スマホで解決策を探しているのだ。この矛盾をどう説明する?)」
春馬は溜め息をつき、スマホを枕元に置いた。ネットに転がっている一般的な解決策は、彼という「極端な論理至上主義者」の特殊なエラーには対応していないようだった。
彼は天井を見つめながら、自ら新しい抑制プロトコルを構築し始めた。
「(……結局、俺が動揺するのは、若宮の言動を『特別な事象』として捉えてしまうからだ。ならば、解決策は一つ。彼女の全ての言動を、『既知の物理現象』に変換してしまえばいい。
例えば、彼女が笑いかけてきたら、それは『顔面筋の収縮と呼気の流出』だ。彼女がノートを見せてきたら、それは『パルプ素材へのインクの付着』だ。……そう、感情というラベルを剥がし、無機質なデータとして脳内処理する。これこそが、俺を落ち着かせるための最強のデバッグコードだ)」
彼は起き上がり、手帳に大きく「徹底的無機質化」と書き込んだ。
「(よし。これで明日の朝は、今日のような醜態を晒すことはない。俺はただの観測機器になりきる。……衝動などという低俗なエネルギーに振り回されるのは、昨日までだ。……寝るぞ。睡眠不足は前頭葉の機能を低下させ、衝動性を高める要因になるからな)」
彼は自分に言い聞かせるように目を閉じた。しかし、意識が闇に沈む直前、脳裏に浮かんだのは、検索結果にあった「解決策」ではなく、蒼奈がノートに書いた『世界で一番、論理的じゃないプレゼント』という文字の、独特な丸みを帯びた筆跡だった。
「(……あの筆跡も……ただの『インクの軌跡』だ。……ただの……軌跡……に……過ぎない……)」
春馬の意識は途切れたが、その表情は「落ち着いた」というよりは、「爆発寸前のボイラー」のようにどこか緊張したままだった。彼が考案した「無機質化プロトコル」が、明日、蒼奈の笑顔という直撃弾を前にして、どれほどの秒数耐えられるのか――それは、スマホの検索結果でも予測不能な事態であった。




