第六十一話「鏡合わせの純粋性」
放課後。オレンジ色の夕日が教室に差し込み、長く伸びた机の影が静寂を強調していた。春馬が鞄を持って席を立とうとしたその時、背後から聞き慣れた、しかし今は少し特別な響きを持つ声が彼を呼び止めた。
「ねえ、春馬くん。ちょっと待って」
春馬は足を止め、時計を一度だけ確認してから振り返った。
「……会話の猶予は五分間だ。それ以上は、俺の夜の効率的なルーチンに支障をきたす。……で、何だ、若宮」
「ふふ、相変わらず厳しいなあ。……今日は、春馬くんが自分から話しかけてくれたり、『純粋』について一生懸命話してくれたりしたでしょ? 一日通して、どうだった? 君の『論理的な感想』を聞かせてほしいな」
春馬は顔を上げ、まるで学会の壇上にいるかのような厳格なトーンで話し始めた。
「……総括か。いいだろう。まず、朝の『非論理的な入力(挨拶)』におけるエネルギー消費は、当初の予測を大幅に上回った。また、昼休みの『純粋不在証明』の演説において、君という観測者が『必死さ=純粋』というメタな再定義を行ったことにより、俺の論理システムは一時的にデッドロック(処理不能)に陥った」
「うん、それで?」
「結論として、感情という変数を日常に導入することは、演算コストを極大化させる。……だが、同時に認めざるを得ない。この高負荷な状態は、以前の『低刺激な安定(孤独)』よりも、意識の覚醒度(幸福の予感)において、高い数値を維持している。……これが俺の、今日の暫定的な解析結果だ」
「……そっか。『大変だけど、楽しい』ってことだね。春馬くんらしい、素敵な総括だよ」
蒼奈は満足そうに微笑み、春馬を解放するように一歩下がった。
春馬は「時間は終わりだ」と言いたげに背を向け、教室の出口へと歩き出す。しかし、ドアノブに手をかけた瞬間、彼は足を止め、顔を合わせないまま、消え入りそうな声で呟いた。
「……それと、一つだけ、計算の修正を付け加えておく」
「えっ?」
「……君は俺を純粋だと言ったが、計算違いだ。俺は自分の身を守るために言葉を弄しているに過ぎない。……本当の意味で、何の計算もなしに、俺みたいな捻じ曲がった人間に真っ直ぐ笑いかけてくる……」
彼は少しだけ声を震わせ、絞り出すように言った。
「純粋なのは、俺じゃなくて若宮、君の方だろ」
「…………!」
それだけ言い残すと、春馬は蒼奈の反応を待たずに、逃げるように教室を飛び出していった。
廊下を早歩きで進む春馬の耳は、夕日のせいだけではなく、真っ赤に染まっていた。
「(演算不能:何を言っているんだ俺は。相手を『純粋』と定義することは、自らの防御壁を完全に放棄したに等しい。……これは、最大のリスク投入だ。……だが、あいつの顔を直視できなかったのは、論理的な敗北ではない……。……はずだ……!)」
一方、誰もいなくなった教室で、蒼奈は自分の頬が熱くなるのを感じていた。
「(……春馬くん。あんなの、ずるいよ。)」




