第六十六話「緊急共同研究③」
二人が足を踏み入れたのは、洗練されたアロマの香りが漂うセレクトショップだった。棚には、職人の手による文房具、北欧風の食器、そして色鮮やかなバスソルトなどが、春馬の「論理的防壁」をあざ笑うかのように美しく陳列されていた。
「(警戒レベル上昇:この空間は危険だ。すべてのオブジェクトが『非日常的な価値』を主張している。俺の『消えもの理論』を維持するためには、極めて強力な意志が必要とされる……!)」
麗華が最初に手に取ったのは、琥珀色の瓶に入った高級なアロマキャンドルだった。
「これなんてどう? 香りは消費されるけど、瓶はインテリアとして残る。春馬くんの言う『消えもの』と、私の言う『残るもの』の中間じゃない?」
春馬は即座に瓶の底をチェックし、成分表示を確認するように目を細めた。
「……却下です。この瓶は、キャンドルが尽きた後も『思い出の貯蔵庫』として居座り続ける。しかも、瓶の再利用を考えるという余計なタスク(思考コスト)を若宮(蒼奈)に強いることになる。これは『贈与による呪い』の初期段階です」
「『呪い』って……。春馬くん、考えすぎだよ! 蒼奈はただ『可愛い瓶!』って喜んで、適当にクリップ入れにするだけだよ」
次に春馬が目をつけたのは、シンプルなリネンのブックカバーだった。一見、実用的で「消えもの」に近いと感じたからだ。
「これならどうですか?読書という個人的な行為を保護する実用性があります。布製なら劣化も早く、数年で自然消滅(廃棄)が期待できる」
「うーん、惜しい! でもこれ、『いつも本を読んでる君を見てるよ』っていうメッセージになっちゃわない? 春馬くん、さっき『ただのクラスメイトという希薄な関係性』って言ったよね? これを贈ったら、蒼奈は『え、春馬くん私の読書習慣まで把握してるの?』って意識しちゃうよ」
「(演算エラー:……盲点だった。実用性は『観察の証明』に直結するのか。俺の『無色透明な存在』でありたいという願いが、逆に『執着』として誤認されるリスク……!)」
一時間が経過した。春馬の額には、体育祭の二人三脚の時よりも深い汗が滲んでいた。
入浴剤: 「消耗品だが、リラックスを強要する。俺のような男から『リラックスして』と言われるのは、精神的な侵食ではないか?」
高級ペン: 「形が残りすぎる。一生モノなど、俺との関係性において重すぎて持てない(オーバーロード)。」
ドライフラワー: 「死んだ植物を飾る……。これは停滞した時間の象徴ではないか?」
「あはは、春馬くん、顔色が真っ白だよ。プレゼント選びでここまで『存亡の危機』みたいな顔する人、初めて見た」
「……笑い事ではない。『喜ばせたい』という目的と、『負担になりたくない』という制約条件が、俺の中で矛盾を起こしている。……若宮さんは、なぜそんなに平然と選べるんですか。この論理的地獄の中で!」
「それはね、私が『蒼奈が笑う顔』だけを想像してるからだよ。春馬くんは『自分がどう思われるか』っていうリスク計算ばかりしてる。……ほら、一旦論理を捨てて。蒼奈が今、何に困ってて、何があったらちょっとだけ日常が楽しくなるか。それだけ考えてみて?」
麗華のアドバイスは、春馬の脳内に、自分一人では決して導き出せなかった「新しい演算パラメータ」を強制的にインストールした。春馬はふらふらになりながら、再び棚の奥へと視線を向けた。




