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第五十六話「体育祭⑫」


二人三脚のゴールライン。春馬は、蒼奈と共に抱き合うように荒い息を整えていた。彼の視界は、勝利の熱狂と蒼奈の体温、そして予測不能な喜びの残響で満たされていた。

彼の脳内にある論理演算システムは、未だに異常値の処理に追われていた。


「(最終結果確定:旧論理の『悲しみを避ける=楽しみを排除する』は誤謬エラーと確定。新しいロジック『喜びを伴う不確実性』は、最高の効率を出力した。しかし、この『喜び』の質量が、計測不能だ……)」


彼は、これまでの論理的な勝利レスバトルなどで得られたのは、「損失(悲しみ)の回避」による『±ゼロ』の安定だった。しかし、今のこの『喜び』は、『+無限大』にも匹敵する非論理的なエネルギーだった。


「春馬くん、ぼーっとしているよ。大成功だね。私たちの研究は最大のブレイクスルーだよ」

蒼奈は、「最高の観測データ」を得た研究者の顔をしていた。春馬は、彼女の顔を見つめ、一つの事実を認識した。


「若宮。この新しい論理は、君という変数なしには成立しない。俺の論理の拡張領域は、完全に君に依存している……非効率だ」


「ふふ。効率の最高形は依存だよ、春馬くん。一人で完璧を目指すより、最も優秀なツールに最もリスクの高いコア演算を任せた方が、遥かに効率的でしょ?」

彼女の「論理の再定義」に、春馬は反論の余地がないことを悟った。彼女は、「依存=効率」という逆説的な論理を、圧倒的な結果で証明したのだ。


休む間もなく、体育祭の最終競技である大縄跳びの準備が始まった。春馬にとって、ここが論理の最終審判の場だった。


集団。彼の女性不信と人間不信の根源であり、「雑巾」と罵られた過去、公衆の面前で一方的に振られた過去、文化祭で居場所を失った経験が詰まった、最も高リスクな環境だ。集団行動は予測不能な変数の塊であり、彼の旧論理では「絶対排除対象」だった。


春馬がクラスの集合場所に向かうと、クラスメイトたちは重い空気に包まれていた。プレッシャーからか、集団の同期が取れていない。

「やべえ、緊張する。俺が引っかかったらどうしよう」


「ねえ、もっとリズムをしっかりしてくれないと……」

春馬のシステムが、集団のノイズを再観測する。


「(観測記録:集団は感情的なプレッシャーにより、同期率が低下。相互の信頼(変数)が収縮し、出力(跳躍)の効率がゼロに近づいている。これは論理的な敗北が確定するリスク)」

そこで、蒼奈が新たな非論理的な変数を投入した。


「みんな、緊張しているね。でも、春馬くんの新しい論理を試す最高の機会だよ」


「論理的な効率の最高の形は、楽しいこと。みんなが『失敗したらどうしよう』という負の感情に囚われると、集団の同期は絶対に取れない。だって、楽しくないから」


「集団同期の絶対条件は、『楽しさの共有』だよ!失敗も笑いにしよう。喜びを予測せず、不確実性(楽しさ)に全てを委ねて!」


蒼奈は、「楽しさ」という非論理的で伝染性の高い感情をノイズ(プレッシャー)にぶつけ、集団の気分を論理的に操作しようとしていた。クラスの空気が、わずかに弛緩した。


春馬は大縄跳びの跳躍ポジションに立った。彼の目の前を、ロープが巨大な円を描いて回る。


一回目の試技。結果はわずか5回。クラスメイトの同期の乱れと、春馬自身のトラウマによる無意識の硬直が原因だった。


春馬の前のポジションにいた、少しクラスから浮いている女子生徒が、過度のプレッシャーで泣きそうになっていた。


「ごめ、ごめんなさい……私のせいで……」

春馬の旧論理であれば、彼女を「非効率な変数」として厳しく指摘し、排除を要求するはずだった。それが集団の勝利という論理的効率を最大化する最適解だからだ。

しかし、二人三脚の「予測不能な喜び」を体感した新しい論理は、別の解を導き出した。


「(新演算開始:彼女を排除しても、残りの集団の負の感情は増大し、全体的な同期率はさらに低下する。論理的な最適解は、この負の変数を正の変数に変換すること……しかし、その手段は……)」


春馬が選んだのは、最も非効率で、最もリスクが高い行動だった。

「……やめろ、泣くな。君のせいじゃない」

春馬は、周囲のクラスメイトの目を気にすることなく、女子生徒に静かに声をかけた。


「集団の同期は、一人の弱さで崩れるほど脆弱ではない。楽しさを追求しろ。もし次に失敗しても、俺は絶対に君を責めない。俺の論理に、君を排除するという選択肢はない」


「責めない」。それは、裏切りと排斥から成立した春馬の人生において、最も重い誓いだった。彼は、自己の最も嫌悪する「優しさ」という非効率な変数を、集団に投入したのだ。


春馬の非論理的な「優しさ」は、驚くほどの効果を生んだ。女子生徒の不安というノイズが消滅し、クラスメイトたちの相互のプレッシャーが霧散した。

負の感情が消えた後、蒼奈が設定した「楽しさ」という感情の周波数が、一気に集団全体に広がった。

「みんな!春馬くんの言った通りだよ!論理は春馬くんが守る!私たちは楽しむだけ!」

二回目の試技。

ロープが回り始める。春馬は、集団が発する同期の振動に、自己の運動を完全に委ねた。彼の耳には、もはや過去の嘲笑は聞こえない。聞こえるのは、ロープが地面を打つ心地よいリズムと、クラスメイトたちの楽しそうな笑い声だけだった。


彼のシステムは、個々の不確実性を集団の調和という巨大な非論理的なエネルギーで吸収し、最高の跳躍を続けた。


「(観測記録:成功。個々のノイズは、集団の信頼と楽しさという非論理的な変数により、驚くべき安定したリズムへと昇華された。これは論理的な奇跡だ)」

彼らは最高記録を樹立し、最終競技で優勝した。


競技が終わり、歓喜に湧くクラスの輪の中で、春馬は孤独を感じる暇もなく、蒼奈に引き寄せられた。


「春馬くん、おめでとう!大成功だよ。論理的な勝利であり、感情的な奇跡だね」


「……俺は、非効率な行動を取った。あの女子に優しさを与えた。それは過去の俺の論理で言えば、自己矛盾だ」


「違うよ。あなたは、新しい論理を拡張したんだ」


「あなたの新しい論理は『喜びを伴う不確実性』。そして、今日、集団同期の最終試験で分かったこと」


「『優しさ』という非効率な変数を一人のノイズに投入した。その見返り(リターン)として、集団全体の同期率(効率)と、総体的な喜び(幸福度)という最大の利益を回収した」

「(新しい論理:感情の交換の原則。わずかな非効率な優しさを投入することで、集団から非論理的な喜びという最大の効率を引き出す。これが、真の論理的な優位性だ)」


春馬は、自分の論理が集団の幸福という巨大な領域にまで拡張されたことに、圧倒された。彼の女性不信と人間不信の根源であった「集団」は、今、「喜びのエネルギー貯蔵庫」として論理的に再定義されたのだ。


蒼奈は、研究の成功に満面の笑みを浮かべた。春馬は、彼女を「新しい論理の設計者」として見つめ、この予測不能な研究に、深い没入感と初めての安心感を覚えていた。

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